第2話 トラブルギャンブルデートはいかが(1)
ここは、二度目の世界である。
何が理由か知らないが、絶滅されたと思われた魔法使い達によって、世界は一度終わり、二度目の世界が生まれた。
義妹のメニーから死刑判決を受け、ギロチン刑にされたあたしは、死刑直後、生きていて、死んでしまった中で大魔法が発動したため、メニーの父親が亡くなった知らせを聞いたのをきっかけに、記憶が蘇った。
あたしはテリー・ベックス。将来、牢獄に閉じ込められ、死刑となる運命を持つベックス家の次女。
(だけど、未来は変わりつつある)
一度目の歴史は変わっている。
誘拐事件では、
(あたしではなくアメリが捕まり)
(救出に来て本来死ぬはずであった『あいつ』は生き延びた)
通り魔事件では、
(『小さな通り魔』が現れてクロシェ先生が殺されるはずだったが)
(代わりに馬係のデヴィッドが殺された)
あの事件から、特に変なことは起きていない。
あたしも、屋敷の皆も、平和な一年を過ごした。
あたしは無事に12歳となり、年越しを無事に済ませ、どれほど安心したことだろう。
そして年越しの挨拶に行かなかったことに、どれほど『生き延びたあいつ』から甘い手紙が送られてきたことだろう。
(…いいもん。あたし、紹介所には年賀状を書いたもの)
(ジェフとミスター・ビリーには、今年もよろしくお願いしますって、個人宛に送ったもの)
そして、小さな元通り魔。
(リトルルビィ)
新年早々、メニーと挨拶に行って、泣き出すほど喜んだ彼女の笑顔が忘れられない。
(せっかくだから城下町内を歩こうと誘ったら、にこにこしながらついてきた)
(メニーじゃなくて、リトルルビィが妹だったら、あたしは喜んで面倒を見たわ)
彼女はあたしのお気に入りなのよ。
(福袋を買ってあげて、リトルルビィの家で開けた時の笑顔も可愛かった)
袋の中に入ってた赤い手袋、使ってくれるといいのだけど。
(ただ)
生き延びたあいつ。
(二年連続で新年の挨拶に行ってないから、まあ、確かに怒られても仕方ないかもしれないけど)
あたし、あいつ嫌なのよ。
(会いたくないのよ)
会いたくない人に会ったら、ストレスが溜まっちゃう。ストレスって、一番美容に良くないのよ。ストレスを溜めない事が一番美容を保つコツなのよ。あたし、いい女でいたいの。まだ12歳のきゅぴきゅぴお嬢様なの。このお肌を大切にしてあげなきゃ。
(ああ、今日もあたし、超可愛い)
廊下に飾られた鏡を見ながら、あたしは頷く。
(今日の予定はなんだったかしら)
廊下を歩く。
(お作法、クロシェ先生の授業、あ、ママがなんか出かけるとか行ってた気がする。誘われたら断ろう。別に欲しいものないし)
廊下を歩いていると、ミス・ポットとすれ違う。
「ご機嫌よう。テリーお嬢様」
「ごきげんよう」
廊下を歩いていると、花瓶を持ったリーゼとすれ違う。
「ご機嫌よう。テリーお嬢様」
「リーゼ、温室小屋にいる植物達、どんな感じ?」
「後で見てみてくださいな。サボテンのゲルダが花を咲かせましたわ」
「なんですって! ゲルダが!?」
「ええ!」
「後で行ってみる。ありがとう」
廊下を歩いていると、フレッドとすれ違う。
「ご機嫌よう。テリーお嬢様」
「ごきげんよう」
廊下を歩いていると、メイドとすれ違う。
「ご機嫌よう。テリーお嬢様」
「ごきげんよう」
「テリーお嬢様、先ほど、お嬢様にお手紙が届きましたよ」
「手紙?」
メイドから手紙を受け取って封筒の裏を見る。差出人の名前が書かれていない。ただ、高級そうなデザインの封筒に嫌な予感がする。
「…ありがとう」
「いいえ」
メイドが去る。あたしは足早に部屋に向かい、中に入る。扉を硬く閉めた。じろりと、手に持つ封筒を睨みつける。
「……今度は何よ」
昨日、スケートリンクで痛めた腰を支えながら椅子に座り、無駄に高価そうな封筒を丁寧に開ける。ふわりと、香りがした。中から溢れんばかりに冬に咲く種類のテリーの花びらが舞い散る。色は青。
「うっ……!!!」
今まで以上の臭い演出に、今までよりも苦い声が出た。
呼吸が乱れる。過呼吸になるかもしれない。
中の手紙を広げると、恐怖と寒気で手が震えだす。
見開いた目で、冷や汗を出して、手紙の文字をじっと見た。
拝啓、愛しい我が姫、テリー・ベックス
