休息と出会い
ほぼお食事回
それからというもの、身体を鍛えるため訓練場に顔を出しては汗を流して、合間合間に小鬼討伐を受けて、日銭を稼ぐ日々が続いた。
あれからフェイには訓練場では会えていない。
ほぼ休みなく働き続ける姿は、ブラック企業顔負けの過酷な労働環境を周りに見せつけていた。その鬼気迫る労働意欲に、ヒメカの担当職員であるメリナは顔が引きつりドン引きだった。
「休むことも冒険者の仕事です。――だから、訓練場は数日間使用禁止です」
死刑宣告のように無慈悲な命令が下った。
(確かに、元の世界でも働きすぎは逆にパフォーマンスを下げたからなー)
仕方なく、ヒメカは重い腰を上げ、数日間の休みを取ることにした。
ヒメカは仮住まいの宿舎の部屋でやることもなく手持ち無沙汰に呆けていた。
ベッドの上で身体を揺らしていると、ふとある考えが電流のように走る。
そういえば、このイリガルドの街歩きをしていないことに気が付く。
ギシギシとベッドが軋む音が鳴り止んだ。
窓の外を覗くと、そこには冒険者通りの喧騒が目に映った。
色とりどりの屋台が並び、人々が行き交う光景。笑い声や叫び声がここまで届いてきそうだ。
ヒメカは思い返す。冒険者になってからは、もっぱらギルド周辺と冒険者通り、城壁までを往復しているだけの毎日だった。
せっかくの異世界である。
一人の冒険者として、この街のことを良く知らなければならないのではないか。
息抜きがてら探索をするのも悪くない。
海外の街を観光するみたいでワクワクする。
そうと決まれば、行動あるのみだ。
必要最低限の装備だけ整え、ヒメカはギルド宿舎を後にした。
相も変わらず雑踏する冒険者通りは、多くの賑わいを見せていた。
お昼時ともあり、食べ物のいい匂いが漂ってくる。
ヒメカの眼を一際惹いたのは、脇の屋台。その屋台では猪のような生き物の頭が飾られている。
火の上で回転する串刺しの大きな肉の塊。ケバブのようなそれは、滴った油で燃料にしている木炭が爆ぜる音や、煙に混じって香ばしい肉の匂いをばら撒いている。
また違う屋台では、移動式のオーブンから取り出されたばかりの鉄板の上に、パンが並べられていた。そのパンから白いチーズがトロリと溢れて、涎が止まらない。
他の屋台では奇妙な果実や、見たこともない香辛料が並んでいた。
すべてが日本で見られる街の光景とは違い、ヒメカは異国情緒あふれる空間にただただ圧倒されていた。
(海外旅行なんてしたことなかったけど、こんな感じなのか……)
この街よりも外側は魔物が跋扈する危険な領域であるのにもかかわらず、ここに居る人たちは、それでも力強く、逞しく今を生きることに精を出している。
あっちへこっちへと忙しなく視線が移り、何を食べようかと悩みに悩みながら歩いていく。
目を輝かせながら歩く様子は、少女という外見も相まって、街行く人の顔を綻ばせた。
しばらく頭を回転させて導き出した答えは、最初の肉の塊だった。
(やっぱ、肉でしょ!)
