第1章《祈りは、呪いを越えて》第六話《俺は、俺を救う》
ご覧いただきありがとうございます。
今回の第六話は、これまで力を得ることばかりを追いかけていた主人公・遥斗が、
はじめて「痛み」と、そして「過去の自分」と向き合う大きな転機となる回です。
少しだけ、誰かの痛みに“共鳴”するために──
その最初の一歩として、「自分自身を赦す」というテーマを静かに描きました。
変化は派手ではありません。でも、“芯”の部分が確かに変わり始める瞬間。
どうか、彼の魂の揺らぎと希望を見届けていただけたら幸いです。
──放課後。
人の気配がまばらな帰り道を、遥斗はひとり歩いていた。
今日は家族の誰もいないはずだ。静かな家に、静かなまま帰れる。
玄関の鍵を開け、靴を脱ぎ、廊下を抜けて、
部屋のドアを閉めた瞬間──ようやく、身体の力が抜けた。
(……疲れた)
ベッドに背中を預け、天井を見つめる。
部屋の隅に置かれた人形《SAYA-01》が、こちらを見ているような気がした。
(観測対象No.1と繋がってる)
(でも──魂波形値は、0%のまま。能力は、使えない)
(結局、さやと繋がったところで……俺自身は何も変わってねぇじゃねぇか)
> Observer
『補足:魂共鳴率(Resonance)と魂波形値(Soul Waveform Value)は、独立した二指標です』
『前者は観測対象“癒命の巫女《SAYA-01》”との接続強度を表し、能力の“使用可能範囲”を決定します』
『後者は媒体個体“橘遥斗”自身の魂の適応進化度、すなわち“習熟度”を示す指標です』
Observer(続けて、静かに)
『──現在値を更新します』
『魂共鳴率:7.0%』
『魂波形値:0.0%』
遥斗は眉をひそめながら呟いた。
「……つまり、さやとの絆が強ければスキルは“開放”されるけど……」
「俺の“器”が育ってなきゃ、その力は使いこなせない……ってことか?」
> Observer(無機質に)
『照合:理解正確度、高』
『補足:魂波形値の成長には、媒体個体の精神的変質が必要です』
「……じゃあ、どうすれば……」
Observer(静かな演算音声)
『助言:力を欲するな。痛みに寄り添う覚悟を育てよ』
『それが“癒命の巫女”が臨界到達に至った唯一の因子』
『覚悟なき共鳴は、波形を動かさない』
遥斗は目を見開いた。
「……痛みを受け止めろって言われてもさ、そんなの、どうすりゃいいんだよ……」
「俺はただ……強くなりたいだけなのに。今すぐ、勝てる力が欲しいんだよ……!」
> Observer
『癒命の巫女とは、痛みを否定せず、共に在ろうとする存在。
その“覚悟”こそが、真なる癒しの源泉です』
遥斗は静かに目を伏せる。
「……共に、在ろうとする……」
ぽつりと呟くが、胸の奥にはまだ拭いきれない疑問が渦巻いていた。
(……それって、どういうことだよ)
(誰かの痛みに寄り添う? 共に在る?)
