たとえば、きみの
たぶん、読んだ本の数であれば、純文学(詩集等含む)、推理小説、SF、童話、ノンフィクション、実用書の順になります。純文学のジャンルがダントツに多いのは確かです。
でも、好きな分野3つということにすると、推理小説、SF、童話ということになります。私の場合ですが、必ずしも読書量と好きの程度は比例しないようです。特に童話は、好きなものを繰り返し読んでいる感じです。推理小説でさえも、好きなものは繰り返し読みます。逆に、社会派やハードボイルド、トラベルものは、ほとんど読みません。
純文学は量を読んではいますが、一つ一つの作品に強い思い入れはないというものが多いのは正直なところです。
その私が詩を書いているのは、我ながら不思議なのですが、長い文章のものを創作するほどのエネルギーがないのかもしれません。しかも、計画性が必要な推理小説や科学の知識が不可欠なSFは創作の論外です。小説の素材になるような体験や経験は乏しいですし、私小説のようなものでは自分が救われません。
それに、あらすじやプロットを綿密に考えて書き始めるほうではなく、ワンフレーズや最初の1行が決まると、そのまま書き連ねて「以上、終わり!」ということが多いので、長文ですと終わりのほうでつじつまが合わなくなる可能性もあります。
ということなどで、詩を書いているのだと思います。
では、なぜ、詩を書くのかと言われれば、いまのところ、よくわかりません。どこかで書いたように、人に話して心を整理していくたちではないので、書き連ねて、できたものを第三者的な視点で見てみる。「なんだ、こういうことか」ということで納得をするといく繰り返しのようにも思います。
今回は、直接は関係ないのですが、好きな文芸分野(推理小説、SF、童話)を素材として詩(?)を書いてみました。言葉あそびの要素が強いので、正直、中身はありません。ただ、私の場合ですが、すっきりと書けて、後味が良いのは、こういった言葉あそびものです。
真面目に、真面目な想いを書こうとすればするほど、どんよりとして、書いたあとも重たい気分を引きずることになります。そういったものも、ちょこちょこと書いてはいますが、投稿しようとしては止めるくり返しでお蔵入りということも少なくありません。
そんな軽い詩ですが、お時間があれば、さらっとお読みいただき、「こんなつまらないことを詩にしやがって」と笑って許容していただけると幸いです。
たとえば、きみの比類なき 魅力は超現実主義
常識を超え、SFの 時間旅行をするように
大人、子どもを行き来する
だから、科学の目を持たぬ 僕の予測を飛び越えて
きみの世界は縦横に 無尽の宙を駆け巡り
やがては、きみの未確認 飛翔体へと囚われた
僕は、幾重の洗脳の 果てに、きみへと恋をする
たとえば、きみの言の葉は ときに飛躍を繰り返し
読み解く僕は、推理小説 作家の文字のトリックを
読者気分で追いかける
伏線潜む行間に きみの気持ちを推し量り
見事、真意を突き止めて みても、作家はきみだから
結末は、すぐに書き換わり 僕は推理をし直して
堂々巡り、メビウスの 輪の上で鬼ごっこ
たとえば、きみの優しさは 影日向なきものだから
広く、遍く行き渡り
童話の中のヒロインの ように思えることもある
「ならば、僕も」と優しさを 表情にして過ごすほど
きみのこころの寛容と 強さばかりを知らされて
揺らめく僕は感情を しかたもなしに詩に乗せ
捨てては、表情の綻びを 繕う日々を繰り返す
本文中の「無尽」は「尽きることがない」という意味です。いわゆる、「頼母子講」のことではありません。都合上、「縦横無尽」の四文字熟語を分断して、多少違う意味にしてしまいました。