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赫姫 -TSおっさんの転生記-  作者: 此方かなめ
1章 冒険者になるまで

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10/20

仮住まい

 


 あの後、無事に市民権取得の手続きを終えたヒメカに、メリナから一つ提案があった。

 それは、ヒメカがとどめを刺した灰牙狼の素材の話だった。

 運搬していた冒険者は残念ながらすでに死亡しており、ヒメカが倒したこともあってその所有権があるとのことだった。

 時間が経つと素材が痛むため、すでに解体が済んでいた。

 その解体費用を差し引いたうえで、買い取りたいというギルドからの申し出だ。

 いずれにせよ先立つものが必要だと考えたヒメカは、売却を決めた。

 

 しかし、すべてではない。


 灰牙狼の名前の象徴となっている牙の一本だけは、自身の戒めとして取っておきたかった。

 準備ができ次第、牙を届けに来てくれるそうだ。

 売却で得た金銭は、銀貨三十二枚となった。

 一般的な庶民のひと月の生活費がおよそ銀貨六~十枚ほどと聞けば、三か月分の収入を得たわけだ。

 それに追加して、ギルドから当面の生活費として銀貨十枚を支給された。合計で銀貨四十二枚になる。

 きちんとした社会の中を生きていく上で、お金はあればあるに越したことはない。

 硬貨の種類は下から銅貨、銀貨、金貨の三種類で、それぞれ百枚で繰り上がるらしい。

 露店でパンが一つ銅貨二枚ほどで買えるとのことだ。


(感覚的には……大体銅貨一枚で百円ってとこか)


 仕事の斡旋もしてくれるようで、いろいろと落ち着いたら相談しに行こう。

 何もわからないヒメカに、メリナは懇切丁寧に教えてくれた。

 その手際はまさに、敏腕ギルド職員と呼ぶにふさわしい。

 一通りの説明が終わった後、治療院に併設されたギルド所有の宿舎に案内された。

 メリナはしばらくここで過ごしていいことと、何かあれば隣のギルド本館にいるから呼んでほしいとだけ告げて去っていった。


 ここは一般の冒険者が自由に泊まれる宿舎ではなく、ヒメカのような〈稀人〉や、重傷者の家族などの滞在に用いられるという。

 中に入ると少しだけ埃の匂いが漂ってきており、頻繁に使われている様子ではないようだ。

 部屋にはベッドが一つと、ヒメカの身長ほどの大きさの棚に、机と椅子。

 必要最低限といった質素な内装だった。

 ただで使わせてもらっている身としては、文句など言えるはずもない。

 着の身着のままで運ばれてきたため、手持ちの荷物が何もない。

 今着ている服も貫頭衣のような味気のないものだ。

 机の上に見覚えのある服が丁寧に畳まれていた。

 民族衣装のようなそれを手に取ると、右わき腹の辺りにぽっかりと穴が開いていた。

 その破れ目を指でなぞると、あの痛みが蘇る気がする。


(……さすがに、これは着れないな)


 せめて何かまともな服がないかと、棚を開けると――きちんと畳まれた衣服が数枚、そこに並んでいた。

 素朴な服だが、これであれば悪目立ちすることはないとヒメカは考え、早々に着替える。

 袖を通すと、不思議とサイズがぴったりだった。


(まるで中世の町娘、ってやつだ)


 姿見はないため想像するしかないが、なかなか様になっているのではなかろうか。

 これで外を出歩いても、不審ではない……はずだ。

 そうなれば、まずはアルフレッドとクロエに無事を報告しなければ。

 きっと心配している。


 よしっ、と小さく気合を入れ、ふと思う。

 一応外出することを、メリナに伝えておかなければいけないだろう。

 曲がりなりにも客人扱いされているのだ。

 把握していないところで何かあっても困るだろうと、ヒメカはメリナの凛々しい顔を思い浮かべる。

 不測の事態に備えて銀貨を数枚懐に忍ばせ、ゆっくりと深呼吸をする。

 静まり返った部屋を後にし、隣にあるというギルド本館を目指す。

 ヒメカは胸の中にある確かな熱を感じ、一歩踏み出した。




 迷子になりながら歩いていたら職員らしき人を見つけたので、ギルド本館の行き方を聞き出した。

 人ひとりすれ違えるほどの狭い通路を通る。通路には窓がなく、暗いかと思いきや、壁掛けの灯が電気式かと見まがうほどに煌々と照らしていた。

 少し進むと、奥に扉が見えた。突き当りに一つ、その右の壁に一つの計二つだ。

 扉の近くに来ると、煙草と薬草が混ざった独特な甘い匂いが鼻を掠める。

 身体が変わってからあらゆる器官が鋭敏になっており、ヒメカにとってこの匂いはあまり好ましいものではなかった。

 少し顔を顰める。

 

