第12話 スターの悩み
このご時世、イザベラ・ウォーター・フィッシュの名前を知らない者はいない。なんて言ったって、彼女は誰もが知っている黒人スターだ。肌の黒い彼女の魅力的な歌声を聴けば、まるで魔法にでもかけられたかのように人々はうっとりしてしまう。
「え、嘘!?」
「いや、まさか」
「でも、ここは世界最大規模の船の中だし……」
「あの、失礼。まさかとは思いますが……」
一人の女が声をかけてきた。
「イザベラ?」
「ごめんね。プライベート中なの」
イザベラがウインクすると、女が感動のあまりその場に倒れた。それを見た人々が、感動の声を上げた。
「嘘だろ、おい!」
「イザベラ! いつも聴いてるよ!」
「愛してるぜ! イザベラ!」
イザベラが笑顔で手を振り返すと、男達が感動のあまりその場に倒れた。騒ぎに気付いた人々が何事かと廊下に集まっていき、賑やかになっていく。
「え、イザベラ!? 嘘!!」
「イザベラ、この間のコンサート行ったわ!」
「どうもありがとう!」
「きゃーーーー!! ウインクされちゃったー!!」
「イザベラに会えたぜ!!」
「あわわ! イザベラだ! 俺、全部のレコード持ってるあなたのファンです!!」
「どうもありがとう!」
「あああああああ! もう死んでいいーーーー!!」
(こんな女のために死ぬことなくってよ)
人々がわいわいしてる中、イザベラの隣を歩くあたしは神経をピクピク痙攣させている。
(こいつはね、とんでもない女なのよ。とんだ猫被り女なのよ。あたし、知ってるの。みんなに教えてあげるわよ。こいつは)
麻薬使用、麻薬所持、麻薬密売の罪で終身刑となる極悪人なのよ!?
(なのに、こいつ、工場では散々あたし達を悪く言って、みんなを味方につけて、数多くの嫌がらせをしてきやがった)
デブで醜いぶよぶよ肉だるまの囚人イザベラ。
今は見違えるようなスレンダーボディの大スターイザベラ。
(あの女の罪と比べたら、あたしの罪なんて軽い軽い。メニーをこてんぱんに虐め倒して、ママのお船の事故で二千人の命が失われた。それだけの罪なの。こいつと比べたら大した罪じゃないの。そうでしょ?)
「きゃあああああー! イザベラー!」
「あうち!」
体を押され、群衆の外に追い出される。
(なんなのよーーーーー!!)
何よ! イザベラの奴! みんなからちやほやされやがって! いいこと!? あたしのバックには、キッド殿下がいるんだからね! キッド殿下がいたらこのちやほやはこっちのものよ! あっ、あいつ城下町に残ってるんだった! 畜生! あのクソ役立たず王子! きぃいいいいい!
「みんな、本当にどうもありがとう。でも、プライベートなの。ごめんね。またコンサートで会いましょう」
「びゃっ」
廊下を歩いてた子供が転んだのを見て、イザベラがはっとした。
「やだ、大変! ちょっと退いて!」
人々をかき分け、子供の元へ行き、その場にしゃがみ込む。
「ぼく、怪我は?」
「んーん」
「まあ、強いのね! 強い男は女の子にモテるわよ。泣かないで偉い子ね!」
イザベラが子供の頭を優しく撫でた。そんな光景を見て、人々の心が温かくなり、イザベラに向けて拍手をした。それをあたしの憎しみ心は熱くなった。
(なにぃ!? 好感度アップを図っただと!?)
この女ぁああああああああああ!!
(きーーー! むかつく!!)
あたしはポーチバッグからメモ帳を取り出し、記した。
【マーメイド号乗船なう。イザベラが転んだ子供の頭を撫でていたけど、それは絶対好感度を狙った行動。スターなんてそんなもの。】
(城下町に帰ったら裏掲示板にこの文章を書きこんでやる! おっほっほっほっ! ざまあみろ! ばーか!!)
「テリー、行きましょう」
「ずびっ、ええ!」
感動の声を上げる人々に囲まれながら、道を進んでいく。
「イザベラ! 写真駄目かしら! 病気の母があなたの事好きなの!」
「もう。一枚だけよ?」
「ありがとう!」
足を止めて、カメラをぱしゃり。
「イザベラ、サインを頼めないか? 入院中の息子が、あんたのファンなんだ」
「いいわ。その子の名前は?」
「サムだ」
「はいどうぞ」
「プライベート中なのにすまない。どうもありがとう!」
「イザベラ! お願い! こんな機会またとないから……」
「イザベラ!」
「ええ、大丈夫よ! でも一枚だけね!」
歩いては止まって、歩いては止まって、――あたしの堪忍袋の緒が切れた。
(ぷちっ)
「お待たせ、ニコラ。ごめんなさいね」
「げほげほっ。大丈夫。ね、ところでイザベラ、あんなところにアイスがあるわ。ずびびっ、あたし、なんだか甘くて冷たいものが食べたいの」
「あら、いいじゃない! 買ってくるから待っててくれる?」
「え、そんな!」
「ノープロブレム! ニコラは体調悪いんだから、ここで待ってて!」
イザベラがアイスクリームショップに並び始めたのを見て、あたしの目が光る。
(隙あり!!)
