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おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
四章:仮面で奏でし恋の唄(前編)
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第4話 仮面舞踏会(1)


 馬車がゆっくりと進む。様々な人々が集まる。今日はどんな人だって、綺麗な恰好をしていれば城の中に入れる仮面舞踏会だ。正直、布の質感で誰が庶民で貴族かなんてわかる。それでもこの日のために少ない生活費を費やした人だって少なくない。今日だけはどんな人だって無礼講だ。許される。実に思いやりのある舞踏会だと思う。


 思うのだけど、


(……気持ち悪い)


 あたしは馬車から下りて早々、血圧が低くなっていることを自覚した。


 ヒールの靴で踏む赤い絨毯が、恐ろしく見える。目眩がしそうだ。一歩、歩くだけなのに、頭がぐわんぐわんと痛くなる。


 ここは、メニーとリオン様の結婚が祝福された場所。

 ここは、あたし達が捕まって見せ物にされた場所。

 ここは、死刑判決を出された後、改めて見せ物にされた場所。


 恐怖のせいで蓋をしていた思い出が蘇る。この赤い絨毯も、きらきらした会場も、この華やかな風景も、あたしにとっては、恐怖の対象でしかない。


「お姉ちゃん、顔色悪いよ? 大丈夫?」


 鳩の仮面をつけるメニーが、あたしの首元に手を当てた。


「熱はないみたいだけど、具合悪そう…」

「あ、わかった! テリー、緊張してるんでしょう! 大丈夫よ! 私もいるし、メニーだっているんだから! いざって時はママもいるんだし! 大丈夫! 大丈夫!!」


 黒猫の仮面のアメリがわくわくしたように言って、真っ青なあたしの肩を揺すりだす。

 メニーがおろおろして、あたしはアメリを睨みつけた。


(やめろ!! 揺れると余計に気持ち悪くなるのよ!! アメリ!! あたしはてめえを絶対許さない! てめえが馬車酔いしたら同じことしてやるからね! こら! 揺らすな! やめろ! やめんかい!!)


 ママは別の馬車で来ると言っていた。遠くから見守ってるから貴女達も沢山の人と交流してきなさいと言われた、けど―――。


(こんな状態で、話なんて出来ない…。胃がむかむかする。…まさか生理? ちょっと待って。ポーチにナプキンは入れてたはずよ。多分)


 ふーー、と息を吐いて、ざわつく周りの人々を見回す。皆、仮面をつけている。口紅が濃い。一応、あたし達もメイクをしている一員だ。仮面で隠れるというのに、サリアが綺麗にメイクをしてくれたのだ。


(……せっかく綺麗にしてくれたのに、仮面で隠れるなんて勿体ない)


 だがしかし、あたしは非常に気分が悪い。これが仮面舞踏会で良かった。仮面が青ざめた顔を隠してくれる。ふらふらと歩くあたしの肩をアメリが掴みながら、ざわつく周りを見回して歩幅を揃えて一緒に歩いていく。


「うわあ…。楽しみだわぁ」


 アメリがメニーを見る。


「メニー、作法で困ったらいつでも訊いて! この美しいお姉様が横から助言してあげるわ!」

「ありがとう。お姉様。その時はぜひお願いするね」

「テリーは大丈夫?」


 あたしはアメリに振り向く。


「大丈夫に見える?」


 掠れる声で言うと、アメリが眉をひそめてあたしの顔を覗き込んだ。


「先に水でも貰えば? それともトイレに行く?」


 廊下を抜け、会場のダンスホールにたどり着く。あたしはホール内を見回す。二階に広いバルコニーがあるのが見えた。ああ、あそこに行こう。


「あたし、少し風に当たってくる。二人で先に楽しんで」


 メニーとアメリの背中をぽんぽん叩くと、メニーがあたしの手に触れた。


「じゃあ、私も…」

「分かったわ。テリーも早く来なさいね。行くわよ! メニー!」

「あっ…」


 メニーの手が離れていく。不安そうなメニーの目。あたしは、ふー、と息を吐き、メニーにひらひらと手を振った。


「後で合流しましょう。迎えに行くから、先に行ってて」

「…うん、分かった」

「待ってるからね。テリー!」

「ええ」


 人混みの中、二人が中へと入っていく。


(…さて、涼みに行こう)


 人で溢れている二階に上がり、バルコニーへ通じる窓の前でダンスホールを見下ろすと、将軍がマイクの前に立ち、挨拶を始める。


「今宵は、仮面舞踏会にご参加いただき、誠にありがとうございます」


 難しい言葉での挨拶が続き、


「それでは、国王陛下から、皆様にお言葉を」


 叫んだ。


 国王陛下、おなーーーりーーーー!!


