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レディ・ルメリア

悪女レディ・ルメリア・フィッシャーは愛を拒む

作者: 乃東生

誤字方向ありがとうごさいます。

それよりもタイトルから間違ってて驚き(メルリアじゃなくてルメリアです)

 レディ・ルメリア・フィッシャーは悪女である。


 精霊(ニンフ)のように美しい容姿を持つルメリアは次々と男を虜にし篭絡させ破滅へと導く。

 理由は特にない。ルメリアの心は欠けていてそこには思慮もない。罪悪感を持たない彼女はただ眺めているだけ。炎の中に自ら飛び込んで来る蛾のような、愛に狂い苦しみに悶える男たちを、愛を嘆き憎しみに落ちた女たちを、煌々した表情で見つめる。

 そんなルメリアを巡る狂宴の炎はやがて本当の戦火を呼び、国をも巻き込み何もかもを焼き尽くす。

 最後にルメリア自身をも飲み込んで。


 全ては終息した。後には何も残らない。人も国も想いも。

 業火に身を焼かれながらも天を仰ぎ微笑むルメリアは、凄絶なまでに美しかったと言う。

 それが悪女――、ルメリア・フィッシャーの最期。



 ***



「そよ風の中に煌めく淡い栗色(マルーン)の、その緩やかに舞う髪の一房に口づけをと願う私の心を貴女は知っているだろうか?

 その白桃ような頬に、輝く宝石を閉じ込めた目蓋に、口づけたいと願う私を貴女は許してくれるだろうか?

 ああ…っ、美しくも無情な女神、ルメリア!

 本当は、あさましくも私は! 色づき始めた果実(チェリー)のような貴女の唇にこそ口づけたいと思っている!

 麗しいルメリア、貴女を愛している。貴女に恋い焦がれる愚かであさましき私を貴女は馬鹿なやつだと罵ってくれてもいい。貴女の深い紫水晶のような、ブラックオパールのような、美しい宝石の瞳をもってして蔑んでくれてもいい。

 私は貴女の愛の奴隷、貴女が与えてくれるものならば痛みだろうと全て享受しよう。

 ルメリア! 私の妖精、貴女を愛している!

 

 貴女の敬虔なる信徒、ウィリアム・S・サチェスター


 ……だそうですけど、どうです?」


 そう言って私の従者である男は元々細い目を更に細くし胡散臭い笑顔を浮かべてヒラリと今読みあげた手紙を振った。それをソファーに座り見上げる。

 

「どうって……、比喩が好きな人、なのかな?」


 感想を聞かれたので答えたら胡散臭い笑顔のままダメ出しが返った。


「ほら、そうじゃなくて。何かもっと、こう?」

「ちょっと気持ち悪い」

「ふはっ! 身も蓋もない! 流石悪女ですね!」


 悪女………。

 吹き出し笑う失礼な従者を半目で見る。元々感情の起伏が平坦で顔にも然程でない私。見る人に寄ってはこの視線を憂いと取るようだけれど、比較的長い付き合いの男には通じる。その通りに私のそんな目に気付き取り繕うようにコホンと咳をした。


 私にとって悪女は禁句だ。

 そう、手紙でも書かれていたように私の名はルメリア――、ルメリア・フィッシャーであるから。

 


 

 レディ・ルメリア・フィッシャーは国をも滅ぼす悪女であり、その非道は十六歳のデビュタントの時から始まる。

 ………らしい。

 と言うのも、なんせ私のデビュタントはまだ一年先だ。なのに何故こんな話をしているかと言うと、それはお母様が言ったのだ。




「えええぇー! もしかしてルメリアたん!? 嘘やん、どう見ても悪女じゃないし! マジか…可愛い…っ、死ぬ!」


 一週間昏睡状態であったお母様が、目覚めてベッド脇の私を見た瞬間そう言い放った。

 意味はよくわからなかったが本当に死にかけていたのだからそう言う冗談はよくないと、「死ぬだなんて言わないで下さい、お母様」と手を握れば、「尊死…っ!」と呟き血を吐いた。

 だからお母様、貴女さっきまで死にかけたんですって…。

 私は急いで医者を呼び、自分の喀血に驚き慌てるお母様に呆れた目を向けた。それがルメリア()六歳の時。


 それからお母様は明らかに変わった。病弱であった体は急激に健康になり、以前は自分にしか興味がなかったのに私とお父様に急に関心を向けるようになった。寧ろ過剰過ぎる親愛の情。家族仲が良いことは悪いことではないけれど少しウザ……窮屈ではあった。

 それとお母様が変わったことのもうひとつ。

 ――先読みの力。

 普通ならそんな眉唾なものを信じることはないけど、身近で目の当たりしてしまったのだから信じるより他はない。

 お母様が語る先の未来。大きなものではお父様の仕事での不渡りを未然に防ぎ、逆にこれから流行るであろう事柄に先行投資をし資金を増やし、廃れるはずだったらしい(お母様談)我が家は今や押しも押されもせぬ富豪の仲間入りだ。小さなものにいたってはそれこそ数え切れないほどある。 

 それに加えて、私の未来の話。

 困ったような悲しそうな、そんな顔でポツリポツリと話される、悲劇と破滅へと向かうルメリア・フィッシャーの未来。

 子供ながら顔色も変えず淡々と耳を傾ける私に、お母様は余計に悲しそうな顔をした。

 結果、お母様は対策として私の情緒を育むことを主としたようだ。共感と感応と適応、協調や道徳、そう言ったもの。

 おかげで色んな思いをした。お母様のバイタリティーに、私は呆れを通りこして虚無の域にまで達したと思う。だけどそれを嫌だと思うことはなかった。ウザったくは思ったが。――あ。


 だけどそんなお母様による情緒教育は私が九歳を過ぎた時、突如終わった。

 本来なら私が六歳の時の、あの昏睡状態に落ちた時にお母様の人生は終わっていたのだと、暴走した馬車に跳ねられそうになった私を庇い代わりに跳ねられたお母様は、傍らで唖然と座り込む私に手を伸ばして言った。

 

「ごめんね…、ごめんなさいルメリア。もう少し、貴女の未来を変える手伝いをしたかったんだけどもう無理みたい」


 伸ばされた、赤く染まった手を握る。


「………お母様は馬鹿です」

「うん…」

「お母様は大馬鹿です」

「……うん」

「お母様は……っ」


 そのまま言葉を失った私に、うんうんと頷くお母様は苦しいだろうに何故か嬉しそうな笑みを浮かべ「私の情緒教育は間違ってなかった」と言う。そして「最後に」と私を引き寄せ胸に抱いた。