 左側の壁に小さな受付のようなカウンターがあり、その奥で一人腰掛けていた。

 若い男だった。

 その男は本を片手に、煙管で紫煙を燻らせていた。

 メリナが来ていたような軍服のような制服を着用しており、彼がギルド職員であることが窺える。

 しかし、メリナと違って制服を着崩しており、あまり真面目な印象を受けない。

 ややあって男が目線を上げる。

 目と目が合う。

 しっかりと顔を確認できた。

 男は気だるそうに見えるたれ目で、ヒメカの下から上まで一往復する。

 頭の動きに合わせて、流れるような濡れ羽色の長髪が揺れていた。

 見惚れるような端正な顔立ちだ。

 その女を泣かせてそうな顔に、たれ目の泣きぼくろが相まって妙な色香を放っている。

 ヒメカはその彼の雰囲気に胡散臭さを感じ取った。


「あれー? もしかして〈稀人〉ちゃんかい?」


 男は手に持っていた本を置き、カウンターに身を乗り出してヒメカに話しかける。


「……そうだけど。あんたは?」


 初対面でここまで馴れ馴れしいのは苦手である。

 つい敬語が外れ、素の口調で返してしまった。


「ああ、俺はフェイ。ここの守衛を任されているよー。まあ、守衛と言っても出入りする職員の確認ぐらいさ」


 手を差し伸べ、握手を求めてくる。


「……どうも、ヒメカだ」


 いくら胡散臭くとも握手を求められたらするのが礼儀。

 しっかりと握る。


「あはは、男みたいな喋り方するね。とてもかわいいのに面白い」


 瞬間的に手を放す。

 生理的に受け付けないタイプだと感じたヒメカは、自然に一歩下がる。


「ありゃま。……まあいいか」


 ヒメカの行動をくすくす笑い、煙管の煙を吸い込む。

 その姿は退廃的で、どこか異様な官能を帯びていた。

 思わず目をそらす。


「んー、お仕事するか」


 ふぅーと、長く煙を吐き、ヒメカを見た。


「それで? ヒメカちゃんはどのような要件かな?」


 フェイの瞳に鋭さが増したような気がした。

 途端に空気が重くなる。

 蛇に睨まれた蛙のように、ヒメカは動けなくなった。


「……っ」

(――なんなんだこいつ⁉ あの灰牙狼(グレイウルフ)よりも濃密な気配)


 身体が勝手に震える。

 暑くもないのに汗がたらりと、背筋を這い、呼吸が乱れる。


「――あ。ごめんごめん。強すぎちゃったね」


 ヒメカの様子に気が付いたフェイの表情は柔らかくなり、威圧感がふっと消えた。

 肺が空気を求める。


「……はぁはぁ。――くそっ」


 まだ震えが止まらない。

 こんな体たらくで、この異世界を生きていけるのか?

 クロエを守り通せるのか?

 ……否だ。

 明らかに年下であろうフェイの圧にあてられて、情けない姿を見せてしまう。

 悔しさが、恥ずかしさが内から込み上げてくる。

 灰牙狼は幸運だった。

 瀕死の状態であったから、たまたま倒せただけ。

 自惚れていた。

 自分が主人公だと錯覚していた。

 漫画やアニメで見る主人公は特別な(チート)を持って、逆境を跳ね除けられる。

 でも、自分にはない。

 この世界に、そんな都合の良いものなんて存在しない。

 手を見る。

 細く華奢な女性らしい手だ。

 これが現実。

 目を逸らしたところで、何も変わらないし、何も変えられない。


 ――ならば。


 ヒメカは火の灯った眼でフェイを見つめる。

 身体の震えは止まっており、先ほどのびくびくとした雰囲気はどこかへ行ってしまっていた。

 その瞳にフェイの表情が一瞬、歪んだように見えた。

 呼吸が整ったヒメカはフェイに声を掛けた。


「こっちこそごめん。取り乱した」

「いやいや、……それで要件を聞いても?」


 にっこりと人好きする笑顔を見せるフェイに、ヒメカは先ほどの表情が気になったが、ほぼ初対面の人間に深く踏み込まれても、面白くないだろうとさっさと要件を言うことにした。


「えーと、メリナさんに外出許可を取りたくて」

「ふーん、律儀だねぇ。俺なら何も言わずに出かけるのに」

(この礼儀知らずが! 色々としてもらっているんだぞ。そんなことできるか)


 心の中では気炎を上げるが、ヒメカは大人なので作ったような笑顔を貼り付けて、フェイに詰め寄る。


「そ・れ・で。要件を言ったけど? 仕事のできる守衛さんはどうしてくれるのかな?」


 ヒメカのその迫力に対し、やや引き気味に視線を泳がせるフェイは、奥の扉を指さす。


「そっちから入れば、ギルド本館の職員控室に出るよ。そこで誰か捕まえてメリナの居場所を聞いてくれ」


 ふん、とヒメカは鼻を鳴らして奥の扉に向かう。

 しかし、まだ何か用があるのかフェイが引き留める。


「ちょいまち。一応通行許可証を持っていってね」


 そう言って、フェイは長方形の厚紙に紐が付いたものを渡してきた。


「それを首から下げてね。一般の立ち入りが制限されている場所ではそれがないと、おっかない警備の人に叩きだされちゃうよ」


 なるほどとヒメカは頷く。

 文明レベルが低そうに見えて、案外しっかりセキュリティが高いのかと感心した。

 言われた通り、許可証を首にかける。


「それじゃあねー」


 気だるい声を聞きながら、扉の向こうへヒメカは消えていった。



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