【エッセイ】夏目瀬石の「冷やし中華はじめました」♯6 Over The Strawberry Field ーストロベリー・フィールドの向こう側ー
もう40年も昔のことになります。その当時、私は高校に通い、サッカー部に入って、グラウンドを駆け回っておりました。練習はなかなかハードでしたが、日に日に上達していることを実感し、充実した日々を送っていました。そんな中、常に考えていたことは人より少しでも上手くなろう、ということでした。人より上手くボールを蹴って、レギャラー・ポジションを獲得して試合に出る。それが目標となっておりました。
弱い田舎の学校の伝統でしょうか、試合に出るメンバーはほぼ上の学年からと決まっておりました。つまり年功序列です。最上学年の間でのみプレーの優劣が決せられ、レギュラーのメンバーが選ばれるのです。
さて、私たちの学年からメンバーが選ばれるときがきました。いちばん上手いとはもちろん思っていませんが、上位11人の中には入っているはずだと確言しておりました。しかし、試合での先発メンバーに私の名前はありませんでした。私が入るはずのポジションにはあまり目立たない(と私が思っていた)同僚が入っておりました。なぜだろう、なぜ俺でなく、あいつが試合に出るんだろう。その後もべンチから試合を見ながら、いつもそう思っておりました。
40 年経った今でもその思いは消えていません。でもその一方で、私の方がベンチを温めることになった理由が今ではなんとなく理解できます。たしかにサッカーのプレーそのものだけを見れば、私の方が上回っていたかもしれません。しかし、それ以外のもろもろのことを含めて比べたとき、彼の方がベターではなかったか。そのような判断があったのだと思います。
こういったことは社会に出てからもよくあることです。人の評価は純粋に仕事の良し悪しだけでは決まらず、人間関係その他仕事に周辺的な事柄もその対象になりますからね。
しかし、その当時の世間知らずの私にそんなことが理解できるはずもありません。私はやるせない思いを抱きながら、それでも日々練習に励んでおりました。とそこへ、今度は足と腰の痛みに悩まされるようになりました。そのときまで頑健だった身体が悲鳴をあげ始めたのです。その後はプレーも徐々に精彩を欠いていき、レギュラーを奪い取ろうという気概さえも失っていきました。
思えば、学生時代ではそのときがいちばん苦しい時期だったと思います。自分が描いていたプレーができないことは本に辛いことでした。そしてそんな心情を吐露する相手もおりませんでした。私は悶々とした思いをひとり抱いて、毎日を送っていました。今から思えば、社会に出ればもっと辛く、理不尽なことがありますが、当時高校生の私には本当に切実な問題だったのです。
そんなとき私の救いとなってくれたのがビートルズの音楽でした。その独創的で親しみやすいメロディーにすぐにとりこになり、私の孤独ですさんだ心を癒してくれました。その美しく豊潤な調べに身をあずけていると体の奥の方から純化され、辛いことから解放されるのです。
ビートルズが音楽番組に出演したときのビデオテープは擦り切れるほど繰り返し観ましたし、音楽雑誌にビートルズの特集があると、迷わずに買っておりました。今でもよく覚えているのは雑誌に載っていた一枚の写真です。
石材の左右の門柱の間に赤の鉄格子の門扉が目立った写真。それはビートルズのメンバーの一人、ジョン・レノンが幼少の頃よく遊びに行っていた、イギリスはリバプールにある孤児院ストロベリー・フィールドの写真でした。
若いときに母を交通事故で亡くし、叔母に育てられたジョンはここでほかの子供たちと遊び、物事をじっくりと考え、そしてここの静けさと安らきを感じて育ったそうです。
ジョン・レノンは後年この地に思いを馳せて、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」という曲を書いています。
僕といっしょに行かないか
ストロベリー・フィールズに行くところなんだ
リアルなものなんて何もない
思い悩むことさえないんだ
ストロベリー・フィールズよ 永遠に
目を閉じれば人生なんて楽なもの
見るものすべて本当には分からないものなのさ
ひとかどの者になるのは難しいことだけども
それでもなんとかなるのさ
僕にとっちゃ大したことじゃないけどね
どうやら僕の樹には誰もいないようだ
つまり それが高かろうが低かろうが
誰も僕を理解することはできないのさ
だけど大丈夫さ
それほど悪いことじゃないからね
僕といっしょに行かないか
ストロベリー・フィールズに行くところなんだ
リアルなものなんて何もない
思い悩むことさえないんだ
ストロベリー・フィールズよ 永遠に
