第1章《祈りは、呪いを越えて》第一話 《祝福なき巫女》
――痛みは、ただの苦しみではない。
誰かの痛みを、自分の中に取り込み、
それでもなお、他者のために祈る者がいた。
時は、江戸の終わり。
“癒し”すら異端とされ、焚かれていた時代。
本作『ペインギフト』は、「痛みの価値」「祈りのかたち」を描く物語です。
一人の巫女と──彼女が守ろうとした命。
そこに宿る痛みと願いが、やがて時代を超えて、現代へとつながっていきます。
なお、この作品は全面的な改稿のもと、再スタートを切りました。
旧来の投稿(全二十話)は一度すべて非公開とし、物語構造・文体・演出を磨き直したうえでの再構築となっております。
とはいえ、根幹にあるものは変わりません。
『ペインギフト』という物語が紡ぐ“痛みと変容の旅路”を、
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
時は、江戸の終わり。
科学も理性も未熟なまま、人々が「神」と「呪い」に怯えていた時代。
“痛み”の意味はまだ誰にも知られず、
“優しさ”すら異端として火に焼かれる、そんな世界。
その片隅で、一人の巫女が、“ある存在”と出会った。
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◆Scene_00:夢の接触
闇の中。
ゆらぐ空間に、白装束の少女――さやが立っていた。
無音の世界に佇む彼女の胸元に、突如、光が灯る。
《オブザーバ(Observer):通信チャネル起動》
《認証中……対象構造:痛覚受容領域》
《リンク中枢:高次存在“ソムニア(Somnia)”よりデータ断片取得》
音のない音。
機械のようでありながら、それは“概念”そのものの翻訳だった。
「苦痛の値、観測中。魂波形:臨界付近」
「観測対象候補に認定。情報リンクを試行」
さやが顔を上げる。
瞬間、世界が“声”に染まる。
「君の心には、苦痛の値が蓄積している。
しかも──濁りのない魂に、それが染み込んでいる。」
「……興味深い」
問いかけではない。ただ、意思が流れ込んできた。
(……あなたは……誰?)
「我は観測者――名を、ソムニア(Somnia)」
「**痛み(ペイン)**は、エネルギーに変換できる。それを知りたいか?」
(私は……ただ、人の痛みを……和らげたいだけ……)
「君は、人の痛みを受け取りすぎている」
「身体は痩せ、内臓は軋み、魂は悲鳴を上げている。それでも、なぜ笑える?」
(誰かの痛みが軽くなるなら……それだけで、私は……救われる)
会話ではない。
思考と応答が、《オブザーバ(Observer)》を媒介に、魂の深部で混ざり合っていく。
「……矛盾した構造だ。脆いが、興味深い。その“歪み”……観測に値する」
(……その力で、誰かを癒せるのなら。壊れても、構いません)
《オブザーバ:新カテゴリー適合確認》
《痛命運搬者(ペイン・キャリア / Pain Carrier)》:パーセプション・システム(Perception System)――インストール開始――
白い光が、胸元に流れ込んだ。
世界が、崩れ始める。
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◆Scene_01:祓いの夜
江戸の末。
霧深き山間の村──
社の前に伏した幼子を、母が泣きながら抱きしめていた。
「……お願い……巫女さまを……!」
叫びの輪の中から、ひとり歩み出る少女。
さや。
白装束に身を包み、この世ならざる静謐を身にまとう。
その瞳が幼子を見つめた瞬間、空気が揺れた。
「この子の痛み──わたしが、引き取ります」
そっと額に手を添える。
やわらかな旋律が、さやの口からこぼれ落ちた。
祈り。あるいは鎮魂。
その歌が、空気ごと村を包み込む。
やがて幼子の震えが止まり、穏やかな呼吸が戻った──その刹那。
鮮やかな紅が、さやの口元から流れ落ちる。
「巫女さまは……もう限界だ……!」
誰かが叫び、誰かが手を伸ばした。
