第3話 10月18日(4)
――はっとすると、商店街の人々が唖然とした顔で、『キッド殿下』がにっこりと微笑みながら、看板の周りで騒ぐ双子と、それに囲まれたあたしを見ていた。
双子が慌てて一歩下がり、キッドが看板の後ろにいるあたしに歩み寄った。
「レディの前で怒鳴り声なんて良くない。大丈夫でした?」
「大丈夫です。ありがとうございました。さようなら」
あたしがきりっと背筋を伸ばしてキッドの後ろを見ると、商店街の人々の間にいたリトルルビィと目が合った。
(よし、リトルルビィの方へ逃げよう)
リトルルビィにアイコンタクト。
リトルルビィが頷く。
(テリー! こっちよ!)
(今行くわ! ルビィ!)
看板の裏から抜け出してキッドの横を通ると、手を掴まれる。
「お待ちを。美しいレディ」
(ひっ!)
ぐいと引っ張られたら、体がキッドに向けられる。キッドは、それはそれは素敵な王子様の笑顔を浮かべている。
「一言挨拶を」
「こんにちは。さようなら」
あたしが歩き出そうと一歩踏み込むと、また引っ張られて体を向けられる。目の前には、それはそれは素敵な笑顔の王子様。
「こんにちは、美しいレディ。おさげが乱れておりますよ」
「ああ、そうですか。あとで自分で直します。それでは失礼」
あたしが歩き出そうと一歩踏み込むと、また引っ張られて体を向けられる。目の前には、それはそれは素敵な笑顔の王子様。
「せっかくです。私が直しましょう」
「王子様の手を煩わせるのは気が引けます。結構です」
あたしが歩き出そうと一歩踏み込むと、また引っ張られて体を向けられる。目の前には、それはそれは素敵な笑顔の王子様。
「遠慮はいりません。さあ、じっとして」
「あたし恥ずかしがり屋なんです。人が見ている前で王子様におさげを直してもらうなんて出来ません。失礼」
あたしが歩き出そうと一歩踏み込むと、また引っ張られて体を向けられる。目の前には、それはそれは素敵な笑顔の王子様。
「恥ずかしがり屋は嫌いじゃありません。さ、大人しくして」
途端に、周りから声が上がった。
「私すっごくシャイなの!」
「きゃー! 恥ずかしいーー!」
「恥ずかしくて周りが見られないわ!」
(ナイスよ! レディ達!!)
あたしはにっこりと素敵な笑みを王子様に向けた。
「ほらほら! 皆さんの方が恥ずかしがり屋ですって! 行って構ってあげてください!」
「恥ずかしいなら」
キッドがあたしを引き寄せた。
(えっ)
キッドの胸にあたしの体がすっぽりはまり、それをキッドが抱きしめた。
あたしの呼吸が止まる。レディ達が息を止めた。
キッドは、切なげに微笑んだ。
「こうやって抱きしめて、落ち着かせましょう。レディ」
その美しい笑顔に、
その切なげな笑顔に、
その魅力的な笑顔に、
脳がぱーん! と弾けた一部のレディと紳士が倒れた。
「あーーーーー!! ベッキー! しっかりして!」
「ブライアン! お前男だろ!」
「ルフィーナぁああ!!」
「あんた! あんたしっかりおし! あんたーー!」
「奥さん! カリンが倒れましたーーー!」
(てめぇえええええええ!!)
顔を上げると、キッドがにやにやと笑っている。あたしが焦った顔をしているのを、もっと見たいと言いたげなからかいの目をしている。
抱き合ったままあたしとキッドの目が合う。
(お前は何を考えてるの!? 最低最悪! 今すぐ離れろ離れなさい放せ離せ放せ!!)
「見て! アリス! あのニコラちゃんがキッド様に見惚れてるわ!」
「本当だ! あのニコラが見惚れてる!!」
「でも見惚れちゃうわよね! 分かるわ! ニコラちゃん!!」
「ああ……! キッド様! 素敵……!」
ぎりぎりぎりぎりとキッドを睨む。
にたにたにたにたとキッドがにやける。
周りに見えないようにキッドのお腹をばんばん叩いた。
キッドがおかしそうにくすくす笑う。
(くそぉ……!)