その当時、私は孤独を諦めながらも、心の片隅では誰かを求めていたのでしょうか。私はその歌詞を曲に合わせてよく口ずさんだものです。そしてすべてを包んでくれそうな穏やかな曲調とジョンの優しい歌声が私の乾いた心にしっぽりと響いておりました。
また曲を聴きながら、写真もよく眺めていました。写真を見ながら、思ったものです。その閉ざされた門扉の向こう側にはいったいどのような景色が広がっているのだろう。そこには静けさと安らぎがはたして広がっているのだろうか、と。
それから30数年後、私はパートナーとイギリスに旅行に行く機会を得ました。メインはロンドン観光でしたが、せっかく遠いところまで来たのだから、この機会にリバプールまで足を運ぼう、ということでその地も旅程に組み入れました。
リバプールといえばなんといってもビートルズです。私たちは優先順位をつけて、ビートルズゆかりの地を訪ねることにしました。その中にはもちろんストロベリー・フィールドも含まれています。
私たちはリバプールの中心街からバスに乗りました。ストロベリー・フィールドに行きたいので、最寄りのバス停に着いたら教えてください。運転手に頼んでおくと、30分ほどで、着いたよ、と声を掛けられました。礼を言って、バスを下り、方角などを確かめていると、目の前を先ほど乗ってきたバスが通過しようとしています。あらためて頭を下げると、運転手は左手の親指を突き上げて、ユア ウェルカム、と。かっこい〜。思わずふたり呟いていました。
私たちは大通りを戻っていって、一本目の二車線の道を右折していきました。なだらかな坂を二分ほど上がっていくと右手に赤門が見えてきました。出ました。ジョン・レノンの心の故郷、ストロベリー・フィールド。四角錐を頂いた石の門柱を横にたずさえ、えんじ色の門扉が陽光をバックに映えています。私はすぐにその門扉に手を掛けておりました。なにか夢の中にいるような、ふわふわとした気持ちがしたのを覚えています。
私たちは意中の人にようやく巡り会えたかのように、通りの向こうから門を眺めたり、門前のスペースをうろちょろしたり、ふたたび門をなでたりと20分ほど夢心地を味わっておりました。
一方で、私が抱いていたイメージと違っていたところもありました。私はここの施設は閑静で緑豊かな森の中にあると勝手に想像していたのですが、前にはアスファルトの道路があり、ビュンビュンと車が通っておりました。そして石柱の後ろには、樹齢何年になるでしょうか、大きな樹が茂っておりましたが、その奥、門扉の向こうは草木が刈われたようなスペースが広がっており、その中から工事の音が少し響いておりました(どうやらその後、孤児院は就職支援センターとなって、カフェや売店が併設されたそうです。そして今では中の敷地に入ることができるそうです)。
ストロベリー・フィールドを訪れ、すっかり有頂天になった私たちは、その後もジョンが育った家やジョンとポール・マッカートニーが初めて出会った教会近くのホールやデビュー前のビートルズが出演していたライブハウス、キャバーンクラブを訪れ、意気揚々とリバプールを後にしたのでした。
さて、旅行から帰ってきたある日、私はイギリスで撮った写真を見ておりました。楽しかったイギリスでの日々をもう一度旅するのです。有名なリバプールの赤門の前ではなんの屈託もない笑顔で写真におさまっている私の姿がありました。
私はなんの気なしにビートルズのアルバム『マジカル・ミステリー・ツアー』のCDを取り出し、その中の「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」をかけました。するとどうでしょう、幻想的なメロトロンのイントロとともに、イギリス旅行での陽気な気分ではなく、高校時代の辛く、苦しい思いが何十年ぶりかに蘇ってきたのです。
怪我で思うようなプレーができず、ひとり思い悩んだ日々。ストロベリー・フィールドの写真を見ながら、ジョンの歌声に救いを求めた日々。その光景が瞼に映し出されたのです。私は何度も曲を繰り返し聴きながら、その光景に浸っておりました。そして思いました。
もしあの時、誰かが一言でも励ましの言葉を与えてやれたら、もう少し楽に生きることができたのではないか。ほんの些細な言葉でもいいから掛けてやれたら、もう少し高校生活を楽しむことができたのではないか。今、そんなことを思うのです。だから現在の私から当時の自分にこのように声を掛けてやりたいのです。
おまえは遠い将来、人生の伴侶ともいうべき大切な人と、そこストロベリー・フィールドに訪れることになるんだよ。そしてその門扉の向こう側にはそれほど悪い日々が待ち受けているわけではないんだよ。だから人生に恐れないで、顔を上げて前へ進んでいくんだよ、と。




