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冒険させたい神様と冒険しない転生者

パイを焼く転生者とふたりの精霊

作者: 玉菜

 街に薬草を卸しに行ったついでに市場を覗くと美味しそうな林檎が積まれていた。店主の「パイにすると美味しいよ!」という言葉に唆されて思わず買い求めてしまった。


「冷凍パイシートが偉大だったことを思い知らされる」


 家に戻って早速パイ生地を仕込みながらそんな言葉が口をついた。

 こっちの世界に来てから前世の文明の利器に思いを馳せることは度々あるが、特に料理に関しては多い。冷凍パイシートはもちろんのこと、自分でパイ生地を作るにしてもわざわざ指でバターを潰しながら小麦粉にすり混ぜるなんてしなくてもフードプロセッサーを使えばあっという間にできるし、オーブンやレンジなんてボタン一つで安定した温度で加熱することができる。

 もちろん、今の生活を厭っているわけではないけれど、ふとあの頃の便利さが恋しくなるのだ。

 ひとまとめにしたパイ生地は氷の魔法陣を刻んだ保冷庫で休ませて、買ってきた林檎を四等分に割り、皮と芯を取り除く。五ミリ程度の厚さにスライスして、ボウルの中で砂糖、スパイス、小麦粉と和える。

 林檎から水分が出てくるのを待つ間に薪ストーブの燃焼室に火を入れてオーブン室の予熱をはじめ、パイの準備に戻る。保冷庫から取り出した生地を二等分にし、それぞれを用意したパイ皿より一回り大きいくらいに丸く伸ばし、一枚はパイ皿に敷き込み、底面に満遍なくフォークで穴を開けていく。林檎のフィリングは偏らないようにしつつも中央に向かってなだらかな山になるように入れる。焼いているうちに嵩が減るから山盛りでちょうどいいのだ。その上に細かくしたバターを散らし、もう一枚の生地を上から被せて下の生地との繋ぎ目を摘むようにしてぴっちりと閉じ込め、最後にナイフで表面に放射線状の切れ込みを入れた。

 オーブン室に手を突っ込んで温度を確認するとちょうど良さそうだったのでパイを入れ、燃焼室からの給気を調整する。

 このオーブンと和解するまでにどれだけの食材を無駄にしたことか、前世の電子オーブンのように目を離して他のことをしていると気がついたときには真っ黒な炭が出来上がっている。かといって、焦げるのを懸念して給気を絞りすぎても焼き上がったころには水分が抜けすぎてパサパサなんてことも、調整のクセを把握するまでのことを思い返すと遠い目をしてしまう。結局、目を離さないことが一番なのである。椅子を持ってきてオーブンの前を陣取って、オーブン室のガラス窓からぼんやりとパイが焼けていく様子を眺めていた。

 神様が退屈じゃないかと訊ねてきたけど、焦がすよりはと答え、それにふぅんと納得していなさそうな相槌が返ってきた。そんなことを言う神様だって、姿見を借りている猫みたく一日中寝てばかりいる。時間が無限にあるような彼とは違い、短い時を生きる存在がこうして無為な時間を過ごしているのは理解できないのかもしれない。私だって、前世だったらこんな時間の使い方もったいないと思っていただろうが、今はこうして何もしていない時間もいいものだと思えるようになった。

 パイの表面がいい色になってきたころ、燃焼室との給気口を完全に閉じてオーブン室の扉を開くとバターと小麦の焼けた香ばしい香りが溢れ出てきた。


「いい匂い! 何を焼いたの?」

「パイだな、さあ早く振る舞え」


 右耳と左耳で異なる声に話しかけられたかと思えば、両肩にずっしりと重みが乗っかってきた。わずかに首を左右に動かしてその存在を見ると、そっくりな幼い見た目の男女が私の肩越しにオーブンの中を覗き込んでいた。どいてくださいと頼むと彼らはすんなりと私の肩を離れて、二つしか椅子のないテーブルにちょこんと腰掛ける。


