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赫姫 -TSおっさんの転生記-  作者: 此方かなめ
1章 冒険者になるまで

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8/20

治療院にて



「……知らない天井だ」

 

 見慣れつつあるあばら家の天井ではなく、木製の梁と漆喰で出来た清潔感のあるものだった。

 きちんとした建物という印象を得られ、ヒメカは困惑する。


(どこだ、ここ?)


 何かの薬品の匂いだろうか。独特な刺激臭が鼻をつく。

 窓にはめられたすりガラスからは、ぼやけた日差しが部屋を照らしている。

 寝かされていたベッドも、藁を敷いただけといった物ではなく、比較的柔らかいマットレスが使われ、白い綺麗なシーツまでかかっていた。

 身体を起こす。

 すると、右の脇腹が痛みを訴える。


「いててて……」


 そこには包帯が巻かれ、治療された跡が残っていた。

 どうして怪我を?

 頭に手をやる。そこにも包帯が巻かれていて、全身傷だらけであると理解した。

 何か、喉の奥まで出かかっている。

 ――そうだ、思い出した。

 灰牙狼と激闘が鮮烈な映像となって頭を過った。

 肉を断った感触が呼び起される。

 灰牙狼の憎悪のこもった瞳。

 血の気が引き、不安や恐怖がヒメカを襲う。


(クロエ! 彼女は無事なのか⁉)


 あの小さな女の子は守り通せただろうか。

 傷む脇腹を抑えながら、きょろきょろとこの部屋を観察した。

 そして頭に浮かんだのは病室という二文字だった。

 ヒメカの眉間に皺が寄った。

 自分の知り合いというと、アルフレッドとクロエしかいない。

 難民であるアルフレッドに、ここまでの治療を受けさせることができるとは到底思えなかった。

 誰だかはわからないが、まずはクロエたちの無事を確認しなければ。

 傷む身体を無理やり動かし、ベッドから脱出することを試みる。

 足を床につけようとした時、力が抜けた。

 身体を支えきれず、床に落ちる。

 ドン、と盛大に音を鳴らした。


「あーっ⁉」


 身体が思うように動かない。

 まるで使い方を忘れてしまったかのようだ。

 落ちた衝撃でさらに傷が痛み、悶絶しているとガチャっと扉の開く音がヒメカの耳に届く。


「なんかすごい音したけど、何事⁉」


 涙で潤んだ目を声の方に向けると、そこには小綺麗な格好をした恰幅の良い男が目を丸くしてヒメカを見ていた。

 恰幅の良い男はニカっと歯を見せて笑う。


「んー。君生きがいいねえ!」


 ……なんだこの男。

 見た目は医者みたいなのに、床に落ちている推定患者を心配するそぶりすら見せない。

 ヒメカはこの男をしばらく半目で見ていたが、うんうんと頷いて何やらぶつぶつ呟いている様子に、助ける気がないことを悟る。

 仕方なく声を掛けた。


「あのー、手を貸してもらえませんかね?」

 

 ヒメカのやや呆れのこもった声を聞いた男は、ようやく気が付いた。


「おお! すまない!」


 大仰な手振りでヒメカに謝罪をすると、以外にも優しい手つきでヒメカの身体を軽々と持ち上げベッドに戻した。


(うぉ、力持ちだな!)


 あまりにも簡単に、ヒメカを持ち上げたことに驚く。


「眠り姫がお目覚めだけど、君は今までのことを覚えているかな?」


 小太りの男はヒメカに問いかける。


「なんとなくは――」


 自信なさげに答えるヒメカ。

 が、すぐにクロエのことを思い出し、恰幅の良い男に詰め寄る。


「そうだ! クロエは⁉ 一緒にいた小さな女の子は無事⁉」


 急に動いたことでまた痛みが走り、ヒメカは涙目になる。


「ほーら言わんこっちゃない。急に動くと痛むよ?」

(一言も言ってないだろうが!)


 どこかズレている男に心の中で悪態をつく。

 男はしょうがないなーと嘆息すると、腰のベルトに差してある試験管のようなガラス小瓶の一つを手渡してきた。

 中には薄い青色の液体が揺れている。

 これはポーションだと直感したヒメカは、痛みでおぼつかない手で蓋を取り、中身を一気に飲み干した。

 すると、たちまちのうちに痛みが引き楽になった。


「すごい……即効性がある」


 その感想を聞いた男は顔を輝かせた。


「あ、わかる? これは僕が調合した最新技術の結晶さ! どこかで人体実験したかったんだけど、なかなか機会がなくてね。あ、大丈夫。安全性はちゃんと確保してあるから!」

「……」


 その言葉にヒメカは無言になる。


(なんつーもんを飲ませてんだ!)