「ルメリア、貴女は私に言ったよね? 『自分が誰も愛さなければ悪女にはならない』って。だけどそれは違うから」

 

 押し付けられた顔の下、咳き込んだ胸元が跳ねる。粗くなった呼吸を気力で押さえ付けお母様は一気に言葉を連ねた。


「誰かを、愛しなさいルメリア。貴女が想う人を、一人だけを。愛し愛されることがきっと貴女を『悪女』という運命から解放してくれる。だから誰かを愛しなさい。それが貴女を幸せへと導くの。 …私も、短い間だったけど、貴女と貴女のお父様を愛せて幸せだった…」


 体が再び大きく跳ねた。深い、深い息が吐かれる。


「……ね、ルメリアたん、マジで絶対に幸せになってね…約束ね」


 昔よくお母様が使っていた少し不思議な言い回しを最後に耳元で聞こえていた鼓動は止まった。



 ああ、お母様、貴女はやっぱり愚かです。

 誰かを愛せ? 約束?

 貴女が居なくなったのに私が幸せになれるとでも?


 私のせいで貴女を失った。

 愛なんかの為に。

 



「――で、どうします、これ? 返事書きます?」

 

 急に現在に引き戻されて一度目を瞬く。こちらを覗き込む従者――、フェイの顔が視界に入った。

 目尻の跳ね上がった細い黒い瞳が尋ねるように細められる。長めの黒い髪は片側で緩く編まれ、凹凸の少ないあっさりとした顔。フェイは東の国の方の人間だ。

 

「適当に書いて返すわ」

「ちなみに、どんな感じで?」

「『迷惑なので二度と手紙は送らないで下さい』?」

「情緒もへったくれもないですね」

「じゃあ『会ったこともない上に愛だなんて無駄な言葉を吐く男はお断りです』?」

「お母様が嘆きますね」

「………」


 そこでお母様を出すのは駄目だと思う。僅かに眉間を寄せて見返し、私は小さくため息を吐いた。


 お母様が亡くなって一年程経ったある日、お父様が私の従者にと連れて来たのがフェイだ。

 どういった経緯でそうなったのかはわからない。けどお母様が話した私の未来についてフェイはちゃんと知っているようだった。

 たぶんお父様が話したのだろう。塞ぎがちになった私を心配して年の近かった彼を話し相手にでもと連れて来たのだ。この国の人間でないフェイならば国をも巻き込む未来とは縁付かないと思ったのかも知れない。


 そもそもだ。本来その日お父様によって連れて来られる人物はフェイではなかった。

 お母様の話した通りであるならば、お父様の後妻とその息子が来る予定で、その二人が、私が悪女の道へと進んでしまう一端を担うはずだった。

 でも今に至ってもその影さえない。お父様は今でもお母様を想っているようなので、後妻なんてそれこそまだ当分はあり得ないだろう。

 お母様の先読みの力が外れた。と言うよりも、それに基づき色々と為した結果、未来が変わったということ。

 ならば私の未来にも希望はある。


 だけど。


「お母様との約束通り悪女にはならないし幸せになる努力はする。けれど愛はいらない」


 当然のように答える私にフェイはそれ以上何も言わず、了解と言うように肩を竦めた。


 

 **



 出来れば、引きこもっていることが一番だと思うけれど、端くれとはいえ貴族である以上、社交の場に顔を出すことは義務とも言える。しかもお父様の仕事の相手先ともなれば尚更。 

 すまないね。と、お父様は眉を下げてから商談の場へと向かった。一通りの挨拶を終えた私はフェイと共に会場の一番端へと避難する。

 葉が繁り柔かな影を作るハルニレの下。


「めちゃくちゃ見られてますねぇ」

「………」

「アハハ、遠慮無さすぎて笑える。ちなみに、この前の砂を吐きそうな手紙の主もあの辺りにいます」

「………」


 笑える要素なんて一切ないし、そんなことを教えられても困る。各自様々な思惑を含む不躾な視線の数々に自然に顔が下がる。

 早く帰りたいが、お父様が戻られるにはもう少し時間が掛かるだろう。皆の視線を避け足元で揺れる木漏れ日を目で追っていれば横からフェイの愉しげな声がした。


「――ん、おおっと…、誰か来ますねぇ。勇気ある馬鹿か、無謀な馬鹿か」


 どっちにしても馬鹿なのか。

 その声で顔上げフェイの視線を追う。近付いて来る男がいる。それは余り良い噂を耳にしない人物だ。


「やあ、ルメリア嬢! こんなとこで会えるなんて今日は僥倖だな!」

「お久しぶりです、シャウセマン卿」

「ううん、硬いなぁ。僕と君の仲だ、ジョージと呼んでくれて構わないよ。ああ、それにしても相変わらず君は美しいな!」


 私と貴方の仲? そう言われても他人でしかない。私は口角を少しだけ上げて笑みを作る。このままそっとその場を離れようとしたら腕を掴まれた。


「何処へ行くんだい? 折角会えたのだからもう少し話しをしようじゃないか。さあ、あの木陰の席でお茶でも飲もう」


 そう言ってスルリと腰に手が回りゾワッと寒気が走る。同時に横からも凍えるような冷気を感じて、そちらは視線で制した。だけどまだ若干押さえ切れていない冷気を感じながら、さてどうやってこの場を切り抜けようかと思案していれば新な声が加わった。


「お困りですか? レディー」


 その声の持ち主は柔和な笑みを称えた身なりの良い紳士。 誰だろうか? 私はわからなかったが私の腰にある無遠慮な手の持ち主には心当たりがあるようで、慌てたように手が離れホッと息を吐く。

 紳士は言う。


「シャウセマン卿、私には彼女が迷惑しているように見えるのだが?」

「これはこれは、リッツラント侯爵様。そのようなことは決して。――だろう? ルメリア嬢」


 この助けてくれた紳士は侯爵であるらしい。その侯爵様の言葉を否定し、同意を求めるように圧のある眼差しを私に向けた男。実際、迷惑以外の何物でもなかったのだけど、それをそのまま言っては角が立たないだろうか?

