マナー違反
先月のことですが皇嗣殿下の献花について、マナー講師を名乗る方がダメ出ししていましたので、動画を拝見致しました。
マナー講師が指摘するように、献花の際には根本を捧げる対象へ向けるのが正式な作法になります。
実際に神社で真榊を用いた玉串を捧げる時にも、手元で反転させて根本を神前に向けます。
ところが、件の献花台は皇嗣殿下が献花される前に既に間違った方法で花束が捧げられており、皇嗣殿下は他の方のマナー違反を露呈させないように同じ方向に向けて献花されました。
マナーとは気遣いですから、殊更に己の正しさのみを押し付けるのもマナー違反となります。
三年前に私自身も記述しました。
「(マナーの)根底には相手に不快な思いをさせないという気遣いがある」
皇嗣殿下のなさったことは他の方への気遣いであり、何ら問題ではありません。
むしろ、マナー講師が皇嗣殿下のマナー違反を口汚く指摘して炎上案件になってしまったことが問題です。
マナー講師は皇嗣殿下のマナー違反を口汚く指摘するのではなく、それ以前に捧げられていた献花について指摘し、皇嗣殿下にマナー違反を誘発させてしまったことをやんわりと批判するのがマナーでした。
件のマナー講師は敬宮内親王殿下を即位させたい思想の持ち主ですので、皇嗣殿下に対する物言いが辛辣なのでしょうが、敬宮内親王殿下が同じ状況であれば皇嗣殿下と同じようになさったでしょう。
その時にも、同じように敬宮内親王殿下のマナー違反を口汚く指摘するのでしょうか?
敬宮内親王殿下は称賛して皇嗣殿下を下げるような、人に応じて態度を変えるようでは三流以下です。
人によらず同じように指摘するだけでは二流。
一流のマナー講師であれば、皇嗣殿下の気遣いを称賛した上で、今後は同じような事例が起きないように国民を啓発するでしょう。
マナーとは、互いに敬意を持って接する上で必要な作法を含む、気遣いです。
その気遣いが感じられない時点で、件のマナー講師は首を傾げたくなりますね。
マナーと一括りにされておりますが、実際のところは行儀作法、礼儀作法、食事作法などに分かれます。
行儀作法は普段の立ち居振る舞いで、ちょっとした事柄に育ちの良し悪しが出てしまいます。私も褒められたものではありませんが、少なくとも足で物を動かしたり、何かを投げつけたり、クシャミや咳などが出るに任せるなどの無作法な行いは控えるように努めております。
礼儀作法は改まった場での立ち居振る舞いです。
寺社仏閣での作法、冠婚葬祭での作法、各種式典での作法など多岐に亘ります。
食事作法は民族や国によって大きく変化します。
戦時中、我が国の軍隊には他国の工作員を見破るための方法が幾つかありました。
その中に、丼物の食事を提供するというものがあったらしく、提供する際に箸と匙を用意しました。
日本人であれば丼物は、丼を持ち上げて箸一つで食べるでしょう。
ところが大陸系の民族では、箸と匙の双方を用いて丼を卓上に置いたまま食べます。
これは古代に匙を主として使い、箸は添え物のような扱いだった頃の名残で、中世以降は箸を主としながらも匙も併用する作法が定着しているからです。
両手に食具を持ちますので、当然ながら器は卓上に置いたままになります。我が国で器を卓上に置いたままに食事をされる方は少ないと思いますが、こうした食事の作法一つで日本人と日本人以外を見分ける方法が戦時中にはあったそうです。
食事作法での大きな違いと言えば、中国では食事を残すのが作法とされ、我が国では残さずに食べるのが作法とされます。
これは祭祀の違いが由来で、中国では食事の一部を祖先等に捧げる風習があり、それを器の端に残すのが通例でした。我が国では個人が触った物品にはその個人の属性が付着する「穢れ」の概念があり、神前や仏前に供えるのは専用の器と器物を用いて先に取り分けます。こうした違いが由来となって、中国では残すのが祖先に供え物をした作法となり、我が国では神前より下がって来た神饌として残さず食べるのが作法として定着したのでしょう。
また世界各地では手掴みで食事する人々が四割と言われています。
手掴みの作法は我が国では限定的にしか残っていませんが、十九世紀の英国王室の晩餐会では手掴みが正式な作法でした。
そもそも西洋ではナイフとスプーンによる食事作法が長らく続き、フォークを使うようになったのは十六世紀以降と言われています。
我が国に来航した西洋人も戦国時代から江戸初期にかけては手掴みで食事を行っていたために、当時の日本人からは「野蛮人」と見られていました。
逆に手掴みで食事を行う西洋人は食事前に必ず手を洗いましたので、手を洗わずに箸で食事を始める日本人を「野蛮人」と思っていたようです。
文化の違いは、こうして誤解を招きます。
今回の皇嗣殿下の献花に対するマナー講師の言い分も、文化の違いに拠るのかもしれません。