あなたと一緒なら、他に何もいらないわ
「お嬢様! また勉強サボりましたね!」
執事長補佐であるジョセフが紅茶を飲むペネロペを叱る。ペネロペはだって、と口ごもる。
ジョセフは溜息をつく。
「立派な淑女になれませんよ。マナーの勉強もサボって、旦那様に報告しますからね」
「だって、婚姻したくないんですもの」
「何を言うんですか! 立派な淑女になって、立派な男性と婚約し、婚姻するのが、お嬢様の幸せですよ!」
「そんなの私の幸せじゃないもん! ジョセフの馬鹿!」
「淑女がそんな言葉を使ってはいけません!」
「馬鹿のあそばせ!」
「お嬢様!」
ペネロペはその場から立ち去る。
ジョセフは深い溜息をついた。
執務室で、ペネロペの父親であるアレックスは書類を見ながらジョセフの報告を聞いていた。
アレックスは溜息をつく。
「そうか……婚約はまだできないな」
「候補者様がいらっしゃるのですか?」
「何を言っている? あの子が生まれたときから決まっているじゃないか」
婚約者候補者がいることに、ジョセフの胸の奥が痛んだ。それを顔に出すことはないが。
「しょうがない。お前がマナーを教えろ」
「私がですか?」
「あの子はお前を好いてるからな」
ジョセフは言葉に詰まらせる。
「分かり、ました」
何とか答え、お辞儀をするのだった。
「ティーカップのハンドルには指を引っ掛けず、指を伸ばしてつまむように持ち上げて下さい。それが美しいカップの持ち方です。ミルクや砂糖を混ぜるときは、スプーンでくるくる回してはいけません。前後に動かすのです」
言われた通りに紅茶を飲むペネロペにジョセフは満足そうに手を叩く。
「よくできました。これで淑女に近づきましたよ」
「嫌よ!」
カップをソーサーに叩きつける。
「私は淑女になんかなりたくない!」
ジョセフは眉を下げた。
「何故そうおっしゃるのですか?」
「だって、淑女になったら、ジョセフと一緒にいられないじゃない」
「お嬢様……」
「私ジョセフがーー」
「いけません! お嬢様には婚約者候補者様がいらっしゃいます!」
「そんなの知らない!」
ペネロペはジョセフに抱きついた。目を見開くジョセフは、抱きしめようとして、引き離した。
「いけません」
「ジョセフの馬鹿! もう知らない!」
走り去るペネロペの姿を、ジョセフは顔を歪めて見つめるのだった。
執務室をノックして許可を得る。
「旦那様」
書類を見ていたアレックスが顔を上げた。
「何だ? また、ペネロペのことか?」
「いえ、いえ、そうなんですが、違うんです。お暇を下さい」
アレックスは眉を寄せる。
「何故だ?」
「お嬢様にとって私は側にいない方がいいんです。それに私は、使用人でありながらお嬢様を愛してしまったんです」
「それがどうしたと言うんだ?」
「私は使用人ですよ!?」
アレックスは息を吐く。
「執事長から何も聞いていないのか?」
「え?いえ、何も」
「あの子が淑女になれば、お前と婚約させるつもりだ」
アレックスの言葉にジョセフは仰天する。
「ですが私は使用人ですよ!?」
アレックスは息を吐く。まるで呆れるかのように。
「その考え方は古い。祖父の時代だ。今はいかに信用できる者と婚約させるかだ。その中で使用人は人気だ。忠誠心が強く信用できるからな。お前は元々あの子の婚約者にさせるつもりで執事長補佐にしたのだからな」
「そう……なん……ですか」
「あの子は淑女になれば知らせるつもりだが、お前が知らなかったとは思わなかった」
ジョセフはただ呆然とするのだった。
ペネロペの部屋をノックしても返事はない。
ジョセフは必死に声をかけた。
扉が開き、目が赤くなっているペネロペが顔を出した。ジョセフは胸が痛んだ。
「お嬢様」
「何?」
ジョセフは思わず手が伸びて、指先で涙を拭う。
「泣いておられたのですか?」
「あなたに関係ないわ」
手を振り払い部屋に入ろうとしたが、ジョセフが引き止めた。
「お嬢様!」
「何よ!」
「お慕い申しております」
「え?」
ペネロペは顔を赤くした。
「何を言って、冗談言わないで!」
「冗談ではありません! お慕い申しております!」
ペネロペは涙を流す。
「あなたと一緒なら、他に何もいらないわ」
「お嬢様、いえ、ペネロペ」
「ジョセフ」
二人は抱きしめ合った。
執事長が通りかかるまで。
通りかかった執事長にジョセフは尋ねた。
「どうしてお嬢様の婚約者になるのが私だと教えてくれなかったんですか?」
「忙しくて忘れていました」




