新馬戦までの予定と私の名前
大泉笑平さんが私の馬主になったことで何か私の生活が変わったかというと、特に何も変わらなかった。
漠然と馬主に買われたら違う牧場に引っ越すことになると思っていたのだが、そんなこともなく私はこれまで通り巴牧場で平和に過ごしている。
冬になって雪が降りまくっても屋外で放牧されたり、凍える仔馬を平然と放牧する人間の鬼畜さを恨んだり、夏になって同級生が競りで売られたりもしたが、生活自体が変わることはなかった。
私以外の競りで買い手がついたという同級生も、やはりその暮らしぶりが変わることもなく、巴牧場でのどかに暮らすばかりである。
そうこうしている内、更に季節は巡って1歳の秋。
最近の私はこのままでいいのだろうかという不安に襲われていた。
競走馬は1月1日に揃えで年を取る。なので、冬が来て年を越せば私は2歳馬になる。
2歳馬といえば、もう競走馬としてレースをする年齢である。
実際私も友蔵おじさんから、『このまま順調にいけば2歳からレースに出られそうだな』との評価を貰っている。
しかし、待てど暮らせどレースの為のトレーニングは一向に始まらなかった。
最近になってからようやく背中に鞍を乗せる訓練を受けたが、その位だ。
それ以外にやったトレーニングらしいものといえば、せいぜい以前からやっていた追い運動と呼ばれる鬼ごっこみたいな遊びをするくらい。
0歳の頃にしていた自主的に牧場の中を駆け回るトレーニングも、最近はあまり捗っていない。
怪我をすることを心配され、馬房に繋がれてしまうようになったからだ。
なので牧場の人達に心配を掛けないよう、もとい馬房に閉じ込められることがないよう、今は自主練は人間達が近くにいない時だけするようにしている。
そのせいで『人がいなくなると走り出す変な馬』として面白がられているきらいはあるが、こっちは大真面目にトレーニングしているのに酷い話である。
何にせよ私は不安だった。
このままトレーニングらしいトレーニングをしないまま、2歳馬になっていいのかと心配で仕方なかった。
私の前世の知識では、馬を鍛えるのは調教師と呼ばれる人間の仕事のはずである。
調教師の下で、馬はプールで泳いだり、急な坂を上ったり、木片が敷かれた道を走ったりしてトレーニングをするはずなのである。そういう番組だか動画だかを前世で見た覚えがあるのだ。
だが、巴牧場にはそんな坂やらプールやらはない。
調教師と呼ばれるような人間も見たことがない。あるいは、友蔵おじさんが実は調教師だったりするのだろうか?
今更な話ではあるが、私は前世において競馬をあまりよく知らない人間だった。
実際に競馬場へレースを見に行ったこともないし、馬の血統表の見方も分からない。
私の競馬に関する知識の大部分は、私が生前遊んでいた競馬のアプリゲームに由来している。
サラブレッドを擬人化させたイケメン男子達をコーチになって育成し、陸上レースで勝たせるというゲームだった。
結構はまって、毎月1万円くらい課金していたのを今でも覚えている。無敗三冠を達成した馬がモデルのイケメン生徒会長が、私の推しだった。
推しすぎて、モデルになった馬のことをネットで調べたり、過去の色んなレースの動画を視聴したりもしたが、私が競馬について学ぶためにしたのはその程度だ。
ウィキペディアやyoutubeでちょろっと探せば見つかる程度の情報を集め、妄想を広げたり解釈一致だと喜んだりして遊んでいた気がする。
逆に言えば、ゲームに登場しなかった調教師なる職業や、擬人化されていない本物のサラブレッドについての知識は極端に乏しい。
1歳の馬が2歳でデビューするまでに通常どんなトレーニングをするのかも、当然知らない。
2歳馬が走るレースについても、朝日とかホープフルとかいうGⅠレースの名前を知っているくらいだ。
端的に言えば、今私はこれから自分がどうやってレースの世界へ飛び込んでいくのか、全く分からない状態なのである。
『分からない』という状態は不安だ。人間の頃も将来の不安はあったが、競走馬に生まれ変わった私が抱く将来の不安とは、殺処分への不安である。
そう、結局のところ、サラブレッドというものはレースで活躍出来ないと処分されてしまう。
牝馬は牡馬よりも繁殖馬になれる可能性が高く、助かりやすいというのは知っているが、その可能性が具体的に何%なのか前世の私は知らなかったし、知っていたとしてもそれは自分が長生きできる保証にはならない。
老後の年金がちゃんと保証されるか不安に思っていた人間時代とは、不安の重みが段違いなのである。
そんな将来への不安と恐怖が募り、イライラしながら過ごしていたある日。
「……ダイ子、お前ともそろそろお別れだな」
