2.再会
女学校最後の夏休み、17才の夏。
私は5年ぶりに小公爵様と対面する。
お祖父様から爵位を継承された小公爵様は、この時22才、もはや小公爵様、ではなく、公爵様となって軍隊を辞めて帰って来られたのだ。
5年ぶりの公爵様は、軍隊に居られたせいか、5年前よりぐっと逞しく大人の男性になっていて、小娘の私は否応なくときめく。
くそう、大嫌いなのに、完全に王子様じゃないか、大嫌いなのに。
私の心臓の裏切り者め!
あいつは意地悪な王子様なのよ、ときめいてどうする、馬鹿者が。
ドキドキする胸を叱りつけ、それでも一分の期待を持って、私は公爵様に挨拶をした。
「お帰りなさいませ、公爵様」
公爵様は冷たく笑うと、「私の部屋に菓子を持って来てください」と言われた。
え?
物凄くびっくりしたけれど、断る訳にはいかない。
彼は公爵様、私は使用人なのだから。
「畏まりました」
私はぺこりと頭を下げて、菓子を選びに行った。
菓子を選んで篭に準備して、お部屋に持って行くと、侍女さんから、公爵様は馬に乗って離れまで行かれたと言われる。
公爵邸は広い、離れは池と小さな森を越えた所にあって、遠い。それこそ馬で行くような場所なのだ。
「、、、、、、、」
行くしかあるまい。
彼は公爵様、私は使用人なのだから。
私は離れに向かった。
徒歩で。
なかなかの日差しの中、20分ほどかけて離れにたどり着く。
「失礼します。お菓子をお持ちしました」
私は離れのリビングで涼む公爵様に声をかけた。
ソファに気だるく横になって新聞を読む公爵様は、そんな姿も完璧に絵になっていて、組んでいる足は本当に長い。
「ああ」
公爵様は例の冷たい榛色の瞳を私に向けられた。
「もう必要ありません」
、、、、、、、は?
汗がつーっと背中をつたう。
さすがに声には出さなかったが、顔には出た。
公爵様が、一瞬笑ったように見えた。
「聞こえませんでしたか?もう必要ありません」
公爵様に再度そのように言われて、私はぺこりと頭を下げて、菓子を持ったまま離れを辞した。
あいつ、やっぱり大嫌いだ。
大嫌いだーーーー!!!!!
私はすぐに、サムエルに怒りをぶちまける。
「俺には、そんな方には見えないけどな、立派な方だよ」
「あなたの方が、ずーっと立派よ、サムエル」
怒りながらそう言うと、サムエルは顔を赤くして「ありがとう」と言った。
サムエルのこの可愛らしさの1/100でも公爵様にあればいいのに。
お菓子はサムエルと美味しく食べてやった。
翌日、私はイーゼルとキャンバスを持ち出して、熱心に女学校最後のコンクールに出品する絵を描いていた。
今回のコンクールが女学校最後だし、私としても最後のコンクールになるだろうと思われた。卒業後は働くので、絵を描く事にまとまった時間は取れなくなるだろう。
せっせっと、絵筆を動かしていると、一陣の風が吹いて私の帽子を飛ばし、近くの木の少し高い枝に引っ掛けた。
しょうがないから、登って取りに行く。木登りは小さい頃によくやったので平気だ。
難なく帽子を手に入れて、さて降りようと思った時、そこはまあまあの高さで怖じ気づく。
大丈夫よ、登ったんだから、降りれるわよ。
そろり、そろり、と体を後退させていると、最悪のタイミングで公爵様が、無人のイーゼルとキャンバスの前に佇んでいた。
絶対にこちらに気付いているであろうに、公爵様は木の上の私は見ずに片手を顎に当てて、じっくりと私の描きかけの絵を眺められる。その立ち姿は美しい。
美しいが、今は迷惑だ。
角度を変えて、たっぷりとご覧になっている間、降りて挨拶するのも癪なので、私はじっと木の上にいた。そっちが無視なら、こっちも無視だ。
手が痺れてきた頃、公爵様が俯いて、くっと笑った気がした。そして顔を上げて私を見てきた。
「何をしているんです?」
結局、私に構うんかい!