 扉が開かれ、この時代の国王陛下が現れた。


(……お若いわね。ゴーテル様……)


 あたしが覚えている国王陛下は、顔には皺が出来ていて、あたしを睨む時の眼差しは、それはそれは、恐ろしくて、目を合わせる度に体が震えた。


(優しい目をしている)


 国王陛下の声が響く。


「皆さん、ようこそ、仮面舞踏会へ」


 酷く、優しい声が響く。


(これが)


 酷く、恐ろしい声に変わるのだ。


 ――この愚か者!!

 ――我が愛しい娘、メニーに跪いて、懺悔するがいい!


(……っ)


 口元を押さえ、胃からこみあげてきたものを出さないように耐える。ごくりと唾を飲み込んで、手すりをぐっと握りしめていたら、国王陛下の挨拶が終わりを迎えた。


「長い話もここまでだ。本日はよく集まってくれた! 今宵ばかりは無礼講だ。大いに楽しんでくれ!」


 挨拶が終われば、会場内は拍手で包まれる。小さなステージの上でオーケストラがクラシック音楽を奏でる準備をする。皆、目が合った人と手を取り合い、知り合いと手を取り合い、ホールの真ん中まで歩き、位置について、音楽が奏でられる。


 そして、舞踏会は始まる。


 食事に目を輝かせ食べる人、飲む人。談話する人。ナンパする人。踊りに誘う人。辺りを見回す人。皆、わくわくしたように、楽しそうに、綺麗な笑みを浮かべる。


 工場時代は、夢にまで見た、城での舞踏会。

 二度目の世界では、二度と来たくなかった舞踏会。


(始まったばかりで、こんなこと思うのもどうかと思うけど)

(……やっぱり来るんじゃなかった)


 扇子で自分を仰ぎ、ぼーっと周りの景色を眺める。


(華やかで)

(どこのパーティーよりも、豪勢で)

(輝いて)

(ぴかぴかしてて)

(きらきらしてて)

(ちかちかしてて)

(目が眩しい)


 ちらっ、と一階のホールを見下ろせば、隅の方で、十人くらいの紳士に一斉に声をかけられている小柄の少女が目に入る。


「あ」


 メニーだ。


「……」


 思いきり顔をしかめて、眉をひそめて、きょろきょろ辺りを見回す。


(アメリはどこに行ったのよ?)


 ダンスをしている人々を見渡す。


(っ、いた)


 あいつ、メニーをほったらかして、背の高いかっこいい感じの紳士と踊ってやがる。


「……あの野郎……」


 また隅の方に目をやると、メニーが丁重に断っている姿があった。


(踊ればいいのに)


 またモテている。

 まだモテている。

 まだ舞踏会は始まったばかりだ。

 これからもっと声をかけられるのだろう。


(ああ、気分が悪い)

(余計に悪くなった)


 紳士が求めているのは、メニーだ。

 仮面をつけていても、10歳のメニーは、非常に可憐で、美しい。


 曲が変わる。

 ダンスする人も変わる。

 食事が運ばれてくる。

 ずっと食べている人もいる。

 いい雰囲気の人もいる。

 クラシックが鳴る。

 アメリがメニーの元へ戻ってくる。

 アメリが促し、紳士がメニーを引っ張るようにステージに連れていき、戸惑うメニーに優しく笑顔を向けて踊り始める。

 その初々しい姿に、見惚れている紳士達が目に付く。


(ああ、メニー)


 嫌でも、目に入る。


(メニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニー)


 嫌でも、思い出す。


(ここは、メニーとの思い出の場所でもある)


 そうだ。


(メニーに苦しめられた場所)


 そうだ。

 苦しめばいい。

 この場所で、困って、戸惑って、泣けばいい。


 あたしは、自然と微笑んでいた。


 戸惑うままのメニーを遠目で見下ろせば、気分が少し良くなった気がした。センスを掴む手の力が強まる。


(せいぜい頑張りなさい。メニー)

(あんたが幸せになるためよ)

(色んな紳士と踊って、ダンスの技術を磨きなさいな)

(ほら、楽しいでしょう?)

(せっかく練習したんだから活用しないと)

(楽しみなさい)

(苦しみなさい)

(苦しめばいい。お前なんか)


 これも意地悪だろうか?

 いいえ、意地悪じゃない。

 ダンスは、将来メニーの役に立つ。

 これは、教育だ。


(って言ってる意地悪かも)


 あたしは、またメニーを虐めているのか?

