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赫姫 -TSおっさんの転生記-  作者: 此方かなめ
1章 冒険者になるまで

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12/20

ひとつの約束



 居住まいを正し、ヒメカは現在までの経緯を二人に話す。


「なるほど。……これで合点がいった」


 アルフレッドは顎に手をやり、深く頷いた。


「ヒメカが倒れた後、ギルドの連中が君を連れて行った理由が、それで分かった。……〈稀人〉か」


 アルフレッドは腕を組み、唸るように言った。

 アルフレッドが考え込む中、クロエは相変わらずヒメカの腰にしがみついたままだった。


「それで……その、ギルドはオレを手元に置いておきたいみたいで、街の中に住む権利をくれたんです」


 ヒメカは視線を泳がせ、言葉を探すように小さく息を吐いた。

 その言葉に真っ先に反応したのはクロエだった。

 ガバッ、と顔を上げ、ヒメカを見上げる。

 止まりかけていた涙がまたあふれ出てくる。


「……ヒメカ、ここに居ないの?」


 クロエの絞り出した声に、ヒメカは返す言葉を失った。

 何か言おうとして口を開くが、声が出なかった。

 ただただ胸が締め付けられ、潤んだ瞳にたじたじになる。

 結局、ヒメカは小さく息を吐き、視線を落とすことしかできなかった。


「……クロエ。これは仕方のないことだ」


 アルフレッドの視線が地面に落とされ、静かに喉を震わせる。

 どうしようのない現実を飲み込んだ渋い横顔が映る。


「ヒメカはギルドにとって特別な存在なんだ。我々がどうこうできる問題ではない」


 アルフレッドの表情は少し寂し気で、優しく諭すような言葉がクロエに届く。

 それでも、クロエの肩は震えており、受け入れたくないという気持ちが全身から伝わってくる。

 何かを言おうとして、でも言えなくて。

 小さな口がパクパクと開いては閉じる。

 悶々とした感情は行き場をなくし――

 ――そして。


「~~~~っ。ヒメカのバカ!」


 クロエはヒメカを押しのけ、家の外へと勢いよく飛び出してしまった。


「クロエッ!」


 ヒメカは咄嗟に手を伸ばすが、あと一歩のところで空を切った。

 追わなきゃ――そう思うのに、足が鉛のように重い。

 何を言おうとか、どうすれば泣き止んでくれるのかとか、いろんな考えが浮かんでは消える。

 ――ええい、ままよ。

 ヒメカは重い脚を上げ、クロエの後を追って外に出る。

 外に出た瞬間、外気が火照った身体の熱を奪う。

 月明りで照らされた麦穂が風にあおられている。

 家の前でクロエが膝を抱えたまま、肩を震わせて静かに嗚咽を漏らしていた。

 ヒメカはその様子に胸が詰まり、無言でそっと隣へ腰を下ろした。

 背中を撫でようと伸ばした手を、止めて戻す。

 空はもうすっかりと暗くなっており、夜風が二人の沈黙を運ぶ。


「……あのとき」


 ぽつりと漏らしたクロエの声が、風に拾われる。


「……あのとき、ヒメカが傷ついていくのを見て――すごくこわかった」


 顔を伏せながら、押し殺した声でクロエは話し出す。


「それで、ヒメカがいなくなっちゃうと思った」

「……」


 一言、また一言と堰を切ったように流れ出す。


「――そう思ったら、胸にぽっかりと穴が開いたみたいに何も感じなくなって、今起こっていることが遠くの景色みたいに映ったの」

「……うん」

「ヒメカは魔物を倒してくれて……でもその後、倒れたのを見て、いやだと思って必死で叫んだの」

「……そうなんだ」

「……そんなの、いやだよ……ヒメカ、いなくなっちゃうのはいやだ……!」


 しんと静まり返る。

 クロエはゆっくりと顔を上げてヒメカを見た。

 その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっており、ヒメカの心を揺さぶった。


「……ずっとそばにいてよ」


 しばらく、二人の間には音が消えた。

 クロエの悲痛な叫びはヒメカの胸に響き、その思いを真正面から受け止める覚悟を決めた。

 夜の冷たい空気を肺の中に満たし、身体の中で温められた熱を決意と共に吐き出す。


「――ごめん。今はまだそばに居られない」


 その言葉にクロエは顔をさらに歪める。

 ヒメカは深く息を吸い、吐き出す。

 ふと、あの日の胸の痛みが蘇った。

 見るもの、感じるもの――すべてが未知であり、まるで世界から目隠しされたあの瞬間。――クロエの天真爛漫さが救いだった。

