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おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
三章:雪の姫はワルツを踊る
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第12話 雪の王(1)


 急いで馬車から下りる。

 森に囲まれた、トンネル前の広い遊び場所に向かって歩き出す。


 氷の上にはニクスがいた。

 静かに、目を閉じて、じっとして動かない。

 ニクスがひたすら立っている。


 木が多くて、ここからではニクスはあたし達の姿が見えないだろうが、多くの人間がニクスを囲んで待機していた。キッドに背中をとん、と押されて、あたしは歩き出す。歩く、から早足に変わって、早足から走るに変わって、駆け出して、凍っている地面の前で立ち止まる。


「ニクス!」


 大声で呼ぶと、ニクスがゆっくりと目を開け、顔を上げた。

 あたしは笑顔でニクスに手を振る。


「そんな所で何してるのー!?」


 ニクスが瞬きした。


「約束の時間には、まだ早いんじゃないー!?」


 ニクスが青い顔で、あたしを見つめた。


「ねえ! そっちに行っていい!?」

「駄目!」


 ニクスがにこりと笑って、いつもの笑顔で、大声を上げて返事を返す。


「駄目だよ! 入ってこないで!」

「どうして!?」


 あたしは笑顔で大声を上げて返事を返す。


「あんた、今日、パン屋の仕事お休みしたんでしょ! あたし、分かってるんだから!」

「えへへ! ばれちゃった!」

「ねえ! あたしもそっちに行きたい!」

「駄目だよ!」

「ニクス! 遊ぼうよ!」

「駄目だよ!」

「ニクス!」


 一歩踏み込むと、ニクスが叫んだ。


「入るな!!!!!!!」


 あたしは足を止めた。ニクスが口角を下げる。ぐっと、拳を握り締める。


「入っちゃ駄目」


 ニクスが手にはめる手袋を抱きしめた。


「テリー、大丈夫だよ」


 ニクスが青い顔で微笑んだ。


「僕が何とかするから」

「ニクス」

「大丈夫」

「ニクス、教えて」

「言えない」

「何が起きてるの」

「言いたくない」


 ニクスの唇が震える。


「どうせ誰も信じない」

「ニクス、教えて」

「大丈夫さ。冬さえ乗り越えちゃえば、きっと、元に戻るから」

「ニクス」

「地震、多いな…」

「…ニクス?」

「最初は、ちゃんと自我があったのに…」

「ニクス?」

「最近は無意識にやってる…」

「ニクス?」

「僕に黙って、ここから抜け出すなんて…」

「ニクス?」

「でも、大丈夫。僕が何とかする。だって、僕は家族だから」

「ニクス…?」

「テリーを守らないと」

「ニクス」

「大丈夫だよ。テリー。この街も、この国も、君も、僕が守ってみせる。安心して。絶対大丈夫だから…」


 ニクスの足がふらついた。


「ニクス」


 あたしは手を伸ばす。ニクスに差し出す。


「こっちに来て。ニクス」

「テリー」


 ニクスが弱々しく、手を伸ばしかける。


「大好きだよ。テリー。僕のお姫様。大切なテリー。僕の、たった一人の…友達…」


 だから、


「テリー、お願い…」


 ニクスが腕を下ろした。


「こっちに来ないで…」


 ニクスの目の色が、薄くなる。


「君まで、巻き込まれる…」


 左胸を押さえる。ニクスが、座り込む。


「来ちゃ駄目だ」


 ニクスが、目を閉じる。


「凍っちゃう…」


 ニクスが氷の上に倒れた。


「ニクス!」


 あたしは構わず、氷の上に足を滑らせる。青くなったニクスに滑り寄る。倒れたニクスに近づき、膝の上で抱き抱えた。


「ニクス!」


 ニクスは反応しない。呼吸が小さい。ニクスの肌に違和感がある。手袋を外して触れて、慌てて離す。驚いて目を見開き、もう一度触れる。メニーと同じ。凍ったように肌が冷たい。


 呪われている。


(………)


 ニクスは約束の場所に、時間は違うが、来て、存在している。まだ間に合う。間に合う気がする。あたしはニクスの腕を乱暴に引っ張り、自分の肩に回した。


「おらっ!」


 声を出して、ぐったりするニクスを抱える。その拍子に、ニクスの鞄が落ちた。中から木箱が転げ落ち、蓋が空いて、薄汚い石が数個外に滑って広がる。ニクスの荷物だろうか。あたしは手を伸ばすが、ニクスを抱えるので手一杯だ。


(ぐっ、拾えない…!)


