寝て起きてもやっぱり性転換
見慣れない天井だ。しかも、やけに低い。
天板は所々はがれており、穴の開いた箇所をボロ布で塞いである。
冷たい隙間風が肌を撫で、鼻をつく土埃の臭い――どう見ても、あばら家だ。
そこに布一枚掛けられて寝かされていたようだ。
どのくらい寝ていたのだろうか。
姫川は頭を手で押さえ、現状把握に努める。
台所の扉を開けた瞬間、見知らぬ場所に立っていた。さらに性転換しており、挙句の果てには魔物ときた。
夢でも見ているのか。
試しに頬をつねってみると、しっかりと痛い。
痛みがこれは現実だと訴えてくる。
――異世界。
その言葉が頭をよぎる。
「そんな馬鹿な。マジで? はぁ……」
相変わらず可憐な声である。
この声を聴くと、本当に女の子になったんだと実感する。
「んー。とりあえずなっちまったもんはしょうがない、か」
元男としての彼は、切り替えが意外と早かった。
(よし、ならばまずは身体を確認しないとな)
女の子になった――その現実を、ちゃんと確認しないと落ち着かない。
幸いにも、この世界に合った服は着ていたようで、あの農民の男性に不審な目で見られることはなかった。
まあ、違う意味で不審ではあったが。
気を取り直して、まずは顔をペタペタと触ってみる。
肌は、つるつるだ。張りがある。男の肌とは全然違うな。
胸は、小さな膨らみが二つ。
背は、立ち上がると目線が低い。百五十センチ半ば。小さいし軽い。違和感だらけだ。
「改めて確認しても、マジで女の子になってるじゃん……。生き残れんの? これ」
はぁー、と大きなため息を一つ。
着ている服はどこか古風でゆったりとしており、柔らかい色合いだ。
見たことのない織り目が、少女らしさを際立たせる。
床には藁と布が雑に敷かれ、カビと藁の臭いが鼻を刺激する。
異世界にいるという現実が、じわりと実感に変わっていった。
その時、軋む扉の向こうから足音がした。
どたどたと忙しない音は、扉の前で止まった。
息をひそめる。――誰かがすぐそこにいる。
姫川はすぐ開かない扉に不思議に思い、近づく。
その時だ。バーンと思い切り扉が開かれ、姫川のすぐ鼻の先を掠めていった。
「ひぃ」
思わず尻餅をつき、臀部を強打した。
「いっつぅ⁉」
痛みで悶絶している姫川に可愛らしい声が掛けられた。
「変な格好だー! おもしろーいね!」
なぜか楽しそうな顔で姫川を見つめる一人の女の子。
涙目で女の子に視線をやる。
八歳くらいだろうか、二つ縛りの金髪は少女の動きに合わせてピコピコ動く。まだ世の中の世知辛さを知らない、元気はつらつとした生命力あふれるオーラが姫川の眼を焼く。
まるで太陽のような輝きだった。三十五歳には眩しすぎた。
そんな阿保なことを考えていると、少女の後ろから見覚えのある顔がぬっと現れた。
「これこれ、勢いよく扉を開くものじゃないよ。人が居たら危ないじゃないか。クロエ」
気絶する前に見た農夫だった。
あの時、声を掛けてくれためっちゃいい人だ――姫川は反射的に、手を合わせて拝んだ。
そして姫川は自身の行動が、端から見れば意味不明だということに気が付かないでいた。
さすがの農夫も少し顔が引きつっているように見える。
さらにクロエと呼ばれた少女は変なのーと、指をさしていた。
「あー、コホン。起きていたんだね。体の具合はどうかな?」
気を取り直すように咳払いを一つして、優しい口調で姫川に語り掛ける農夫。
皺だらけの目尻が下がり、心配そうにこちらを覗き込む。その優しい目が、本気で気遣っていると物語っていた。
「アッ、ハイ。おかげさまで。……取り乱してすみませんでした。あと、介抱していただき、ありがとうございます」
姫川は現代日本人の習性である、頭をぺこりと下げ、感謝を伝える。
意外と礼儀正しい姿に農夫は感心する。
最初はとても正気とは思えない様子で、取り乱していた彼女だが、時間が経って少し冷静になれたのだろうと農夫はそう結論付けた。
「さて――少し、話を聞いてもいいかな?」
「わたしも! お姉ちゃんのこと知りたーい!」
◇
寝かされていた部屋の真ん中に、藁で編まれた丸い敷物が敷かれていた。
三人はそこに膝を突き合わせて座る。
異世界に来て最初の質問攻めタイム――いや、正確には情報交換の場だ。