 それは日本で灰色の日々を送っていた自分にとって、とても眩しく、とても温かかった。

 ヒメカはしっかりと目を見据え、言葉を口にした。


「でも、必ず迎えに来る。――約束だ」


 声はもう震えていなかった。

 腰に付けたポーチから小袋を取り出す。

 中を開くと素朴な木製の櫛が静かに、けれど力強くそこにあった。

 油で仕上げてあるのか、つるりとした手触りが指に伝わる。

 ヒメカはクロエの手を寄せて、握らせた。


「まだ、これだけしか渡せない。――けど、いつかもっと沢山のものを一緒に選びに行こう」


 クロエはその手の中にある櫛をじっと見つめる。

 それは、芯まで凍えてしまった心を溶かしていくような――温もりを感じた。

 その瞬間、クロエは思った。

 ――この人は約束を違えないと。

 真剣に、真摯に(クロエ)に向き合っているのだと。

 ならば答えなければいけない。

 いつまでも小さな女の子ではいられない。

 顔にへばりつく涙と鼻水を、服の袖でゴシゴシと拭いた。

 そして、まっすぐヒメカを見つめる。


「――わかった。待ってる。わたしはもう子供じゃないから」


 クロエの今までとは違った眼差しに、ヒメカはようやく安堵する。

 それと同時に、彼女の強さに驚いた。

 幼いながらも、この過酷な世界を生きているだけある。

 生きることに対しての価値観がまるで違う。

 それは平和な日本で生まれ育ったヒメカにはないものだ。

 その時、布袋からポロリと落ちた物があった。

 露店商からおまけでもらった赤い髪紐だ。

 そういえばと、ヒメカは思い出して拾い上げる。手ではたき汚れを落とした。


「これ、貰ったんだけど――クロエ、着ける?」


 手に載せて問う。

 クロエは少し考えるそぶりを見せた。

 ややあってクロエは赤い髪紐を受け取り、ヒメカの背後にまわる。


「ヒメカに着けてあげる。何度も鬱陶しそうにしてたでしょ」


 クロエの優しい声音に、ヒメカは無言で頷き、髪を結びやすいように頭を差し出す。

 櫛が、髪を通る。

 櫛の歯が地肌をやさしく掻く。

 髪の毛の一本一本がまっすぐになっていく。くすぐったくも、気持ちの良い、心地よさがヒメカの瞼を下ろさせた。

 さわさわと夜風が髪を撫でる。

 壊れ物に触れるような優しい手つきにしばらく身を任せていると、少し髪が引っ張られる感覚があり、紐の軋む音が耳朶を打つ。


「――できた。うん。ばっちり」


 目を開け、髪を触ると一本結びでまとめてあった。

 頭をぶんぶんと振る。髪の毛が顔を叩かない。

 これならば、ヒメカでも簡単にでき、なおかつ煩わしくない。


「クロエ、ありがとう。大事にするよ」


 若干照れ臭く、頬を掻きながら感謝の気持ちを伝える。


「どういたしまして。……ヒメカも櫛をありがとう。宝物にする!」


 クロエは満面の笑みでヒメカにお礼を言う。

 調子が戻ってきた様子のクロエに、ヒメカもつられて笑みをこぼす。


「へっくち」


 クロエのくしゃみが響く。

 初夏とはいえ夜はまだ寒く、身体を冷やしてしまったようだ。


「家の中に戻ろう」


 ヒメカの言葉にクロエは、ずびっと鼻をすすりながら頷いて手をつなぐ。

 つないだ手は冷たかったが、不思議とさみしくなかった。

 この小さな手の温もりを忘れない。

 扉の向こう、灯りの中にアルフレッドの微笑みがあった。

 手の中の温もりを確かめながら、ヒメカは一歩、光の方へ踏み出した。




 色々と感情が動いて疲れたのだろう。クロエはヒメカの膝の上に頭を載せて寝てしまっていた。その手には大事そうに櫛が握られていた。

 その小さな寝顔を、ヒメカは静かに撫でた。

 アルフレッドもそんな二人の様子に頬が緩んでいる。

 心が休まる空間。

 お互いがお互いを信用し、信頼し、信愛している。

 ヒメカはこの場所を守りたいと思う。

 しかし、この難民街ではそれがいつまでも保たれる保証はない。

 いつまた、前のように魔物が襲ってくるかわからない。

 少しでもその危険を遠ざけるためには、彼らを比較的安全な市壁内に連れてこなければ。

 異邦の自分を受け入れてくれた、この二人の恩に報いたい。

 たとえそれがお節介でも、自己満足だとしても、構わない。

 これが今の自分(ヒメカ)にできる精一杯なのだから。

 覚悟は、できた。

 この異世界で、どう生きるか。

 ヒメカは静かにアルフレッドに言った。


「アルフレッドさん。――お話があります」




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