第一話 その狐は雪の中にて
「…」
「…?どうした?」
「…何かありましたか?」
マヨヒガの庭に仰向けで寝そべっていると二人…、いや、九尾の狐の藍と猫又の橙が私の顔を覗き込んできた。
「…別に?」
私はふっ、と微笑を浮かべおもむろに立ち上がり、背中と七本の尻尾に着いた土をぱっぱと払い落とす。
「少し昔のことを思い出していただけ」
今じゃ、あの時のことが嘘みたいに平和な毎日を送っている。あの日、あの時。紫様と出会っていなければ、今の私はいなかっただろう。
「さて、そろそろ紫様が帰ってくる。昼ご飯としようか」
「あぁ」
「私も手伝うー!」
藍が橙の腕を引き、私はその後ろを追う。
ひゅうっ、と冷えた風が頬を切った。
そろそろ雪の季節か。火鉢の用意をしなくてはな…
--第一章 白狐--
「凄い、雪ね…」
肌を切り裂かれそうな程冷たい風が吹き荒れていた。オマケに吹雪いている。数メートル先の視界も確保できないほどに。
「はぁ…。なんで私が」
賢者はぼやいた。頭のナイトキャップによく似た帽子に積もった雪を手で払いながら積もった雪を掻き分けるようにして進んでいた。
「ちょうど麗奈が逝ったタイミングで異変が起こるなんてね」
彼女の名は『八雲紫』。この地、『幻想郷』を作り出した本人であり、賢者の一人である。
紫と白のレースを基調としたワンピースに身を包み、その黄金色のロングヘアーを朱色のリボンで何束かにしてまとめている。鋭く何を考えているか分からない深みのあるその紫色の瞳は、あまりの寒さにうっすらと涙が滲んでいた。
「早く帰ってマヨヒガでおこたに当たりたいわー!寒いのは嫌なのよ~!」
賢者らしくないその発言は風の音によってかき消されてしまった。
「けれどまだ小さい霊夢にこの異変を解決できるとは思わないし…」
『異変』。この地、幻想郷にて稀に起こる事件の様なもの。本来であれば、その異変を解決するのは幻想郷の端に位置する『博麗神社』の巫女が解決するはずなのだが…。
その巫女『博麗麗奈』が、数日前に息を引き取った。一応巫女の地位を次ぐ『博麗霊夢』という存在はあるのだが、まだ幼い。実力はあるのだが、その己の実力を過信し過ぎている面があり、今回の異変は紫直々に解決する、という判断に決したのだ。
「さっさと終わらせて帰りたいわ」
今の季節は冬。しかし冬といえど、最近気温が下がり始めたばかりでこんな豪雪が起こるなんてありえない。雪の対策などしていない人里に住む者達は当然混乱しているだろう。
「…っ。雪が強くなったわね」
幻想郷のはずれの森の中に紫が足を踏み入れると、さらに雪が激しくなった。
「どうやら異変の現況は近いみたいね」
さっさと終わらせて眠りましょう、と彼女はこぼし森の奥へと入っていった。
--
「魔力の発生源はこの辺りね」
ぐるりと、目を凝らして周囲を確認する。果たして元凶は誰なのか。あの頭の悪い氷の妖精か?はたまた招かざれる者か?
「そこみたいね」
彼女は一箇所。雪がうっすらと輝いている場所を見つけ、そこへ向かった。
近くで良く見ると、雪が輝いている。というよりかは輝いている何かに雪が覆いかぶさっている。という方が正しいのだろう。
「一体何があるのかしら?」
紫は含みのある笑みを浮かべ、右手を、まるで空間を切るかのように動かした。するとちょうどその空間がぱっくりと割れ、紫色の空間が生まれた。『スキマ』だ。
彼女はその中に手を入れ、一本の扇子を取り出し、それを広げ、光輝く光へと振るった。
すると彼女のその扇子が、風の向きを変え、強さを変え、その雪を徐々に払っていった。
「っ、これは…」
そして数秒後、雪の中から顕になったものは。
白い、狐。
尻尾が七本、白い毛に覆われた白狐だった。
「これが、異変の元凶?」
紫はその狐を掬うようにして持ち上げた。さほど大きな白狐ではない、紫の腕の中にすっぽりと収まる程度の大きさだった。
「とりあえず、隠れ家に連れて行って色々と調べてみましょう」
寒いし。と一言呟き、彼女はまた『スキマ』を作り出しら、今度はその中に己の体ごと入っていった。
--
「さて、と」
掘りごたつに足を突っ込んだまま、紫は空間から白狐を取り出しじっくりと観察を始めた。
「…なるほど、ね。これが異変の原因みたいね」
確かにこの大雪の原因はこの白狐だった。しかし、根本的な原因はこの白狐ではない。
この白狐は元は九尾だったようだ。しかし今ある尻尾の数は七本。元々あったであろう二本の尻尾は引きちぎられ、その周囲には血液が付着していた。他にも全身に様々な傷があり、左目は完全に潰されてしまっていた。
「…どうやら狩りにあったみたいね」
白狐の美しい雪のような毛皮は高く売れるのだろう。おそらくこの白狐は狩りにあい、尻尾と片目を失い命からがらあの森へ逃げ込んだのだろう。
そしてその、狩りにあったという怨念が強い魔力の塊となり、今回の異変を起こしたのだ。
「さて、どうしたものかしらね」
怨念、というものはそう簡単に消せるものじゃない。その対象への怨みを晴らすか、ゆっくりと解消させていくか。
しかし、異変の原因がこの白狐の怨念なのならばすぐにでもそれを取り去らねばならない。
「少し荒療治になるけど、この際は仕方ないわね」
紫は白狐の体に『スキマ』を発生させ、なにやらゴソゴソと腕を動かし始めた。
数時間後。紫が彼女の隠れ家であるマヨヒガの障子を開け放つと先程まで吹き荒れていた雪は止み、陽の光が天から差し込んでいた。
「どうやら、上手くいったみたいね」
彼女は優しい笑みを浮かべ、障子を閉め踵を返した。そして寝室の戸をゆっくりと開け、中で眠っている少女に囁いた。
「今日から貴女は私の式神よ。鈴」