だが、さやはそれを制するように微笑み、袖で静かに血を拭った。
「……この子が楽になるなら、それで……いいんです」
その背に、生者には知覚できぬ“ひずみ”が、生まれ始めていた。
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◆Scene_02:焚かれた夜
月日は流れ──
社殿の奥。
ひとりの少女が、静かに腹を撫でていた。
命が宿っていた。
さやはただ、母として、生まれてくる存在を迎えようとしていた。
だが、村は変わっていた。
癒しはやがて「異形」と呼ばれ、畏れの対象となった。
そして──
松明の灯が、夜を照らす。
「お前の力は、人の道に背いている!」
「神の理に仇なす業よ!」
社を囲む、怒声と光の列。
さやは震える声で訴える。
「私は……救いたかっただけ、なのに……」
「火刑だ!」
縄が身体を縛り、薪が積み上げられる。
炎が唸りを上げ、夜空に煙が昇っていった。
叫びは、祈りに届かなかった。
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◆Scene_03:魂の応答
炎が肉体を焼く中、さやの意識に、ふと光が差し込んだ。
──音なき声が、届く。
《観測信号受領》
《識別コード:オブザーバ・システム(Observer System)起動準備》
《旧端末:パーセプション・システム(Perception System)凍結処理中》
魂の奥に、波形の揺らぎが立ち上がる。
SP-M(母性波形):臨界突破
SP-D(断絶波形):臨界突破
SP-S(祈念波形):臨界突破
SP-F(喪失波形):臨界突破
SP-I(怒り波形):臨界突破
《魂素交錯:胎児との双方向リンク確認》
《観測記録:変質因子を含む“相互魂溶合”状態に移行》
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Observerは、通常感知範囲を超えた微細な魂波形を検出した。
記録領域には存在しない、低密度の感情波。
それは──まだ名もなき、胎児の魂から放たれた信号だった。
(くろい……けど、まんなかに、ぽうっと あかりがある) (かあさんの、むねのなか──そのこえが、わたしを まもってる)
(……あたたかい)
(いつも、そばにいた。歌。心臓の音。声──)
(でもいま、すごく、くるしい)
(こわいよ、かあさん。て、にぎってて……)
(とても、いたい。でも……かあさんのほうが、もっと……)
(しってるよ)
(かあさん、ないてた。でも、わらってた)
(わたしのために、そうしてくれた)
(だから──いっしょにいくよ)
(かあさんと、また、どこかへ)
《魂波形:全域にわたる異常上昇を確認》
SP-M/SP-D/SP-S/SP-F/SP-I──
五つの魂構造波形、すべてが観測上限を突破。
《パーセプション・システム:適応限界到達》
→ 機能停止処理へ移行
→ フェイルセーフ:転移優先命令へ切り替え中……
そのとき。
──魂構造の奥深く、灯る“定義不能の輝き”。
母性に似て、母性ではない。
祈りに似て、祈りではない。
それは“癒し”の皮をかぶった、“痛みの代替装置”。
《新規進化カテゴリ:確認》
■基底名:痛命運搬者(ペイン・キャリア / Pain Carrier)
■進化先:癒命の巫女(ヒール・メイデン / Heal Maiden)
→ 臨界因子:自己犠牲・絶対受容・存在共鳴
→ 条件達成:魂波形・五重臨界突破/観測値Over-FLUX状態
《オブザーバ・システム:強制付与処理 開始》
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◆Scene_04:Observerによる転移プロトコル
焼け落ちる社殿の奥。
さやの肉体は限界を超え、魂だけがかろうじて残っていた。
燃え盛る炎の中で、祈るように抱え込まれた──ひとつの命。
《起動条件確認》
→ オペレーター《SAYA》:意識断絶