 形容しがたいすごい表情を浮かべ男を睨む。

 そんなヒメカを華麗に無視した男は、滔々と自身の研究成果を話し始める。

 口を挟もうとしても、絶え間なく動く男の口はヒメカをねじ伏せる。


(だめだこりゃ)


 諦観の境地に至ったヒメカは、ただただ嵐が過ぎるのを待っていた。

 しばらく、呪文のような言葉が耳を素通りしていった後、咳払いが聞こえた。

 その音は、やけに響いた。

 びくぅ、と男の身体が跳ねる。

 男は咳払いの発生源である後ろを、恐る恐る振り向いた。

 白髪交じりの長髪を後ろで束ねた女性が無表情で、男をじっと見ていた。


「あー、院長。これはちょっとした訳がありまして……」


 男の悪びれもしない様子に、女性は大きなため息を一つ吐く。


「言い訳は後で聞くよ。メリナを呼んできな」

「了解しましたー。君、また感想を聞かせてくれよ?」


 そう言い残して恰幅の良い男は、そそくさと部屋から出ていった。

 出ていったことを確認した女性は、ヒメカに近づく。


「ネスターの馬鹿が面倒かけたね。私はここの院長をしているミネルバという。君の名前を聞いてもいいかい?」


 さっきのおしゃべりな男――ネスターに向けていた表情を一変し、ミネルバは柔らかい笑みを見せる。

 ヒメカはその笑みに、ネスターによってもたらされた疲労感が少しだけ解けた。


「どうも、ヒメカと言います」


 ぺこりと軽く頭を下げる。


「ん。いい子だね。あの馬鹿に見習わせたいほどだ」


 いかにも仕事ができますといった雰囲気で、ややきつめの顔立ちをしたミネルバはふん、と肩をすくめる。


「さて、身体の調子はどうだい? 違和感や、気になるところはあるかい?」

「すみません。先に確認したいんですが、一緒にいた女の子はどうなったかわかりますか?」


 ようやく話が通じそうな人が出てきて、ヒメカはまずクロエの安否を尋ねた。


「……ああ、ヒメカ君があの灰牙狼(グレイウルフ)を倒してくれたおかげで、運んでいた冒険者と君以外に死傷者はいないよ」


 少し考えてから、ミネルバはヒメカの不安の種を取り除く。

 目覚めてから、気がかりだったことが解消し、ヒメカは安堵の大きなため息を漏らす。


「……よかった。本当に……」


 震えた声が、自分でも驚くほど小さかった。

 自身の怪我よりも他人のことを本気で心配する少女(ヒメカ)を見て、ミネルバは目を細めた。口元に、ごく小さな微笑が浮かぶ。


「それで、君の状態を聞きたいのだけど? 聞かせてもらえるかな」


 ミネルバはぶっきらぼうに言い放つ。

 その声のトーンにヒメカは慌てて答えた。


「あ、えーと。身体はもう痛くないです。はい。あの、さっきのネスターって人が薬をくれて飲んだら痛みがなくなりました」


 それを聞いたミネルバが頭に手を当てて、やれやれと息を吐く。


「あの馬鹿の薬か……少し失礼するよ」


 そう言うとミネルバは、ヒメカの首に手を添えた。まるで脈を測るようなそれは、次の瞬間ヒメカの予想を裏切った。


《調べろ、解析(アナライズ)


 短く言葉が発せられ、それと同時にミネルバの身体から何かを感じた。


「ふむ……特に異常はなさそうだね。血圧、脈拍ともに安定しているし……魔力が二つ――? ……いや、今はいい。続けよう。……傷を治したときに余った魔力が細胞を活性化させている。君は今、すこぶる調子が良いはずだ」


 ヒメカは呆気にとられた。


(も、もも、もしかしてっ……魔法⁉)

 

 ここにきてようやく、異世界の代名詞とも呼べる魔法に出会った。

 感動と、一抹の不安が募る。

 それは、三十五年間生きてきたヒメカの常識を壊すには十分だった。

 感じたこともない正体不明の力が、身体を巡る。

 人は理解できないモノを怖がると言うが、まさにこれがそうだ。

 背筋が震え、胸がむかむかしてくる。

 怖い。

 ――やはり、知らない世界なのだ。

 逃げ場のない現実が、静かに体温を奪っていく。


(でも、この世界で生きるのなら、受け入れるしかない)


 自分に言い聞かせるように、ゆっくりと深呼吸をする。


「ん? 脈拍が乱れてきているな。何か違和感でもあるか?」


 ヒメカの心を見通すかのように、ミネルバは分析する。

 慌てて、振り払うように手を引っ込めた。


「……大丈夫です」

「ふん、まあいい。とにかく身体は完治したとみていいだろう。――ちょうど来たようだ。私はここで失礼しよう」


 特に気にした様子もなく、ミネルバは扉の向こうに視線を向ける。

 すると、勢いよく扉が開かれた。


「〈稀人〉が起きたって本当ですか⁉」


 あまりの騒々しさにミネルバの眉間にしわが寄る。


「――ったく、どいつもこいつも……メリナ、後は任せたよ」


 メリナと呼ばれた声の主は、明るい栗色の髪の毛を揺らしながら、片手をあげた。


「わかりました!」

「ヒメカ君、もう二度とここには来るんじゃないよ」


 ミネルバはそう言い残し、この場を後にした。






12月2日 ミネルバのセリフを一部変更。

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