「落ち着きましたか? レディ」
(誰が落ち着くか! 放せ! さっさと離さんかい!)
「そうですか。落ち着きませんか。でしたら」
あたしの耳元で、キッドが小さく囁いた。
「看板の裏に隠れて、いけないことでもしちゃう? テリー」
キッドがくくっ、といやらしく笑った。
あたしの背中にぞぞぞっと寒気が走る。
(に……逃げるのよ……)
(他人のふりして逃げるのよ……!)
離れようと一歩下がると、キッドの腕が強くなる。
(むぎゅ……動けない……)
王子様に抱きしめられている。
(動けない……)
周りはどんどん倒れ、看病に徹し始めている。
(動けない……)
リトルルビィを見ると、社長の看病に行ってしまっている。
「社長! 大丈夫ですか!」
(リトルルビィぃぃいいいいい!!! あたしのことも助けてぇぇぇええええ!!)
周りの目はハート。魅了された人々。誰も動けない。誰もキッドに逆らえない。
(だ、誰か……)
(この悪魔から)
(誰か……)
――誰か助けて!!!
「あーーーーー!」
誰かの大声。
「あんなところに、超美人が!!」
「えっ! 超美人!?」
「何っ! 超美人だと!?」
「超美人!?」
紳士達が一斉に振り向く。レディ達もつられるように振り向いた。直後、キッドがあたしから引き剥がされた。後ろに引っ張られ、キッドの足がよろけ、不意を突かれた表情で振り向く。引っ張った人物が前に回り、キッドの胸を押しやり、突き飛ばした。
キッドの片目が不快そうに痙攣した。
それを見たレオが、にやりと笑った。
「失礼!」
帽子を深く被ったレオがキッドに言って、あたしの前に立つ。あたしは目を見開く。レオはあたしの顔を見て、にっと笑った。
「お兄ちゃん以外に浮気なんて、駄目じゃないか! ニコラ!」
「は?」
「え」
「えっ」
レオの姿に、あたしが呆然として、見ていたグレタとヘンゼがポカンとした。レオが無邪気に笑いながら屈んで、あたしを肩に抱き上げた。
「よっと!」
「わぎゃっ!?」
あたしを抱えたレオを見て、キッドの目が見開かれた。
「僕の妹は、まだ嫁にはやらん!」
楽しそうなレオが、王子様のキッドを見た。
ヘンゼとグレタが呆然と、レオ――リオンを見た。
キッドの目がリオンを見た。
リオンの目がキッドを見た。
キッドが抱えられるあたしを見た。
あたしは呆然とリオンの肩に抱えられていた。
「ニコラ! ランチは? お兄ちゃんと一緒に食べようよ!」
そう叫んで、レオの足がキッドを横切った。キッドが振り向く頃には、レオはあたしを抱え、商店街通りから抜け出していた。
「ちょ、ちょっとお待ちを!」
「キッド様、失礼いたします!」
ヘンゼとグレタが慌ててレオを追う。レオが無視して、あたしを抱えて走り去る。レオが馬のように走る。キッド並みの運動力で走っていく。街を駆け、道を駆け、橋まで走り、飛び降りる。
「よっと」
短い距離で着地し、橋の下に隠れる。あたしを抱えたままじっと止まる。見上げると、静かな空気。
「レオ」
「しっ」
レオに止められる。黙っていると走ってくる足音が聞こえた。黒馬の声も聞こえる。
「ヒヒーン!」
「リオン様!」
「リオンさばあああ! なぜ! 一体なぜここに! アレクちゃん! リオン様の位置を辿るんだ!」
「なぜ! 一体なぜここに! なぜこの時間帯にいるんだ!? グレタ、今日は午後まで自室療養だったよな!?」
「そのはずだ! 兄さん!」
……。
ヘンゼとグレタが顔を見合わせて、はっと息を呑んだ。
「「スケジュール騙したな!? リオン様!!」」
「最悪だああああああああ」
「騙されたあああああああ」
ヘンゼとグレタが頭を抱え、辺りをきょろきょろと見回した。
「どこだ! どこだ! リオン様!」
「兄さん! なんだかアレクちゃんの具合が悪そうだ!」
「どうでもいいわ! アレキサンダーよりもリオン様だ!」
「兄さん! どうでもいいとはなんだ! アレクちゃんは俺の相棒なんだぞ!!」
「ど畜生! グレタ! 署に連絡しろ! 緊急だ! 急いでリオン様を見つける! テリー様もだ! 二人きりなんて冗談じゃない!!」
「兄さん!」
「どうした、グレタ!」
グレタがふっと笑った。
「こういう時こそお菓子の家を作ってみないか」
ヘンゼが地団太を踏んだ。
「どぅあああかるぁあああお前すぁあああああ!!」
「兄さん! お菓子の家を作って、落ち着きを取り戻すんだ!」
「ど畜生の馬鹿野郎! キッド様がご乱心だ!! 殺されるぞ!! すぐに連れ戻せ! キッド様が涼しい顔して一人ずつ挨拶されている間に! 見つけるんだ! 早急に!! テリー様だけでも!!」
「兄さん! 分かったぞ! もしかしたらリオン様はパンの耳で、道しるべを作っているかもしれない!」
「どぅあとしたら! 鳩に食われてるさ!」
はっ!