私のブラッシングをしていた友蔵おじさんが、ポツリとそんなことを呟いた。
ちなみに『ダイ子』とは私の幼名である。
生まれたばかりの頃、私は身体が小さかったため、友蔵おじさんは大きく育てという願いを込め『ダイ子』と私に幼名を付けた。漢字で書くと『大子』である。
女の子にこんな酷い名前を付けた友蔵おじさんを、私は一生許さないつもりだ。
「来年にはダイ子もこの牧場を出てトレセンに行くんだ。調教師の先生や、厩舎の他の馬達と仲良くするんだぞ」
『トレセン』。初めて聞く単語に、私は自分の耳はピンと立てた。そして『調教師の先生』という待ちかねたワード。
それだ。その『先生』とやらを私は待ちに待ち、待ちすぎて不安になっていたのだ。
もっと詳しく聞かせろと、私は友蔵おじさんに自分のおでこをぐりぐりし、話の続きを催促する。
友蔵おじさんはそんな私の様子を見て、何を勘違いしたのか寂しそうに笑う。
「お前は賢くて人懐っこいからな。きっとここを出ても可愛がって貰えるよ。いつも牧場を走り回っていたから、体つきもすっかり逞しくなった。あの母親にべったりだったチビ助が、本当に見違えたよ」
今聞きたいのはそういう思い出話ではない。こっちは将来と命が掛かっているのだ。
出来ればもっと事務的に、トレセンや調教について詳しく教えて欲しい。
あと、そのチビ助の女の子に『ダイ子』なんていうダサい名前を付けたことは、絶対に許さない。
ふざけて私を『ダメ子』と呼んだ牧場スタッフ含め、一生、許さない。
「お前ならきっとすぐにレースデビューできるよ。それこそ、2歳の6月にデビューできるんじゃないか? お前の新馬戦、楽しみにしているからな」
だが、感傷に浸りきったおじさんのその語り掛けによって、私が一番知りたかった情報がようやく手に入った。
これから先の自分のスケジュールが、おおまかにだが判明したのだ。
年が明け2歳になったら、『トレセン』というところにいく。多分だが、『トレーニングセンター』の略だろう。そしてそこで調教師という『先生』に競走馬として鍛えて貰うのだ。
そして順調にいけば、2歳の6月に新馬戦。私のレースデビューが待っている。私の殺処分回避を掛けた戦いが始まる。
「と言っても、今から新馬戦の話は流石に気の早い話か。その前にお前を預かってくれる調教師の先生を馬主の大泉が決めてくれないとだし、ああ、そうだ」
ブラッシングを終え、友蔵おじさんが私の首をぽんぽんと二度叩いた。
「レースに登録するお前の新しい名前も、早く決めて貰わないとな。いつまでもダイ子なんて変な名前じゃ、カッコが付かないもんな」
お前が付けた名前だろうがぁ!
カッとなった私は、にっくき名付け親に全力で噛みついてやろうとした。が、タイミング悪く友蔵が妻に呼ばれて後ろを振り向いたため、私の噛みつきは空を切ることとなった。
友蔵がそのまま妻の方へ歩いていく。馬房に繋がれた状態の私は、それを追うことが出来ない。
おのれ、運のいいやつ。今に見ていろ、一生許さないからな。
恨めし気にその背を睨みつけていると、友蔵とその妻の会話が聞こえててきた。
友蔵おじさんの奥さんは中肉中背の体型で、化粧っ気のない一重瞼の、髪を肩口で切りそろえた中年のおばさんである。
友蔵おじさんと共働きで、私達牧場の馬達のお世話をしてくれる優しいおばさんだ。
名前は『友恵』。フルネームは『巴 友恵』である。
友恵という名前なのに、巴という苗字の男と結婚してしまった、世界一不幸な女である。
「何かあったのか?」
友蔵おじさんが友恵おばさんに尋ねる。
苗字が巴なのに友蔵と名付けられたトモエトモゾウおじさんも大概だが、トモエトモエおばさんには流石にインパクト負けしていると言えるだろう。
「ついさっき大泉さんから電話があったのよ。ダイ子ちゃんの厩舎が決まったって。それとね、」
ちらりと、友恵おばさんが私の方を見た。
おばさんの目は、何故か私を嘲笑っていた。
「ダイ子ちゃんの馬名も決めたって言って、教えてくれたのよ。ダイ子ちゃんの新しい名前はね……」
作者の競馬の知識は主人公と同じくらいです。
ウマ娘の影響で小説書き出した競馬素人であることをここに白状しておきます。
馬について分からないことが出てくるたびGoogle検索エンジンとにらめっこするこの小説の明日はどっちだ
続きは本日昼の12時更新です。
信頼できる確かな資料に基づかない拙作ですが、少しでも「面白かった!」と思っていただけましたら下にある☆☆☆☆☆から作品への応援をお願いします!☆1つでも作者は大喜びです。
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