第1話 貴族令嬢は思い出す
「あなた方のお父さまが、昨日、亡くなりました」
あたしは瞼を上げた。いつもの朝。四人で囲む食卓。その中で、ママが報告した。
どうやら、ママが先日結婚した男が、不慮の事故で亡くなったそうだ。
(……)
ママが悲しそうな雰囲気もなく、淡々と言い放った。あたしは呆然と硬直する。
(……え?)
どこ、ここ。
(ここは、屋敷よ)
あたしの住んでる家。屋敷。
(……あれ?)
違う。屋敷なんて、もうとっくの昔に追い出されたじゃない。
(え、何言ってるの? あたしはここで暮らす貴族のお嬢さまじゃない)
そうよ。あたしは男爵家の令嬢。
(違う)
いや、合ってる。あたしは、今日まできちんとここで生活していた。
(いや、違う)
違わない。
(違うわ)
だって、
(だって、あたしは)
(あたしは、死刑になって……)
ギロチン刑。
(あれ?)
あたしの首が飛んでない。
(ギロチン……)
ギロチンはどこ?
あたしの目がゆっくりと動く。背筋を伸ばして座る若い頃のママがいて、幼い姉のアメリアヌがいて、「お父さま」の連れ子、あたしが覚えているよりうんと幼いメニーが話を聞いて、一人だけ呆然としていた。朝ごはんを食べている最中に、メニーだけが硬直する。アメリアヌ――アメリが、気にせず能天気にパンを頬張る。あたしも顔を下ろすと、いつもの食事の風景。
(左手にパン。右手にはスプーン。スプーンが目指す場所にはスープ……)
(朝ごはん)
(いつもの風景)
(いつも?)
違う。
(あたし、今はこんなに食べれてない)
(なに言ってるの。今はこれが普通の朝ごはんだわ)
(……え?)
待って。
(ちょっと待って)
なんであたし、貴族の娘に戻ってるの?
だって、あたしたち一族は、莫大な借金の末、破産して、無一文になって、牢屋に入れられて、ママとアメリは、すでに、この世から……。
(え、ちょっと待って?)
スープにあたしが反射する。
(え?)
あたしが覚えているより、うんと幼い、あたしの顔が映る。
――!?
そうだ。これはあたしの顔だ。昨日まで違和感もなく見ていた顔だ。しかし、今は違和感だらけだ。
だって、「今」のあたしは、こんなに幼くないから。
(え?)
あたしはスープに映る顔をもう一度見た。
(え?)
顔を寄せてまじまじと見ていると、ママがナイフでオムレツを切った。
「血の繋がりがない以上、本来であればメニーを追い出すところですが、せっかく家族になったんですもの。わたしたちはあなたを見捨てはしないわ。ここに残りなさい」
「……はい。ありがとうございます」
メニーの声が震えている。この時から、彼女は天涯孤独になったのだ。家族とはいえ、孤児同然だ。
美しいメニーに降りかかった不幸をあざ笑うかのように、ママの冷たい声は続く。
「ただね、メニー、今までと同じというわけにもいかないわ。あの人がいなくなった以上、あなたは生きる力を身につけなきゃいけない。そして、あなたのお姉さまたちは、貴族の娘として準備をしなければいけない。……メニー」
ママがナイフとフォークを置き、圧のある声で言った。
「私の言ってることは、わかるかしら?」
「……はい。その通りだと……思います……」
「私もとても悲しいわ」
本当かしら。
それならどうして涙一つも見せないの?