「誰か! 見てないで手伝って!」


 そう叫んだ瞬間、地面が揺れた。


(げっ、こんな時に地震!?)


 ぞっとして下を見下ろす。


(ひびが割れる前に、ニクスを氷の上から出さないと…)


 あたしの視界に氷が広がる。揺れる。氷が揺れている。水が揺れている。そういえば、ニクスが言っていた。ここは窪みがあって、降った雨がその窪みに溜まって凍った水の上だと。だから、湖ではない。底はそんなに深くはない。


(……おかしいわね)


 あたしの目から見たら、とても深く見えるけど。


(まるでここが湖のように)


 氷の下の水が、揺れているように見える。


 ゆらゆらと、

 ゆらゆらと、

 ゆらゆらと、


 何かが泳いでいるように、揺れている。


(なんだ?)

(これはなんだ?)


 あたしは目を凝らしてみる。

 波がある。

 揺れている。

 水に小さな波が出来る。

 氷が、溶け始める。


「!!?」


 ニクスとあたしの足が沈む。氷が水に変わっていく。

 慌てて一歩踏み込むと、水があたしの足を掴んだ。


「ひいっ!」


 情けない悲鳴をあげる。

 仕方ないことだ。だって、水があたしの足とニクスの足を、掴んでいるのだから!


「な、何、これ!」


 幸い、水の冷たさは感じない。魔法によって、あたしには寒さが無い。だから思いきり水を蹴った。水がぽしゃんと弾け、消える。また一歩踏み込むと、水があたしの足を掴む。


「ひっ! だ、誰か!」


 あたしはパニックになり、また水を蹴飛ばす。水は消え、再びあたしの足を掴んでくる。ぎろりと水を睨み、怒鳴った。


「ちょっと冷水! あたしを誰だと思ってるの!? テリー・ベックス様よ! あたしに触らないで! この無礼者!!」


 怒鳴り、また蹴り飛ばす。一歩踏み込むが後ろに引っ張られる。振り向くと、ニクスの足が取られていた。ぐっ、と引っ張られる。ニクスが氷の下に引っ張られていく。


「はーなーせ、つってんのよ! このスカタン! 冷水のくせに生意気な! あたしの声をお聞き! よくお聴き! ニクスを離せ!」


 ぎろりと睨んで水を蹴る。また蹴る。再び蹴ると、水が離れる。

 今度はあたしの足を掴む。蹴る。ニクスの足が掴まれる。蹴る。足が濡れていく。でも寒さは感じない。それでも、ニクスが引っ張られていく。あたしも引っ張られていく。


「誰か!」


 誰も来ない。


「キッド!!!!」


 怒鳴る。


「ボディーガードなら、何とかしなさいよ!!!!!!」


 足が取られる。

 呼吸が乱れる。

 必死に蹴る。

 水が揺れる。

 寒さは感じないが、足は濡れていく。

 ニクスが重い。

 重力で座り込んでしまいそう。

 だが、分かっている。ここで座り込んだらおしまいだ。

 ニクスの体を震える体で支える。

 進めない。

 水が邪魔してくる。

 氷の中へ引きずろうとしてくる。

 生きてるように邪魔してくる。

 睨みつける。

 氷に睨まれた気がした。

 でも睨む。

 ニクスを掴む手に、力を入れる。

 音が聞こえる。

 振り向く。


 リトルルビィが足を滑らせていた。


「テリー!」

「ルビィ!」


 叫ぶと、リトルルビィが高くジャンプし、着地し、滑り、あたし達に向かって進む。それに氷と水が怒ったように、水が背を高く氷から飛び出す。避けて、リトルルビィの足がまた動く。滑る。また水が氷から噴き出す。避ける。腕を伸ばす。リトルルビィが小さな体を突っ込ませ、あたしの下腹を抱え、ニクスの体を肩に抱えた。


