バグ報告ありがとうございます
朝からスマホが喋っている。
いや、正確には、“俺の名前を呼んで”喋っている。
『バグ報告ありがとうございます、中原コウタさん。おめでとうございます。あなたの運命に異常が検出されました』
寝ぼけていた俺は、反射的に枕をスマホに投げつけた。
バチンと音を立てて止まったアラームの代わりに、落ち着いた女の声が響く。
『お手数をおかけします。バグ報告を受理しました』
――バグ報告?
俺、寝ぼけながら何か押した? それとも新手の詐欺ボイス?
カーテンの隙間から朝日が差し込む。時計を見ると、登校まであと十五分。
俺、中原コウタ。高校二年。特技:二度寝。弱点:月曜。
人生で一番システムエラーから遠いタイプの凡人である。
「……誰? Siriの親戚?」
『神様です』
「軽っ!」
さすがに笑ってしまった。
だがその声は、どこか本気っぽかった。落ち着いていて、妙に現実感がある。
電話越しのようなノイズ混じりの声が続く。
『正確には、“システム上位存在”です。あなたの人生ログに重複データが発生しました』
「俺の……人生ログ?」
『はい。あなたの“死”が二回、記録されています』
「いやいや、俺、生きてるし」
『それが問題なのです』
その言葉を最後に、スマホの画面は暗転した。
心臓の鼓動が少しだけ速くなる。悪い夢にしては、やけにリアルだ。
――ま、寝不足か。
俺はそのまま鞄を掴み、家を飛び出した。
⸻
通学路。いつもの信号、いつもの電柱、いつものコンビニ。
ただ一つ、“いつものおばちゃん”がいなかった。
毎朝カレーパンをくれる笑顔の人。
代わりに、見知らぬ若い兄ちゃんがレジに立っていた。
「すみません、いつものおばちゃんは?」
「え? そんな人、最初からいませんけど」
その瞬間、背筋が冷えた。
何かが“書き換えられた”ような感覚。
でも周囲は、何も異常に気づいていない。
学校に着くと、今度はクラスの座席が一つ増えていた。
昨日まで空きなんてなかったはずなのに。
「おい、これ……誰の席だ?」
「何言ってんだ、中原。前からあったろ?」
友人のタカが笑いながら言う。
冗談じゃなく、クラス全員が“最初からあった”ことになっている。
教室の隅で息を潜める俺のスマホが、ブルッと震えた。
画面には、さっきの文字が浮かぶ。
【バグ報告ありがとうございます。修正準備を開始します】
「……いやいやいや、ちょっと待て。修正って何を?」
『世界の方です。少々お待ちください』
そう言った瞬間、蛍光灯が一斉にチカチカと点滅した。
耳鳴り。空気の震え。
窓の外の風景が、まるで映像の一部みたいに一瞬“巻き戻る”。
机の上のシャーペンが勝手に震え、チョークが粉々に砕けた。
クラス全員がきょとんとした顔で辺りを見渡す中――
俺だけが、黒板に走る“ノイズの線”を見た。
デジタルエラーのように、黒板の端がザザッと歪む。
スマホの画面に、淡々と文字が流れた。
『修正完了。該当人物を削除しました』
「……削除?」
次の瞬間、俺の脳裏から“タカ”という名前がふっと消えた。
気づけば、彼の席には誰も座っていない。
それどころか、クラスの誰も「タカ」という人間を覚えていなかった。
「待て……どういうことだよ。神様!」
『ですから、あなたの運命にバグがあるんです。放っておくと、世界が先に落ちます。』
「落ちるって、アプリじゃないんだから!」
『その通り。ですので、あなたに協力してもらいます。』
「……何を?」
『現実のデバッグです。』
その声が消えると同時に、教室の蛍光灯がすべて落ちた。
沈黙。誰かの悲鳴。
そして――
視界の端が、“ノイズの海”に飲み込まれていった。
光が戻ったとき、俺は机に突っ伏していた。
周囲の景色はほとんど同じ……なのに、何かが足りない。
教室の壁に貼られたクラス表には、最初から“俺の名前”がなかった。




