かなーしみのー
「どいて」
「え?」
「そこをどいて!」
怒気を含んだその声に、思わず梨奈もビクッと反応し
慌ててベッドから降りる。
「出てって。もう二度と兄さんに関わらないで」
京香が梨奈を思い切り睨む。
その目は俺が今まで見たことがないくらい、鋭かった。
「す、すいません」
「いいから出てってよ。あなたを見てると不愉快」
京香にそう凄まれ、梨奈はおびえた様に病室から出て行く。
俺は、すごい剣幕の京香に驚いて声も出なかった。
元々京香は怒ったこと自体あまり無い、おとなしい奴なのだ。
怒ったとしても、相手を怒鳴るなんて事はこれまで一度もなかった。
一体、何でそんなに怒ってるんだ。
ギターの時に何かあって、梨奈が嫌いになっていた、とか?
いや、梨奈も相手に喧嘩を売るような奴ではない気がする。
では、俺が梨奈に取られそうだと思って嫉妬した?
いやいや、京香は自分で俺のことを「異性として好きなわけじゃない」と
前に断言していた。
いまいち理由がわからない。
が、異常事態であるのは間違いないだろう。
俺がそう考えていると、京香が唐突に、俺に「ねえ」と呼びかけた。
「私よりも、あの子が好きなの?」
「……どういう意味だ」
「異性として、女の子としてって意味」
異性として?
頭の中で京香の問いかけを反芻する。
だが、わからない。こんな質問をなぜ投げかけてくるかが。
京香は俺の事が好きじゃないのに、なんでこんな事を聞くんだ。
戸惑いつつも、俺は正直な答えを述べた。
「梨奈とは会って数日だし、お前は妹だから、
異性として好きかと聞かれても、そんな感情はわかないとしか答えられない」
すると京香は下を向き、悲しそうな顔で俯いた。
そしてこちらから目をそらし、顔を歪めてため息をつく。
「そっか。そうだよね。ごめんお兄ちゃん、変な事聞いて」
京香は言い終わると、こちらに背を向けた。
病室の中を沈黙が支配する。
――わからない。どうしてやればいいんだ。
俺が何と言葉をかけていいのか迷っているうちに、
京香は無言で歩き出し、病室を出て行ってしまった。
その翌日も京香は来た。
こちらが投げかけた言葉には答えるものの、自分から全く喋る事無く、
ただ終始悲しそうに俺のそばに立つだけだったが。
「お兄ちゃん、早く骨折直るといいね」
「あ、ああ」
このいざという時に、妹にかけられる言葉が出てこない。
何で悲しい思いをしているのか、全くわからないからだ。
結局ろくに話す事無く、京香はまた帰ってしまった。
*
「――この、馬鹿やろおおお!!」
「ぶべらっ!!……ビンタはひどいだろ!」
俺は病室で、玲奈と京香の事について相談していた。
「そこでうまい事慰めなきゃ駄目でしょうよ!」
「え、でも何で悲しそうなのかわかんないし」
「それでも何とかするのが、男の役目なのよ!」
「むう」
確かに、それはそうかも知れない。
もし俺に女性経験が豊富にあれば、
京香の気持ちも少しはわかってやれて、うまく言えたのかな。
「何落ち込んでるの。そんな暇なんかないわよ。
あんたには今から、これで女心を勉強してもらうから」
玲菜がそう言って俺の前に差し出してきたのは、
大量の恋愛小説の山だった。
「これを読んで勉強するのか」
「そうよ」
所詮物語じゃないか。果たして役に立つのだろうか。
そんな訝しげな俺の表情を見て、玲菜は肩をすくめた。
「少なくとも、ただの童貞でいるよりは経験が身につくはずよ。
付き合ったこともないのに効果を疑うのは、はっきり言って馬鹿よ」
うっ、確かにそうかも。
納得した俺は玲菜に礼をつげ、その本たちを読み始めた。
*
玲菜が帰った後も、一心不乱に俺は本を読み続けた。
俺は恋愛マスターになるぞ、諸君!
本を開くと、ものすごい量の情報が波のように押し寄せてくる。
それをかき分けながら進んでいくと、登場人物たちの心情が
直接こちらの心に伝わってきた。
あと余命が数十日しかない恋人を持った男の苦悩と、
それでも恋人を最後まで幸せにしてやりたいという真摯な思いが。
また違う本では、恥ずかしくて好意を伝えられない
高校生の女の子の悩みが。
諸君も分かっていることだと思うが、本は様々な形で
素晴らしい感情を教えてくれるな。だからだろう。
俺はひたすら面白い本たちを読みふけった。
寝ることも、食べることも忘れて。
そして、翌日の朝が、いつのまにか来てしまったのだった。
恋愛マスターになっているはずの俺の中には、
なぜか素晴らしい本たちの感動しか残っていない。
つまり、空っぽって事だな。
……あれ?これ、あかんやつじゃない?
内容が面白すぎて、勉強しようとしていた事をすっかり忘れていたぞ。
やばいよこれ。RPGでいえば、素手でいきなり魔王に挑むレベルでやばいよ。
ガチリアルだよ。
「お兄ちゃん、おはよう」
うわあああああ!!