以前であれば、あのような油の滴る肉は見ただけでお腹がいっぱいになって違うものにしようと敬遠していたが、今は若い体である。
この少女の身体は――冒険者という職は――お腹が空くのだ。
それと休みの日は好きなものを好きなだけ取らなければ、せっかく休んでいるのに意味がない。
社会に出てから、その大切さに気付いたのであった。
お腹が急かすのかヒメカは、早歩きで肉の屋台へと向かう。
「おいちゃん、肉くれ!」
汗を流しながら、肉が焦げないように串を回転させる店主に向かって、待ちきれないといった様子でヒメカは声を掛けた。
「あいよ。ちょっと待ってな」
店主はそう言うと、よく焼けた部分の肉をナイフで串から外す。
それを傍で焼いていた平べったいパンに豪快に乗せて、ヒメカの目の前に差し出した。
「銅貨十枚だ」
お金を支払い、肉を受け取る。
熱々でまだ湯気が立ち上る肉にはハーブと塩が振りかけられているようで、鼻一杯に食欲のそそる匂いが広がる。
パンを皿代わりにしているのにはびっくりしたが、これなら持ちやすくゴミも出ない。
ヒメカは考えてあるなーと呑気に思い、待ちきれない空腹が早く食べるよう訴える。
(いただきます)
心の中で日本式の挨拶を忘れず、かぶりつく。
口の中に広がる肉汁。
炭火焼の香ばしさと、程よい油が絡み合いヒメカを至福の時へいざなう。
食べる手が止まらず、ぺろりと平らげた。
「うっまー! これだよこれ」
(ビールがあれば最高なんだけどな……)
油の付いた指を舐め、次なる獲物を見定める。
あたりを見回していると、先ほど買った肉の店主から声が掛かる。
「いい食べっぷりだ。嬢ちゃん。それと――まだ食べ足りないといった顔と見た。あそこでやっている従姉の店に行きな。きっと気に入るぜ」
そう言って店主は通りの反対側の屋台を指差した。
視線を向けると、威勢のよさそうな恰幅の良いおばちゃんが声を張り上げて呼び込みをしていた。
「俺の紹介で来たと言えば、安くしてくれるぜ?」
店主の言葉に興味が惹かれたヒメカは、次の獲物をそこに決めた。
決して安く済むと聞いたからではない。
(社会人はついつい値段を見てしまうものさ……)
財布代わりにしている袋をそっと手で抑えながら、おばちゃんの店に近づく。
その屋台に近づくにつれ、こちらもいい匂いが鼻腔をくすぐる。
チーズのような甘い匂い。
大釜の中で、ぐつぐつと煮られているものはリゾットのような穀物粥だった。
――悪くない。
さっき肉を食べたというのに、またお腹の虫が鳴り始めた。
おばちゃんがヒメカにその威勢の良い声を掛けた。
「いらっしゃい! あんた、細いから食べないと力でないよ? ほら買った買った」
とても圧の強いおばちゃんだった。
ヒメカは肉の店主に言われた通り、彼の紹介で来たと告げた。
「あそこの串焼き肉の店主からおすすめされたんだけど……」
「お、あいつの紹介かい。――いいよ。安くしてあげるから、たんとお食べ」
大釜からドロッとした穀物粥を浅い木皿に、溢れそうなほど盛って目の前に出される。
「銅貨八枚のところをおまけして、六枚でいいよ。精をつけな!」
「おわっとと、ありがとうございます!」
ヒメカはお金を払い、お礼を言って熱々の木皿を受け取る。
おばちゃんは食べ終わったら食器は横の台においてくれと告げた。
添えられた木のスプーンで掬いあげる。
白いチーズが糸を引き、その濃厚な香りをヒメカに嗅がせた。
(これ絶対うまいやつ)
熱々のそれをふぅふぅと冷まし、口に放り込む。
途端に広がるうまみの暴力。
それはヒメカの満腹中枢をバグらせ、お腹がはち切れそうになりながらも完食した。
「うまかったぁー」
お腹をさすりながら、多幸感に浸る。
すると突然、背筋を這いあがるような違和感が走った。
「……⁉」
周りをきょろきょろと見る。
肌を刺すような視線は、値踏みするかのような無遠慮だ。
冒険者がたくさん行き交うこの通りの動くものすべてに視線を移ろわせる。
急に挙動がおかしくなった少女に、おばちゃんは胡乱げな表情をした。
「どうしたん――」
「――見つけた!」
おばちゃんの声を遮るように、鈴を転がせた澄んだ声がヒメカの耳朶を打つ。
その声のした方をヒメカは振り向く。
――白い少女がそこにはいた。