 あたしは、またメニーを虐めているのか。


(助けることは出来る)

(メニーの横にいてあげて、誘ってくる紳士に微笑んで、断ればいい)

(メニーの手を繋いであげて、一緒にいてあげればいい)

(傍にいてあげればいい)


 そんなこと、あたしがしなくてもいいだろう。ほら、アメリがついてる。あたしじゃなくてもいい。だったら、行かない。ここにいる。

 遠くから、憎たらしくて仕方ないメニーを見ている。


(あたしは意地悪?)


 認めるわ。あたし、意地悪なの。心が狭いの。


(苦しめばいい)

(嫌がればいい)

(ここに来た時点で、お前に構う心の余裕なんて無い)


 今だけだ。


(誰にも、理解出来ないんでしょうね)


 あたしのように意地悪な人は、なかなかいないから。


(あたしの行動、理解出来ないでしょうね)


 ドロシー、見ているなら、後でいくらでも文句を言えばいいわ。


(今だけ)

(今だけ許して)

(あたし、余裕が無いのよ)

(ここにいたくないのよ)


 貴族の義務だと思って来たけど、やっぱり駄目だ。


 だって、足が震えてる。

 だって、体が震えてる。

 だって、顔が真っ青だ。

 だって、だって、

 だってだってだってだってだって、



 このダンスホールが、怖くてたまらない。



(外へ)

(外へ行こう)


 あたしの足が動き出した。


 とにかく、外へ。


 ここには、いたくない。


 こつんと、高さの短いヒールが鳴った。早歩きでベランダに出る。バルコニーは談笑している人達で溢れている。ベンチもあってテーブルも並べられている。料理がおいしそうだ。夜だからムードもいい。

 あたしは人気のいない方へ歩く。奥に進めば、どんどん人は少なくなっていった。


(気持ち悪い)


 手すりに扇子を持つ手を置き、ふーっと息を吐いて、胸を押さえて、吸って、吐いて、ゆっくり呼吸する。


(ああ、駄目だ。過呼吸が起きそう)


 今、過呼吸を起こしてもニクスはいない。助けてくれる人はいない。気分が悪くなった人がいると通報されて、馬車に戻される間抜けになるだけだ。


(ニクス)

(ニクス……)


 友達のニクスの、優しい笑顔を思い出す。


(ニクスがいてくれたら、どれだけ心強いか)

(ニクスがこの会場にいるのなら、気分が悪くてもいくらだって踊れる気がする)


 テリー、一緒に踊ろうよ! ……あ、でも、会場内でじゃないよ。外に出て、内緒で踊ろう?


 ニクスはいない。

 ここにはいない。

 この街にはいない。

 ニクスは既に引っ越した。


 だからもういない。


「……」


 孤独で、一人で、気分が悪くて、


(とてもダンスなんて出来やしない)


 深く呼吸して、俯いて、また深く呼吸する。


 すーーーーはーーーーー。

 すーーーーはーーーーー。

 すーーーーはーーーーー。

 すーーーーはーーーーー。


 苦しい。

 気分は良くならない。


(苦しい)


 苦しい。


(苦しい)



 苦しい――。







「大丈夫ですか?」







 俯く視線に、黒い靴が映る。白いパンツ。白いジャケット。視線を上に上げる。肩、首、もっと上。顔。仮面。目。あたしに向けられた、金色の目。


 背の高い紳士の目が、心配そうにあたしを見つめていた。金で輝く長い髪は結ばれ、顔は、形のいい唇しかわからない。


 紳士が身を屈ませ、あたしの顔を覗いてくる。


「ご気分が優れないようだ。お掛けになった方がいい」


 そっとあたしの肩に触れ、もう片方の手で、ベンチを差す。あたしは頷き、紳士に頭を下げる。


「……ご親切に……、……ありがとうございます……」

「水を取ってきます。お待ちください」

「あ……」


 構わないで、と言う前に、小走りで行ってしまう。


(とりあえず、座った方がいい……)