「木登りです」
むっとしながら返す。
「スカートでするのは感心しないな」
「以後、気を付けます」
「降りれないなら、手を貸しましょうか?」
公爵様が私の真下まで来られる。
「平気です。登ったのですから、降りれます」
そう言って私は後退を再開したのだが、すっかり痺れていた手が滑ってバランスを崩した。
「きゃあっ」
あっという間に、体は枝からずり落ちて、空中へ放り出される。
私はぎゅっと目をつむって衝撃に備えたが、固い地面ではなくて、もう少し柔らかく優しいものに包まれた。
「、、、、、、」
そろり、と目を開けると公爵様の綺麗なお顔がとても近くにあって、私は公爵様の腕の中だった。
公爵様は危なげもなく私を抱えていて、その姿は完全に王子様だ。
「こういう展開がお望みでしたか?」
真っ赤になっていた私は、公爵様の冷たい一言に唇を噛み締める。
最悪だ。
よりによって、ばっちりときめいてしまった。
ああ!
最悪だ!
私は無言で降ろしてもらうと、イーゼルとキャンバスを片付けた。
「お礼は?」
「ありがとうございました」
私はそそくさと退散した
その後、公爵様は夏の間、わざわざ私を2度、離れに呼ばれた。
1度目は、サムエルと水かけをしてはしゃいでいる時で、2度目は私がコック長さんからいただいたケーキを食べようとしている時だった。
2回とも、ただ、ムカついて惨めになって帰ってきた。ケーキも食べ損ねた。
公爵様からのお呼ばれが2回続いたある日、私は奥様に呼ばれた。
「参りました、ツイスティです」
土埃を一生懸命払って、奥様のいらっしゃるサロンに入る。
奥様は目を細めて私をじっくりと見られた。
「ツイスティ、美しく育ちましたね」
「ありがとうございます、奥様」
「ジョンが10才のあなたを連れて来た時から、顔立ちの綺麗な子だと思っていたけど、予想以上だったわね」
「はい」
奥様や貴族様達の言葉には逆らってはいけない。私は、はきはきと挨拶を返す。
「ですが、その美しさは不要ですね」
「はい」
意図は分からないが、きちんとお返事する。
「ツイスティ、この秋にクロードは婚約します。あなたは、きちんと分をわきまえるように」
「はい」
私は、ぺこりと頭を下げた。奥様が行っていいわ、と言い。私はサロンを出る。
ジョンおじさんとの小屋への道すがら、涙が出てきた。
何の涙かは分からなかった。
ただ、無性に悔しくて、悲しかった。
私は絶対に教師か、会計士になろうと思った。
サムエルが、絶対に医者になろうとしているように。
秋、公爵様はかねてから交流のあった伯爵家のマレーネ様と婚約された。
たっぷりした赤い髪の毛の美人で、口元に色っぽいホクロのある方だ。
私は、マレーネ様は苦手だった。マレーネ様のお母様、つまり伯爵夫人は奥様のご友人だったので、公爵様と出会う前から時折、奥様とのお茶に来られていたのだが、マレーネ様は幼い頃はよく私をからかわれた。
私が弾ける訳のないピアノに引っ張りだしたり、マナーの分からないアフタヌーンティーの相手をさせられたり、何着もドレスを着せられたりした。似合わない化粧をされた事もあった。
そんな苦手なマレーネ様と、大嫌いな公爵様だが、お二人がお庭で和やかにお喋りされながら歩いている様子は、正に王子様とお姫様で、やはりときめいてしまう。
私はそれをぼんやり見ていた。
「あら、ツイスティ」
マレーネ様が私に気付かれる。
すっかり立派な淑女と成られたマレーネ様は、もう私をからかったりはしない。公爵様と腕を組み、たおやかに私を見る。
「ご婚約、おめでとうございます」
「ありがとう。あなたはあの執事の息子と結婚するのかしら?」
「サムエルと?いいえ、彼は友人です」
「あら、お似合いなのに、ねえ、クロード」
マレーネ様はとても優雅に公爵様に微笑みかける。
「ああ、似合いだ」
公爵様はこの時始めて、私ににっこりされた。
「すいません、私はこれで失礼します」
私は逃げるようにその場を離れた。
なぜ逃げたのかは分からなかった。