「はいはーい! お姉ちゃんは何ておなまえ? なんで道のまん中で立っていたの? どこから来たの? どうしてへんな動きをするの? 教えて教えて!」
一番手のクロエは、ずいっと身を乗り出してマシンガンのように問いかけてくる。
なんとなく予想はしていたが、ここまでの威力を持った弾丸を撃ってくるとは。
その勢いに姫川は少々面喰い、目が泳ぐ。
「クロエや、一度にたくさん質問したら、何から答えればいいかわからなくなるだろう。一つずつ聞いていこうね」
はーいと、元気よく手を挙げて、クロエはじゃあ何から聞こうかなと頭に手をやって考え込む。
その様子に苦笑した農夫は姫川に向き合った。
「この子が失礼したね。――自己紹介が遅れた。私はアルフレッド、気軽にフレッドと呼んでくれ」
農夫――アルフレッドは優しく微笑む。
その笑みを見たとき、姫川はそれなりの人生経験から、この初老の男性は信用に値すると思えた。
そもそもがこんな変人を見捨てずに、介抱までしてくれているのだ。この人を警戒する理由など姫川には見当たらなかった。
しかし、姫川としても何から切り出してよいか、頭の中が整理できず無意識のうちに腕を組み悶々としていると、アルフレッドが助け舟を出してくれた。
「ところで、お名前を聞いてもいいかな?」
「あ、ひめか――」
反射的に名乗ろうとして、はっと口をつぐんだ。
(この二人の名前、どう聞いても外国人風だよな……。ここで日本人名を名乗ったら不審がられそうだ。これ以上好感度は下げたくないぞ。――よし、ここは無難に偽名でいこう)
だが、中途半端に止めたことで悲劇が起こった。
アルフレッドの耳は聞き逃さなかったのだ。
「ヒメカと言うのか。良い名だ」
あー、あー⁉
ちがう、そうじゃない。
でも、もう訂正するには遅すぎたようだ。
クロエが目を輝かせて、ヒメカ、ヒメカっていうのね! と何度も反芻している。
人生諦めが肝心だと、姫川――ヒメカは開き直った。
「……ハイ、ヒメカと申します」
死んだ魚のような目をして、遠くを見る。
しばしの現実逃避。
あ、ほこりがきらきらしてる。
「さて、ヒメカよ。本題に入ってもいいかな?」
わずかに空気が張り詰めたような気がした。
ヒメカは身が引き締まった。
アルフレッドの表情が真剣さを帯び、ヒメカを探るような目をしている。
「きみ――」
「どこから来たのっ⁉」
アルフレッドが何か言いかけたところで、クロエが割り込んできた。
鼻息を荒くして、もう我慢できないといった表情だ。
一気に緊張が解けた。
(助かった……)
よくやった、ちみっこよ。
ポンとクロエの頭に手を載せたアルフレッドは、この子はしょうがない子だ、と嘆息し、懐から何かを取り出した。
それは布に包まれた干し肉の欠片だった。
無言でアルフレッドはクロエの目の前にぶら下げると、見事な速さでクロエはかじりついた。
食べることに一生懸命になったクロエはとても静かだ。
「たびたびすまないね」
「いえいえ、子供は元気が一番ですから」
頬を掻きながら、ちみっこの株を上げておく。
妙な空気になったが、先ほどアルフレッドが聞きかけたことは、なんとなく想像はついていた。
おそらく俺はその場に突然現れたのだろう。
そして、その瞬間をこの初老の農夫――アルフレッドが目撃していた。
最も気になるところはそこだろう。
(つまり――俺が何処から、どうやって現れたのか)
馬鹿正直に日本という異世界から来ました! なんて言えるはずもない。そんなこと言った日には衛兵にしょっ引かれてしまうこと間違いなしだ。
かといって、どうごまかせば納得してもらえるだろうか。
まだ、ヒメカはこの異世界のことを何も知らない。
だからこそ、何をどう語るべきかも、わからなかった。
ややあって、アルフレッドが慎重に口を開いた。
「ヒメカ、君は……」
一拍の沈黙。
「魔織の民ではないか?」
「へ?」
聞きなれない単語が飛び込んできた。
マオリノタミ?
なんだそれは。
いきなりの固有名詞。どう反応すればいいかわからないやつだ!
頭に疑問符をいっぱい浮かべて固まっていると、アルフレッドは何か得心のいった表情をする。
「その特徴的な衣装と、ここらでは聞きなれない名前にひどく混乱した様子。極めつけはその長耳――冒険者から聞いた事がある。極稀にどこかから転移してくる者たちがいると」
評価していただけるとモチベベが上がります。