(そんなの、簡単にできるわけねぇだろ……)
「……わかんねぇよ。そんなの、できるわけない……」
拳を握りしめ、俯く。
痛みは怖い。
他人の痛みにまで踏み込む余裕なんて、今の自分には、まだ――。
──そのとき、
> Observer
『魂波形値:現在0%。
成長条件の再提示:――“他者の痛みに共鳴せよ”』
遥斗は静かに目を閉じた。
「……他人の痛み、ね……」
(誰か他人のことを想えってことなんだろうな)
(でも俺には──)
ふと、胸の奥に“映像”のような記憶が浮かぶ。
――雨の日。
――濡れたランドセル。
――唇を噛みしめ、泣くのを我慢していた、小さな自分。
「……ああ。いたじゃねぇか、もう“ひとり”」
「“他人”なんかじゃない。ずっと俺の中にいた、昔の俺──」
俯き、拳をぎゅっと握る。
「ずっと黙って、誰にも頼らず、殴られて、笑われて……それでも、耐えてた」
「よくやったな、お前。……すげぇよ。よく、生きてたよな」
「……俺は、ずっとお前を恥ずかしいって思ってた。
でも今は違う。お前がいたから、今の俺がいるんだ」
遥斗はそっと、胸に手を当てる。
「……だから、これからは俺が護るよ。
もうひとりじゃない。さやが繋がってくれたこの力で──
俺は……俺を、救う」
その瞬間、遥斗の胸元が淡く光を放つ。
人形《SAYA-01》から発せられた魂の震え──それは確かな“共鳴”の証。
> Observer(静かに)
『補足:現在の変動は魂波形値の上昇に起因』
『共鳴率とは無関係に、媒体個体“橘遥斗”の精神構造に変容が発生』
『該当変容は、観測存在により“魂進化過程”として正式記録されました』
> Observer(演算更新)
『魂波形値:0% → 11.7% に上昇』
『魂波形値、自律型変容を確認』
『共感構造タイプ:Empathia-Seeding型、構築完了』
Observer(重低な演算音)
『──照合完了。魂波形値11.7%到達による精神構造の飛躍的変容を確認』
『当該個体は、ソムニアによる観測深度レベルⅡへの“特例昇格”処理に該当──』
『加えて、対象個体の肉体・精神系統への微細干渉許可を取得』
> Observer(淡々と)
『以下、観測存在より媒体個体“橘遥斗”に対して、《構造適応強化》を段階適用する』
『──全適応段階、レベル5(第五層)に設定』
> Observer(ひとつひとつ項目を読み上げる)
『■身体強化:肉体強度適応《レベル5》──骨格・筋繊維構造に対し、応力耐性と回復速度を恒常補正』
『──対衝撃・対侵蝕耐性を向上。痛覚抑制は維持しつつ、損傷再生スピードを平均172%に増幅』
『■精神保護:侵蝕抗体形成《レベル5》──外因性精神干渉に対する免疫反応を自律生成(※敵レベル5以上の精神干渉には効果なし)』
『■神経活性:脳内演算加速《レベル5》──戦闘時の判断・知覚能力を最大2.1倍まで短縮展開』
『──動体視力・周辺認知も連動補正。回避および先読み行動の演算処理が微強化されます』
『■構造覚醒《特例》:魂容量拡張《レベル5》──Observerおよび癒命スキルとの高密度接続許容量を増加』
『──今後の《癒命の巫女》由来スキルの展開速度と安定性が向上』
> Observer(静かに)
『──以上、対象個体の魂進化に伴い、肉体・精神・知覚・魂構造に対する《初期限界突破処理》を完了』
『これらの補正は、外的干渉による付与ではなく、媒体個体自身の変容に基づく“適応進化”として分類されます』
遥斗(息を呑みながら)
「……な、なんだよ、今の……」
(全身が……変わった……?)
(何もしてないのに、目が冴えて……頭がクリアで、身体の芯が……ぶれねぇ)
Observer(低く抑えたトーンで)
『照合:変化は正常。これが魂進化の“端緒”です』
『あなたは現在、初期《進化対象個体》として、正式にソムニアの構造観測ラインへ移行しました』
遥斗(小さく呟く)
「……俺という存在が、はじめてソムニアに認められた……」
拳を強く握る。
骨がきしむ音すら、以前よりも“確かな感触”を持って響いていた。
肉体の深部が覚醒する。細胞が反応し、精神が澄み、視界が研ぎ澄まされていく──
> Observer(続けて)
『追記:対象個体の魂波形変容により、観測対象《SAYA-01》からのカテゴリ因子伝達が発動』
『──全適応段階、レベル5(第五層)に設定を上方修正──全適応段階、レベル15(第十五層)へと強制再構築』