「うごっ!」


 拍子に変な声が出て、そのまま抱えられる。リトルルビィが一直線に滑り始めると、水が氷の隙間から再び噴き出し始め、追いかけてくる。それを見たあたしの綺麗なおめめがぎょっと見開かれ、顔を青ざめた。しかし、リトルルビィの赤い瞳は水を捉え、全て避ける。目の前に飛び出してくる水が現れたら足を滑らせて避ける。スケートのように足を滑らせ、くるんくるんと体を回し、障害物を避け、進む。氷の前には、キッドや、ビリーや、キッドのお手伝いさんと呼ばれる大人達が立っていた。


「キッド!」


 リトルルビィが叫び、あたしをぶん投げる。


(ひえっ!!?)


 投げられたあたしの体が、キッドに受け止められる。


「よし、きた!」

「うぎゃっ!」


(キッド、ナイスキャッチ…)


「でかした! リトルルビィ!」


 キッドがあたしを自らの肩へやり、無造作に抱える。リトルルビィがニクスを抱えたまま。飛び込むように氷から出た。


 キッドが叫ぶ。


「撤退!!」


 全員、走り出す。

 あたしが後ろ向きで見たその光景は、氷から、渦巻いた水が噴き出し、あたし達を威嚇しているように見えた。でも、離れると、どんどん離れていくと、水が氷の中に戻っていき、また、静かな氷に戻った。


 また、空気の静かな、氷が広がる、遊び場所に戻ったのだった。






(*'ω'*)





 病院ではなく、キッドの家にニクスが運ばれる。暖かい部屋のベッドにニクスを寝かせ、その肌の冷たさに、ビリーが眉をひそめた。


「同じ症状ですな」

「やっぱりね」


 キッドが青い顔のニクスを見下ろす。


「ニクスは大丈夫だと思ったんだけどな。症状が出てるって事は、中毒者ではない」

「ああ。隊の者達と同じだ。鏡を見たのだろう」

「でも毎日トンネルに入ってて、何ともなかったのに」

「さようですな」

「おかしいな。だとしたら、ニクスは今までトンネルに入ってたけど、鏡を見てなかったってことか?」


 キッドが顔をしかめて首を傾げた。そして、少し考え込み、ふと、眠るニクスの両肩を掴んだ。


「ちょっと、失礼」


 ニクスの服のボタンを外す。

 第一ボタン、第二ボタン、第三ボタンを外せば、ニクスの下着のシャツが見えた。キッドがニクスを脱がしていく。シャツを脱がし、ブラジャーを脱がし、


(……ん?)


 子供用ブラジャー。


「………」


 なんで、ニクスがブラジャーなんてしてるわけ?

 眉をひそめながら目線を上げる。すると、ニクスの膨らんだ胸が見えた。


「っ」


 まるで心臓を蝕むように、左胸だけが氷に覆われている。

 あたしの目が見開かれる。リトルルビィが眉をひそめる。キッドの目つきが鋭くなる。


「脈はある」


 そっと氷に触れる。


「こんな状態でまだ生きている。実におかしな現象だ。こんなの初めて見た」

「キッド、これ、メニーと同じ症状よ。助手さんが言ってた」


 リトルルビィがキッドの横に並んだ。


「メニーも左胸が氷で覆われてるんだって」

「なるほど」

「中毒者の呪い?」

「だろうね」


 二人が真剣な会話している間、あたしの頭は混乱とパニックの嵐が襲ってきていた。


(え?)


 ニクスを見る。胸がある。


 ―――え?


 ニクスを見つめる。胸が膨らんでる。


 え?


 筋肉じゃない。


 え?


 柔らかそうな胸がある。


 え?


