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私が愛した少年

作者: 山田マイク


 仕事場から家に帰る途中に高架橋があり、その下に今はもう使われていないトンネルがある。

 通行量が減り、封鎖された廃トンネルだ。

 入口はブロック塀で閉じられて、今ではもう中を覗くことも出来ない。


 私は定期的に、その袋小路に足を運ぶ。

 誰もいない殺風景な景色を確認するために、そこへ行っている。

 何かを期待しながら、或いは何もないことに安心しながら。

 

 §


「サキさん、じゃあね」


 少年はそう言うと、私の鼻先にキスをして微笑んだ。

 繋いでいた手を離し、踵を返して駅の方へ向かおうとする彼を、私は「ちょっと待って」と呼び止めた。

 

「なに?」

「今度、いつ会える」

「どうかな。そろそろ学校は真面目に行っとかないといけないし」

「じゃあ、来週の日曜日」

「うん。いいよ」


 少年は白い歯を見せて、にこりと笑った。

 乾いた風が吹いて、長い前髪が揺れた。

 

「じゃあね」


 私は手を振った。


「じゃあ」


 少年は今度こそ行ってしまった。


 私は人混みに紛れて見えなくなるまで彼の背中を見ていた。

 胸の奥がじんわりとして、幸せだった。

 寂しさはあったけど、私はこの時間が嫌いではなかった。

 また会う約束をして別れる瞬間。

 それはまるで、私たちが恋人であるように錯覚させてくれるからだ


 私とハルトが知り合ったのは半年ほど前だった。

 

 ある夜。

 会社帰りに通る高架下で、ブレザー姿の少年が座り込んでいた。

 人気のないトンネルだったので、若者が隠れてタバコでも吸っているのかと思ったがそうではなかった。


 彼は口から血を流していた。

 よく見ると胸元は大きくはだけており、明らかに何者かに襲われた後だった。


「どうしたの」


 私は聞いた。


「別に」


 口元をぐいと拭い、彼は立ち上がった。

 それから少しよろめいた後、私の家の反対方向に向かって歩き出した。


 だが。

 彼は少し歩いたところで立ち止まった。

 それから髪を整えるような仕草を見せ、服の袖で顔をごしごしと拭いた。


 そうして振り返ると、スタスタと歩いて私の目の前までやってきた。


「お姉さん、お金ある?」


 少年は言った。


 私は身を固くした。

 恐喝されると思ったのだ。


「おっと、誤解しないで」

 少年は言った。

「脅してるわけじゃないんだ。ただ、俺、金がなくて」


 私は身構えたまま、「どういうこと」と聞いた。

 すると彼は優しく微笑んだ。


「お姉さんさえよかったら、俺と一晩、遊ばない?」

「遊ぶ?」

「うん。5千円くれたら、どんなことでもやるよ」


 その時、外灯に照らされた顔を見て気付いた。

 この少年、ゾッとするほど美しい顔立ちをしている。

 私は息を吞んだ。

 

 そして――思っていたよりずっと若い。


「あなた、いくつ?」

「13。もうすぐ誕生日」


 私は僅かに目を大きく開いた。

 13歳で、こんなことをやっているのか。


 私は財布を取り出して、その中から5千円札を取り出した。


「はい」

「ありがと。あ、一応言っとくけど、これ半額ね。最初だから」


 少年は言いながら、それを無造作にポケットに突っ込んだ。


「じゃ、どこに行こうか。安いホテルならいくつか知ってるけど」

「行かないわよ」

「え?」

「行くわけないでしょ。そのお金はあげるから、家に帰りなさい」


 言って、私は踵を返して歩き出した。


「そういうわけには行かないよ」


 少年はすぐに追いかけてきた。


「ただでお金をもらうわけには行かない」

「気にしないで」

「そんなこと言わずに。あ、それとも、お姉さん年下は嫌い?」

「あなたね、私を犯罪者にしたいわけ」

「あはは。そんなこと気にしてんだ」


 少年は小走りで私の前に回り込んだ。

 仕方なく、私は足を止めた。


「大丈夫だって。一回セックスしたくらいでバレるわけないし」

「やめて。興味ないんだから」

「いいから。絶対、後悔はさせないよ」


 少年は笑った。

 

