家に帰ろう
がやがやと雑踏が視界いっぱいに広がる。
やや傾いた太陽はヒメカの眼を細めさせた。
石畳を行き交う人々、香ばしい匂いを漂わせている露店、荷馬車が通過するたび地面を小さく揺らす。
腰に剣を下げた男や、ローブ姿の女――冒険者と思わしき人達がちらほらと見える。彼らは笑い声を交わしながら通りを歩いている。
ふと気になる人を見つけた。
それはヒメカと同じ特徴を持つ人。
――長耳。
よく周りを見ると、多くはないがぽつぽつと長耳の人が居る。
(そういえばフレッドさんが、長耳は狙われるって言ってたっけ)
立て続けに色々なことが起こって忘れかけていたが、純血の『魔織の民』は貴重で人身売買の標的になると忠告してくれていたのを思い出す。
しかし、ヒメカと同じ長耳は大手を振って普通に歩いていた。
――そうか、外見上の差異はないため、純血かどうかは判別できないのだろう。
必要以上に怯えなくてもよさそうだと、ヒメカは思う。
深呼吸をする。
ヒメカはようやく現実味を覚えた。
(ああ、本当に異世界なんだな)
喧騒に包まれながらヒメカも歩きはじめる。
ここは【冒険者通り】と呼ばれる大通り。
冒険者ギルド本館を正面に、市壁までまっすぐ伸びているこの道は、街の心臓部ともいえる場所だった。
様々な店が軒を連ね、活気に満ちたこの街は――強く生きている。
すぐそばが魔物の領域だなんて、とても思えなかった。
ヒメカは腰のポーチから小袋を取り出す。
その小袋の中身は、中指ほどの大きさの灰色の牙が一本。
手のひらの上で転がす。
――やる気のない守衛と別れた後、ヒメカは無事にメリナと会うことができた。
アルフレッドとクロエに会いに行きたいと伝え、いくつかの注意事項はあったが、特に問題なく許可が下りた。
その時に、用意ができたからと売却する品から外していた牙を渡されたのだ。
灰色の牙は少し冷たく、あの激闘を思い起こした。
身体に熱が帯びる。
短く息を吐き出し、少し目をつぶって頭を冷やす。
(……せっかく街の中に居るんだ。アルフレッドとクロエにお土産を持って行かなきゃな)
意識を切り替えるために、別のことを考える。
市壁に向かう途中、何がいいかと頭を悩ませながら歩いていると、視界の端にある露店が映った。
それは煌びやかな宝石類ではなく、実用的な生活用品たちだった。
吸い込まれるようにヒメカは近づき、陳列された商品を眺める。
木箱の上に並べられたのは、木製の食器や櫛にかんざしなど。どれも素朴だが、どこか温かみがあった。
「お嬢ちゃん、いらっしゃい」
露天商が気さくに声を掛けた。
「どうも、いい品たちだ。どれも手作り?」
ヒメカの言葉に露天商は破顔する。
「ああ、みんな丹精込めて作ったんだ。うれしいことを言ってくれたお嬢ちゃんには少し色を付けよう。……さあどれにする?」
気持ちの良い御仁のようだ。
ヒメカはしばし悩み、アルフレッドには食器を数種類、クロエには櫛を購入することにした。
「これと、これ。あとこの櫛を頂戴」
「あいよ。食器が五枚に櫛が一つで……ちょうど銀貨一枚だ」
「じゃあ、これでお願い」
ヒメカは懐から銀貨一枚を取り出して渡した。
露天商はそれを受け取り、にっこりと笑う。
「毎度あり」
露天商は木箱の下から粗い麻布を慣れた手つきで取り出すと、食器を丁寧に包み、紐でくくった。
櫛は薄紙で包んだ後、小さな布袋に収められる。
二つの品物を露店商はヒメカに渡す。
「ほれ、気を付けろよ。っと、そうだこいつも持ってけ」
露天商は小さな赤い布製の髪紐を差し出した。
「色を付けると言っただろう? 気に入ったら使ってくれ」
ヒメカはお礼を言いつつ、受け取る。その髪紐を櫛の袋に入れる。
それをまだ余裕のあるポーチに、壊れないように収めた。
いい土産物ができたとほっこりして、ヒメカは露店から離れた。
喜ぶ顔を想像しながら、ヒメカは軽やかな足取りで二人の下へ向かうのだった。
市壁に近づくにつれ、街の喧騒が遠ざかっていく。
堅牢な市壁の門兵に、メリナから渡された書状を見せると、無言で頷き通してくれた。
そして、市壁沿いの難民たちが暮らす、あばら家の集落へと足を運ぶ。
アルフレッドたちが住むあばら家は、この集落の少し離れた位置にある。
太陽が傾いて、オレンジ色の光が集落を照らす。今日の農作業を終えたであろう難民たちがちらほらと姿を見せている。
彼らの視線がヒメカに集まる。
好奇の色とわずかな警戒。
難民たちの不躾な視線を浴びながら、ヒメカは目的の家を目指して進む。
小綺麗な格好をしたヒメカは、この場所ではあまりに異質だった。
(この空気感……身に覚えがあるな。職場にお偉いさんが来たときと同じだ)
つまりは――何だこいつ、と視られているのだ。
見られる側はあまり気持ちのいいものではないなと、内心で嘆息しながら集落を抜ける。
すると、ポツンと一軒家よろしく、愛しのあばら家が見えてきた。
板の隙間からは煙が上がっている。夕飯の支度でもしているのだろうか。
短い間だったが、彼らの作るご飯は温かく――そして、寂しくなかった。
揺らめく明かりが漏れる扉の前に立つ。
深呼吸。
――よし。
扉を開ける。
「――ただいま」
その声を聞いた瞬間、クロエは弾丸のように発射され、ヒメカに突き刺さった。
「ぐぇっ!」
蛙を潰したような声が聞こえるが、クロエは気にせずにもう離さないと言わんばかりに強く抱き着く。
ヒメカはそんなクロエの頭をそっと撫でる。
「心配かけた」
「……」
クロエは声を押し殺し、じんわりと服を濡らしながら泣いていた。
遅れて低く安心する声が聞こえた。
「お帰り、ヒメカ」
アルフレッドは慈愛に満ちた表情で、ヒメカの帰還を喜んでいた。
温かい言葉にヒメカの涙腺が緩み、ぼろぼろと大きな雫が頬を伝った。
「――はい」
この若い体に引っ張られているのか、感情の制御がうまくいかず、クロエと共にみっともなく泣いてしまった。
赤く腫らした目を擦りながら、ヒメカは二人に改めて言葉を掛ける。
「……ただいま戻りました」
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12月3日、加筆修正。