 設置されたベンチに腰掛け、扇子で自分をぱたぱた仰ぐ。風が気持ちいい。座ったお陰でだいぶ体が楽になる。呼吸も少し落ち着いてきた。

 はーーーあ、と息を吐く頃に、また紳士が戻ってきた。


「お水です。レディ」


 グラスの水を差し出され、それを受け取る。


「ありがとうございます」


 お礼を言って口に含む。こくりと飲み込めば、ほんの少し、吐き気が収まった気がした。


「……すみません。助かりました……」

「それは良かった。誰か、人を呼びましょうか?」


 紳士が跪き、あたしの顔を覗いてくる。そんな紳士に、あたしは無理矢理微笑んでみせた。


「いいえ。だいぶ落ち着きましたから、大丈夫です」

「そうですか」

「本当にありがとうございました。あたくしは大丈夫ですから、どうぞ、お戻りになってください」

「いえ、どうでしょう。少しだけお傍にいさせて頂けませんか?」

「え?」

「ああ、その……」


 紳士が眉をへこませて、遠慮がちに笑った。


「こういう舞踏会にはなかなか参加しないもので、付き合いで来たのはいいのですが、情けないことに緊張が解けなくて……」


(綺麗な方だけど、貴族ではなさそう)


 付き合いでこんな所に来たのね。可哀想。


(ま、そういうことならいいわ。どうせもう会わないし)


「ええ。ぜひお話を。こんな小娘でよろしければ」

「ありがとうございます。レディ」


 紳士があたしの隣に座る。足が長い。そういえば身長が高かった。年齢は二十以上でしょうね。


(ま、中身はあたしの方が上だろうけど)


 風が吹き、あたしと紳士の髪を揺らした。


「ご気分はいかがですか?」


 紳士の問いに微笑んでみせる。


「だいぶ良くなりました。あの、本当にありがとうございました」

「そうですか。よかった」


 紳士が足を組み、握った両手を膝の上に置く。


「貴女は、ご貴族様ですか?」

「ええ」

「ほう。それはラッキーだ。私は貧乏人です。ぜひ、お金持ちの方のお話を聞きたいと思ってました」

「ふふっ、家が金持ちと言うだけで、あたくしもさほど変わらない普通の娘です。どんなお話をご所望で?」

「そうですね。……そうだ。今朝は何を食べれました?」

「今朝は何も食べてません」

「おや、貴族は朝ごはんを食べないのですか?」

「いつもなら食べます。でも、今朝は食欲が無かったので」

「そうでしたか。では、ランチは何を食べましたか?」

「ランチは何も食べてません」

「おや、貴族はランチを食べないのですか?」

「いつもなら食べます。でも、昼は食欲が無かったので」

「貴女も随分と緊張しているようですね」


 紳士が優しく微笑む。


「私は緊張を和らげる方法を知ってます。貴女にも協力していただきたい」

「あたくしにもですか?」

「ええ。ぜひお願い出来ますか?」

「あたくしでよろしければ」

「それは良かった」

「何をしたらいいですか?」

「貴女は今から、私が唄ったなぞなぞにお答えください」

「なぞなぞ?」


 サリアと似たようなことを言うのね。


「ええ。よろしくってよ」

「では、心を込めて」


 紳士は息をすっ、と吸って――唄った。



 踊るはおばけ

 踊るは人

 おばけと人がくっついた

 今宵は無礼講

 おばけと人が踊りだす



「さあ、どこだと思います?」

「どこ、ってことは、場所?」

「ええ。場所です」


 あたしはうーんと考える。


 踊る、おばけ、人、今宵は、無礼講、おばけとひとがくっついた。おばけと人、踊る。


「仮面舞踏会」

「正解です」


 紳士が軽く手を叩いた。


「素晴らしい」

「なぞなぞを唄う方なんて、初めて見ました」

「流行に乗るのが大変なんです。唄作りの練習に、少しお付き合いいただけませんか?」

「ふふっ、いいですよ。面白そう」


 紳士に顔を向けると、紳士が微笑み、あたしを見下ろした。


「では、次」


 すっと息を吸い――唄った。



 闇に輝く一つの光

 光を囲んで粒も輝く

 人の目に映れば涙

 人の目に映れば感動

 人の目に映れば真ん丸



「分かった。お月様」

「流石でございます。ご令嬢様。正解です」


 紳士が胸に手を当てる。


「ここで紹介を。私は月が好きなのです。冷たい夜空、深い闇の中に浮かぶ一つの光。美しいと思いませんか?」

「ロマンチストなんですね」

「ロマンチストだなんて、いいえ。そうではなくて、美しいものが好きなんです。月は、私の中ではダイヤモンドよりも輝く、眩しい光です。貴女のピアスの月も、星のネックレスも、とても素敵ですよ」


 そう言って、あたしのピアスに紳士が手を伸ばす。

 そっと触れ、そっと微笑み、そっと手を引く。


「失礼。美しかったので」


 月の光のように、金の瞳は輝く。

 その瞳は、まるで月のような輝き。

 金の光はメニーを思い出す。

 月のようなメニーを思い出す。

 憎しみという闇の中で生きるあたしにとって、月の光はとても眩しい。

 メニーの存在は、眩しくて、目も向けられない。


(ああ、何を見てもメニーが頭から離れない)


