表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/113

今年もダービーが始まる


 5月最終日曜日。東京優駿。日本ダービーの日がやって来た。


 騎手控室でのレース前検量を待ちながら、東條は自分のコンディションを確認していた。


 去年まではクラシックレース前日、まして自分が出走するダービーの前夜などは、緊張とプレッシャーで中々寝付くことが出来なかった。


 だが、今年は違った。今年東條はダービー前日にいつも通りの時間に就寝することが出来た。

 朝の目覚めはいつもより30分ほど早かったが、寝不足や身体のダルさは感じなかった。


 食欲もいつも通り。自分の注意力が散漫になっているとも感じない。前日土曜のレースを走った疲労も、問題なく抜けている。


 悪くないコンディションだと、そう思った。


 パドックの開始が迫り、出走が刻一刻と近づく中、東條は手首に親指を当て自分の脈を測ってみた。

 東條の脈拍は、普段のレース前より大分早かった。


 緊張しているな、と、東條は自分を分析する。


『クラシックでいつも通りの騎乗が出来る騎手など、日本中探したって5人もいない』。


 桜花賞前に郷田から言われた言葉が、今日も東條の心を支えていた。


 まだまだ未熟な自分ごときが、クラシックの頂点たるダービーで、平静を保てる訳がないと、良い意味で開き直っていた。


(特別なことは必要ない。緊張するのも当たり前。俺の仕事はこの緊張を抱えたまま、ウインターコスモスを気持ち良く走らせてやることだ)


 クラシックという魔境。ダービーという魔境の最奥。そんな場所で、余計な小細工が出来るほどの技量は今の東條にはまだない。


 出来得る限りいつも通りの騎乗で、馬の行きたいように行かせてやろう。


 東條がそう思っていると、やがてパドックが始まる時間になり、ダービーを走る三歳馬達が姿を現した。

 東條が乗るウインターコスモスも、その姿を観客と東條の前に現した。


 日の光を浴びパドックを進むウインターコスモスの仕上がりは、悪くない。むしろ良すぎる程だ。

 毛並みに艶があり、歩調に力強さがある。発汗もさほどなく、入れ込んでいる様子もない。厩務員に牽かれ、大人しくパドックを歩いている。


 想定していたよりも良く仕上がってしまった、というのは、坂東調教師の言葉である。

 馬の状態が良いのに言い方が苦々しかったのは、元々ダービー出走自体を渋っていたが故だろう。


 とは言え、どれだけ状態が良くとも、ウインターコスモスはダービーで勝ちを狙えるような馬ではない。

 18頭フルゲートでの15番人気。内枠が断然有利といわれるダービーで、2枠3番という絶好の良枠を引きながら、この人気である。


 青葉賞2着の戦績も、悪天候が生んだフロックだと評価されていた。


 東條としては、もちろん今日のレースを勝ちたいとは思っている。とはいえ、ウインターコスモスに対する馬券人気や評価は、妥当なものだとも考えていた。


 他の出走馬達に感じる格上感は拭い難く、ウィンターコスモスにとって今日のダービーが、掲示板に載ることすら難しいレースになるのは間違いない。


『元々俺は勝てると思っていない。馬主への奉公で走るだけだ。乗り方も、お前に任せる。逃げでも追い込みでも、好きにしろ』


 ふと、レース前に言われた、坂東調教師の投げやりともとれる言葉を思い出していた。


『どう考えたって、馬の力不足だからな。もし今日のレース3着以内に入れたら、ウインターコスモスの鞍は正式にお前にやるよ』


 東條のウインターコスモスの騎乗は、あくまでダービー限定の臨時ということになっている。

 元より4歳からのレースを期待されている馬だ。重賞を本格的に狙える馬体が仕上がったら、鞍上は別の騎手に任せたいと坂東は考えているのだろう。


 東條がダービージョッキーになるという自身の夢を叶えるには、1着になるしかない。

 東條がウインターコスモスの主戦として認められるには、3着以内に入賞するしかない。

 しかし、肝心のウインターコスモスは15番人気。その実力では掲示板に入ることすら難しい。


(でも、ウインターコスモスは運を持っている馬だ。青葉賞といい、今日の枠番といい、あいつは『持っている』馬だ)


 案外、何か起きるかもしれないと東條は思っている。


 勝てっこないと落胆するでもなく、薄い勝ち目を絶対にもぎ取ると入れ込むのでもなく、今日は試しに待ってみようと東條は思っている。


 青葉賞で奇跡の2着に入った馬の運を。ダービーで2枠3番を引き当てた馬の運を。

 その運が何か大きなチャンスを運んでくるのを期待して、待ってみようと東條は考えている。


 東條の脈拍の乱れは、徐々に落ち着いてきていた。

 去年より、自分は騎手として成長している。平静を保てている。そして、チャンスがもし目の前に来たならば、絶対にそれを逃がさないとも思っている。


 平静を保つ。馬の運を信じて焦らずに待つ。チャンスが来たら即座に反応する。

 諦めてはいない。がっついてもいない。ゆらりと自分の中で、闘志の炎が静かに揺らめき立っているのを感じている。


(うん。良いコンディションだ)


 パドック周回が終わり、騎手の馬への騎乗が始まる。


 今年もダービーが始まろうとしていた。

 同じ年に生まれた7000頭の頂点。日本一の馬を決める戦いが、始まろうとしていた。



続きは本日夜8時更新です。




「面白かった!」と思っていただけた方は、下にある☆マークから作品への応援をお願いします!


ちょっとでも「続きが気になる」と思っていただけた方は、是非是非ブックマークをお願いいたします。


何卒よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