「「ということは鳩が群がる場所に行けば、リオン様とテリー様がいるんじゃ……!」」
ヘンゼとグレタが走り出した。
「鳩はどこだーーー!!」
「アレクちゃん! 行け!」
「ヒヒーーーーン!!」
――静まり返った。
レオとあたしが同時に息を吐き、レオがあたしを地面に下ろした。
「……あんた、学校は?」
「今日、実はお休みなんだ。くくっ。久しぶりに一人で出歩けて清々した」
あたしは腕を組み、レオは腰に手を置き、お互いを見る。
「突然、悪いね」
「びっくりしたわ」
「なぜ僕がいたか気になってる?」
「別に」
「そうか。気になるか」
レオが目を光らせ、ふふっと笑う。
「よし、ミックスマックス方式で説明してあげよう」
「ミックスマックス方式?」
「ニコラ、君は合いの手を頼むよ」
「合いの手……?」
「いいかい。僕の歌が区切ったタイミングで、ちぇけらって言うんだよ」
「ちぇけら?」
「いくよ! ニコラ!」
「え」
ぶんぶんちゃかちゃか。ぶんぶんちゃかちゃか。
YOYO! 僕は最強伝説第二王子のリオンだぜ!
「ちぇけら」
祭の準備で閉鎖だYO。商店街が閉鎖だYO。
お困りトラブル悩みがないか、身を隠して偵察中! 僕は黙って捜査中!
「ちぇけら」
店の看板潜んで隠れて、ニコラを発見。ガールズトークの真っ最中! 僕はかくれんぼの真っ最中! 声をかけるか肩を叩くか考えてたら現れた! おかしな双子が現れた! ヘンゼル、グレーテルのコンビネーションまじ卍。
「ちぇけら」
慌てて看板隠れたけれど、その後登場世界の魔王だキッドだYO。キッドは本望。僕絶望!
「ちぇけら」
もう駄目だYO。二度とこの看板から出られない! 絶望まっしぐらまっくらくらくらしたその瞬間、あろうことか、キッドがニコラを発見。高速。拘束。抱きしめられてしまった。婚約者だもんね。そりゃそうさ。いちゃらぶ二人を僕は見てたYO。
「ちぇけら」
しかしニコラは抗うYO。キッドの腹にワンパンチ。キッドからの逃走妄想想像するYO。今にも逃走したそうだYO。
ここはお兄ちゃんの出番かな! HEY! YO! HEY! YO! 君を誘拐痛快逃走闘争男の霹靂見せるぜ! そうさ! 僕は男だ! 助けるぜ! ニコラと僕の逃走劇は始まるのさ! NOWなのさ!
「ちぇけら」
音楽が止まる。
レオが止まる。
あたしが止まる。
秋風が吹く。
お互いに顔を向ける。
レオがふっ、と笑った。
「と、いうわけさ!」
「ねえ、普通に説明出来なかったの?」
「何言ってるんだ! ニコラ! 僕らはミックスマックスの愛好者だぞ! ミックスマックス方式で説明出来るなんて、この上ない幸せなんだぞ!!」
(この人は一体何言ってるの……?)