 まだ、ダンスを断っているのかしら。まだモテているのかしら。


(見たくない……)

(戻れない……)

(戻りたくない……)


「いかがされましたか?」


 紳士がそっと、あたしの手を取る。きゅっと握り首を傾げる。


「暗い顔をされております。レディ」

「何を仰いますか。仮面で見えていないのに、分かるはずがありません。それに、あたくしは暗い顔なんてしてませんわ」

「ふふっ、分かるものですよ。貴女は非常に素直な方のようですね」


 優しく、紳士は微笑む。


「嫌なことなど、忘れてしまえばいいんです」

「嫌なこと……」


 美しいメニー。隣にはリオン様。ウエディングドレスを着たメニー。隣にはリオン様。幸せそうに笑い合う二人。あたし達は、堕ちて、堕ちて、堕ちて、堕ちて、堕ちて、苦しみ、酷い死に方をする。メニーが、リオン様が、あたし達を死刑にする。


 メニーにいい顔をしなければ、あたしには、ギロチン刑が待っている。



 苦しい。



「忘れられたら、楽になるのでしょうね」


 笑うと、紳士もくすすっと笑う。


「忘れさせてあげましょう」


 あたしの目を覗き込む。金の瞳がきらりと光る。


「レディ」

「今宵は」

「素 敵 な 夜 で す ね」


 囁くような、低い声。

 耳に響く、低い声。

 頭に響く、黄金の瞳。


 その目で、その声で、


 ――非常に気分が悪くなった。


「うっ……!」


 思わず、口を押さえた。


「あの、」


 慌てて紳士から手を離し、立ち上がる。


「すみません、すごく、気分が悪くて……」

「大丈夫ですか?」


 紳士があたしに手を伸ばす。金色の目がまたきらりと光る。途端に、目眩が起きる。


「あっ」


 ふらりと、体がふらつく。


「ご令嬢様?」


 気持ち悪い。すごく、気持ち悪い。頭がくらくらする。吐き気がしてくる。


(あああ、駄目! 我慢出来ない! 吐く!)


 あたしは紳士に背中を向ける。


「……っ! 失礼!!」

「あっ……!」


 全速力で走り、紳士から離れる。

 口を押さえ、ベランダから抜け、階段を下りて、走り、人で賑わうホールを走り、抜けて、廊下を走り、トイレに走る。

 目で女性用であるのを確認して、飛び込むように扉を開けて、トイレなのに、何もない部屋が広がって、また部屋に通じる扉がたくさんあって、またその扉を開けて、また部屋が広がって、扉を開けて、また広がって、また扉を開けて、また部屋で、また扉を開ければ、ようやく便器があって、そこに駆け込み、口を大きく開いた。


 喉の奥から胃に入っていたものが出てくる、なんとも言えない不快感。

 叫ぶように、嗚咽の音を部屋に響かせ、喉が痛くなるまで喉を鳴らして、少し涙が出てきて、拳をぎゅっと握る。


 まだ出てくる気配がして、肩で呼吸しながら待ってると、もう出ない。ひとしきり出たら、胃の中は空っぽになった。荒い呼吸を繰り返す。ゆっくり呼吸をしてみる。


 すーーーーはーーーーー。

 すーーーーはーーーーー。

 すーーーーはーーーーー。

 すーーーーはーーーーー。


 息をして、呼吸して、呼吸して、呼吸すれば――立ち上がり、あたしは便器を蹴った。


「くそっ!」


 このあたしが、トイレに駆けこむことになるなんて。


(メニーのせいだ……!)

(全部メニーのせいよ!!)


 せっかくの仮面舞踏会を楽しめないのも、

 足が震えるのも、

 体が震えるのも、

 涙が出てくるのも、

 トイレで吐いたのも、

 全部、全部、


 あの、可愛い可愛いメニーのせいだ。


(あたしを死刑にしたメニーのせいだ)


 許さない。


(メニー……!)


 恨みは募る。


(許さない……!)


 思い出すと、もっと募っていく。


(許すものか……!!)


 罪滅ぼしなんて、うんざりだ。

 あたしの何が悪いのよ。

 なんで、あたしばかりがこんな目に合うのよ。



 なんで、あたしばっかり、こんな思いしなきゃならないのよ――。



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[一言] 気さくで優しい紳士(貧乏人)が急に不審者になった!
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