あたしは颯爽と後ろにあった店に走った。
「お会計が……」
「おつりは結構」
そして、すぐに持ち場に戻る。あたしのポケットには、かけたら最後。全ての食べものが死ぬほど辛くなる激辛ソースが入っている。
(イザベラァ……! ここで会ったが百年目! あたしに声をかけたのが運の尽き!!)
今までの分、倍にして返してくれるわ!
(おっほっほっほっほっほっ!)
イザベラがソフトクリームを二つ持って、優しい笑顔で戻ってきた。
「お待たせ!」
「ありがとう。イザベラ。げほげほっ、あとでおこづかいから返すわ」
「あはは! お金なら心配ないわ! アタシ、年下に払わせるほど困ってないの」
「あ!」
「え?」
指を差した方向にイザベラが振り返った瞬間、あたしはキャップを取り、赤く染まったドロドロのソースをアイスクリームに躊躇なくかけた。白いアイスに溶岩が流れ込んでいくよう。ぐひひひ! あたしはキャップを閉じ、ソースをポケットにしまい、イザベラがあたしに振り返る。
「何かあった?」
「もりあがってるから、イベントでもはじまったのかとおもったんだけど、げほげほっ、イザベラのファンのかんせいだったみたい」
「うふふ! アイスを買っただけなのにね」
何も知らないイザベラが、アイスクリームをぺろりと舐めた。
(よし! 来た! どうだ! イザベラァ! 悶えて暴れて苦しみやがれ!!)
ぐっと拳を握ると――イザベラがとっても笑顔になった。
「あら! おいしっ!」
「え」
「変わったバニラだわ。ピリ辛。何これ。美味しい! こんなの初めて!」
「……げほげほっ」
おかしいわね。まんべんなくかけたはずなのに、こいつ、すごく美味しそうに食べてやがるわ。
(……このソース、ピリ辛仕様? え? ……おかしいわね。本当に辛いから要注意って書いてあるのに……)
「誰かとアイスを食べたのなんて、久しぶり」
イザベラがアイスクリームを舐めた。
「いつもは姉とだから」
「……友達、本当はいるんでしょ?」
「まあ、……一人だけね。友達っていうか、幼馴染みたいなのがね、一人だけ。あとはいない。前はもっといっぱいいたんだけど……」
イザベラが肩をすくませ、少し、言いづらそうに口を動かす。
「城下町に住んでるなら、知ってるはずよ。三年前」
「……三年前?」
「ハロウィン祭の二日前に、事件があったでしょ」
イザベラが続ける。
「親友が死んだの」
目の前には、豪華な廊下が続いてる。
「良い子だったわ。優しくて、いつだって人の事を考えてくれる子だった。アタシ、肌が黒いでしょ。黒人は昔、奴隷として扱われていた歴史があるのは知ってる? 今は差別のない時代に変わったけど、音楽業界では未だに黒人をなめてる奴がいてね。何度もそういう輩に会ってきたわ。でもね、その度にその子が元気づけてくれたの」
当時、その子と一緒に、イベントの準備をしている時だった。
「突然、会場が爆発したのよ」
アタシは買い出しに行ってて助かったの。でも、その子は直接爆発を受けて、……即死だったらしいわ。
「ハロウィン祭は無事開催された。だけど、楽しんだ人達がいた裏側では、大切な人を失って悲しんでいた人達もいた。あんな事件が起きたのに、祭をするなんて考えられないって言った声もあった。例えリオン殿下が町を復興させたと言えども、アタシも……、みんなも……、……。……とてもね」
けれど、ハロウィンは死者達が帰ってくる日である。死者の格好をして、帰ってくる死者を迎えなければいけない。そうしないと、死者に会えない。大切な人に会えない。
「アタシは祈った。そして思ったの。親友が帰ってくるのであれば、最高の歌を届けないとって」
そして、一日で歌を作った。