『効果:ソムニアより与えられた各ステータスがレベル15相当まで強制修正されました』
遥斗「…………は?」
Observer『──全適応段階、レベル15(第十五層)に設定完了』
遥斗「ちょっと待って、あの……俺、さっきソムニアから“特例だぞ”って言われて、ありがた~くレベル5もらったばっかなんだけど?」
Observer『照合:正確な理解』
遥斗(顔を歪めて)
「で、さやは?」
Observer『観測対象《SAYA-01》は、対象個体との魂構造リンクを通じて、身体強化、精神保護、神経活性を最大効率で再展開』
『──結果として、各能力群はレベル15(第十五層)の仕様で発動中』
遥斗(ぐっ……と拳を震わせて)
「……君、今、秒でソムニアの恩恵のありがたみを“価値なし”に塗り替えたよね?」
「ねえ? 俺、今めちゃくちゃ感動してたんだけど? “ようやく認められた!”って……!」
Observer『照合:媒体個体の情緒変動を確認中……』
遥斗「返せよ、俺の純粋な感動返せよ!! 0%から這い上がった俺の、地味に嬉しい初スキル“レベル5”の喜びを!!」
「さや、君ちょっと規格外すぎるよ!! どんだけ本気なんだよマジで!! ありがとう!!(やけくそ)」
──その叫びの向こうで。
人形《SAYA-01》は、微かに揺れたように見えた。
その震えはまるで、誇らしげな微笑みに似ていた。
Observer(静かに)
『補足:観測対象《SAYA-01》は、媒体個体の“生存”および“魂成長”を最優先事項として定義中』
『──あなたを守るための全リソースを、現在も供給し続けています』
遥斗(肩を落としながら、ふっと息を吐く)
「……マジで、俺……とんでもねぇ人形と繋がっちまったな……」
「でもさ──だったら、全力でお前に応えるしかねぇよな」
「レベル15? 上等だよ。……見てろよ、さや」
──魂波形、安定成長中。
──スキル出力、最大段階にて起動継続。
部屋の静寂の中で、遥斗の内側に灯った“確かな強さ”が、確かにその輪郭を深めていく。
> Observer(静かな通知)
『次なる進化段階の条件提示:他者との痛みの交差を、恐れぬこと』
遥斗はそれを、もう一度だけ読み返す。
まるで、自分宛てに届いた未来からの手紙のように──
少しだけ眉を下げて、けれどどこか嬉しそうに、ひとつだけ苦笑を漏らす。
「……なんだよ。やっぱ面倒くせぇな、このシステム」
言葉は不満げでも、心は不思議と満ちていた。
胸の奥に、静かであたたかな“何か”が灯っていた。
──生まれてはじめて、誰かに選ばれた気がした。
──そしてその誰かは、自分を“信じている”ようにさえ感じた。
遥斗は、布団へと身を沈める。
痛みは消えていない。
これからもきっと、苦しいことは山ほどある。
それでも──
「……ありがとな、オブザーバー。……そして、お前も、さや」
その声は夜の闇に溶けて、
いつか遠い未来の自分へと届く“ささやかな祈り”になった。
──まるで、クリスマスの朝を待つ少年のようだった。
眠れないほど心が躍る。
言葉にできない幸福が、胸の奥を満たしていく。
プレゼントの正体は、“自分自身の可能性”だった。
気づけば、頬が緩んでいた。
誰にも見せるつもりのない、誇らしげな微笑。
遥斗は目を閉じる。
そのまぶたの裏には、まだ見ぬ“明日”があった。
──たとえ何があろうと、
──この魂が折れぬ限り、きっと未来は続いていく。
「見てろよ、未来の俺──」
「お前は、ここからちゃんと“始まった”んだぞ」
そんな想いを、そっと心に仕舞い込んで──
遥斗は静かに、そして少し誇らしく、夢の中へと旅立っていった。
──魂波形、11.7%。
──初期進化段階《完了》。
だがこれは、ほんのプロローグにすぎない。
世界と魂が交差する、その“痛みの物語”は──今、ようやく始まりを告げたのだった。
(→第七話へつづく)
最後までお読みいただきありがとうございました。
魂波形値11.7%──数字だけ見ればまだまだ小さな変化ですが、
ここでの“覚悟”と“受容”こそが、遥斗の今後を大きく左右していきます。
そして、ObserverとSAYA-01が本格的に連動を始めたことで、
いよいよ彼の中で「力と痛みの意味」が結びついていく流れが始まります。
次回・第七話では、力を得た遥斗と、家族──特に姉・ひまりとの“すれ違い”が描かれます。
共鳴と違和、理解と拒絶。揺らぎの中で、彼の覚悟は試されていきます。
どうぞ、引き続き“痛みの物語”を見守っていただければ嬉しいです。