 瞬きをする。顔が青ざめる。血の気が下がる。唇がぎゅっと結ばれる。冷や汗が出てくる。


「………」


 じっと、ニクスを見る。

 じーーーーーーーと、ニクスを観察する。

 苦しそうに閉じられた瞼に生えたまつ毛が揺れる。鼻。唇。頬。その可愛いと思ってた顔全体を観察する。


「…………………」


 あたしはこくりと頷いた。


(なるほど)


 理解した。

 見れば見るほど、納得した。


(………………女の子だ。ニクス)


 あたしはにこりと微笑んだ。


 ずっと、男の子だと思ってた。だって、自分の事、僕って、呼んでたから。

 だから、男だと思って、男だと思ったから、乱暴に言葉を吐いて、乱暴に扱って、あたしがお姫様よとニクスの腕を引っ張ってた。


 あたしの体が震え始める。


(違う)

(あたし、本当は気づいてたの)

(知らないふりしてただけなの)


 …女の子なら、もっと優しくしたわよ…。


(違う。あたし気付いてたわ)

(気づいてたけど)

(まともな女の子の友達なんて、今までいなかったから)

(どう接していいか分からなくて、ちょっと乱暴に接してただけ)

(そうよ)

(ニクスは女の子)

(あたしが知らないとでも思った?)


 知らなかった…。


(そうよー。ニクスは女の子なのよー)

(あたしには同性の友達がいたのよー)

(異性じゃなくて同性よ)

(妬みや嫉妬の喧嘩言葉をぶつけてくる女の子じゃなくて)

(ちゃんとした女の子の友達)

(優しい女の子の友達)

(あたしの、女の子の友達は、ニクスよ)


 ちょっと待って。それって、あたしにもちゃんと女の子の友達がいたってこと?


(女の子の友達なんていなかった。パーティーではいつも女の子と喧嘩してたから)


 でも、ニクスは女の子。


(女の子)


 同性の友達。


(あたしに、女の子の友達)


 ニクスが女の子。


 憧れた、同性の友達が、ニクス。


 …………。

 …………………。

 …………………………。


「テリー、どうしたの?」


 顔を覗き込んでくるリトルルビィが、不安そうに表情を曇らせていた。


「どうしてにやけてるの?」

「は?」


 あたしはぴしっと口角を下げ切った。


「何言ってるの。あたしはいつも通りよ。リトルルビィ」

「そう?」

「キッド」


 あたしに振り向くキッドに、指を差した。


「いつまでニクスの胸を見てるわけ? このすけべ。早く服を元に戻して」

「ああ。そうだね。お前の胸も見たことないのに、他の女の子の胸を見るなんてマナー違反だった。ごめんね。テリー。愛してるよ」

「いいから早く戻して」


 ああ、いい。


「ニクスに触るな。あたしがやる」

「はいはい」


 キッドが両手を上げてニクスから離れる。キッドが離れた椅子にあたしが座り、ニクスに服を着せる。


「乱暴に脱がされて可哀想に…」


 キッドに振り向いて睨みつける。


「恥を知れ!」

「俺、乱暴に脱がしてないよ」

「嫁入り前のレディの肌を見るなんて、最低! ニクスに触らないで!」

「はいはい。もう触らないよ。だからヤキモチ妬かないで。俺が愛してるのはお前だけだから」

「何がヤキモチよ。馬鹿じゃないの。そこ退いて。ニクスに暖炉の火が当たらないでしょ。お前は壁になってるのよ。邪魔よ。退いて」

「ああ、婚約者様はご立腹だ。しょうがない。俺は家具となって見守ろう」

「家具になったキッドなんか置いたら、ニクスにキッドの菌が移るでしょ! もう出て行ってよ! くたばれ!!」


 キッドが横目でビリーを見た。


「じいや、なんで俺の家で俺が追い出されなくちゃいけないんだろう」

「お友達を心配されているのですよ。我慢せい」

「テリー、落ちついて、大丈夫よ」


 リトルルビィがあたしの背中を撫でた。


「ニクスの事心配してるテリーも素敵。でも、まずは中毒者をどうにかしないと」

「中毒者、ね…」


 ニクスに毛布を被らせ、優しく抱きしめる。あたしの魔法の体温で、少しでも暖まればいい。


(メニーが寒がってた時、あたしと触れたら暖かいと言ってた。ドロシーの魔法が鏡の呪いを和らげたのかも)