哀れな目で満足そうなレオを見る。
「つまり、祭の様子を見てたらキッド達が出てきて、偶然あたしを助けてくれたってこと?」
「ま、かいつまんで言うとね」
レオが首を傾げた。
「それとも、見捨てた方がよかった?」
「いいえ。あんたにしては上出来よ」
「妹が困ってたら、助けるのは兄の役目さ」
レオが不敵に微笑み、笑い出す。
「……ぶふっ」
途端に、レオが吹いた。
「ぶっはははは! 見た? ニコラ! あの人の顔! 君を持ち上げて、嫁にはやらんって叫んだ瞬間、僕をめちゃくちゃ睨みつけてた! あー! こえーー! こえーー!! あはははは!! はぁーはっはっはっはっ!!」
レオが興奮したように、腹を押さえて笑った。
「ざまあみろ! キッド!」
嬉しそうに笑って、息を吸って、吐いて、一気にレオの表情が曇った。
「……やばい……殺される……」
「……いいわ。あんたに手を出さないよう、キッドに交渉してみる」
「え、出来るの!?」
「分かんない。頼んでみる。でもこれで助けてもらった借りはちゃらよ」
「困った時は助け合う……! ううん! まるで本物の兄妹みたいだな! そう思わないか! ニコラ! 感動的だ! 実に感動的だ!!」
(言ってろ……)
てめえの馬鹿さ加減にはうんざりよ。
そんなことをあたしが思っていると知らないレオが、親切にあたしに助言をする。
「ちょっと騒いじゃったから、ほとぼりが冷めてから戻るといい。兄さんも多分、そんなに長居しないはずさ」
「ええ。そうする」
「もし遅れて店の人に怒られたら、お兄ちゃんが放してくれなかったって言い訳していいよ」
「ん」
こくりと頷き、はあ、とため息を出した。
「まさかキッドが来るとは思ってなかった……」
「……ま、ハロウィン祭も近いから」
レオもため息を出し、あたしを見た。
「……あの後、メニーは大丈夫だった?」
「ええ」
「そうか。……今度、三人でミックスマックスの本店に遊びに行こう。きっとメニーの涙も消えて笑顔になるはずさ」
(また怒られるわよ……)
レオは気にせず話を続ける。
「ところでニコラ、今日の待ち合わせには……」
「……行く」
「そうか。それはいい。だがしかし、ニコラ、それとは別に、明日から三連休が始まるわけだ」
「ん? ええ。そうね」
「21日」
レオが訊いてくる。
「時間、あるか?」
「21日?」
あたしは考える。
(……19日はリトルルビィと祭を回って)
(20日は……ソフィアと出かけて……)
(最終日は……)
「家でごろごろするというミッションが……」
「馬鹿野郎! それでも僕の妹か!!」
大声を出すレオを冷たい薄目で見つめる。
「何よ」
「21日は、大切な日だぞ……! ニコラ!」
「だから何よ」
「忘れてはいけない。たとえジャックが来たとしても、忘れてはいけない……」
レオがぐっと拳を握った。
「絶対に忘れてはいけない!!」
「大事な用事?」
眉をひそめて訊けば、レオがにやけた。
「ふふふ。……秘密だよ、ニコラ。公言していけないよ。これは知る人ぞ知る人の情報なんだ……」
「な、何よ……」
ごくりと固唾を呑み、不敵に笑うレオを見つめる。
「何があるっての……?」
「実は……」
レオが目を、きらっきらと輝かせた。
「ミックスマックス最新情報! 三連休の最終日に、ミックスマックスのイベントがあるのだああああああ!!」
あたしは眉を八の字に下げた。一方、レオは笑顔。
「今回のイベントは!」
「デザイナーによるフリートーク!!」