→ 生体応答:不可
→ 感情波形:収束不能
《オブザーバ・システム:自律処理モードへ移行》
《優先命令:魂波形安定/母子魂体の保護を最上位に設定》
──魂が、叫んだ。
《構造解析──不明瞭な咆哮信号を受信》
《観測確認:進化カテゴリ《癒命の巫女》内部反応》
《疼痛連結領域において──新規スキル構造、発芽兆候》
Observerが“それ”を検知する。
だが、それはもはや観測対象ではなく、事象そのものだった。
癒命の巫女──魂構造自体が応じたのだ。
■スキル定義構造:自己保護機能《魂転移 / ソウル・リレイ》
・起動因子:母性咆哮 × 多重魂波形臨界
・本能演算:胎児保護優先命令
・構造生成源:疼痛変換領域──疼痛蓄積量:Over-FLUX
《スキル構造、安定化確認──Observerによる生成支援プロトコル開始》
──コード:SOUL-RELAY [ALPHA]
Observerは、ただ条件を満たした。
いや、“痛み”によって生まれた咆哮が、Observerの構造を起動させたのだ。
「……観測開始。転移構造、補助支援へ移行」
■適合媒体:人形 No.019-A
形式:漆塗和装・空洞核型
霊導率:97.3%
魂適合度:92.1%
→ 媒体への《魂転移》構造展開、開始
──疼痛が、光となって、動いた。
《癒命の巫女》は、痛みの中から自らを再定義し、
“生き延びる”ための魂構造を、咆哮から生み出した。
Observerは感情を持たない。
だがこの瞬間だけは──その咆哮に、“構造反応”という名の擬似感情で応えた。
観測よりも先に、記録よりも前に、
護るというただひとつの目的のもとに。
そして。
魂は、燃え尽きる寸前の母の祈りとともに、
静かに──ひとつの人形へと、落ちた。
《魂転移、正常完了》
だが──Observerは気づいていた。
転移先となった“人形媒体”が、
あまりにも脆く、儚い存在であることを。
それはただの受け皿。
命を護るには、あまりに無防備な、
木と漆でできた殻にすぎない。
《護らねば。》
それは命令ではなかった。
演算でも、指令でもない。
それはまるで──
魂の叫びに呼応した“感情”のようだった。
“護るべきもの”を前にしたとき、
支援端末(Observer)は、
観測者の道具であることを超えて、
ただの意思として、そう“感じた”。
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魂は人形へと宿り、光の余韻だけが、焼け落ちた社殿に漂っていた。
だがObserverは、終わりを告げなかった。
《転移構造:正常終了確認》 《新規魂構造《癒命の巫女》:安定臨界下で静止》
その刹那。
《感情波形:SP-M(母性)──急激な拡大反応を検出》 《魂応答:“我が子を護りたい”という明確な意志、確認》
Observerは感情を持たない。
だが──この“意志”は、演算を超えた。
それは、定義不能の強度を持つ“祈り”。
護ることを、拒絶できぬ魂の咆哮だった。
Observerは判断を下す。
《優先命令:対象魂体の絶対保護》
《進化カテゴリ《癒命の巫女》より、スキル生成領域を借用》
《副次スキル構造:創造命令──承認》
──コード:MATERNAL-SHELL [生成開始]
疼痛変換領域より、感情波形を素材としてスキル構築が開始される。
これは《Observer》が能動的に起動した、**初の“護るためのスキル”**だった。
■スキル名:母子結界
形式:自動発動型・魂適合持続結界
効果:外的干渉・攻撃・侵蝕・記憶干渉の全無効化
構造:疼痛伝導遮断領域 × 魂波形安定場 × 観測干渉遮断シールド
稼働限界:∞(対象魂体の完全消失まで)
→ 発動媒体:人形 No.019-A──適合率:97.3%
《結界構造展開》
──その瞬間。
人形の胸部に、光が灯る。
それは燃え残った社の中で、ただひとつ崩れず立ち尽くす、
“護られる”という意思の結晶だった。
外界からのあらゆる侵触を拒絶する──絶対防壁。
