プロローグ
ここは4階建てのマンションの一室。風呂とトイレが別の1LDK。オートロックは彼女——高嶺 莉子のこだわりである。
部屋全体にはココナッツの香りがこびり付いている。プルメリアの時計、ヤシの木柄のコップやコースター。部屋の各所に散りばめられたアロハ雑貨も莉子の趣味である。
そんな、2人で作り上げた空間に1人取り残された男——太田 衡典。
リビング中央にある、ベージュの2人がけのソファに母のお腹にいる胎児のように、足を折りたたみ倒れこんでいた。
散らかった洗濯物、飲みかけのペットボトル。シンクには残飯がこべりついた食器が乱雑に積み上がっている。
何も動く気が起きないし、もはや死んでもいい。それぐらいに追い詰められていた。
それもそのはず、たった今、部屋に散りばめたアロハ雑貨は元彼女のモノへと様変わりしたからである。
2人で思い描いた未来もたった今、消え去り。もはや、人生の全てを捧げていた衡典は、莉子との別れによって廃人と化していた。
別れ話なら何百回としてきた。別れる寸前の大きな喧嘩も何千回としてきた。その度に衡典は頭を下げ、許しを乞うてきた。
しかし、今回は違う。どれだけ頭を地面に擦り付けようが、彼女には届かない。それどころか、面会すらできないのだ。
なぜなら、今回の別れ話は警察を巻き込んだもの。いつもみたく、しつこく許しを乞う行為はストーカー行為に該当するらしい。
もはや、万事休す。奇跡的に莉子が心変わりして許してくれることを想像するも、ありえない妄想だと我に変える。
しかし、衡典には付き合った当初から薄々感じてはいたのだ。
——価値観が合わないと。
それでも愛していた。なんとか価値観を合わせようと自身の価値観すらねじ曲げた。
そうするほどの、『情』が衡典には宿っていたのだ。様々な困難を2人で乗り越えたと言う『情』が。
これは、衡典と莉子が創り上げた壮絶な人生の物語である。