 明らかに今、私たちは会場の注目を浴びている。衆目がある以上、悪女と呼ばれない為に、私は自分の言動をきちんと選び取らなければならないのだが。


「いいえ――、本当に、とても、大変に、あり得ないくらい迷惑ですね」


 私がまごまごとしているうちに絶対零度の声で一語一語区切りながら答えたのはフェイだ。「貴様っ!」と、瞬時に声を荒げた男にフェイは冷たい眼差しを向ける。それに、更に顔を赤くした男は掴み掛かろうとグッと身を乗り出し、制したのは侯爵様。


「落ち着きたまえ、シャウセマン卿」


 窘めるように男に声を掛けた後、私を見た。

 

「……なるほど、君がレディ・ルメリア・フィッシャーか」


 その物言いに私はピクリと肩を揺らした。


 いや…、違う。まだ違うはずだ。

 今はまだデビュタント前だ、私はまだ悪女なんかではない。


 急に顔色を無くした私に、侯爵様はちょっと目を見張り直ぐに困ったように眉を下げた。


「ああ、すまない、他意はないんだ。ただ噂は違えないと思って…。 ――あ、フィッシャー卿がこちらに来るようだよ。じゃあルメリア嬢、私たちはこれで失礼する。 ほらっ、シャウセマン卿行くぞ!」

 

 侯爵様はまだ何か言いたげな男を引きずるように去って行った。入れ代わりに戻って来たお父様は背中を見せた二人と私を交互に見て心配そうな顔をする。それに大丈夫だと答えて私たちも会場を後にした。



 **



 リッツラント侯爵に助けてくれたことのお礼を言うのを忘れていたと気付き、直ぐにお礼の手紙を送ってから数日後。私は侯爵様と向かい合ってお茶の席にいる。

 私に断り切れる程の文章力が無かったか、相手の交渉力が素晴らしかったか。きっとその両方。


「すまないね、強引にお茶に誘ってしまった。私もシャウセマン卿と変わらないな」

「いえ、そんなことはありません」


 私はチラリと背後にフェイがいることを確認してからお茶を一口飲む。流石侯爵家が薦めるサロンの紅茶だ。とても美味しい。

 香りと味を堪能した後、目の前の男に視線を向ける。金髪碧眼、端正な顔の美丈夫である侯爵様は、シャウセマン卿とは違い私に対するギラギラとしたものは感じない。穏やかにこちらに向けられる眼差しに見えるのは多少の好奇心。

 じっと見つめていたら彼はくしゃりと笑った。


「なるほど、これは堪らない」

「堪らない?」

「いやね、私の従兄弟が君のことが好きらしい」

「………そうですか」

「気にならない? 従兄弟は将来有望だよ」

「将来…、ですか…」


 急に声を硬くした私に侯爵は首を傾げる。


「こういう話しは苦手なのかな? 君はとても綺麗だけど婚約者がいるとも聞かないし、浮いた話しも一切ないよね? まぁ、まだ若いってのもあるだろうけど来年にはデビュタントだろ。恋愛には興味がないの?」


 幾分砕けた口調で告げられた内容に今度は表情さえも硬くなる。相手に伝わるかどうかはわからないけど。

 そんな私を見て侯爵様は眉を下げた。


「すまない、またいらないことを言ったね」


 きちんと伝わったらしい。

 私は首を振って少しだけ視線を下げる。


「興味がないと言うよりも、必要がないんです」

「必要がない? …恋人が?」

「それを含めた全般の恋とか愛とか全部です」

「ふーん。理由を聞いても?」


 侯爵様の声はとても穏やかで柔らかい。だからちょっと躊躇った後、口を開いた。


「約束、なんです。だから必要がない」


 これではきっと意味なんてわからない。だけど侯爵様は「そうか」と呟く。そして。

 

「ルメリア」


 呼ばれて顔を上げた。


「じゃあ、私と友達になろう」

「………はい?」

「愛情でなく友情だ。私は君に興味があるし、何より美しいものはより近くで観賞したい」

「………はあ」

「どう?」


 私は少し考えた後、侯爵様を見つめて小さく頷く。


「友達、なら?」

「ふふ、ありがとう、ルメリア」


 侯爵様と親しくなること。それは私にとってもメリットがある。手紙を送るにあたってお父様からリッツラント侯爵のことを少し聞いた。彼は社交界でも顔が広く誠実な紳士であると。

 ならばそんな人物の側にあれば悪女だなんて呼ばれないのではないだろうかと思った。

 それを帰りの馬車でフェイに話せば複雑な顔を返された。



「寧ろ逆効果になる気もしますけど」

「どうして?」

「あの人結構モテるでしょう。嫉妬とかされるんじゃないですか? 寧ろ敵意が増えるかも」

「ふーん」

「でもまぁ、ルメリア様を嫉妬の対象として同列に並べることがおこがましいですけどね」

「ふーん?」


 じゃあどうすればいいというのか?

 尋ねればフェイは少しだけ意地悪そうな顔をした。


「ルメリア様が自分で決めたんでしょう。じゃあそれで一度やってみたらいいじゃないんですか。どうせあの侯爵様が相手なら今更無かったことには出来ませんよ、ルメリア様では」


 声に少し険を感じる。これはきっと呆れている? 確かにフェイに確認する前に決めたのは私だけど。

 だけどただ友達になっただけだ。契約でもなければ強制でもない。そこには拘束性なんてないのだから嫌なら嫌と言えばいい。



 **



 嫌なら嫌と言う。そんなふうに軽く思っていた自分を今は罵りたい。

 そんな隙がない。気付いたら向こうのペースに巻き込まれてお茶をしている。何故?

 侯爵ともなれば人心を掌握することが呼吸をするかの如く当たり前のことなのか? ほれ見たことかとフェイの視線が刺さる。

 そして今日も今日とて、侯爵様と向かい合ってお茶をする。

 


「ふーん、なるほど。悪女とならない為に、恋や愛はいらないと」


 いつの間にか内情まで聞き出されてしまってることに驚く。侯爵様の持つ人心掌握術を習得出来れば悪女の未来も回避出来そうだ。現状翻弄されてる側の身では到底無理そうだけど。

 

「占いだっけ? それはそんなに信憑性があるもの?」


 侯爵様は背凭れに身を預け腕を組むと片眉を上げた。

 お母様のことは流石においそれと話すわけにはいかないので私が悪女となる未来は占いで知ったということにした。なので侯爵様の顔にはどうにも信用出来ないという色が浮かんでいる。それはわざと隠しもせずに。

