第6話 妹の信頼
あたしはノートを開いた。
アメリは今日も寝坊で遅刻だ。
クロシェ先生が窓を見上げた。
「見て、テリー。あの雲の形」
あたしは窓から雲を見上げる。
「そろそろ雪が降るわよ」
「そうなんですか?」
「ええ。あれは低気圧の関係で作り出される雲なの。あの形が見えたら、雪が近いうちに降り始めるわ」
「へえ」
あたしは雲を見つめる。
「先生、我が家の12月25日は、クリスマスパーティーを行います」
「へえ、そうなの」
「プレゼントを用意しなくちゃ」
「そうね」
「先生も用意してくださいね」
「もちろん。素敵な贈り物をさせていただくわ」
「それと、クリスマスには赤い服の魔法使いが来るから、皆、早くに寝るんです」
「へえ、そうなの」
「使用人達も、実家に帰る人が多いので、屋敷は少し静かになると思います」
あたしはクロシェ先生と顔を見合わせる。
「真夜中なら、何をしていても、誰も気づかないでしょうね」
クロシェ先生が瞬きをした。あたしは教科書を開いた。
「今日は、何ページでしたっけ?」
「ふふ」
クロシェ先生は笑った。
「いいわ。アメリアヌを待ちながら、先に始めてしまいましょう」
クロシェ先生が言った。
「今日は」
(*'ω'*)
「…遅いわね…」
クロシェ先生が唸る。
(…遅い)
メニー待ちだ。
(来ない)
今日は13時から先生の授業なのに。あたしはちらっと扉を見る。
(来ない)
(来る気配もない)
「クロシェ先生、あたし、呼んできます」
「お願いできる?」
あたしは椅子から下りて、てくてく歩いていく。
(世話焼かすんだから、ったく! あのおとぼけ野郎!)
勉強部屋から出ていき、メニーの部屋へ向かう。このあたしがメニーのために階段を登り、メニーのために3階まで行き、メニーのためにメニーの部屋の扉を叩く。
「メニー!」
扉を叩く。
「13時から授業よ。何やってるの?」
扉を叩く。言葉を発する。しかし、返事はない。
(ん?)
あたしはそっと扉を開けてみる。
「メニー?」
部屋を覗けば、非常に静かだ。
(……)
あたしは、はっとした。
(まさか)
メニーの畜生、逃げたんじゃないでしょうね。
(いや)
(ありえる)
(だって、宿題うんざりそうにしてたもん)
(そうよ)
(あいつ)
あたしを置いて、逃げやがったんだわ!!
「そういうことか!」
あたしは全力疾走でメニーの部屋から出て、また一階に下りて、勉強部屋に入る。
「クロシェ先生!」
「お帰りなさい。メニーはいた?」
「あいつ、逃げました!!」
そう叫ぶとクロシェ先生の眉間に皺が寄った。
「…逃げた?」
「メニーってば、勉強が嫌で、逃げ出したに違いありません!」
先生!
「手分けしてメニーを捜索することをお勧めします! あたし! あの子の行きそうな場所を、探してみます!」
「なるほど。部屋に居なかったのね」
「はい!」
「分かりました」
クロシェ先生が頷く。
「私も探してみるわね」
「はい!」
「見つけたらこの部屋に戻ってきてくれる?」
「はい!」
クロシェ先生が勉強部屋から出て走り出す。あたしも勉強部屋から出て、走り出した。
(メニー!!)
お前だけ勉強地獄から抜け出せると思わない事ね!
(あたしだって逃げたいのにやってるのよ! お前が逃げるなんて! 絶対許さない!!)