「ライブ!」
「限定グッズ販売!」
「アニメ化おめでとうの握手会!」
「アニメ最新情報!」
「最新のブランドアイテムの販売!」
「行きたい!」
「すごく行きたい!」
「というわけで、ニコラ!」
レオがびしっと指を差して、
「21日、11時に公園で待ち合わせだ!」
「やだ」
「えっ」
レオが思わぬ返事を返されたという顔をする。あたしの眉が吊り上がった。
「当然でしょ! なんであんなくそダサいブランドのイベントに、このあたしが行かないといけないの!?」
「分かってないな。ニコラ。君の妹のメニーがなぜこいつを投げたと思うんだ?」
ポケットから、レオが大切そうに犬のストラップを見せてきた。
「それはね、君自体が、ミックスマックスの魅力について分かってないからだ!」
「分からなくていいわ!」
「ミックスマックス愛用者として、僕はミックスマックスの魅力について伝導して回らないといけない。まず手始めに、ニコラ、ミックスマックスイベントに行こう」
「いい」
「行こう!」
「嫌よ!」
「大丈夫! 絶対楽しいから!」
「嫌よ!」
「ミックスマックスのアイテム買ってあげるから!」
「嫌よ!」
「ミックスマックスのカフェスペースでパフェ奢ってあげるから!」
「嫌よ!」
「ミックスマックスのカード貸してあげるから!」
「嫌よ!」
「ぐぐぐ……! ここまで言って断るってのか……!」
「嫌よ! あんなくそダサいブランドのイベントなんて行きたくない!」
「ニコラ……」
レオがすーーーっと冷たい空気を放つ。
「分かった。そう言うなら、最終手段だ」
「……何よ」
あたしの額から、冷や汗が流れる。
「何言ったって駄目よ。あたし行かない」
「そうか。じゃあ、……行こうか」
「だから、行かないって」
「イベントに行かないなら、しょうがない。もう君には用なしだ」
レオが冷たい目で微笑んだ。
「兄妹の契約は終わりだ。僕も死にたくない。笑顔でキッド兄さんに君を差し出そう。そして許してもらう」
あたしは黙った。
「もう抱きしめられても助けない。知らない。僕は君を見捨てて逃げることにするよ。何も関係ないからね」
あたしは黙った。
「婚約解消したいんだっけ? ああ……、……残念だ。結婚式、楽しみにしてるよ」
「いいこと。ついていくだけよ。あんたの後ろを歩くだけ。それでいい? 満足?」
「交渉成立」
レオがにっこりと、悪い笑顔をあたしに見せた。
(このやろ……!!)
「はっはっはっはっ! 最初からそう言えばいいのさ! はっはっはっはっ!」
「ぐっ……!」
ぎりぎりと睨んでも、レオは愉快そうに微笑む。
「11時待ち合わせだぞ。遅れるなよ」
「……時間早くない?」
「無論! イベントは13時からさ!」
「じゃあ12時とかでいいじゃない」
「早めに行って、ランチを一緒に食べようよ」
「あんたとご飯食べろっての?」
「兄妹だろ? 仲良く食べようよ。何か食べたいものない?」
(……じいじのご飯食べてた方が美味しい……)
そう思っていると、レオが勝手にひらめいた。
「あー、そうだ。ニコラ、あそこで食べようよ。あのステーキ屋」
「昼からステーキ食べるの?」
「そうだよ。兄妹で仲良しこよし、一緒に食べよう!」
「あたしはあそこでのこと忘れてないわよ……! 可愛い鼠ちゃんをよくも……!」
「確かメニューにステーキ以外もあったはずだ。たらふく食べてからイベントで大盛り上がり」
「友達と行けばいいじゃない……」
「……だって」