 私だってお母様が言ったのでなければ信じないだろう。でもそれを口には出来ないので「信用出来る筋からの話しです」とだけ伝えた。

 侯爵様はまだ何か言いたげであったけれど、私の表情を見てそこは流すことにしてくれたようだ。


「それで恋愛はいらないかぁ。なんだか本末転倒な気もするけどなぁ」

「本末転倒…?」

「君が恋だ愛だを避けたとしても君が君で有る限り周りはそれを押し付けるよ? たとえ君が望まなくても。甘い蜜の周りにはいくらでも虫が群がる、それは仕方ないことだよね」

「……私が、蜜、ですか…?」

「そうだね。君自身もそこら辺は理解していると思うけど、君はとても可憐で綺麗だ。今はまだ蕾でも後数年すれば大輪の花となるだろうね。それこそ悪女と呼ばれるだろうくらいの」

「………」


 ニコリと笑った侯爵様の顔を表情なく見つめる。

 私が私で有る限りであれば、私たらしめているもの無くせばいいのか。


「ちなみに顔に傷を付けるとかそういうのは駄目だよ。私は君の顔がとても大好きだから全力で妨害するからね?」


 笑顔のままだというのに、侯爵様の言葉に薄ら寒いものを感じて浮かんだ思考はそっと閉じた。口に出してもいないのに何故?

 侯爵様は小さくため息吐いた。


「そもそも君が傷付けば君のお父様もお亡くなりになられたお母様も悲しむよ。君はお母様との約束で幸せにならなければいけないんだろ? 周りを悲しませた先に君は幸せになれるの?」


 それこそ本末転倒だと、口調はとても穏やかなのに侯爵様の言葉は辛辣で正論だ。

 だからと言って私が蜜で有る限り群がるものがあるのなら蜜でなくなるしかないじゃないか。

 そんな考えが伝わったのか侯爵様は緩く笑う。


「だから君のお母様は愛する者を作れと言ったんだよ。ただ一人、唯一の。群がる奴らなんか蹴散らすくらいの確固たる愛があればいいんだ」

「………」


 私は小さく唇を噛む。

 お母様が最後に残した言葉、侯爵様が言ったことの意味、今ならわかる。

 だけどそれは大切な人を危険に晒すことの免罪符でしかない。愛だから。愛してるから。


 それならば愛なんていらない。

 

 いつものようにそれを口にしようとしたのに言葉にならず。さ迷った私の視線が答えを求めるように後ろを向いた。そして止まる。いつも必ず背後にいるはずの姿がそこにない。


「………フェイ…?」


 動揺が走る。


「フェイ……どこっ!」


 立ち上がり急に慌てる私に侯爵様が少し驚いたように言う。


「ルメリア、落ち着いて。彼ならちょっと前に席を外したよ」

「何で…っ! ねぇ!フェイ!! どこなの!?」


 侯爵様の説明を聞いても尚更声を上げる私の、その声を聞き付けたフェイが向こうの方から駆けて来た。


「ルメリア様…? どうしたんですか? 珍しくそんな大きな声なんて出して」

「勝手に…っ、……何で勝手にいなくなるのっ」


 動揺を落ち着けるように一回呼吸挟んでから非難を口にする。


「ああすみません。ちょっと気になることがあって…。歓談中だったんでそのまま席外しちゃいました」


 のほほんと答えたフェイを眉を寄せて見る。

 そんな私にフェイは小さく笑って眉を下げた。


「……もう帰りますか?」

「………」


 尋ねるフェイに無言のままコクンと頷き、振り替えれば唖然とした顔の侯爵様がいる。そうだった…。

 唖然顔の侯爵様に私は何事もなかったように軽く膝を引き頭を下げた。


「すみません、お見苦しいところを。侯爵様、申し訳ありませんが今日はここのまま失礼させて戴きます」

「…あっ、ああ…。 ……――あ、ルメリア」


 帰ろうと向けた背を呼び止められて振り向く。


「……何か?」

「あっ、…いや――、」

 

 呼び止めたはずなのに、侯爵様は困ったような顔で言葉を詰まらせた。


「………」

「……侯爵様?」

「…君は……」

「はい」

「………」


 暫しの沈黙の後、侯爵様は俯いて深いため息を吐いた。そして上げられた顔は困り顔のままであったが。


「友情だってある意味一種の手段だからね」


 と、笑って言った。



 **



「どういう意味なんだろう…?」


 帰りの馬車で零した呟きをフェイが拾う。


「他に何を言われたんですか?」

「え?」

「リッツラント侯爵に」

「ああ…。本末転倒だって。私が私で有る限り無理だって。蜜に虫が群がるのは仕方がないらしい」


 大分はしょったけれども伝わっただろうか。よくわからないが、「なるほど」とフェイは不機嫌に鼻を鳴らした。


「あ、それと私の顔が好きなので傷は付けるなって」

「――は!? どういうことですか!? そんなの当たり前でしょう! 旦那様だって俺だって全力で止めますよ!」

「だよね」

「ですね」


 フェイに冷たい目を向けられて気まずく視線を逸らす。そのまま馬車の窓から外を眺めた私にフェイの軽いため息と声がする。

 

「ルメリア様は旦那様が好きですよね?」

「そりゃあお父様だもの」

「じゃあ、それは愛情ではないんですか?」

「……違うわ」

「じゃあペットのリリベルは? メイドのマリアは? フィッシャー家に仕える人たちは?」

「……みんな好きだけど愛じゃないわ」

「へぇ、そうですか? でも俺はルメリア様が好きだし愛してますよ?」


 私はゆっくりと視線を戻した。


「……何それ、嫌味?」


 フェイは苦笑を浮かべる。


「強情ですねー」

「………」

「それと、俺割りと特殊なのでそう簡単に死にませんから」

「………何、急に?」

「いえ、別に」


 澄ました顔で答えるフェイを睨む。

 表情筋があまり動いてなくても従者であるこの男は私が腹立たしく思ってることはわかってるはずだ。何故私がそう思うかも。

 今はまだマシになっても私の中の悪夢は消えていない。大切な人の顔は、その愛は、悪夢へと変わる。

 耳元で消えた鼓動、二度と開くことのない瞳。だからこれは愛ではない。


 夜中にうなされて飛び起きる私を、いつも宥めてくれていたのは、震える私に何も言わず寄り添ってくれたのはフェイだろうに。

 私の心の安寧の御守り。それなのにフェイがそんなことを言うなんて裏切りに等しいと思う。さっきも勝手にどっか行ってしまうし。

 そう文句を言えばフェイは呆れたような困ったような何とも言えない顔をした。


「いや…、ちょっと駄目そうな雰囲気の奴が見えたんで……、っていうかルメリア様って俺のこと好きですよね?」

「そりゃそうよ、フェイだもの」

「それは愛ではないと?」

「違うわ」


 言い切ればフェイは苦笑いを零す。「そこまでくれば強情というより呪いですねー」と言う声を聞きながら私はまた馬車の外へと視線を向けた。



 **



 炎が夜空を焦がす。

 ああ、何て美しい光景だ。


 私の心はきっと凍りついている。

 美しく清らかで綺麗な。恋を歌い、愛を請い、幸せを望み。それに寄ってもたらされるきらびやかなものたち。その全てが私の中では何の意味も成さない。

 唯一、琴線に触れるものは、そんな綺麗なものから見捨てられた黒く汚れた、ドロドロとしたとても原始的な感情たち。

 愛を語られるよりそんなものの方が余程心に訴えかける。だとしても私の心を溶かすものではないけれど。

 