あたしは怨念を倍増させて、走り出す。
罪滅ぼし活動ミッション、メニーを見つける。
開かずの間。
「メニー!」
いない。
「次よ!」
キッチン。
「メニー!」
「おや、テリーお嬢様」
「ドリー! メニーを見たら、勉強部屋に来るよう伝えておきなさい!」
「かしこまりました! それよりもテリーお嬢様、新しいおやつを研究しましたので、味見をしていきませんか?」
「………する」
ぱくり。うん。甘くて美味だわ。
「次よ!」
お庭。
「メニー!」
「まあ、テリーお嬢様」
「リーゼ! メニーを見たら、勉強部屋に来るよう伝えておきなさい!」
「かしこまりましたわ。それよりもテリーお嬢様、ご覧ください。あの案山子、とてもいい感じに植物小屋になじんでおりますわ!」
へ へ
の の
も
へ
「……季節によって服を変えてもいいかもね」
「まあ!素晴らしいアイディアでございます!」
へ へ
の の
も
し
少し案山子が笑った気がした。
「次よ!」
馬小屋。
「デヴィッド! メニーが馬車を借りに来なかった!?」
「おお、これはテリーお嬢ちゃま。今日はメニーお嬢ちゃまに会ってねえなあ」
「デヴィッド! メニーを見たら、勉強部屋に来るよう伝えておきなさい!」
「なんでえ? なんかあったんですかい?」
「それがあいつにげ……」
こほん。あたしはハンカチで目元を押さえる。
「勉強時間なのに、メニーがいないの! どこかで迷子になっちゃってるのかもしれない! およよよ!」
「あはは! それ、もしかしてメニーお嬢ちゃま、逃げたんじゃないですかい?」
「あの子、そんなことする子じゃないわよ! デヴィッドったら、変なこと言わないで! およよよ!」
(そうよ! あいつ絶対に逃げたのよ!!)
「とにかく、メニーを見かけたらお願いね! およよよ!」
「はいよ」
「次よ!」
使用人休憩室。
「失礼!」
「「「「ご機嫌よう。テリーお嬢様」」」」
「サリア!」
「テリーお嬢様、どうかされましたか?」
「メニーの畜生が…!」
こほん。あたしは手で顔を隠す。
「メニーが勉強時間なのに、どこにもいないの! ふええええん!」
「あら、そうですか。メニーお嬢様が…」
サリアがそう呟き、考えた。
「………」
あたしにしゃがみ、あたしと視線を合わせる。
「どこを探されました?」
あたしは11歳の少女になりきって、サリアに伝える。
「えっとね、キッチンとね、お庭とね、馬小屋にも行ったわ」
「馬小屋?」
「街までお出かけしてるのかと思って」
「なるほど。馬車は出ていないのですね」
そうなると、
「一緒に探してもいいですか?」
「うん!」
「では、まいりましょうか」
サリアがあたしの手を取り、休憩室から出た。あたしはサリアを見上げる。
「ごめんね。サリア。休憩中だったのに」
「大丈夫ですよ。丁度時間を持て余していたところですから」
サリアがきょろりと屋敷内を見回す。
「午前中はどこに居ましたか?」
「メニー、部屋に居たわ。本を読んでたの」
「お部屋に本はありましたか?」
「……どうだったかな」
「そうですね。まずはお部屋に行きましょう」
サリアと手を繋いで三階の階段を上がる。赤い絨毯を進み、メニーの部屋に辿り着く。サリアが扉を開ける。
「失礼いたします」
中に入っても、もちろんメニーはいない。あたしが中に入り、サリアも中に入る。
「本というのは…」
サリアがメニーの机の上にある本を見下ろした。
「これですか?」
「うん。これ」
茶色の、古ぼけた本。
「朝からこれを読んでたの」
「ふむふむ」
サリアが手を伸ばす。
「これ、触って大丈夫ですか?」
「いいんじゃない?」
再びサリアが手を伸ばす。本を開く。サリアが字を見る。
「……普通の本ですね」
サリアがぱらぱらとめくる。クローバー模様のしおりが挟まっている。
「ふむふむ」
サリアが見下ろす。
「……………」
サリアがしおりのページを見る。
「………」
サリアが腕を組んだ。片手を上げて、頬に人差し指をつけて、とんとんと揺らす。瞼を下ろして、黙る。
さん、に、いち、
「なるほど」
サリアが頷いた。
「こちらです」
「え?」
「テリーも一緒に」
サリアが大股でメニーの部屋から出る。あたしの手を丁寧に引っ張り、あたしはついていくだけ。
(え?)