あけましておめでとうございます、なんてね。もう何週間も経っているんだから、この挨拶はすでに古い。何度も同じ内容の手紙を送ってしまい、申し訳ございません。しかし、新年を明けて、一度も愛しい貴女と会っていない。これは、とても、非常に、悲しい事です。近頃忙しいようですね。大切なご姉妹とスケートリンクで遊ばれていたり。派手に滑って転ばれる貴女は非常に可愛く愛しかった。この腕で抱きしめてあげたかったほどです。妹君のミス・メニーの手を握り、ぶるぶる震えながらスケートの練習をする貴女は、それはそれはとても微笑ましかった。久しぶりに胸がときめきました。筋肉痛は大丈夫ですか? よろしければ今度、この私ともデートをいたしましょう。もちろん、ワルツのダンスが似合う、あの素晴らしいスケートリンクで。手を取り合って、共に踊りましょう。貴女はきっと素晴らしいダンスを披露してくれることでしょう。もしも、もしも氷の上で踊れない、というのであれば、私が、愛しい貴女の手となり、足となり、支えましょう。寒い時期が続きます。どうかお元気で。愛しい私の、テリー。
追伸
早くおいで。
「………………………………………」
早くおいで、としか書かれてない追伸に、名前が書かれてない追伸に、昨日の出来事が書かれた内容の手紙に、あたしの血の気がさーーーーーー、と下がっていく。顔がどんどん青ざめていく。
(いたの?)
いや、あそこにあいつはいなかった。
……いや、いたのかもしれない。
遠くに。じっと、動かず、見ていたのかもしれない。
あいつは、得体が知れない。
(怖い…)
(ストーカーだ…)
そして何より、
(文字が怒ってるように見える)
(不機嫌です、と言われているみたい)
どうする?
行くか?
無視するか?
あたしは選択する。
(………よし、無視しよう)
不機嫌のあいつは笑顔で、か弱いあたしに何してくるかわかったもんじゃない。
ここは、手紙を見なかったことにするのが一番だ。
意を決めたその時、トントン、とノックされた。
「テリーお嬢様」
「どうぞ」
許可すると、メイドが顔をひょこりと出す。
「先ほど、お電話が来まして…」
「あら、誰から?」
「テリーお嬢様の大切な方だと…」
「ん?」
「伝言を預かっておりまして」
「ん?」
メイドが言った。
「今日中に来ないと、夕方頃に遊びに来るとか」
バッ! と顔が青くなって、
バッ! と時計を見て、
バッ! とメイドに振り向き、
バッ! と着替えて、
バッ! と手を上げた。
「あたし、ちょっと、出かけてくる!!」
「え? でもテリーお嬢様、この後、クロシェ先生の授業では…?」
「先生に急用が出来たって言って! お願い!!!」
叫ぶように言って、メイドの横を通り過ぎ、慌てて、急いで、大急ぎで、廊下を走り、階段を駆け下ると、エントランスホールを歩いていた能天気なアメリに声をかけられた。
「ん? どこかに行くの? テリー」
「行くの!!」
「馬車なら無いわよ。ママが出かけてるから」
「え!」
「あ、でももう一台あったかも。あれ、どうだったかなぁ」
「もういい! 走る!」
「え? ちょ…」
きょとんとするアメリを背に、扉を閉める。そして、慌てて、急いで、大急ぎで、あたしは屋敷から離れた街を目指して、全速力で雪が積もった道を走りだした。
(*'ω'*)
―――一時間後。
呼吸を乱して街の広場にたどり着く。
噴水通りで、ぜえぜえと肩で息をして、一度噴水の縁に腰掛ける。
(無理…)
(体力の限界…)
夕方までは時間がある。少しくらい休んでも大丈夫だと思う。
(あいつ、絶対許さない…)
見下ろせば、履いてるブーツは雪で濡れていて、湿っていて、どれだけ急いで走ってきたかを物語っている。
(あたし、よく頑張ったわ…)
(この冬の中、あの雪道を、よく馬車も使わず走ってきたわ…)
(あいつ最低よ…)
(本当に最低…)
(もう絶対許さない…)
『あいつ』の顔を思い浮かべ、憎たらしくなって、顔を苦く歪ませる。
「くそ…」
走ったせいで胸が苦しい。
胸を押さえて、乱れた呼吸を整える。
喘息を持っているわけじゃないのに、とても苦しい。
ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ。
(深呼吸。深呼吸)
(はあ。苦しい)
ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ。
(苦しい)
ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ。
(あれ)
ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ。
(あれ)
(ちょっと待って)
(本当に苦しい)
ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ。
(待ってこれ)
(過呼吸)
ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ。
(あ、そうだ)
(あたし、一度目の世界でもそうだった)
ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ。
(過呼吸になりやすいんだった)
ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ。
(ああ、過呼吸の時ってどうするんだっけ)
(あ、やばい)
(これはまずい)
ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ。
(冷静になれない)
(頭でどうしようと考えてても)
(呼吸を整えることに集中してしまって)
(冷静が欠ける)
ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ。
ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ。
ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ。
ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ。
「……………………………」
あ、これ。
本当に、
これ、
あ、
苦しい。
これ、
ああ、
これ、
これ、は、
ああああああ、
駄目だ。
あたし、過呼吸になりやすいこと、
今の今まで、
すっかり忘れてた。
噴水に体が倒れていく。
あ、まずいわ。
冬に、雪が積もった、噴水に落ちるなんて、
そんなこと、
そんなこと、
冷たいじゃない。
あ、
でも、
どうしよう。
体が、
言うこと聞かない。
意識が、途切れる。
(ドロシー)
どうしよう。
(あ)
もう、だめ。
体が、噴水に引き込まれる。
「あぶないっ!」
ぎゅっと、誰かに抱き止められる。
おかげで、噴水に体が倒れることはなくなった。
ただ、顔を上げられない。
ぐったりと誰かに体を預けたまま、荒い呼吸が続けられる。
「君、大丈夫? 息できる?」
「ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ」
「落ち着いて。大丈夫だよ」
あたしを抱きしめ、手を握る手袋。あたしはその手袋にしがみつくように握りしめる。
「ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ」
「ゆっくり呼吸して。出来る?」
「ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ」
「えっと、えっと…」
手袋があたしの手をしっかり握り、手に持っていた紙袋を見た。
「ちょっと待ってて」
声の主が持っていた紙袋を逆さまにして、入っていたパンを地面に落とした。そして、空になったその紙袋であたしの口と鼻を覆う。
「さあ、ゆっくり呼吸して」
「ぜえはあぜえはあぜえはあ」
「ゆっくり。大丈夫。僕に合わせて」
「ぜえはあぜえはあぜえはあ」
「すーはー。ほら、合わせて。すーはー」
「…ずー……は……はーーー…すーーーーー……」
「そうそう。ゆっくり、ゆっくりでいいよ。さあ、ゆっくり呼吸して」
すーーーーはーーーー。
すーーーーはーーーー。
何度か、繰り返して、繰り返して、ようやく、酸素が頭に回ってきた。
頭がくらくらする。でも、呼吸は整えられてきた。
ずっと手袋を握っていた手を緩め、掠れた声を出す。
「だ、だいじょう、ぶ、です。あり、が、とう…」
「大丈夫? ちゃんと呼吸して」
「…ん…、……すー……すー……」
「焦らなくていいよ。大丈夫。ゆっくりでいいよ。深呼吸して」
「……はー……」
「そうそう。その調子」
「…ありがとう。…はあ、…まだ、ちょっと…。…はあ、くる、しい…」
「大丈夫。君が落ち着くまでここにいるよ。ゆっくりでいいからね」
あたしを励ます細くも明るい声。
頭が重いせいで、顔を上げられない。貴族令嬢として、助けてくれた親切な人には目を見てお礼を言いたい。
「…あの…」
「無理しないで」
暖かい手袋が、あたしの手を握り返す。
あら、大変。あたし、手袋してないじゃない。
(そうか。あたし、慌てすぎて手袋を忘れてたのね)
手袋。
(……ん?)
手袋。
(あれ?)
目を向ける。
見上げる。
袋を持つ子供。
今のあたしと同い年くらいの子供。
黒髪の、黒い目の、雪のように青白い肌の子供。透き通る白と黒。その姿、その魂、その存在。
(え?)
え?
