3-11 先生の責任
~サブレside~
「だから、危険だと言ったではないですか!」
シナモン先生が声を荒げた。そんなのを聞いたのは、彼と出会ってから初めてのことだった。
シナモン先生は私へは勿論のこと、他の使用人にも、御屋敷に入り込んできた鼠にも、大声を出したことはない。
そんな先生が、私を怒鳴りつけた。事の重大さを実感する。
ここは、埃まみれの薄汚れた部屋。割れた窓からオレンジ色の光が差し込んでいる。部屋の中には冷たくなった大男と、ぐったりと倒れこんでいるジャーキー、フローリングの床に座ってこちらを見つめているショコラちゃんがいた。私とシナモン先生は向かい合って立っている。
気まずい時間が流れた。
「どうして、忠告を聞いてくださらなかったのですか!」
先生の声は震えている。
「今回は、私が駆けつけられたからよかった……。ですが、いつも助けられる訳ではないのですよ!」
先生の青い目がカッと開かれていた。白い眉が上を向いている。色白の肌に伝う汗。
私は、シナモン先生に力強く肩をつかまれた。
「私は、旦那様と約束したのです。何があっても、お嬢様を御守する、と」
話しながら、先生はゆっくりと床に膝を付けた。普段なら目線が合うのに、今日は合わない。俯いているから。
彼が目を伏せる。その目は真っ白な前髪にさえぎられ、見えなくなった。
「もし……。もし、お嬢様の身に何かあったら!」
シナモン先生の肩がわなわなと震えた。
シナモン先生は顔を上げ、こちらに視線を合わせた。目が合う。その瞬間、彼の目から一筋の涙がこぼれた。その涙は夕焼けの光を受け、僅かに七色に輝き、地に落ちた。
衝撃だった。これまで、シナモン先生は感情的になることはなかった。涙を流している所なんて予想もつかなかった。
心のどこかで、シナモン先生は常に優しい笑顔を浮かべていて、何でも許してくれると思い込んでいた。
そんなこと決してないのに。
私は気付いた。シナモン先生の責任に。
先生は、私がショコラちゃんを助けたいと思った時とは比べ物にならないくらい、大きな責任感と使命を抱えているのだ。
私を守るために。私が、辛い思いや怖い思いをしないように。私は、彼に生かされていた。
この街まで来る途中、一度も、危険な野生の魔物や危険な場所には出くわさなかった。
先生が安全な道を選んでいたのだ。私が問題なく街まで移動できるようなルートを、敢えて通っていた。
シナモン先生の気持ちに、どうして今まで気づけなかったのだろう。
どうして、当たり前のことと思っていたのだろう。
「……ごめんなさい」
私は消え入りそうな声で、言った。
先生は答えなかった。
再び、重い沈黙が流れた。
「ちょっと待てよ!」
沈黙を破ったのはショコラちゃんだった。
ショコラちゃんは私達2人にゆっくりと近づいて来た。
「悪いのは、誘拐してきた奴らだろ? サブレは悪くない!
この街で暮らしてずいぶんになるボクだって逃げられなかったんだ。サブレが捕まるなんて当然だよ」
そして、ショコラちゃんは目を伏せ、頬を少し赤くした。
「ボク、生まれてからこんなに人に優しくされたの初めてだった。サブレはホントはすっごくいい子なんだよ。怒らないであげて」
その声は駄々をこねている子供みたいな、可愛らしい言葉遣い。でも、彼女の声からは、確固たる意志がハッキリと伝わってきた。強い声だ。
ショコラちゃんは、真っ直ぐにシナモン先生を見つめていた。
暫く俯いていたシナモン先生だったが、大きく息を吸うと、ゆっくりと顔を上げた。
「……そうですね。お嬢様を頭ごなしにしかりつけるのは御門違いかもしれません。
お嬢様、失礼致しました」
シナモン先生はこちらにぺこりと頭を下げた。
「ですが、出来るだけ、私を頼ってくださいね?」
シナモン先生はニコリと笑った。その顔はいつものシナモン先生の表情に戻っていた。
こうして、事態は丸く収まった。
でも、私は忘れない。この失敗を。
今度からは、出来るだけシナモン先生の迷惑にならに様に気を付けよう、そう思った。




