冒険者登録
やっと冒険者になりました。
眼前にそびえるのは石造りの荘厳な建物だ。華美な装飾は廃され、武骨な外観は質実剛健さをモットーとするギルド本館にふさわしい。
見上げるとあまりの高さに首が痛くなる。
左右にある二つの塔は小さな尖塔を載せており、空を突き刺している。
圧倒的な存在感を放ち、周囲の建物を睥睨する様はこのギルドがどれだけの力を有しているのか、想像に難くない。
外壁には魔術障壁が幾重にも施されているらしく、近づくと空気がわずかに振動する。魔物の大群にでも襲われない限り、びくともしない。
まさに要塞――これが、冒険者ギルド。
思わず息を呑む。胸が高鳴り、足がすくむほどの存在感だった。
粗末な装備に身を包んだヒメカは、胸の前で握りこぶしを作り、ギルドの入り口を期待と不安の入り混じった眼差しで見つめていた。
クロエと約束した日、ヒメカはアルフレッドに冒険者になることを打ち明けた。
特に〈稀人〉としての情報や技術がなかったヒメカには、ギルドにどのようにして功績を認めさせるか考えた。
結論として、冒険者になり、大陸開拓の貢献をすることでアルフレッドたちの推薦を勝ち取る方針で決定した。というか、それしか方法がないのである。
死の恐怖はもちろんある。
でもそれ以上に、彼らのような人を一人でも多く笑って過ごせる世界にしたいと思ってしまったのだ。
その手段としての冒険者。
事前にメリナへ相談し、ギルド側からの了承は得られた。
そして今日が本登録の日である。
冒険者になるための装備を何一つ持っていなかったヒメカは、メリナの薦めでギルドが販売している『駆け出し冒険者セット』を大枚はたいて購入した。
それは鉄のブロードソードに、シルトの大森林に生息している〈黒牙猪〉の毛皮を使った軽装鎧、剥ぎ取り用ナイフ、簡易バックパック、各種消耗品などの必要最低限の装備が入っている物だ。
とにかくまずはこれを買っとけば困ることはない――らしい。
偶然にもヒメカは灰牙狼を売却したお金があり、このセットを一括で買えることができた。ヒメカと同じで何も持っていない貧民や、一般市民から冒険者になる人はこうしたセットを報酬の一部から天引きされる――所謂ローンを組んで購入するとのことだ。
(これを着ているだけで冒険者になった気分だ――ワクワクしてくるな)
見た目は若いが、精神がおっさんのヒメカは少年心を忘れていなかった。
冒険者と聞くと、年甲斐もなく心が躍ってしまうのは仕方がない。
深呼吸をして逸る気持ちを抑える。
よしっと気合を入れて、その重厚な扉を通り抜ける。
すると、ギルドのメインホールは騒然としており、たくさんの冒険者がひしめき合っていた。
この空間に一際存在感を放つものがある。
それはホログラムオーブと呼ばれる、直径五メートルほどの半透明の球体だ。
中央に浮遊するそれは三六〇度、依頼や魔脈、転移門の状態などが表示され、一目で状況が分かるものとなっている。
冒険者たちはこれをまず確認してから、ホール内の石碑型端末にアクセスするらしい。
石碑には検索機能が搭載されており、本日受注できる依頼やパーティーメンバー募集、クランメンバー募集などの情報が閲覧できる。
初めて見たときはとても驚いた。
(近未来だこれ!)