廊下を進み、古臭い扉を開ける。薄暗い石の通路に繋がる。石の階段。上に繋がっている。
(この先は)
「こちらへ」
ランプも持たずに、ろうそくも持たずに、サリアが階段を上がっていく。あたしも一緒に狭い階段を上がる。長い長い階段の先、長い長い天井。カビの匂いがしてきそうな扉をサリアが開ける。
(あ)
薄暗い屋根裏部屋に置かれた黒い箱の前に、メニーと緑の猫が眠っていた。
「いた」
罪滅ぼし活動ミッション、メニーを見つける。
「だと思いました」
サリアが微笑んで、あたしの手を離し、中に入る。床に丸くなるメニーにしゃがみ、肩を叩く。
「メニーお嬢様」
「……………」
「メニーお嬢様、起きてください」
「………んん…」
メニーが唸った。あたしも近づいて、メニーを見下ろす。
(あ)
メニーが枕にしていたものを見下ろす。
(メニーのアルバム)
お父様と、メニーが、笑っている写真。ワンピースドレスを着た幼いメニーと、お父様と、これは、お母様だろうか。
(わお)
なんて綺麗な人。メニーのお母様も、相当な美人だ。
幼いメニーは、お母様の膝に乗って笑っている。
幼いメニーは、お父様の隣で笑っている。
幼いメニーは、両親からキスをされて笑っている。
「………」
この屋根裏部屋は、元々メニーが城に行くまで、住んでいた部屋。メニーとこの部屋には、何かと縁があるようだ。
「メニー」
あたしもメニーの肩を叩いた。
「風邪ひくわよ」
「……ん……テリ……」
メニーが呟く。
「…おねえちゃん…?」
「メニー、起きて」
「……んー……」
メニーがむくりと起き上がる。
「ふわああ…」
「メニー」
「んん…」
メニーが目を擦り、ゆっくりと瞼を上げた。辺りを見回す。
「……………」
あたしを見て、首を傾げた。
「今何時?」
「もう勉強の時間よ」
「ふわああ…。…いけない…」
メニーが欠伸しながらゆっくりと振り向く。
「いつの間にか寝ちゃったみたい」
大きなアルバムをぱたんと閉じた。サリアがアルバムに手を伸ばす。
「メニーお嬢様、私がしまっておきます。勉強のご準備を」
「あ、だったらサリア、あの、これ、部屋に置いておいてくれない?」
「お部屋に?」
「後で、ゆっくり見たいの」
メニーが眉をへこませる。
「だめ?」
「かしこまりました。机の上に置いておきます」
「…ありがとう」
メニーが猫の体を揺すった。
「ドロシー」
(…ん?)
猫が起きる。にゃあ、と鳴いて、ゆっくり伸びをした。
「ドロシー、行くよ」
「みゃあ」
「…ドロシーって」
あたしは指を差す。
「この猫のこと?」
「ん? うん」
メニーが微笑む。
「あのね、さっき名前決めたの。ドロシーって名前、可愛いでしょう?」
「………」
「本当はね、違う名前の候補もあったんだけど」
「…違う名前の候補?」
「トト」
ドロシーのしっぽが不快そうに揺れた。
「ね?トトも可愛いでしょう?でも、なんか、嫌って顔してて、本に出てきた女の子の名前でドロシーっていたから、それで呼んでみたら」
ドロシーのしっぽが愉快そうに揺れた。
「ね? 分かりやすい猫でしょ?」
「………」
「ドロシー、ふふっ。居眠りした分、勉強頑張らないと」
寝ぼけたメニーがぼうっとしながら屋根裏部屋から出て行く。
あたしはドロシーを見下ろす。ドロシーの目とあたしの目が合う。
(良かったわね、名前、当ててもらえて)
そんな目を向けると、ドロシーが鼻で笑った気がした。
(僕の親友だからね)
ドロシーが屋根裏部屋から優雅に歩いて出て行く。サリアも立ち上がる。
「テリー、私は少し片づけてから下りますから、先に行ってください」
「…悪いわね、サリア」
「これが仕事ですから」
サリアは微笑む。あたしはサリアを見る。
「ねえ、なんでメニーの居場所分かったの?」
「…ああ」
サリアがくすっと笑った。
「本に、答えが書いてありまして」
「え?」
「しおりの部分です。主人公の女の子がお友達とアルバムを見て、思い出を懐かしんでいる描写がありました」
ああ、そういえば、旦那様が持ってきたアルバムは、屋根裏部屋に置いてあったはず。テリーは色んな所を見て回っているようでしたので、
「屋根裏部屋は、探してみたのかしらって、思っただけです」
当たってしまいましたね。まあ、でも、これが、答えあわせです。
「さ、行ってください。テリー達がいないと、クロシェ先生も仕事が出来ませんよ」
「……サリアって」
「はい?」
「勘が鋭い」
「ふふっ。どうでしょうね?」
サリアが微笑みながらあたしの背中を叩く。
「さあ、なぞなぞはおしまいです。行ってくださいな」
「うん。行ってくる。ありがとう」
頷いて、あたしはメニーの後を追った。
(*'ω'*)
メニーが見つかって、クロシェ先生の説教後に無事に授業が始まり、あたし達は課題を渡される。
「メニーはテリーに心配させた分、多めにやりましょうね。はい!」
「っ」
獣のように課題を渡すクロシェ先生に、メニーが顔を青ざめた。
(やーい! ばーか!)