レオが微笑んだ。
「ニコラとは手柄探しには行ってるけど、遊んだことはないだろ? 良い機会だ。遊ぼう! 子供らしく!」
「あんたが遊びたいだけでしょ」
「悪いか?」
「巻き込まないでくれる?」
「ニコラ、言っただろ。僕はようやく自由の時間を手に入れたんだ。16歳になって、ようやく自分だけの時間が手に入った」
これを今使わず、どこで使う。
「遊ぶことも僕の手柄だ。ねえ、行こうよ」
「……11時?」
「そう」
あたしはむくれながら頷いた。
「……分かった」
「よし、良い返事だ」
レオが歯を見せて笑い、あたしの頭をがしがしと撫でた。あたしはその手を振りほどく。
「ちょっと、やめてよ」
「お兄ちゃんは妹の頭を撫でるものさ。諦めて」
「撫でないわよ。最悪。髪の毛が乱れた」
一歩下がり、レオの手から逃れ、自分の手で美しいあたしの髪の毛を整える。
むすっとしてレオを睨むと、レオが満足そうに微笑んだ。
「楽しみにしてるよ。ニコラ」
「……ついていくだけよ……」
そこで時計台の鐘が鳴った。14時。
「あ」
鐘の音に、レオが橋の下から顔を覗かせた。
「……そろそろ戻っても大丈夫そうかな?」
「……流石にもういないと思うけど……」
「送るよ」
「いい」
「送るよ。ここまで連れてきたのは僕だし」
「あんたもヘンゼとグレタに追われてるでしょ」
「大丈夫大丈夫。見つかりやしないさ。今ならね」
レオがあたしを見る。
「一緒に戻ろう」
「……本当に来るの?」
「心配だから送るよ。なんか言われたら僕も謝らないといけないし」
「……じゃあ先頭歩いて。あたしは後ろ見てるから」
「了解。背中は任せたよ」
そう言って、二人で橋の下から抜ける。
階段を上って道に戻り、橋を渡り、走ってきた道を戻っていく。二人できょろきょろしながら歩き、足を動かし、建物の間をくぐり、道を歩き、噴水前に戻り、閉鎖された商店街通りに向かって歩く。
歩くと、先頭を歩いてたレオが、立ち止まった。
「ニコラ!」
「えっ」
「大変だ!」
レオが青い顔で、あたしに振り向いた。
「兄さんの怒りの痕跡だ!!」
「え!?」
商店街を見ると、年頃のレディと紳士達が、目をハートにさせて、地面にぶっ倒れていた。あたしの顔が青くなる。
「こ、これは……!」
「なんということだ……!」
レオがぎゅっと拳を握った。
「ここまでの被害を出すなんて……! 兄さん、結構お怒りだ!」
「レオ、これはあいつ、結構お怒りよ……! あんた帰り道気をつけなさい!」
「ああ。ニコラもな! 結構お怒りだから!」
「アリス、アリスは無事かしら……! 結構お怒りのあいつに何もされてないといいけど……!」
あたしは道を駆けだす。
「結構お怒りだから気を付けて! ニコラ! またあとで!」
レオの声を聞き流し、道を駆ける。
(アリス……!)
倒れた人々を跨り、現場まで戻れば、
「はっ!」
「アリスーーーーー!!」
奥さんが声を荒げ、メロメロになって倒れたアリスの体を揺すっていた。その横では、社長とカリンとジョージが伸びている。
「アリス、手にキスされたくらいで、気絶するんじゃないよ!」
「はあああああん! キッドさまぁぁああん……」
「あんた! あんた!」
「……」
「カリン! ジョージ!」
「キッド様ぁ……」
「すごいや……本物半端ねえ……」
「しっかりおしよ! 全く! 本当にあんた達はしょうがないね!」
(ひいいいいい!!)
被害拡大!!
(あれ、リトルルビィは!?)