「大丈夫?」
にこやかに微笑み、あたしに声をかけてくるその存在。
あたしは、覚えている。
(待って)
あたしは、覚えている。
(なんで)
(なんでここに)
あたしは、覚えている。
(そうだ)
(だって)
(そうだ)
(あたし、忘れてた)
(この子の存在)
あたしは、覚えている。
「ゆっくりでいいからね。僕、君が落ち着くまでいてあげる!」
(待って)
(ああ、待って)
あたしは、覚えている。
(あたし、知ってる)
(覚えてる)
あたしは、覚えている。
(懐かしい)
(なんて懐かしいの)
あたしは、覚えている。
(あなたは)
あたしの目が、憎しみに変わる。
お ま え は …… !
その時、遠くから男性の声。
「これは、お嬢様!」
知らない顔の男性が慌てて駆け寄ってきた。知らない顔。だが、この人はあたしを知っているようだ。ということは、―――そういうことだろう。
男性がぐったりするあたしを見て、隣にいる子供を見て、困惑の表情を浮かべた。
「これは、一体何が…?」
「あの」
子供があたしの代わりに男性に伝える。
「この子、過呼吸になっちゃって…」
「まあ、なんということだ。君が助けてくれたのかい?」
「うん」
「ありがとう。助かったよ。お礼を」
「お、お礼?」
子供が目を丸くして、首を振った。
「お礼なんていりません。僕、大丈夫です」
「そう言わずに受け取ってくれ。このお嬢様は、我々にとって大切な存在なんだ。君はお嬢様を助けてくれた。そのお礼だ。さあ。受け取って」
そう言って男性はポケットから金貨を取り出し、子供に差し出す。金貨を見た子供が驚いて、ぎょっと肩を揺らし、慌てて金貨を押し戻した。
「ぼ、僕、貰えません!」
「私からの感謝の気持ちだ。お嬢様も、きっと君に感謝しているはずだよ」
「いや、あの、でも…」
「マナーとして気持ちを受け取るのは礼儀だ。さあ、謙虚で優しい子。どうか、我々の気持ちを受け取ってくださらないかい?」
「…………あ、あの…えっと……。……それじゃあ……」
礼儀と言われ、子供は金貨を受け取った。
「これ、貰います。ありがとうございます」
子供が男性に頭を下げる。そして、大切に金貨を握り、鞄の中に突っ込んだ。その際に、散らばったパンが子供の目に入り、パンの存在を思い出す。
「あ…」
あたしの手から手袋が離れた。
(あ)
待ちなさい。
あたしの手を離した子供が雪の地面に散らばったパンを拾い、再び袋の中にいれ、立ち上がる。
「ぼ、僕、もう行きます!」
待って。
あたしの視界がふらつく中、手を伸ばす。子供の手袋を掴む。
「あ…」
あたしの手に気付き、子供があたしに振り向いた。かがんで、あたしの手を膝の上に戻す。
「あの…。…もう、大丈夫そうだから、僕、行くね」
待って。
あたしは手を力ませる。でも、力が入らない。
「もう、呼吸が乱れるまで走っちゃだめだよ」
子供が微笑んだ。
「それじゃあね!」
待って!!!
あたしの声は届かない。声が出ない。
だから、あたしの声が届かなかった子供は、紙袋を持って、とてとてと走っていく。
どこか、戸惑ったように、怯えたように、慌てたように、あたしに近づいちゃいけないと言うように、あたしから離れなきゃと言うように、鞄を揺らして、コートを揺らして、マフラーを揺らして、雪の中を走っていく。
あたしは、その後ろ姿に、小さく手を伸ばす。
(待って)
待ちなさい。
(待ってよ)
あたし、ずっと訊きたかった。
どうして、約束破ったの?
「テリーお嬢様、大丈夫ですか? お嬢様?」
「……………」
「こちら、噴水前。テリー・ベックスご令嬢が……」
その顔を今、思い出した。
今の今まで、ずっと封じ込めていたように、忘れていた顔。
黒い目。黒い髪。雪のような白い肌。暖かい手袋。優しい笑顔。
名前が出てこない。
忘れてしまった。
だって、あの子供と過ごした期間は短かったから。
だからあたしにとっては一瞬の出来事。
小さな記憶。
でも、鮮明に覚えてる。
だって、あの子は、
あたしの、唯一の友達だったから。
「……………」
「テリーお嬢様? テリーお嬢様? 聞こえますか? テリーお嬢様?」
「……………」
「……ビリー様、彼女を抱える許可をお願いします。これでは動けません」