内心メニーを罵倒しつつ、表では天使の笑顔を浮かべる。
「メニー、あたしの部屋でまた宿題やりましょう? ね?」
「うう……」
(やーい! やーい! ざまあみろー!!)
部屋で宿題を終わらせて、あたしは先に終わったからあやとりをして遊び、メニーは追加された分を一生懸命終わらせる。
(へへーん! 宿題地獄はどんな気分? やーい! メニーのばーか! ざまーみろー!!)
優越感に浸っていると食事の時間になる。
(あれ? メニーちゃんってば、食欲が無いのね! どうしたのかしら? え? 疲れた? やーい! ばーか! ざまーみろー!!)
優越感に浸っているとお風呂の時間になる。
(あらら? どうしちゃったの? メニーちゃん。お風呂の中でうとうとなの? え? 今日は宿題片付けるのに疲れた? やーい! ばぁーか! ざまーみろー!)
そんなこんなで、あっという間に寝る時間になってしまった。
(そして)
夜、21時。どうしてメニーがあたしの部屋で、アルバムを眺めているのか分からない。
「ドロシー、これがお父さんだよ」
「にゃあ」
「これは私」
「みゃあ」
「これは、お母さんだって」
メニーが写真を見る。
「でもね、私、お母さん、あんまり覚えてないんだ」
メニーが写真をじっと眺める。
「これがお母さんだって言われても、お父さんほど、親しい感じはないの」
メニーがお母様の写真を眺める。
「懐かしい感じも、あんまり、覚えてないの」
あたしはメイドに運んできてもらったホットミルクをカップに注ぎ、メニーの前に置いた。
「これ飲んだら、部屋に戻りなさい」
「ねえ、お姉ちゃん」
メニーがあたしに顔を上げた。
「似てる?」
あたしはメニーの向かいに座る。ホットミルクを冷ましながら、写真を覗く。写真には、メニーほどではないが、それでも美しい女性が写っている。
(………うん)
「似てる」
「そっか」
メニーがじっと見つめる。
「私が大人になったら、こんな感じになるのかな」
(いいえ)
あたしは即答できる。この人よりも、もっと美しくなると。
(心から憎しみが湧いて出るほど、美しくなる)
あたしはメニーに微笑む。
「メニーは美人だから、もっと綺麗になるわよ」
「ふふっ! そうかなあ?」
「ええ」
お前はとても美しい。殺したいほど、美しくなる。
(その頃には、メニーは既に王子様のお嫁さんになっていることだろう)
そして、あたしは二度と、お前に関わらない。
(完璧)
関わらなければ殺意は湧かない。情報さえ無ければいいのだ。耳を塞いで、目を閉じて、メニーの情報を遮断させれば、きっと。
(あたしは)
この苦しみから、解放されるのだ。
「お父さん、若いなぁ」
メニーがカップをすすった。あたしもカップをすすった。硬直した。
(むぐっ)
熱い!
「…………」
あたしはそっとテーブルにカップを置く。メニーもカップを置いて、ドロシーの背中を撫でながら、アルバムを眺める。
「そういえば」
「ん?」
「お姉ちゃんとの写真、一枚しかない」
「……ああ」
五人で撮った最初で最後の写真ね。
「家族写真、ママの部屋にあったはずよ。いないうちに見に行けば?」
「ねえ、今度三人で撮ろうよ」
「三人?」
「アメリお姉様と、私と、お姉ちゃん!」
あたしの目が一瞬鋭くなり、すぐに緩ませる。
「あー。いいかもねー」
「うん! でね! 部屋に飾るの!」
「いいかもねー」
「えへへ! 帰ってきたらだね!」
メニーがカップをすする。またアルバムを眺める。
「あ、懐かしい。このワンピース、好きだったの」
ページをめくる。
「これは旅行に行った時。ふふっ。お父さん笑ってる」
ページをめくる。
「私もお父さんも楽しそう」
あたしのホットミルクが冷める。あたしはミルクをようやく飲みこむ。
「………楽しそう」
メニーのお父さんとメニーが笑ってる写真で、アルバムが終わった。メニーがアルバムを閉じた。
「まだ、もう何冊か、あったはずだから、探してみようかな」
「授業のない時にしなさいよ」
「わかってるよ」
あたしとメニーがホットミルクを飲み終わる。
(よし)
これでお前とお別れよ。
「メニー、そろそろ…」
「お姉ちゃん」
ん?