 あたしはニクスを抱きしめたままキッドに振り向く。


「ニクスは呪われてるの?」

「そうだね。呪いだ」


 キッドが頷いた。


「鏡を見たんだ。作業員と、隊の奴らと同じ。ニクスも鏡に呪われた。メニーの症状も悪化しているようだし…」

「…………」

「ニクスが呪われるのは想定外だった。……さて、どうしたもんかな?」

「…………さっきから思ってたんだけど、いや、いい」


 あたしはリトルルビィを見た。


「ねえ、リトルルビィ」

「ん?」

「キッドやあんたは、どうしてメニーが体調崩してる事知ってるの?」


 リトルルビィがにこりと笑った。


「博士がメニーを看病してるからよ!」

「博士って誰」

「研究開発班の人!」

「研究開発班…」


 キッドを睨みつける。


「あんた、誰をあたしの屋敷に送り込んだのよ…」

「感謝してもらいたいね。今メニーが生きていられてるのは博士のおかげだよ」

「博士って誰」

「いずれ紹介してあげる。そう怒らないで、テリー」

「ってことは何? あたしとメニーがトンネルに入ったのも見てるわけ?」

「もちろん。観察済みだ」

「呆れた」

「止めたら逃げるだろう? だからそっとしておいた」

「またあたしを利用したのね」

「冒険に出かけたのはお前だ」


 で、


「結局メニーは凍った。そしてテリーは平然としている。お前は鏡を見なかったの?」

「……見た」

「鏡はあった?」

「……ええ。あったわ」


 縦長の丸い額縁に入ったやつ。


「ちょっとレトロな作りの鏡だった」

「見たのに、お前は平気だった?」

「………」


 あたしはちらっと目を泳がした。


(ニクスがあたしに鏡の権利を譲ったから、平気だった)

(更にあたしは呪いがかからないから、平気だった)


 さて、どうやって説明しよう。


「……………あー、なんか頭痛い………」


 あたしはニクスにうずくまり、顔を逸らした。


「キッド、ちょっと休ませて。頭が痛いの」

「うん?」

「お婆様の助言が来るかも…」


 リトルルビィがきょとんと瞬きした。


「え、何それ? 助言ってなあに?」

「キッド、お願い。大丈夫だから、ちょっと一人にさせて…」

「大丈夫?」

「大丈夫」

「そう」


 キッドがリトルルビィの背中を押した。


「下に行こう」


 キッドが言うと、ビリーが黙って立ち、部屋から出て行った。


「おいで。リトルルビィ」

「私、テリーと一緒にいる!」

「テリーが具合悪いんだって。大丈夫。テリー、十分後に様子を見に来るから」


 あたしは黙って頷く。リトルルビィとキッドが部屋を出て、扉を閉めた。あたしは瞼をそっと上げる。


(……よし、今のうちにでっちあげる話を考えるわよ。ばあば、今だけ貴女を使うことを許してちょうだい。まずは、そう、ニクスが鏡の持ち主であるという説明を……)


 ニクスを見下ろす。ニクスの手を握り締める。


「ニクス」


 ニクスは安らかに眠っている。


「本来、あんたはここにいないのよ」


 いないはずのニクスが、暖かいベッドの中にいる。


「一度目の世界でも、あそこにいたの?」


 地震が起きてた。


「あたし、待ってたのよ」


 氷の上を滑って、待ってた。


「あんたをずっと待ってた」


 あんたは来なかった。


「どうして?」


 こんなにあたしの手を握っているくせに、


「どうして来なかったの?」


 あたしずっと待ってたのに。


「その後だって」


 ずっと捜してたのに。


「ニクス」


 ニクスを見つめる。屋敷であげた服を着ているニクスを見つめる。はあ、とため息を出す。


(……ああ、そうだ。ニクスの鞄、氷の上に置いてけぼりにしちゃったわね)


 後でキッドに頼んで取ってきてもらうわ。心配無いわよ。ニクス。


「…………」


 あたしは一度、瞬きをした。


(ちょっと待って)


 あたしは思い出す。

 もう一度、思い出す。


(待って)


 あたしは瞼を閉じた。








 12歳のあたしは、氷の上を滑って、ニクスを待ってた。


「あれ?」


 氷の上に、鞄と、箱。箱から出てきたであろう汚い石が並んでいた。


(ん?)


