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シェフの気まぐれ風サラダの秘密

作者: やぎっち

「シェフの気まぐれ風サラダください」

「かしこまりました」


 並木道の美しい通り沿いにある、この小さなレストランでは“シェフの気まぐれ風サラダ”が人気だ。毎日たいていの客がサラダを注文するときはだいたいこれを選ぶ。そしてメニューには他にも“シェフの気まぐれ風リゾット”“シェフの気まぐれ風ステーキ”など気まぐれ風なメニューが並んでいる。その内容は日替わりで、日替わりにも関わらず客には人気だった。毎日そのメニューを確かめるべくわざわざ通っている人も数多い。

 この店のメニュー設定はそれら“気まぐれ風”の日替わりメニューが主力で、オーソドックスなレギュラーメニューをあまり注文する人は少なかった。また、それらレギュラーメニューの人気は気まぐれ風メニューに比べて事実劣っていた。

 このレストランのシェフは38歳の男だった。いくつかのレストランで料理を学び、5年ほど前からこの場所に一人でレストランを持つまでに至った。そんな彼には一つの特技があった。料理を完全コピーすることが出来るのだ。たとえば別のあるレストランで彼が食べたものは、翌日には彼がそっくり同じ物を作れるまでになっていた。いくつもの素材を巧妙に組み合わせた独創的なメニューであっても、彼は短時間でそれを分析し、再現することが出来るのだった。

 彼のレストランは初めはそれほど評判が良い方ではなかった。彼には料理を自在に操り、食材に合わせてメニューをアレンジする能力にやや欠けていた。腕は良くても食材や天気によって工夫のしどころは変わっていく。しかし彼の作る料理はいつも工業的な完成度で、良くも悪くもないものだった。その店は長らくそのような普通のレストランの一つでしかなかった。ある日彼は、遊びのつもりで向かいのレストランのメニューをコピーした料理を作ってみた。そして日替わりメニューの一つとして出してみた。そのメニューは思いの外評判が良かった。

 彼はその小さな成功に何か感じるものがあった。彼は日替わりメニューを使って日々実験をするようになった。向かいのレストランのメニューを一通りコピーし、通りにある別の有名なレストランの看板メニューをコピーし始めた。結果は上々だった。というより、外れたことが無かった。

 どうやら彼にとって、漠然とした「料理」ではなく、特定の店が作る特定の「メニュー」、あるいはその特定の「味」を目指して料理をする方が向いていたようだ。たいていの料理人にとって、メニューごとに経験に裏打ちされた自分の味というものがあり、ひとたびそのメニューを作るとなれば常にその味を思い出し、その味になるように作るものだ。しかし彼はその自分の味というものに乏しく、あるいは不安定であり、お手本なしに一定の味で作り続けるということが困難だった。

 あるとき、通りの一番端にある大きな料理屋の主人がメニューに文句を付けた。その主人は、急に客足が伸びるようになったこの店をこっそり探りに来て、そこでたまたま自分の店とうり二つの味のするメニューが出てきたことに気が付いたのだ。しかし件のシェフはとぼけるだけだった。

「他店のメニューには敬意を払っていますし、良いところは取り入れたいと思うのは料理人として自然なことです。あなたの店のメニューが気に入るあまり、気まぐれで作った料理にその気持ちが出てしまいました。それはたまたま起きたことですし、別にレギュラーメニューでもなく気まぐれで作った料理で似ただけのことですので、どうかお許しください。メニューを奪うようなつもりはありません」

 大きな店の主人は疑いつつもその時は引き下がった。そしてその日以降は自分の店と同じ味が出てこないことを確認したのか、何も言わなくなった。

 その一件があってから、シェフは近所の店のメニューを使うことを避け、より遠くにある店のメニューを利用するようになった。そして有名店より無名店のものを、有名店でも看板メニューより目立たないメニューの再現をするようになった。

 彼は後ろめたさを感じながらも、そのようなことをしなければ誰からも注目を集められないことを認識していたので、やめようと思いながらもやめられずにいた。その精神的な重さは評判が大きくなればなるほど彼をじわじわと苦しめ、常にネタ切れの恐怖に駆られていた。


 彼は早世した。その原因は重圧に耐えかねての精神的なものなのか、ネタ切れを恐れて遠方まで移動を繰り返していたことによる過労によるものかは分からない。ただ、彼は料理人としての悪事を誰からも追求されることなく、名声を手にしたまま永遠の眠りについたという点では幸せだったと言えよう。

 彼の始めた小さなレストランはやがて押しも押されぬ名店となり、「レギュラーメニューを設けず、日々創意工夫を凝らした料理を提供する」という彼が作り出した建前は、後継者たちによって現実のものとなった。実に皮肉なことに、創意工夫を第一に掲げたレストランの創設者がもっとも創意工夫からほど遠い存在だったことなど、本人以外は誰も知らないままである。

 ただ一人だけ、彼の身の回りの世話をしていて「爺」と呼ばれた初老の男だけがそのことを知っていた。ただ、彼は料理人ではないのでそういった倫理観や技術論には疎く、また主人から口外するなと言われたことは絶対に口外しないという真面目さを持っていた。彼の孫はどういう縁か料理人を志していたが、真面目な爺は主人のコネを利用することを終始固辞し「孫のためにならない」と主人からその孫宛のクリスマスプレゼントの受け取りさえ断わっていた。

 主人の死後、年金生活者になっていた爺のもとを孫は何度か訪れた、そのとき爺は主人の思い出話をするのだが、料理人としての主人のことはあまり知らないものだから、料理人の孫にとっては退屈な話でしかなかった。ただ、一度だけ爺は失敗を犯した。「他店のメニューに近い料理を、いつでも言い訳できるように“気まぐれメニュー”と称して出して客の様子を見る」という、主人の秘密の核心部分を話してしまったのだった。

 シェフの悪事は表沙汰になることはなかった。しかし、彼の犯行手法はこの爺の一言により、よりマイルドな形で若きシェフに受け継がれた。若きシェフはやがて著名人となったが、かつてのシェフと異なっていたのは、その方法を積極的に広めたことであった。


 今となっては広く知られたレストランのメニュー「シェフの気まぐれ風」。実際にレストランで見たことはなくても誰もがそのメニューを知っている理由は、このような経緯によるものである。

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