メニーがあたしを見つめる。
「……今夜、一緒に寝ちゃだめ?」
あたしは、にっこりと笑う。
「メニー、ドロシーがいるでしょう? 寂しくないわよ」
「……今夜はお姉ちゃんと寝たい」
(気持ち悪い)
「メニー、皆に甘えん坊のお子様って、思われちゃうわよ」
「…思われてもいいもん」
「メニー、貴族令嬢らしく、凛としてないと」
「貴族だからって、お姉ちゃんと寝ちゃだめなの?」
「にゃーあ」
ドロシーが鳴いた。あたしはドロシーを見下ろす。睨む。ドロシーが呆れたような目をあたしに向けた。
(別にいいじゃないか。寝るくらい)
あたしは嫌なのよ!!!!
「…………………」
「お姉ちゃん、だめ?」
「…………もー。しょーがないわねー」
あたしは微笑む。
「トイレは?」
「平気」
「行ってきて」
「大丈夫だよ」
「行ってきなさいよ。寝る時になって、行きたくなったら、目が覚めちゃうわよ」
「んん…」
「ね?」
「わかった」
メニーがあたしに首を傾げる。
「お姉ちゃんは?」
「あたしはさっき行ったから」
「そっか。じゃあ、行ってくる」
メニーがとてとてとスリッパを動かして、あたしの部屋から出て行った。あたしはクッションを掴み、あくびをするドロシーに思い切り投げた。ドロシーがひょいと簡単に避けてしまう。
あたしは舌打ちをして、唸るように言った。
「最悪」
「八つ当たりしないでくれる?」
魔法使いの姿で、ドロシーが天井に貼り付き、あたしを見上げる。あたしはベッドに歩き出す。
「あー、最悪。まじで最悪。あたし疲れてるのに。本当に最悪」
「色んなことを思い出して、人肌が恋しくなったんだよ。いいじゃないか。今夜くらい」
「嫌よ! 言ってるでしょ! 嫌いなのよ! あいつ!!」
あたしはベッドに飛び込んだ。
「あー! もう! 本当にやだ!!」
ベッドで這いずり回る。
「やだ! もう! ママ! アメリ! 早く帰ってきてよ!!」
あいつの子守りは沢山よ!!
あたしは枕を口に押し当て、叫んだ。
「んんんんんんんんんんんんぁあああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」
最悪な罵倒を、最悪な暴言を、最悪な妄言を、最悪な言語を、最悪な言葉を、枕に当てて、声を、空気にして、枕を握って、体が震えるまで、叫んで、空気にして、あたしの言葉が消える。
部屋が静かになる。
上から、ため息が聞こえた。
「テリー、メニーが来るよ」
「……………」
「一晩くらい、我慢してあげてよ」
あの子には、もう家族はベックス家だけなんだから。
「頼むよ」
扉が開いた。
「お姉ちゃん、お待たせ!」
「にゃあ」
「ドロシーも今夜はここで寝ようね」
「にゃ」
あたしは枕から手を離して、元の位置に起き、ちゃんとベッドの中に入って、メニーの隣の壁に指を差す。
「メニー、電気消して」
「うん!」
メニーが部屋の電気を消す。ベッドの側に置かれたランプが光るだけ。メニーがベッドに入ってきた。あたしの隣に寝転がる。
「消すわよ」
「うん」
ランプが消える。部屋が暗くなる。
「おやすみ。メニー」
「おやすみなさい。お姉ちゃん」
メニーがシーツをかぶって目を閉じる。
あたしはシーツをかぶって、少し距離を置いて、目を閉じる。
仰向けになると、手がシーツの中で、メニーの手とぶつかった。メニーの手がそれに気付いた。あたしの手を握った。
「っ」
あたしの顔が引きつった。しかし、暗いから顔は見えない。あたしは我慢に我慢を重ね、メニーの手を握った。
「……へへっ」
横から、かすかな笑い声。
「お姉ちゃん、おやすみなさい」
もう一度メニーが囁いて、枕に頰を擦り寄せて、あたしの手を握ったまま、寝息を立てる。
(………くそ)
幸せそうに寝やがって。
(あたしは憎しみでいっぱいよ)
あたしは爪を、軽く、本当に軽く、メニーの手の肌に突き立てた。