リトルルビィの姿はない。
「奥さん!」
あたしは慌てて奥さんに駆け寄ると、奥さんがはっとあたしに顔を上げ、いつもの素敵な笑顔を浮かべた。
「おや、ニコラ、戻ってきたんだね。お兄さんとランチはどうだった?」
「な、何があったんですか!」
訊いた瞬間、奥さんがごくりと唾を飲んだ。
「すごいよ……。あの王子様の挨拶……。いやあ、度肝を抜かれたよ。私ももう少し若かったらねえ……」
「……な、何が、あったんですか……」
「ニコラ、あんたもいい女になって、あんな男を捕まえるんだよ。全く、うちの従業員、皆、キッド様の魅力にやられちまったよ」
奥さん以外の四人がその場でメロメロになって倒れている。
メロメロのアリスを横目に、あたしは奥さんにまた訊いた。
「………あの、奥さん……。リトルルビィは……」
「あれ、あの子どこ行ったのかね?」
奥さんがきょとんとした瞬間、ぴろりろりろりんと、間抜けな音が聞こえる。奥さんが辺りを見回す。
「ん、何だい? この音」
「あ」
あたしはポケットを叩く。
「すみません、ちょっと失礼します」
奥さんに断ってから、近くの看板の裏に隠れ、ポケットからGPSを取り出し、新着メッセージを確認する。リトルルビィからだ。
『キッドを連れていくね! これ以上商店街にいたら危ないから! 奥さんに早退するって言っておいて! テリー大好き!!!!』
(リトルルビィ……! キッドを止めてくれたのね! あんたは英雄よ! ……ただ……)
ちらりと振り向く。商店街は酷い有様だ。まるで惨劇が起きたような地獄絵図。メロメロに倒れた人で溢れた道の通り。
(いつか見た光景のよう……)
立ち上がると、ふう、と息を吐く音が聞こえた。横を見ると、サガンがのんびりパイプをふかせていた。
「……あの」
「全員が回復するまで、作業は中断だ」
「……はい」
「キッド様ぁぁあああん……! 素敵ですぅうううん……!」
メロメロのアリスが声をあげた。
(*'ω'*)
16時。商店街通り。
人々がぼうっとしながら、おぼつかない足取りで作業をしていた。
「しゃっきとしなさい! 男だろ!」
「いだっ」
ジョージが奥さんに背中を叩かれ、苦く笑う。
「無理言わないでくださいよ。奥さん。キッド様のあの挨拶の後は家に帰って一人で物思いに更けたいです。力が入りません」
「ああ、確かに、本当にいい男だったねえ。それは同感だよ。あの目で見つめられたら、とろけちまうよ」
「……」
「あんたもしゃきっとしなさい!」
奥さんに尻を叩かれ、ぼうっとしていた社長がびくっと背筋を伸ばす。
カリンが腕時計を見て、あたしとアリスに微笑んだ。
「二人ともぉ。今日はここまででいいわよぉ。お疲れ様ぁ……」
「はぁい……」
カリンとアリスがおっとりしている。
あたしはアリスの服の襟を掴み、カリンに頭を下げた。
「本日もお疲れさまでした! アリス! しゃきっとして!」
ぱぁん! と尻を叩くと、アリスが飛び跳ねた。
「きゃっ!!」
あたしに振り向き、アリスが自分の尻を撫でた。
「ニコラ! 私のお尻を触っていいのはキッド様だけよ!」
「アリス、学校は?」
「はっ……! 宿題!!」
アリスが慌てて鞄を持ち上げた。
「キッド様のことで忘れてた……。早めに行って宿題しようと思ってたんだ。ニコラ、私行くね!」
「ん」
「お疲れ様! ニコラ! 三連休後にまたね!」
そして、声を潜めて、
「また話そう」
アリスがウインクして、道を駆けだす。
あたしはその背中を見つめ、見送り、いなくなる頃に、奥さんとカリンとジョージと社長に頭を下げた。
「お疲れ様でした」
「じゃあね、ニコラ。また来週頼むよ」
「お疲れ様ぁ! ニコラちゃぁん」
「お疲れ様ー」
「……ご苦労……」
リュックを肩にかけ、商店街通りから出ていく。閉鎖しての作業はもう少し続くようだ。
(……キッドさえ来なければ……!)