と異世界ファンタジーにおいて、あるまじき感想を抱いてしまったのは無理からぬことだろう。
まるでゲームのような親切設計にほろりと涙し、目的の窓口へと足を運ぶ。
「どうもメリナさん」
声を掛けられた女性は、明るい栗毛を靡かせてその整った顔をヒメカに向けた。
相変わらず軍服調の制服を皺ひとつなく着こなす姿は、綺麗で気品を感じさせる。
ヒメカを視認すると、柔和な笑みを浮かべる。
「こんにちは、ヒメカさん。――冒険者の本登録ですよね。お待ちしていましたよ」
手元に用意してあったのか、書類と四角形の黒い箱のようなものをカウンターの上に広げた。
「それでは、登録作業を始めますね。ヒメカさん、こちらに手を」
そう言ってメリナは、小型の赤い金属プレートが二枚はめ込まれた黒い箱の上に手をかざすように指示した。
続いてメリナは針を取り出し、ヒメカの人差し指の腹をチクリと刺した。
注射されたような痛みが走り、ぷっくりと血が垂れてくる。
「その血液をこの窪みに押し当ててください」
言われた通り、黒い箱の金属プレートのやや下に窪みがあり、そこに指を押し当てた。
数秒ののち、押し立てた窪みから青い光が明滅しながら黒い箱全体に広がり、やがて金属プレートに吸い込まれていった。
光が金属プレートに文字を刻む。
「ありがとうございます。……お疲れ様でした。これで登録は終了です」
「意外とあっさり終わるんだ」
「ええ、必要な情報は予めいただいていましたから、あとはこの〈冒険者証〉に血液を垂らして魔力の波長を繋げるだけでした」
メリナはその〈冒険者証〉を黒い箱から外して、ヒメカに見せる。
長円形の金属プレートはヒメカに思い出させるものがあった。
(何かに似てると思ったら、ドッグタグじゃん)
「これは肌身離さず持っていてくださいね。これがないと依頼を受けることができませんし、転移門や市壁から出る際にも使用しますので――再発行にはしっかりとお金をいただきますよ?」
言葉の最後に茶目っ気を出して、ウィンクしながら釘を刺してくる。
「あはは、無くさないように気を付けます……」
言動が一致していないメリナに、少し引き気味に答えるヒメカ。
二枚の〈冒険者証〉には穴が開いており、そこに金属のチェーンを通す。首から下げるか手首にまくかは冒険者によってまちまちらしい。
ヒメカは首から下げることにした。
メリナから革のトレーに載せられた〈冒険者証〉を受け取り、眺める。
それは赤く鈍い光を反射させながら、ヒメカが冒険者になったことを主張している。
メリナの事前の説明では、冒険者には等級というものが存在しており、全部で六段階ある。下から赤級、橙級、黄級、緑級、青級、紫級となっており、これがそのまま魔物の評価基準にも当てはめられている。
つまり、最下級の赤級の魔物として名高い小鬼などがいい例だろう。
ちなみにヒメカが戦った灰牙狼は小鬼と同じ赤級だが、限りなく橙級に近いそうだ。
もし、あいつが万全の状態だったら、万に一つも勝ち目がなかったと考えるのが普通だ。
それと、〈冒険者証〉にはその等級に応じた色が塗られている。
一目でどの階級かわかるように。
ヒメカの〈冒険者証〉は赤色。
一番下の赤級からのスタートである。
意気込みを一つ。
ここから始まるんだと鼓動が高鳴り、恐る恐る首にかける。
――ヒメカはようやく冒険者と成った。
だからと言って大した実感もなく、さらに冒険者になるために色々と散財をしてしまった事実にヒメカは頭が痛くなる。
社会人として十数年やってきた身としては、それなりの貯金は精神安定剤になることを知っている。
特に不安定な職である冒険者だ。
貯められるときに貯めねば、すぐ立ち行かなくなるだろう。
経済的なところでやや背筋が寒くなるが、頑張ろうと心に誓うのだった。
「それで早速だけど、良さげな依頼とかってある?」
「ええ、ありますよ。……丁度いいのが」
何やら含みがありそうな様子のメリナに、ごくりと唾を呑む。
「これ一本でわかる! 冒険者入門依頼~……」
言ってて恥ずかしいのか顔に赤みが差して、尻すぼみになるメリナ。
プルプルと震えながらも何かを堪えて、咳払いをする。
「コホン。ギルド長から冒険者になった人に必ず言うように厳命されてまして……。無駄なところで親しみやすさを発揮しようとしているんですよ。あ、ここだけの話ですよ?」
コロコロと表情が変わるメリナの様子に、ヒメカはなかなか強かだと感想を抱いた。
さすができる女。
「さて、依頼を受けに石碑まで行きましょうか」
メリナに案内され、空いている石碑の正面に立つ。
近くで見ると、円柱にはびっちりとルーン文字に似た文字が刻まれていた。ちょうどヒメカの顔よりやや下の位置で斜めにカットされ、その断面に〈冒険者証〉が嵌る窪みがあった。
「そこに〈冒険者証〉を嵌めてください。そうすることでこの石碑は起動します」
石碑の断面に〈冒険者証〉を嵌めると、光が走り――半透明のウィンドウが浮かび上がった。
(ゲームで見たことあるー!)
ヒメカの内心はわっくわくが止まらなかった。
それはいい年したおっさんであるヒメカの琴線に触れた。
「おお!」
すごいすごいと、はしゃぐヒメカを見つめるメリナの眼は、とてもやさしかった。
ゲームのような演出に興奮が冷めやらぬヒメカの耳に、何やらざわめきが聞こえ始めた。
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