 黒い空が炎によって藍色に染まる。熱風が私の髪を舞い上げる。その髪の先。指先。足元から。私は炎に染められてゆく。

 炎は私の凍った心臓をも燃やす。それは等しく、地上にあるもの全てを燃やす。

 綺麗なものも汚いものも悲しいものも楽しいものも等しく全て。


 紺碧に踊るオレンジ。ただそれだけ。


 ああ――…、なんて、美しい世界。



 **



 朝から気分がすこぶる悪い。夢見が良くなかったせいだ。しかもその内容を覚えていないところが尚更気持ち悪い。なので気分転換にフェイと出掛けることにした。


「これフェイに似合うと思う」

「はあ」

「髪も目も黒いから赤が映えると思うの。ピアスの穴あるでしょう? これなんてどう?」

「はあ、いや、まぁ…。――じゃなくて、そういうのは男の俺よりルメリア様の方が似合いますよ」

「でもこれはフェイの方が似合うと思う。それに私がきらびやかな物を身に付けるのは…」

「うん、確かにヤバいですね」

「ヤバい…?」


 輝石の付いた大ぶりなイヤリングを耳に宛がってみた私にフェイが真顔で言う。

 フェイも時折お母様と同じ、よくわからない言い回しを使う時がある。東の国の言葉なのだろうか。

 何にせよ私はなるべく目立つ装いも行為も避ける方向性なのでイヤリングは元へと戻し、赤いピアスを購入すると無理やりフェイに押し付けた。

 フェイは仕方ないという顔で、でもその場でピアスを着けてくれた。 ほら、やっぱりとても似合う。

 フェイの耳元で揺れるピアスを見ていたら少し気分が良くなったので次へ向かう。

 何をするわけではないけど街をブラブラとするのは楽しい。小物屋でコサージュを見て、文具屋で便箋を選ぶ。広場に出ていた見世物を少しだけ覗き、お腹がすいたらフェイが何処かから買ってきてくれた軽食を隠れて食べた。

 だけどそろそろ視線が集まりだしたので帰ることにする。


 辻馬車を拾おうと停車場へと向かう途中一台の馬車が横に停まった。


「やあ、ルメリア」


 その馬車から顔を出したのはリッツラント侯爵様。私は驚きながらも挨拶をする。

 

「ご機嫌よう、侯爵様」

「うん、君も。しかしやたら視線を集めている人がいると思ったら…。帰るところなら、よかったら送ろうか? 私の用事は終わったとこだし」

「いえ、でも…」

「ああ。そうだね、彼は御者台の方に乗って貰うことになるけど」


 侯爵様の乗る馬車は二人乗りで、彼、とはフェイのこと。私はフェイを振り返る。フェイは口元だけで「側にいるんで」と告げた。私が躊躇った理由をきちんと理解して。

 さっさと御者台に乗ってしまったフェイの姿は馬車の窓越しに確認出来る。私は小さなため息を零してから侯爵様の招きに応じた。


「……迷惑だったかな?」


 申し訳なさそうな声が聞こえて横を向けば、その通りの顔の侯爵様。


「いえそんな。お申し出はとても有難かったです。ただ、今まで色々とあったもので。身内以外との密室は…、」


 侯爵様が今までちゃんと紳士であったことは確かで、それなのに失礼にあたるかと少し言い淀めば、「ああ、なるほど」と納得した声が返る。


「そうだよね。寧ろ今までよく無事だったよね」


 と、今度は感心されてしまった。だけどその感心はあまり嬉しくない。


「でも言うほど無事ではないですよ。誘拐行為はよくありました。だけどフェイが未然に防いでくれたり助けてくれたりしたので何とかなってきたんです」

「へえ…、彼が」


 侯爵様が意外そうな顔で外の御者台へと視線を向けた。


「フェイは強いんですよ。侯爵様より細身で小さいですけど強いんです。愛だとか恋だとかそんな有り難くもない行為で私を攫おうとする人間なんて簡単に伸せるくらいには」

「ふふ、そこはやっぱりそう言う意見なんだ」


 と、こちらへと視線を戻した侯爵様は瞳を細める。


「だけど彼のことになると急に饒舌だね?」

「そう、ですか?」

「あー…、んー、どうだろう」

「……?」


 自分から振ったくせにはぐらかすような答えを言うとはどういうことだ。怪訝な顔を向ける私のことなどひとつも気にすることなく侯爵様は話しを続ける。


「ルメリアは彼のことが好きなの?」

「フェイですか? それはもちろん」

「即答だね。でもそれは愛ではないんだ?」

「ええ、もちろん」


 躊躇うことなく答えた私に「なるほど、こっちも即答か」と笑う。

 この前フェイとした会話とほぼ同じ内容に私は窓の向こうのフェイを見た。聞こえているのかどうなのか。馬車はゆっくりと進んでいるし外の喧騒も聞こえているのだから馬車内の私たちの会話も聞こえてはいるだろう。