「まだ食べませんよ。アップルパイは少し休ませた方が美味しくなるんです」


 私の言葉に二人は揃って不満の声をあげる。


「少しって?」

「十分くらい?」

「しっかり冷めるまで」

「そんなに待てないわ!」

「そんなに待てないよ!」

「ねえ、わたしたちの魔法で冷ましたらいいんじゃない」

「そうだ、ぼくたちの魔法で冷ましたらいいんだ」


 そう言って彼らはオーブンの方に向かってくるくると指を回した。


「ほら、冷めてるはずだから早く早く」

「待ちきれないよ、早く早く」


 急かされるままにオーブンの中からパイを取り出すと確かにほんのりあたたかいくらいまで冷めていた。テーブルの方を振り返ると彼らは食器棚に向かって指をタクトに見立てて振り、座ったまま食器を取り出していた。大皿がテーブルの中央に、彼らといつの間にか青年の姿になっている神様、それから私の前にパイが一切れ乗るくらいの取り皿がふわりと舞い降りる。大きな丸い目は期待に輝き、先端の尖った耳がぴこぴこと上下に動いている。観念して大皿にパイを乗せる。ナイフを中央に刺して手前にまっすぐ下ろすと表面のさっくりした感触に続いてやわらかな林檎層、パイの底はフィリングの水分で柔らかい。八分の一程度の大きさになるように皿を回して先ほどと同じように中央からナイフを下ろして一切れ切り分け、ナイフの腹を使ってまずは女の子の方の取り皿へ。覗いた断面はほんのりカラメル色に染まった林檎が折り重なり、とろりとしたソースが垂れている。我ながらうまく出来たものだ。男の子、神様、最後に私の取り皿にそれぞれ一切れずつ乗せてからお茶を用意していなかったことに気がついた。


「わたしはミルクがいいわ」

「ぼくもミルクがいいな」


 神様がため息とともに指を鳴らすとそれぞれの前にミルクの入ったマグカップが現れた。


「さすが神様ね!」

「さすが神様だ!」


 やったーと両手を上げて喜んで彼らは手づかみでアップルパイを頬張った。

 私は紅茶をお供にしようと思っていたのだけど、滅多にない神様のはからいを無下にしては機嫌を損ねるかもしれないし黙ってパイを口に運んだ。薪ストーブのオーブンで焼いたものは独特な炭の香りがする。この世界の林檎は酸味が強いから砂糖を沢山入れたのに甘すぎないし、スパイスもよく効いている。


「おいしいわニンゲン!」

「おいしいぞニンゲン!」

「それはどうも。で、食べるだけじゃないですよね」


 空になった皿を突き出しておかわりを要求する二人にパイを切り分けながら尋ねると、彼らは目を合わせて不服そうに眉をひそめた。


「そんなこと言うのはあなたくらいだわ」

「そうだ、ニンゲンはぼくらの姿を見るだけでありがたがるのに」


 文句を言いながらも皿に乗せたパイを先ほどと同じようにあむあむと頬張る。

 彼らはこの森に住む精霊で、私が薬草を卸しに行っている街でなんと信仰の対象にあるらしい。どんな逸話があるのかは知らないが、たまに街に行ってはお菓子を貰っているらしい。私がお菓子を作っているとどこからともなく現れて分け前を要求するのだからただのお菓子好きなちびっこにしか思えないのだけど。さっきのパイを冷ました力や手を触れずにお皿を出した様子でそれなりの能力があるのはわかっているが。それはそれとして、別に信仰しているわけではない私はお菓子の対価を求めるのである。毎回不服そうなことを言うものだから、一度「だったら、その姿を見るだけで有り難がる人たちからおやつを貰えばいいのでは?」と訊ねたことがある。


「わかってないわ」

「わかってないね」

「他のニンゲンが作るよりあなたが作るお菓子のほうがおいしいのよ」

「もらうならよりおいしいものがいいだろう」


 不本意ながらその言葉を嬉しく思ってしまった私は強く突っぱねることが出来ないのである。しかも幼い姿をしているのもズルい。

 コクコクとミルクを飲み干して、彼らは言う。


「それで、なにをしてほしいんだニンゲン」

「なにをしてほしいのニンゲン」

「じゃあ、薪が少なくなっているからいい感じの木を持ってきてくれる?」

「しかたないな、あしたには家の前に置いておくよ」

「しかたないわね、今度はクッキーを作ってね」


 そう言って二人はふわりと浮かんで空気に溶けるように姿を消した。ちゃっかり次のリクエストまでしていったなと無意識に笑みがもれた。

 神様は食べ終わって早々に猫の姿に戻り、体を丸めて眠っている。

 翌日、玄関を出るとすっかり水分の抜けた大木が横たわっていた。

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