「こんなことになるなんて」
「……」
「メニー、生きる力を身につけるためには、実践を積むのが一番よ。今日からお前には、うちのことをいろいろとやってもらいます」
たった8歳の天涯孤独の少女に、ママが続ける。
「お前の新しい部屋ももう用意してるわ。このあと行きましょう」
「……新しい……部屋……?」
「それから、ドレスも」
「え?」
「もっと動きやすい服に変えた方がいいと思うのよ」
「……でも、これはお父さんが買ってくれた……」
「メニー、なにを言うの? 私は、あなたのためを思って言ってるのよ?」
「でも……あのっ」
――ママのぎらぎらした目に、メニーが黙った。
意地悪ね。ママったら。平民相手に容赦ないんだから。
昨日までは違った。ママは優しい笑顔でメニーと接してた。でももう違う。だって、男は死んだ。娘を残して死んでしまった。悪いのは男だ。こんないらない置き土産を残していくなんて。
初めて会った時からそうだった。
あたしたちは、メニーの美しさを妬んでいた。
ママも、アメリも、あたしも、再婚した相手の娘が、こんなに美しいとは思っていなかった。たかが平民のくせに。あたしたちは貴族なのに。メニーの母親は相当な美人だったらしい。ママ『よりも』美人だったらしい。そして、……うちよりもお金持ちだった。
面白くなかった。屈辱だった。会った時から、気に入らなかったのだ。純粋な青い目も、透き通るような美しい肌も、穏やかで優しいその性格も、人間性も、なにもかも、メニーの全部が気にいらなかったのだ。
気にいらないメニーの父親が死んだ。
気にいらないメニーが悲しむ。
あたしたちは喜んだ。
気にいらない奴が悲しむと、飛び上がりたくなるほど嬉しいものだ。
あたしたちはメニーを傷つけた。
笑った。
楽しかった。
もうとにかく楽しかった。
メニーが悲しめば悲しむほど、あたしたちは快楽にも近い優越感に浸れた。
その結果、
あ た し は 死 刑 に な る 。
「部屋で準備をしたら、さっそく家のことをしてもらうから。そのつもりでね」
ママは微笑む。冷たく、悪魔のような笑みを浮かべる。
「なにも、メニーを使用人にするつもりなんてこれっぽっちもないのよ。あなたは私の娘で、家族なんだもの。ただ、これはあなたがこの先生きていくために必要なことなの。そうでしょう?」
ママは笑う。悪魔のような笑顔を浮かべる。美しいメニーを傷つけることができて心から喜んでいる。その光景を、あたしはぼんやりと眺める。
(あ、これ、覚えてる……)
いや、違う。
(初めて見る光景なのに、知っている)
(だって、確かにあの男はつい最近まで生きていた。死ぬなんて、あたしは知らなかった)
(でも、なんとなくだけど、今日のことをあたしは知っている)
(今日から数年後まで、メニーはこの屋敷で使用人ではないのに、使用人同然の扱いを受けるようになる)
(あたしはそれを知っている)
(あたしは思ってた。メニーは格下だって。格下だから、何をしたって関係ない。美しいメニーよりもあたしが格上。あたしの方が偉いのよ)
(だから、何をしても許されるのよ)
(ママもアメリもそう思ってた)
(だからあたしもそう思っていた)
これは、その始まりの光景。
(これは……夢?)
走馬灯?
頬をつねってみる。
(痛い)
夢じゃない。
(そうよね。だって、今日が初めての今日だもの)
でも、あたしは今日のことを知ってるのよ。
(あの男が死んだということは、今日初めて知った)
でも、あたしは今日のことを知っている。
(あたしは、今日を知っている)
(この数年で何が起こるかも知っている)
(これは過去の記憶)
(スープに映っているあたしは、過去のあたし)
(あたし、……死刑になったはずなのに)
でも、昨日まで、あたしは死刑になることを知らなかった。生まれてから今日が来るまで、貴族のお嬢さまとして、過ごしていたのよ。
(なのに)
ママのたった一言で、突然、頭の奥底から、一つの記憶の本が開かれたように、これから起きる未来が、あたしの頭の中に広がったのだ。
(ただ、いつも通りの朝食を食べていただけなのに)
あたしはその先の未来を思い出してしまったのだ。まだ、この世界では起きていない未来を。
(どういうこと? なんであたし、未来のことを知ってるの?)
なぜ、これは過去のできごとだと思うの?
(今は過去じゃない。現在じゃない)
でも現在は過去なのだ。平和だった頃の過去なのだ。
(平和だった頃)
そうだ。今は平和だった頃だ。
(どこで、ずれた?)
あたしの目が動く。
(どこで、死刑への道に繋がった?)
これは、やはり走馬灯ではないか? もう一度頬をつねってみる。
(あ、痛い)
夢じゃない。じゃあ、この状況はなに? 目を閉じて、目を開ければ、この変な夢から覚めるのではないか? あたしの首が飛ぶのではないか?