 この手の話しはあれからフェイとしてはいない。だって何度聞かれようとも私の答えは同じだ。私がフェイを大事だと思う限り、フェイが私を一番に思う限り。


 不意にカクンと馬車が止まった。

 到着ではない、まだ街中だ。侯爵様が窓から顔を出す。


「どうした?」

「事故か何かでしょうか? 完全に詰まってますね。暫く掛かるかもしれません」

「そうか」


 御者と侯爵様のやり取りを聞いていたら私側の窓がココンと鳴る。フェイだ。


「ちょっと前まで行って状況を見てきますよ。時間が掛かりそうなら歩いて別の馬車を拾った方が早いかもしれませんので」

「大丈夫?」


 フェイは笑う。「ただ見てくるだけです」と言って侯爵様を見た。


「ルメリア様を宜しくお願いします」

 そう言い残して混雑する人の波に消えたフェイの姿を私は窓から追う。


「ルメリア、余り身を乗り出すと危ないよ」

「――あ、…はい、そうですね」


 窘める声に体を元に戻せば苦笑を浮かべる侯爵様と目が合った。


「彼が居ないことが心細い?」


 口調に僅かな揶揄を感じる。私は少しだけ顔を俯けた。


「………かもしれません。 お母様が亡くなってからは、フェイがいつも側にいたので」

「…なるほど、そういう攻め方ね…」

「え?」

「いや、こっちの話しだよ。それより、ルメリア、君は――」


 バンッ、ガタンッと、大きな音がして馬車が揺れた。

 話しを止め直ぐに外を確認した侯爵様は、いつもとは違う幾分怖い顔で振り返り私を見た。


「ルメリア、私はちょっと外に出るから、出たら直ぐに鍵を掛けて。そして私か、君の従者が来ない限り扉を開けては駄目だよ、分かったね?」


 その真剣な顔によくわからないまでも私はコクリと首を縦に振る。それに、侯爵様は少し表情を緩めて同じように頷くと外へと出て行った。

 私は言われた通りに直ぐに鍵を掛ける。渋滞の影響か外の人だかりはさっきよりも増えていて、その人混みに紛れるように見え隠れする侯爵様が見えた。

 何か…誰かを追っている? 御者台の覗き窓からは御者の姿も見えない。

 私はまた席に戻りよく見ようと窓に張り付く。だけど今は侯爵様の姿も見えないしフェイの姿もない。

 何があったのだろうか?

 不安が一気に押し寄せる。フェイを探しに行こうか、それともここに居るべきだろうか。


「…………フェイ…、」

 

 早く戻ってきて。私を一人にしないで。

 呟きが私の手を扉へと誘う。扉の鍵に手を掛けたところで、ガクンと、再び馬車が動いた。しかも早急に。

 この人混みだ、当然ながら周りからは怒号と罵声が飛ぶ。だけどそんなことなどお構い無く、馬車は方向を変えようとする。馬の嘶きと揺れる馬車。私は座席へと倒れ込みながら御者台へと視線を向けるが、そこに座る男は先ほどまでの御者とは違った。


「――うるさいっ!! どけっ! 邪魔だ!!」


 御者台から声を荒げる男。


「……シャウセマン…、卿……」


 私の口から零れた声に、御者台の男――シャウセマン卿は、こちらに視線を寄越した。

 

「やあ…、ルメリア嬢」


 血走り濁った目が私を捉えた。ゾワッとした感情が背を走る。それは恐怖と、もうひとつ別の――。


「怯えているのかい?」

「………っ」


 声を詰まらせたのは、確かに怯えから。それは男に対してのものと、こちらに向ける男の視線に、一瞬私の中で沸き起こった感情に対して。

 言葉にするならば、それは愉悦――?


「ははは…、そんな表情の君も良いな。特に僕がそうさせているということが堪らない。あはは」


 男は歪な笑みを浮かべて「もう少しその表情を堪能したいところだが邪魔者が来たな」と、スッと目を細めて私の後方へと視線を流した。

 連られて、その視線を追う。 群衆の中に黒髪の頭が見えた。そして珍しく焦った、その顔も。


「………フェイ……、――フェイ!!」

「ルメリア様…っ!」


 人混みを掻き分けこちらへと駆けて来るフェイに、私はもう一度名を呼んで、思い出し扉の鍵に手を掛けた。

 だけどそれをさせまいと馬車が勢いよく動き出す。

「――あ…っ」

 バランスを崩した私は床へと転がる。けれど直ぐに起き上がり窓へと張り付きフェイを探した。

 周りを押し退け、こちらへとあらん限りに腕を伸ばすフェイ。それはどうしようもないほどに遠く。そしてそんな必死さも無情な群衆の波に流される。


「ルメリア様っ、……ルメリア!!」 


 人混みを抜け加速する馬車。フェイのその声も、姿も離れて行く。


「たかが一介の従者でしかないくせに、主人の幸せの邪魔をしようとするとは愚の骨頂だな」


 馬鹿な奴め。と、私に聞こえるようにわざと大きな声を出したのか、駈ける馬車の騒音にも遮られることなくその声はハッキリと耳に届いた。私は、フェイが飲み込まれた人波の景色から無理やり視線を剥がすと、御者台へと向き直った。


「シャウセマン卿、馬車を止めて下さい。降ります」

「残念ながら、愛しいルメリア嬢の頼みでもそれはできかねる」

「いいえ。頼みではなく命令です。馬車を止めて私の従者の元に戻して」

「―――ふ…、ふふ…っ、あははははっ!!」


 急に上がった哄笑に私は一瞬身を竦める。男はチラリとこちらを見た。


「はは。ルメリア、可愛らしいなぁ。ごめんごめん、あまりにもおかしてくて笑ってしまったよ、驚かせたね。 でもルメリア、この状況で命令と? しかもあの従者の元に戻せと?  …ああルメリア…、本当に、本当に君は愛しくて愚かだ」


 男の声のトーンが変わる。それは低く昏く。


「あの男は…、君の従者でしかないあの男はっ! 何度も何度も何度もっ! 何度も僕の邪魔をしたんだよ? 君と語らい愛を育むことの邪魔をだ!

