嫉妬
赤い髪のピアスを開けた、同い年くらいの女の子――
実は私は、見てしまった。
その子がお兄ちゃんの病室から出てくるのを。
いかにもギターが弾けそうな、かっこいい女の子。
ねえ、お兄ちゃん。
お兄ちゃんは「高校生くらいの女の子が乗った自転車」に
はねられたんだよね?
もしかして、その子って――
いや。そんなはずないか。
いくらなんでも、自分をひいた相手のお願いを
ただで聞いてあげるわけないもんね。
でも、それならあの赤髪の子は、お兄ちゃんの知りあいなのかな?
公園の時にも違う女の人と一緒だったし、お兄ちゃん自身が気がついていないだけで、
結構モテてはいるのかも。
なんかもやもやするなあ。
私は複雑な気持ちで、乗っていたタクシーの窓から外を見た。
外は朝晴れていたのが嘘のように、どしゃぶりの雨が降っている。
じめじめとした空気が、私の心まで湿らせるようだ。
「もうすぐセタガヤライブホールにつきますよ」
「そうですか。ありがとうございます」
運転手さんの言うとおり、前方には徐々に
大きな市民会館のようなものが見えてきた。
あれが、セタガヤライブホール。
家から少し離れたここは、家族があまり音楽を聞かないのもあって、
小さかった時に一回だけ家族で来たおぼろげな記憶しかない。
タクシーが入口に近づいていくと、黒い傘を差して雨の中にたたずむ人がいた。
顔は良く見えなかったが、背格好からしてあの女の子だろう。
「運転手さん、ここで降ります」
「あいよ」
小銭を出し、料金を支払って車から降りる。
車の外に出るとツン、とした雨の匂いが鼻をついた。
目の前には、赤い髪の女の子がいる。
私は背負っていたケースを手で持つと、その子に話しかけた。
「あの」
「ん?あたしになんか用?」
「このケース、あなたのですよね」
「あ!持って来てくれたのか、ありがと!」
そう言ってケースを受け取ったその子は、
私の顔を見て首をひねった。
「あれ?冬樹さんの妹さん?」
「そうですけど」
「そっか!目の辺りがそっくりだね。
届けてくれてありがとう!」
うれしそうにケースを眺めるその子に、私は少し嫉妬した。
お兄ちゃんの名前も、携帯の番号も知ってるなんて。
それを知ってるのは、私だけで十分なのに。
頭の中に黒い感情がうずまく。
「あの、あなたは兄とどういう関係なんですか?」
「え?」
考えるよりも早く、私はそう聞いてしまっていた。
「冬樹さんから話されてないの?」
「あなたと兄の関係については、何にも」
「そ、そう……」
それっきり、女の子は黙り込んでしまった。
何か、言いたくない事でもあるのだろうか。
私が女の子の顔をじっと見つめていると、
その子はやっと話し出した。
「本当に申し訳ないんだけど」
「はい」
そこまで話すと、その子は息を吸って大きく吐いた。
「あたしが、冬樹さんを自転車でひいたんだよね」
え?
意味が分からない。
加害者のくせに、お兄ちゃんの電話番号を知っていて、
しかも、荷物を持ってこさせようとする?
意味が分からない。
「他には……自転車でひく前には、何か関係が?」
逆に無いとおかしい。
そう思った私に、その子は首を振った。
「無い。面識も無かった」
「じゃあ、何で楽器を持ってきてくれなんて
電話をかけたられたんですか?」
「いや、ごめん、それは……急いでたし、冬樹さんに
頼むしかなかったから……」
ふざけるな。
頭の中で、何かが切れた音がした。
お兄ちゃんにあんなケガをさせておきながら、
お人よしな面を利用して、こき使うなんて。
お兄ちゃんは「俺の不注意が原因だ」と言っていた。
だけどあの傷は、自転車側が相当スピードを出さないと付かない。
きっと、この子がまだ高校生だからと思って優しくしたんだ。
それを――
「あなた、何をしでかしたのかわかってるんですか?」
「え?」
演技か本気か、わかっていない顔をする女の子に
私は冷たく言い放った。
「あなたは犯罪者、なんですよ」
「――ッ!」
私の言葉に、相手の表情が凍りつく。
「あなたは兄に、あんな風にケガをさせ気絶させた上、
その良心をパシリに利用しましたよね」
「……ごめんなさ――」
「医療費の準備、できてますか?」
「ご、ごめんなさい!」
「――準備、いいですね!」
「ひっ!」
私の怒りは収まらなかった。
せっかく仲直りできたから、どこかでピクニックでもしようと思ってたのに。
お兄ちゃんに襲い掛かるのも、それをいなされるのも楽しみだったのに。
お兄ちゃんだって、足が使えなきゃ困る。
全部、あなたのせいで――。
私がおびえる女の子に、さらにたたみかけようとした時。
私の持っていた電話が鳴った。
「もしもし?」
お兄ちゃんからだった。
「どうしたの?」
「いや、なんかいやな予感がしたから、
無事に渡せたかなって思って心配になってさ」
「……大丈夫だよ、ちゃんと渡せた」
「おう。ならよかった。外は寒いだろ。
風邪引かないように、上着ちゃんと着て帰って来いよ」
やっぱり、お兄ちゃんは優しいな。優しすぎるよ。
私はその声を聞いた事で少し落ち着き、冷静に女の子に向き直った。
「あの」
「……はい」
「今後は、兄に自分から関わらないでくれますか?」
「すいません……」
しゅんとして消え入りそうなその子を前に、
私は少し言い過ぎてしまったんじゃないかと後悔した。
そもそも、私自身人に怒るなんてらしくない。
今回こんなにカッとなった原因は、きっと個人的な嫉妬だ。
良くないな。こんなんじゃ、お兄ちゃんにも嫌われちゃうよ。
なんで、こんなに感情的になっちゃうんだろう。
――お兄ちゃんに、この子が少し優しくされてるから、かな。
「それじゃあ、さようなら」
私は心の中の嫉妬を抑え切れず、冷たく女の子に挨拶して
足早にその場を去った。
次回はコメディー回です!玲菜がお見舞いに来ます!