あたしは目を閉じる。耳で会話を聞く。
「わかった? メニー」
「……はい。お母さま」
「よろしい」
あたしは瞼を上げる。景色は変わらない。意地悪な笑顔のママがいて、能天気なアメリがいて、不安そうなメニーがいて、あたしがいる。あたしはギロチンに固定されず、首も飛ばず、呑気に朝食を楽しんでいる。
(……)
深呼吸をして、落ち着きを保つ。
(あたしの気のせいかもしれない)
(未来がわかった、気がする、夢を見たのかもしれない)
ならば、当ててみよう。あたしが正しければ……、この後、悲しそうに顔を俯かせるメニーを見て、アメリが笑うのよ。くすっ、て。
「くすっ」
あ、ほら笑った。でしょ? で、あたしも笑うのよ。ふふふって、いやらしい笑みを浮かべて笑うのよ。メニーが落ち込んで、その顔がすっごく面白くて笑うのよ。
「……」
あたしは黙る。
あたしは笑わない。
あたしは笑えない。
面白くない。
ただひたすら、血の気が下がるだけ。
(……)
手が震えている。腕ががたがた震えている。
(だって、当たった)
アメリが笑った。
(いやらしい笑みを浮かべて笑った)
あたしの目がアメリに向けられる。そして、今日一番最初の、あたしの言葉。
「……なんで笑ったの?」
「え?」
訊き返したアメリに、もう一度訊く。
「今、なんで笑ったの?」
真っ青な顔を引き攣らせてアメリに訊いた。すると、アメリはくすくすと、おかしそうに笑いながら、あたしに言う。
「え、だって、見てよ。ふふ! メニーの顔、面白いじゃない!」
「……面白い?」
あたしの思考がぐるぐる回る。
「なにが面白いの……?」
「え?」
「なにが面白いのよ。お父さまが亡くなったのよ。平気な顔なんか、できるわけないじゃない」
あたしが言うと、アメリがつまらなさそうに頬をふくらませた。
「なによ。テリーってば、急に良い子ちゃんぶっちゃって」
「だって、アメリ、ママが死んだら、あんたはどう思うわけ?」
「ママは生きてるわ」
幼いアメリがせせ笑った。
「お父さまはお仕事ばかりで、あまり一緒にいた思い出がないもの」
幼いアメリが言い放った。
「だから、悲しくないし」
お父さまが死んだところで、
「わたしたちには関係ないじゃない! ふふふ!」
「……関係ない?」
あたしは訊き返す。
「関係ないですって?」
ママが死んだ時、泣きわめいたこと、苦しかったこと、辛かったのに、次の日も過酷な仕事が待っていて、心がずたずたに傷ついたこと、ふらふらになりながら仕事に行って、戻ってきたらママの死体はどこにもなくて、周りからはめでたいと言われ、二人で隠れて泣いて、泣いて、辛くて、また泣いて、忘れられるはずがない。
あんなに辛い思いはもうまっぴらだ。二度と味わいたくない思い出だ。
なのに、アメリはなにも覚えてない。
あたしは覚えてる。思い出してしまった。
無知なアメリはくすくす笑う。
美しいメニーは悲しそうな顔で俯く。
意地悪なママはにたにたとにやけている。
美しいメニーの悲しげな顔を見て、にやついている。
ここは、確かにあたしの住んでいた屋敷だ。
これが、あたしの家だ。あたしの家族。
そして、あたしもメニーを笑った一人だった。
メニーに死刑にされることを知らず。
メニーが将来プリンセスになることを知らず。
メニーが国から愛される王妃になることを知らず。
無知だったあたしたちは、この美しいプリンセスを妬んで、酷く虐げることになるのだ。
(死刑になる)
あたしはフォークとスプーンを置いた。
(ママがメニーを虐めたせいで)
あたしは深呼吸をした。
(アメリがメニーを虐めたせいで)
あたしの手が動いた。
(家族がメニーを虐めたせいで)
メニーは、あたしたち家族を死刑にする。
あたしはテーブルを掴んだ。
再び、静かに、深呼吸した。
メニーが俯きつづける。
ママがにやけながら、フォークとナイフに手を伸ばした。