 とても無垢で爛漫な笑顔だった。

 でもきっと、それは彼の顔が整っているからそう見えるのだ。

 この子は、自分の“価値”を知っている。

 そして――


 私の心も見抜いている。


「……ホテルは私が決めるわ」


 私は言った。

 うん、と少年は親指を立てた。


「それでいいよ」


 その日から、私はハルトにハマった。

 若い肉体は信じられないほど甘美だった。

 細くしなやかな筋肉は、ただ触れているだけで快感だった。


 彼は本当になんでもしてくれた。

 私が望めば嫌な顔一つせず、足の先からうなじまで丁寧に愛撫してくれた。


 だが、肉体的な快楽よりも、私は彼との疑似恋愛の方に耽溺していった。

 少年は優しかった。

 ことを終えたあと、ベッドの上で、私のとりとめのない話をいつまでも聞いてくれた。

 

「大変だね、サキさんは」


 ハルトは私の目を見ながら、天使みたいに笑いながらそう言うのだった。


 彼の言葉は本当だった。

 何度逢瀬を繰り返しても、世間にバレる気配はなかった。

 私は段々と大胆になった。

 昼間から堂々とデートをした。

 手を繋いだり、腕を絡めて歩いたりした。

 バレたら人生終わり。

 職場を首になり、親には勘当されてしまうだろう。

 頭の片隅では分かっているのにやめられなかった。

 ふわふわとして、夢のような日々であった。

 デート代はすべて私が払った。

 セックスを終えると、一万円払った。

 彼はそれ以上のお金は欲しがらなかった。

 いつもより多く渡そうとしても、絶対に受け取らなかった。


 彼はスマートホンを持っていなかった。

 連絡用に私が買い与えようとしたけど、それも断られた。

 基本的に週に2回、会うことに決めていた。

 その前日に公衆電話から着信があるので、それでデートの待ち合わせを決めた。

 次の予定は日曜日。

 今週はこれで3度目だ。

 時々、今回のようにいつもより多く会うこともある。


 ハルトは私の話を聞くばかりで、自分の話は一切しなかった。

 あの夜、何をしていたのかも話さなかった。

 私も聞かなかった。

 この恋愛は偽物なのだと理解していた。

 だからこそ、これだけ楽しいのだ。

 彼の全てを知ってしまったら、全てが壊れてしまうような気がしていた。

 だから、タイムリミットがあることは、私もなんとなく気付いていた。


「ごめん。明日はいけないかもしれない」


 日曜のデート前日。

 ハルトから電話があった。


「でも、俺もサキさんに会いたい。死ぬほど会いたい。だから、行けたら行くよ」


 私は「待ってる」とだけ伝えた。

 思いつめたような声音に、胸の奥がざわついていた。


 日曜日になり、私は待ち合わせ場所へ行った。

 だが、ハルトは現れなかった。

 私は夜になっても駅前公園から動かなかった。


 家に帰ってテレビをつけた。

 ローカルチャンネルのニュースで、隣町で殺人事件が起こったことを知った。

 殺されたのは35歳の会社員。

 容疑者は中学2年生の彼の長男だった。

 直感的に、ハルトだと思った。


 名前は出ていなかった。

 容疑者が少年だからであろうか、被害者の詳細な情報も伏せられていた。

 テレビ画面を見ながら、私はハルトがなぜ、自らの素性を明かさなかったのかを悟った。

 その日から、ハルトからの連絡は途絶えた。

 事件は少し話題になったものの、すぐに新しいニュースの波にさらわれて消えてしまった。

 事件を調べることはしなかった。

 夢は覚めたのだと思った。


 §


 月日が経ち、私には新しい彼氏ができた。

 彼は私と同じ地方公務員で、私にはもったいないような真面目な人だった。

 きっとこの人と結婚するんだろうなと思いながら、私は平穏な日々を暮らしているのだった。


 でも、毎週日曜日になると。

 私は今でも、あの廃トンネルへと足を運んでしまうのだ。



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― 新着の感想 ―
[一言] 自分が13歳の頃を思い浮かべました。 ハルトくんがどんな気持ちで主人公と逢瀬を重ねていたのかを思うと、胸が詰まります。 読みやすかったです。それゆえに上手く感想が書けずもどかしいけど、一人…
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