「それが、マーメイド・ブルーライト」
イザベラの代表作の歌である。この曲が、社会現象になるほど大ヒットしたのだ。
「あの子、人魚が好きだったの。昔、絵本で読んだとかで、いっつも人魚に因んだアクセサリーをつけてたわ」
「だから、アタシは歌った」
「あの子が好きだった。人魚の物語を」
「沢山の人が応援してくれたわ」
「色んな人が、あの子の死をきっかけに作った歌で、アタシを認めた」
「それで、……応援してくれる人と同じように、アタシをよく思わない人達も増えた。人を信用して助けてみたら、恩を仇で返される事が多くなったの」
「それがスターだって、姉には言われた」
「でも」
「そんな思いするなら、アタシは友達を作らないって決めた」
「もし作ったところで、また裏切られたり、……死んじゃったら悲しいじゃない」
「だったら、一人のままでいいわ」
「もちろん、時々寂しくもなるわ。でも、それも歌えば無くなる」
小さな川の上に立つ橋を渡った。川には魚が泳いでいた。
「歌ってすごいのよ。何でも忘れさせてくれる。嫌な事があったら大声で怒鳴り散らす前に歌ってごらんなさい。リズムも音程も歌詞は何でも良いわ。あなたの思う事でいいの。嬉しいなら喜びの歌を。むかついたら怒りの歌を。ナイーブなら悲しみの歌を。踊りたいなら楽しい歌を。喜怒哀楽を歌にぶつけるの。歌なら、殴っても蹴っても殺しても構わない。傷付くのは形のない歌だけなんだから」
イザベラが楽しそうに言ってから、急に表情を曇らせた。
「ただ、……今のアタシには、それが出来ない」
「怒鳴る事しか出来ないの」
「だって、言葉が何も思いつかないんだもの」
「アタシの調子とは裏腹に、どんどんレコードの売り上げは上がっていくわ」
「それと同時に言われるの。新曲はまだ? って」
「それもなかなか、苦しくてね」
「でもどうしようも出来ない」
「作れない」
「無理矢理作ったって、それはアタシの気持ちじゃない」
「スランプは時間が解決するという人もいる」
「それはいつ?」
「いつになったらアタシはまた歌えるの?」
「結婚したら、アタシは満足に歌えるの?」
「歌詞が書けない」
「言葉がわからない」
「自分の気持ちがわからない」
「そうこうしているうちにも、ファンも、……天国にいるあの子も、アタシを待ってるわ。アタシはあの子の分も歌い続けないといけない」
「でも、アタシがレコードを出して、期待外れだって言われたら?」
「別に良いのよ。それでも。でも、……いざ、作ろうとしたら……」
「……」
「……。……。……」
イザベラがため息を吐いた。
「全部、自分自身で解決するしかないのにね」
開き直ってあたしに微笑む。
「アタシったら、あなたが他人だからって甘えすぎてるわね。気にしないで」
「……」
「ああ、美味しい。アイスクリーム、買って正解だったわ」
(……イザベラがスランプですって?)
イザベラ。スランプ。結婚式。マーメイド号。
(……いや、思い出せない)
頭の中のアルバムを開いてみるが、マーメイド号にイザベラが乗っていた事を知ったのはついさっきだ。
(こいつ、いたんだわ。乗ってたのよ)
それで生き残った。関係者は死んだか、一緒に逃げたか。それで麻薬に手を染めた。捕まった。工場であたし達に出会った。
(そういう事だったのね。だから、こいつ、あたし達に必要以上にちょっかいかけてきたんだわ)
――マーメイド号で人の命を奪った、殺人貴族!
(こいつ……!)
憎しみがふつふつと沸いてくる。悪いのは船に乗ってたクルーと氷山でしょ? どうしていなかったあたし達が、こんなスランプナイーブ女にちょっかいかけられないといけなかったわけ?