ぐっと手に力が入る。
(畜生……。あいつ、許さない……。家に帰ったら覚えてなさい……)
あたしの足がいつもの公園に向けられる。大股で歩き、ガゼボに行くと、レオがテーブルに突っ伏して、腕を枕代わりに昼寝をしていた。
(……寝てる……)
すやすや寝ている。
「はあ」
ため息を吐き、ガゼボの椅子にリュックを置いて、あたしも座る。ポケットからGPSを取り出し、ぽちぽちボタンを押してリトルルビィに返信する。
『キッドを連れて行ってくれてありがとう。こっちは何とかなったから、気を付けて帰るのよ』
ぴろりろりろりんと間抜けな音が鳴る。
新着メッセージが来る。
キッドとリトルルビィから同時に。
『お前なんでリトルルビィに返信してるの。俺のは返してくれないくせに』
『テリー! キッドのこと気にしないで! 機嫌悪いだけだから!!』
(……一緒にいるのね……)
またぴろりろりろりんと間抜けな音が鳴る。新着メッセージが二人から来た。
『今夜帰るよ。リオンとのことはその時に話そう。お前はあいつのこと何も分かってないようだから、詳しく教えてあげるよ』
『テリー! キッドのこと気にしないで! テリーに逃げられたから機嫌悪いだけなの!』
『リトルルビィ、誰も機嫌悪くないよ』
『キッドがすっごく不機嫌なの!』
『リトルルビィ、黙ってろ』
『キッドの妄想癖が』
『リトルルビィ、黙れ』
『キッドが』
(あたしにメッセージ送らず二人で話しなさいよ……)
はあ、と呆れてぴろりぴろり鳴く機械を眺める。
その間も、あたしの正面にいるレオは眠る。
あたしはボタンをぽちぽち押し、キッドに交渉する。
『リオンのこと許してあげて。あんたが悪いのよ』
キッドから返信が来た。
『なんでお前がリオンをかばうわけ?』
ボタンを押した。
『彼は困ってたあたしを助けただけ。困らせたのはあんたでしょ』
キッドから返信が来た。
『お前、俺には冷たいくせにリオンには優しいんだな。浮気者』
「ああ、面倒くさい!」
あたしはイライラしながら交渉を続ける。
その間も、レオは眠る。
レオが深く眠っている。
レオがすやすやと眠っている。
レオがむにゃむにゃと口を動かした。
レオがすやあと眠る。
レオが規則正しい呼吸を続ける。
レオは眠る。
レオの体が呼吸をするごとに揺れる。
レオが揺れている。
レオが何か言っている。
レオの指がぴくりと動いた。
レオが眉を寄せた。
レオが言った。
「……やめろ……」
「ん?」
あたしの手が止まり、顔を上げた。レオが顔をしかめさせている。
「……やめろ……」
「レオ?」
身を乗り出し、レオの顔を覗く。
その額からは、いつの間にか汗が大量に噴き出ていた。
表情は、とても苦しそうだ。
あたしが思わず声をかけてしまうほど、苦しそうにしている。
「……レオ?」
「……」
「レオ」
あたしは肩を揺すった。
「レオ」
「……めろ……」
「レオ……」
「触るな!!」
レオが大声を出して起き上がり、あたしの手を叩いた。レオの目が見開く。あたしは呆然とする。レオが呆然とする。お互い顔を見合う。レオが大量の汗を流し、黙った。
「……」
呼吸が荒い。呆然として、流れる汗に気付いて、腕の袖で額を拭った。
「……暑いな」
「……ジャック?」
訊くと、レオが首を振る。
「残念ながら違うよ。ジャックには会ってない」
「うなされてた」
「変な夢を見た。全部覚えてる」
「ジャックではないの?」
「ジャックだったら忘れてるだろ。お菓子持ってないんだから」
レオが深呼吸して、脱力した。
「……はあ。夢見の悪い……」
「お疲れみたいね。今日は帰る?」
「いいや、歩こう。風に当たりたい」
レオがそう言って、ガゼボから時計台を覗いた。その間にあたしはGPSをポケットにしまう。
時計の針は、16時42分。
「……もうこんな時間か。起こしてくれたら良かったのに」
「レオ、あたしは優しい女の子なの。寝てる紳士を起こすようなことはしないわ」
「……なんだか、すごく甘いものが食べたい。ニコラ、東区域に行って、アイスでも買いに行こう。あそこはデザート系の店が美味しいんだ」
「そうしたいなら、従うわ」
「ああ、なんか甘いもの……。ニコラ、なんか持ってない?」
「今日は残念ながら」
「そう」
レオがガゼボから出て、ぱんぱん、と手を叩いた。
「へい! かもん! 乗合馬車!!」
レオが大声を出すと、ガゼボの前に乗合馬車が通る。
「よし、ニコラ、行こう」
「レオ」
あたしはハンカチを差し出す。レオがきょとんとした。
「隣で暑苦しいわ。汗くらい拭いて」
「……こりゃ失敬」
レオがあたしの手からハンカチを受け取る。
「ありがとう。洗って返すよ」
レオがハンカチを額に押し当てている間に、あたしは乗合馬車に乗った。
「……はあ、甘いもの……」
レオが呟いて、乗合馬車に乗った。