 主人である君の、その幸せを考えるのであればあり得ない行動だろう? お陰で二人きりになるだけの為に随分と時間が掛かった。

 そしてだ、今やっとこうして二人で居られると言うのに、何故君がその邪魔者の元に戻るなんて馬鹿なことを言うんだ? ――なあ…、愛しいルメリア」

 

 どこか虚ろな目でそう話す男を私は見つめる。 フェイが度々気にしていた人物はシャウセマン卿だったのだろう。そして、馬車の外から聞こえた大きな物音と消えた御者の理由、侯爵様が追った人物も。

 

 私は緩く首を振った。


「シャウセマン卿…、私が貴方と愛を育むことなんて、ない」


 男の横顔が瞬間色を失くす。

 が、直ぐに戻り不自然に口角だけが上がった。


「はは…、何だい? 照れてるのかい?」

「いいえ。 私は、貴方を愛さない」

「………」


 言い切れば今度こそ完全に色を失くした。


「では、リッツラント侯爵なら愛すると?」

「いいえ」

「なら……、…あの従者を?」

「フェイは……」


 脳裏に、腕を伸ばし悲痛に顔を歪めたフェイの顔が浮かび、私はまた緩く首を振る。


「いいえ、愛さない」


 ガシャンという音と共に馬車内に風が舞う。煽られた髪が視界を遮り、強い力で腕を引かれた。

「――なら!」


 男が叩き割ったガラスの向こう、歪められた顔が至近距離に迫る。


「俺を愛せばいいだろう! 俺はこんなに君を愛しているのだから!」


 激情に駆られるように愛を請う言葉を吐きながら、シャウセマン卿の顔には私に対する憎しみが見えた。

 それこそ、愛なんてものよりもそちらの方が余程真実に思える。

 引かれた腕がガラスに触れ、切れたのだろう、ズキズキと痛む。私は眉を寄せ男を見返した。


「私は誰も愛さない」

 


 絡まった二人の視線。それは、男の瞳の中からひとつ、何かの熱が消えたことで逸れた。

 

「…もう、いい。なら君の心はいらない」


 そんな呟きが落ち、掴まれていた腕が外された。男は再び前を向いて手綱を操り方向が変わる。そしてバキッと何かを折るような音がした。


「シャウセマン卿…?」


 よくわからないけれど何かを嫌なものを感じて問いかけた私に、男が寄越した視線は私を通り越して後方へと流れた。


「ああ、やはり邪魔をするのか…」


 男の言葉に、ハッ!と私は振り返る。

 見えたのは一頭の人馬。身軽なそれは直ぐに馬車横へと並び、前で手綱を握るのは侯爵様、その後ろには、


「フェイ!!」


 侯爵様の後ろに便乗していたフェイは私を見て安堵の表情を浮かべて頷く。


「ルメリア様! そちらに移るんでっ、なるべく身を低くして踞ってて下さい!」

「でも、フェイ――」

「はっ、させると思うか!」


 ぐらりと馬車が大きく揺れ、必然的に私は床へと踞る形となった。


「ルメリア様はそのままで! 侯爵、もっと寄せて下さい!」

「君、結構無茶言うよね? シャウセマン卿もいい加減止めたまえ、見苦しいぞ」

「うるさい! 僕とルメリアの愛の逃避行の邪魔をするな!」

「は? 愛の逃避行だ? ふざけんな!! 侯爵!もっと近くに!!」

「はいはい」


 馬車は度々揺れ私は踞るしかなく、やり取りだけが聞こえる。


「ちょっと気付いたんだけど…」

「今忙しいんですが!?」

「いや、でもね、…シャウセマン卿、君もしかして死ぬ気かい?」

「は!?」

「……心を貰えないのならルメリア自身を貰うだけだ!」

「何言ってんだ!?」

「いやさ、馬車の向かってる先がどうも運河の橋っぽいんだよね」

「………は?」

「だから、飛び込むつもりなんだろうね」


「は………―――っざけんなっ!! クソが!!」



 あまりよろしくはないフェイの怒鳴り声が響き渡り、一際大きく馬車が揺れた。

 そして何かがぶつかる音とシャウセマン卿のくぐもった短い呻き声。それが聞こえた後にドサッと大きなものが落ちる音がして、鈍く続いた物音が遠ざかる。


「いやー、お見事」


 後ろに拍手でも続きそうな侯爵様の声に私は伏せていた体を起こした。その見上げた先、御者台に男の姿はなく、肩で大きく息を吐くフェイの姿だけがあった。

 

「……フェイ…、大丈夫?」


 私の声にぴくりと肩を揺らしこちらを見たフェイはバツ悪げに僅かに眉を下げた。


「俺は、大丈夫ですよ、ちょっと自分を落ち着けてるだけです。それより遅くなってすみませんルメリア様」


 私は首を振る。


「フェイはちゃんと来てくれたし」

「怪我…してるじゃないですか…」

「大したことないよ。それよりシャウセマン卿は」

「落としました」

「…落とした」

「大したことないですよ」

「……そう」

 

 ええ。と、フェイはニコリと笑った。その笑顔はとても胡散臭く、フェイらしい過ぎて私も笑った。言うように、後のことなんてきっと大したことはない。

 

「ええっと、まさかこの状況でルメリアの笑顔が見れるとは思わなかったけど…、そのまま行けばその馬車落ちるからね?」


 馬で並走する侯爵様からの指摘に私はフェイを見る。そうだった。

 馬車は御者を失ってもスピードを落とすことなく疾走している。フェイは困ったというように顎に手を当て、その割にはあまり困ってなさそうな声で言う。


「そうなんですけど、ブレーキ壊されてるんですよね」

「馬で止めれるか?」

「どうでしょう? あの男、何かしたんですかね。興奮して我を無くしてる感じですけど」

「おいおい、手詰まりじゃないか。どうする?」

「そうですね、取りあえず馬は解放します」

「は?」

「巻き込んだら可哀想じゃないですか」


 流石の侯爵様も驚いて呆れ果てた顔をする。それは私も。

 

「……おい、何か策があるんだろうな…?」


 恐る恐るという体で尋ねる侯爵様にフェイは先ほどと同じく胡散臭く、なのに朗らかにも見える笑顔を浮かべて、止める間もなく断言したように馬を切り離した。

 これで完全に馬車を止める術は無くなった。そして。

 

「ルメリア様、ちょっと離れて貰えます?」


 唖然とする私にフェイはそう言うと、御者台側の中途半端に割れていた窓を完全に壊し馬車内へと入った。

 見つめる先、フェイは何も言わずに手を差し出し、私は当たり前にその手を取る。

 

「………ねえフェイ?」

「はい」

「どうするの…?」


 尋ねた私にフェイが言う。


「前に、割りと特殊だって言いましたよね」

「フェイのこと? 言ってたね」


 割りと特殊なので、()()()()()()()()()()と。

 それが、消えることのない私の悪夢への慰めであることは知っている。だけどそれを今この場で言うことの意味は?