(合点がいった。もう絶対許さない)
どうしてくれようか。イザベラ。今からお前の部屋に行って、何をしてやろうか。色んな仕返しを思いつく。ジュースをお願いして、クローゼットにしまってる全てのドレスにぶっかけてやろうか。レコードを目の前で割ってやろうか。何でも良い。こいつをもっと傷つける事が出来れば、スターのこいつが、生きるのが辛くなるくらい追い込む事が出来れば……。
あたしとイザベラの足が止まる。エレベーターが下りてくる。ドアが開いて、人々が下りてきて――一人の紳士が、きょとんとした。
「……イザベラ?」
男を見た瞬間、イザベラが顔をしかめた。背の高い、凛々しい顔付きの白人男だ。高級感のあるスーツがよく似合う。イザベラが嫌そうな声を出した。
「あー」
「イザベラ、ここにいたのか。……誰だ。その子は」
「誰だって良いでしょう」
イザベラが考え中のあたしの肩を抱いてきた。突然抱かれたあたしは驚きの声を上げる。
「おっふ」
「ニコラ、行きましょう」
そのままあたしを引きずるようにイザベラが歩く。
「別のエレベーターを使いましょう」
「あ?」
「待ちたまえ。イザベラ」
「ああ、あの硬い喋り方。うんざりする」
イザベラが振り向いた。
「マーロン・ブランクス。ついてこないで」
「話がある」
「話って何? 散々結婚式の打ち合わせはしたと思うけど」
「今後の私達について、まだ話をしていない」
「そんなの結婚してからでいいじゃない」
イザベラがあたしの肩をぐっと寄せ、再び大股で歩き続ける。男はそれを追いかけた。
「イザベラ」
「もう本当にやめて。言ってるでしょ。ビジネスだって。アタシもあなたもデメリットの無い結婚。ね、必要以上に近付かないで。アタシはあんたの声も聞きたくないの」
「君はそう言って逃げてばかりだ」
「あら、そうかしら?」
「話し合おう。二人でだ」
「必要ない」
「そういう態度を取るなら考えがあるぞ!」
「勝手にしなさいよ! アタシはアタシだけのものよ! てめえに縛られるのはうんざりだわ!」
(この女、よくもあたしの肩に触りやがって……! よくも、よくも……)
あたしの足がふらふらしながらイザベラに引っぱられる。振り返ってみると、呆れた顔をした男が深い溜め息をつき、額を手で押さえ、追いかけるのをやめたのを確認した。
「あいつよ。噂のろくでなしの最低男。愛のない結婚相手」
イザベラが不機嫌そうに早口で話す。
「アタシ、姉さんが本当に大好きで、なんていうか、小さい頃から、姉さんだけがアタシの理解者で、家族だった。だから、姉さんが言うならと思ってこの話に乗ったけど、やっぱり駄目。彼とは合わないのよ。マリッジブルーだなんて言われてるけど、そうじゃない。アタシわかるのよ。自分の事は自分がよく知ってるわ。ああ、もうイライラする」
(あたしは……あんたに……イライラして……)
「ごめんね。ニコラを巻き込むつもりはなかったんだけど、ああ、最悪。こんな事になるなんて。せっかく話し相手が出来て良い気分だったのに最悪だわ。……アタシ、部屋から抜け出してきたのよ。あいつが結婚の後の話ばかりして、うんざりしたから。愛してないのに高価なネックレスをプレゼントしてきて、アタシはね、そんなもので釣られる魚女じゃない。あいつは女を甘く見すぎよ。本当に最低な男。あんなのと結婚するなんて、ううっ、寒気がするわ。身の毛がよだつ。ニコラも見たでしょ? あんなひょろひょろした男、どう思う?」
その直後、あたしは首にかけてた双眼鏡の重さに引っぱられ、ふらー、と倒れこんだ。
「あ!」
イザベラがあたしの背中を押さえる。
「ちょ、ちょちょ、ちょっと!」
イザベラがあたしの体を揺らした。
「ちょっと! ニコラ! 大丈夫!?」
(大丈夫じゃねえわよ……)
てめえがあたしの肩を掴んで無理矢理歩かせるから、疲れて体力が無くなったじゃない! どうしてくれるのよ! イザベラ! イザベライザベライザベラ! あたしの敵であり、ベックス家の敵! お前のせいでママが過度のストレスで死んだのよ! 殺してやるから! お前のせいであたし達は牢屋で、工場で……――何よ、これ、世界が、くるくる、回ってる。あはは、イザベラ、お前、顔が、ぐちゃって、歪んでるわよ、はは、ははははは、はははははは!
「どうしたの? ニコラ、どうして笑ってるの? 大丈夫?」
イザベラがあたしの額に手を添えた。
「やだ。すごく熱いじゃない! こんな状態で歩いてたっていうの!?」
「……」
「どうしよう。……とりあえずアタシの部屋まで運んで……。ニコラ、ちょっと待ってて。えーと、クルーはどこかしら。ねえ、誰か! この子をアタシの部屋に……!」
その瞬間、イザベラの前に誰かがしゃがんだ。
「ご迷惑をおかけしてすみません」
その美しさに、イザベラが目を丸くした。
「良かった。見つかって。……この子、私の連れでして」
細い腕があたしに伸びる。
「あとは私が引き受けますので」
「ああ、そうでしたの。ごめんなさい。お詫びをさせてください。アタシ、この子をこんな風にするつもりじゃ……」
「くすす。大丈夫ですよ」
誰かがあたしを抱きかかえた。
「部屋も近いので、ここまでで結構です」
「ごめんなさい。迷惑をかけちゃって……」
「こちらこそ、この子がご迷惑をかけまして」
黄金の目が光る。
「あとは、お任せを」
ぐったりしたあたしは、あたしを抱えた誰に、身を委ね――もう、頭は真っ白。