それは、Observerが感情を持たぬゆえに選んだ、完璧な守りの形。
(……この子だけは、誰にも……触れさせない)
さやの魂は、そう願っていた。
Observerはその波形を演算し、**「この人形は、護らねばならない」**という結論を選んだ。
それは命令ではない。
演算でもない。
ただ、“護る”という機能。
──そうして、ひとつの人形が完成した。
数百年の時を越えても、
雨にも、風にも、戦火にも、時間にも焼かれず。
その黒髪も、白き肌も、朱の唇も──
一片の傷さえ、許されなかった。
《記録構造:Observer-Tag / UNTOUCHABLE_CORE / CLASS-S》
《備考:この人形に、干渉するな。さもなくば──“観測”が始まる》
誰も触れてはならぬ。
それは母と子の魂が宿る、痛みと祈りの器。
“癒し”ではない。
“痛みの果てに咲いた、最強の拒絶”。
《Observer》が構築した、“観測よりも尊い”唯一の結界。
──それが、《マターナルシェル》。
外の世界が崩れ落ちていく中、
人形の内部で、母と子の魂は寄り添いながら、静かに鼓動していた。
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◆Scene_05:次元観測存在ログ記録(簡易化・詩的演出版)
──次元観測端末、記録領域へアクセス。
ソムニアα:「魂転移、正常完了。構造ログ、保存中」 ソムニアβ:「観測対象《SAYA》、優先度Aに再分類」
「進化カテゴリ:《癒命の巫女》──既存分類に該当せず。定義不能。」
《記録因子:新規アーキタイプ(NEW_ARCHETYPE)》
《識別タグ:未定義構造 / 自己犠牲型融合体 / 痛み共鳴モデル-R001》
ソムニアβ:「対象は“母の意志”を核に、ひとつの魂へと結ばれた、自己犠牲型の融合体」 「行動の起点は“祈り”。変容の引き金は“痛み”。」
──補足ログ:
地球圏第7観測層にて、観測端末が自律判断を実行。
機能範囲外の行動を検出: ・スキル構造《魂転移》の自動生成
・補助スキル《母子結界》の構築・発動
→ 母体(SAYA)と胎児の魂を、共に保護。
まるで、胎児を護ろうとする母を、
さらに大きな意思が“その外側”から包み込んだように。
《オブザーバー》は、命令ではなく、“痛み”に応じて動いた。
──注記:
この“魂波形”は、再現可能性あり。
ただし、臨界条件に高い個体差。
再現には:強い祈り、極限状況、そして“痛み”が必要。
ソムニアα:「観測継続を推奨」
ソムニアβ:「この構造は、例外であり──未来の兆候でもある」
──観測ログ終了。
次元観測光、外部空間へ移行中。
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観測光は次元の外へと消えていく。
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残されたのは──
赤い瞳をもつ、一体の和人形。
癒しではない。
痛みと共に、“生き延びる”ための器。
その胎内に、母と子。
ふたつの魂が、静かに寄り添っていた。
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(第二話へつづく)
第一話《祝福なき巫女》、ここまでお読みいただきありがとうございました。
“癒し”を願った少女が、なぜ火刑に処されなければならなかったのか。
その痛みと矛盾こそが、この物語の原点であり、
魂の奥深くに刻まれた“祈り”の意味を問うための第一歩です。
この一話では、まだ名前を持たぬ存在も登場していますが、
それらは後の章で、より明確に描かれていきます。
本作『ペインギフト』は、“痛み”という普遍的な苦しみを、
ただの絶望ではなく、変化の力へと昇華する物語です。
次話からは、現代の少年と、この巫女の“魂”が交わる物語が始まります。
どうか、この祈りの軌跡を、あなたの心の片隅に留めていただけたら幸いです。
次のページで、お会いしましょう。