「………フェイ……?」


 思い当たる予感に問うように名を呼べば、フェイは「失礼します」と言って私を腕の中に閉じ込めた。

 いつもよりも、いつも以上に近くに感じるフェイの匂いと体温。瞬間、胸に沸き上がった感情。だけどそれに戸惑う暇もなく、フェイが馬車のドアを蹴り飛ばし大量の風が入り込んだ。


「証明します」

「え?」

「愛してます、ルメリア様」

「フェイ――」


「―――落ちるぞ!」

 侯爵様の声が飛ぶ。


 私はフェイを見上げ、

 フェイは私を見下ろす。

 瞳に映るのは互いだけ。


 私はフェイの愛の言葉を受け入れない。

 だけど。


 一際大きく馬車が跳ねた。

 放り出されたそこは、空。一面に広がる蒼穹。静かで美しい世界。

 フェイが全身で私を抱きしめる。フワリと浮いた後、落ちてゆく体。

 

 だけど――、


 もし、これで終わりだとしても、

 それはそれで幸せと言えるのでは?



 空の青に目蓋を焼かれた私はフェイの腕の中でぎゅっと目を閉じた。



 **



 運河に落ちた私たちは、侯爵様の迅速な対応で直ぐに引き上げられた。

 私は全くの無傷であったが、フェイは肋骨が折れ水も飲んだようで引き上げられた時には意識がなかった。 その後直ぐに意識を取り戻したフェイだったけれど、確実に私の悪夢を増やしたことをきちんと反省して欲しい。


 なのに今日もフェイは私に愛を囁く。


「折れた骨を三日間で治したのもルメリア様への愛の力です」

「………」


 私は無言でフェイに半目を向ける。確かに一昨日、著名なお医者様を連れて見舞いに来てくれた侯爵様も驚いていたけれど。「骨が流石に三日で繋がるってのはちょっと…」と言っていたのでどちらかと言えば引いていた気もする。


「無理してるでしょ?」

「本当に治りましたよ。なんならお姫様抱っこでもしましょうか?」

「お姫様……何?」

「抱っこ、です。しますか?」

 

 よくわからない言葉ではぐらかそうとしているのか。ニコリと微笑み両腕を広げるフェイを見つめ私は緩く首を振った。そしてわざと素っ気なく言う。


「いらない」


 その意味はわからなくてもフェイが示した動作で何となく私があの腕に囚われる行為であることはわかった。抱っこだし。

 感情があまり顔に出ない体質で良かったと思う。急に跳ね出した心臓の音までは聞こえないはずだ。「残念」と呟くフェイの声が本当に残念そうに聞こえたのは気のせいだと思うことにする。


 私はレディ・ルメリア・フィッシャーで、悪女にならない為には愛を拒む。

 でもお母様の約束を守る為には幸せにならねばならない。

 それが前提で、そして最近気付いたこと。私の、その幸せの為に必要な一番の要素は。


「フェイ、ずっと側にいてね」


 私の言葉にフェイは細い切れ長の目を見開き、でも直ぐに緩めると「もちろん」と答え、今度は少し意地の悪い顔をする。


「ルメリア様、それって愛なのでは?」


 なので私は微笑んで答える。


「違うわ」



 ***



 俺の目の前で光を掲げる――、物理的に発光しているので最早光る人型である存在は、自分のことを神様だと言った。


「え~っと、じゃあ、探索冒険系で美人なお姉さんウハウハは要素は入らない、っとね。 …いや、勿体無い」


 俺は俗物的な発言をする自称神様を細い目を更に細めて見る。実際に眩しいし。


「それと、過剰なスキルもいらないと…、初期設定は死なない程度にそこそこで、鍛えて上げるかたちで。オプション設定はフルの上限は無しと。うんまぁ、それでも充分過ぎるスペックだから大丈夫でしょ! それに容姿も今と違和感ないようにねー…。ムキムキイケメンにも影のあるイケメンにも爽やかイケメンにもなれるのに」


 やたらのイケメン押し。この状況に置かれた人たちが選ぶ選択に苦笑が浮かぶ。


「それで後、欲しいのが『運命の人』だっけ? 何だか急にそこだけホワッとしたよねー」

「まあ…、自分でも漠然としてるものなんで。ただそういう存在がいたら励みになるかなぁって」

「ふーん?」


 あまり興味が無さそうに、発光する神様は頷くとタンッとタブレットのようなものの入力を終えた。

 そして弾き出された物語たちが、俺がこれから転生する世界らしい。

 そう、所謂アレ。


 じゃあ、後は適当に選んでね。時間もあるしと、神様は更に光を放ち一旦消えた。

 紙媒体、映像媒体エトセトラ。改めて、そうか俺は死んだのかと、然程驚くこともなく置いていかれたそれらを眺める。

 自分が死んで悲しむような人も居なければ、悲しますような相手もいない。心を残すものがひとつもない人生だったのだと流石にちょっと呆れ、寂しくも感じた。


 だから今度は、新たに始まる人生の中にひとつの色が欲しかった。絶対的なもの。運命だと、思える人。

 別に人で無くても良かったが、それの方がわかりやすい気がした。


 何件か行き先の見当をつけたところで面倒くさくなりゴロリと転がった。伸ばした手の先が一冊の本に当たり指先が何となくページをめくる。

 その手が止まった―――。


 目が釘付けになる。

 ゆっくりと身を起こして、慎重にページを開けた。

 それはただの挿し絵。でしかなかったのに、俺の心は完全に奪われた。

 炎の中で微笑む少女は、息を飲むほどに美しかった。


 ああ――、これが、いい。

 彼女がいい。 彼女だけが。



「神様! 決めた!」


 やたら弾んだ声で神様を呼べば、発光した人型は直ぐに現れた。そして勢いよく渡した本を受け取ると、その表紙を見て少し首を傾げた。


「『レディ・ルメリア・フィッシャーの最期』?」

「これがいい」

「ええ? でも君が言ってた探索とか冒険要素なんてこれっぽっちもないよ、これ。どっちかというと恋愛ものだよね。間違って混ざってたんじゃない?」

「それでも構わない」

「え、何…急に前のめりで怖いんだけど」


 若干引いたような神様をなんやかんやと焚き付け、なんなら脅す言葉も吐きながら俺は彼女が居る世界への転生をこぎつける。


「君のスペックを今更変更出来ないからそのまま送るけど、君の存在ってその世界ではイレギュラーだからね」

 

 そこんとこちゃんとしてね。とぶつくさ言いながらも神様の放つ光が体を包んだ。

 思いの外、わくわくしている。

 あの絵の少女、ルメリアが運命の人だと決まっているわけではない。だけど同じ世界に居れば会えるはずだ。いや必ず会う。それこそ運命でないのならそうしてみせる。


 心に誓って、俺は目映い光に身を任せた。

 


 


 **** 


フェイ × ルメリア


挿絵(By みてみん)

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