 さっきニクスを抱えた時に、ニクスの腕から鞄が落ちた。鞄から箱が出てきて、石が転がり滑って出てきた。


「あれ、これ、ニクスの鞄だ」


(そうよ。ニクスの鞄だった)


 12歳のあたしはしゃがんで、ニクスの鞄を見た。


「なんだ。ニクス、もう来てるんじゃない」


(鞄があったから、そう思った)


 12歳のあたしは周りを見回し始めた。


「ニクスー!」


 大声で呼んだ。


「ニクスー!」


 大声で呼んでみた。


「驚かそうったって、そうはいかないんだからー!」


(ニクスが隠れてると思った。だって、鞄があったから)


 鞄が置いてあったから。


(氷の上に、投げられたように置いてあったから)


 12歳のあたしは足を滑らせた。


「ニクスー!」


 その場をうろうろした。


「ニクスー! どこにいるのー?」


 鞄の周りをうろうろした。


「ニクスー!!」


 12歳のあたしを眺めながら、あたしは下を見下ろした。

 氷の下の水が揺らめいている。


(さっき、氷の下の水は揺れていた)

(生きているように、揺れて)

(威嚇して)

(怒っていた)


 氷の隙間から飛び出して、


(あたしの足を掴んだ)


 ニクスの足を掴んだ。


(あたしがいなかったら、ニクスは引っ張られていた)


 どこに?


(ニクスは、冷水に引っ張られていた)


 どこに?




 氷の、中に。






 あたしは下を見つめ続ける。

 12歳のあたしはぐるぐる滑る。


「ニクスー!」


 あたしはじっと見つめる。


「ニクスー!」


 12歳のあたしが滑る氷の下を見つめる。


「ニクスー!」


 ニクスは来ている。


「ニクスー!」


 既に来ていた。


「ニクスー!」


 あたしの下にいる。


「ニクスー!」





 12歳のあたしの下に、凍ったニクスが沈んでいる。








 ――――瞼を上げた。


 あたしの視界に、安らかに眠るニクスが映る。


「…………」


 ニクスの頬に、水滴が落ちる。


「嘘」


 ニクスの頬に、ぽたと水滴が落ちた。


「そんなの嘘よ」


 ニクスは約束を破った。


「お前が悪いのよ」


 あたしは待った。


「そんなわけ無い」


 死体が凍ったら見つかるはずだ。


「死体はどこにも無かった」


 ニクスは死んでない。

 死んでない。

 死んでたはずがない。


「お前はどこかに行ったのよ」


 あたしとの約束を破っただけ。


「そうでしょう?」


 ニクスの頬から一方的に水滴が落ちる。


「そうだと言ってよ」


 あたしは恨んだ。


「お前が消えたんじゃない」


 ニクスを忘れた。


「お前が悪いのよ」


 ニクスは消えた。


「お前が全部悪いのよ」





 あたしの親友は、世界から消えた。






「……………………」


 手を握り締めると、冷たい手があるだけ。あたしの手を握らない、反応しない弱々しい手が、そこにあるだけ。


(あたしには呪いが効かない)

(あたしには魔法がかからない)


 あたしはゆっくりと立ち上がる。


「ドロシー」


 後ろに、見えない気配を感じる。


「確かめたい事があるの」


 あたしが確かめたいの。


「ちょっとだけでいいの」


 拳を固める。


「あそこに、連れて行ってくれない?」

「キッド達はいいの?」

「あいつら、作戦会議に忙しいから」


 あたし一人で行く。


「連れて行って」


 ドロシーの声が響いた。


「春の風、旅の時、少女は行く、呪いの少年、心に求め」


 あたしは瞼を閉じる。

 ニクスの冷たい手がゆっくりと離れる。

 冷たい風が、吹いた。













「……?」


 リトルルビィが上を見上げた。


「キッド」

「ん?」

「テリーの匂いが無くなった」

「ん?」

「テリーの匂いがしないの」

「窓でも開けたか?」


 キッドが顔をしかめた。


「…………ちょっと待った」


 キッドが階段を駆け上がり、扉を開けた。そこには、ベッドで眠るニクスしかいない。


「…………」


 キッドが笑みを引き攣らせた。


「はーあ」


 ため息をついた。


「本気で怒った」


 ニクスは、安らかに眠る。




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