アメリがくすくす笑う。
メニーが息を吸った。
あたしは――テーブルをひっくり返した。
「おらああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
まるでゆっくり、時が流れる。
テーブルがゆっくりゆっくり、ひっくり返る。
アメリが悲鳴をあげる。
ママが悲鳴をあげる。
あたしが叫ぶ。
メニーが俯いたまま、きょとんと瞬きをする。
お皿が割れる。グラスが割れる。料理が地面に投げ飛ばされる。
アメリが椅子から転げ落ちる。
ママが悲鳴をあげる。
メニーがぽかんと、顔を上げる。
メイドたちが走ってくる。
扉が開けられる。
あたしは豪華なカーペットを蹴った。
飛びついた。
アメリの胸倉を掴む。
「アメリアヌううううう!!」
叫んで、アメリの首をがくがく揺らすと、アメリが悲鳴をあげた。
「ぎゃあああああああああああ!!」
「謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ! 謝らんかい! こら! 今すぐにメニーに謝らんかぁぁぁああああああ!!」
「ああぁぁぁああああぁぁああああああああああああぁあああああ!!」
「あたしが死んだのは、お前のせいだああああああああああ!!」
「ママあああああああああああああ!!」
ママが顔を青く染めて、慌てて立ち上がる。
「テリー! 一体なにを!!」
「奥さま、お嬢さま! 一体なにが……!」
メイドたちがあたしたちを見て、顔を青ざめ、その場で硬直する。ママがアメリに被さるあたしに大股で歩いてきた。
「おやめなさい! テリー!!」
その声にあたしが振り向く。――ぎろりと、ママを睨む。
「っ」
ママが息を呑み、あたしを見下ろす。
「……なんですか。その目は」
あたしの目を見て、ママが強気な顔で、本気で困惑する。
「下品よ。テリー。おやめ」
あたしはやめない。ママを睨む。ママが息を吸い込んだ。
「おやめなさい!!」
「ママのせいよ」
あたしはアメリから手を離さない。
「ママのせいで、あたしは死んだのよ」
アメリを睨む。
「あんたのせいで、あたしは死んだのよ」
あたしは恨む。
「ママとアメリのせいで、あたしは死んだのよ!」
この時、この場所で、
「ママとアメリがメニーを笑ったりするから!」
あたしはアメリを突き飛ばす。
「ぎゃっ!」
「ママたちのせいよ!!」
あたしは皿を壁に投げた。皿が割れる。ママが悲鳴をあげた。アメリが頭を抱えて悲鳴をあげた。
「ママとアメリが悪いのよ!!」
あたしは皿を壁に投げた。皿が割れる。メイドたちが悲鳴をあげた。
「全部、ママとアメリのせいよ!!」
あたしは皿を投げる。皿が割れる。割れ落ちる。
「やめなさい! テリー!!」
「ママのせいよ!!」
皿を投げる。
「アメリのせいよ!!」
「きゃあああああ!!!」
グラスを投げる。
「二人がちゃんとしてたら、あたしは死なずに済んだのに!!」
皿を投げる。グラスを投げる。メイドたちが大声を張る。
「テリーお嬢さま! 落ち着いてください!!」
「うるさい!!」
あたしは壁に皿を投げる。メイドたちが悲鳴をあげる。
「お前たちなんて勝手に出ていったくせに!」
窓ガラスが割れる。壁の絵がずれる。
「裁判ではよくも嘘をつきまくってくれたわね!! おかげで罪が重くなったわよ!」
あたしは皿を投げる。暴れる。ママが、アメリが、メイドたちが、みんなが悲鳴をあげる。
「テリー! やめなさい!」
「落ち着いてください! お嬢さま!」
「誰か、ギルエドさまを呼んできて!」
「ママ、助けて! ママ!」
「テリーお嬢さま! どうしたというのですか!」
「お嬢さま! どうかお鎮まりください!」
「テリー! お母さまの言うことが聞けないの!?」
「黙れーーーー!!!」
ママの顔の横に皿が投げられた。壁に当たって割れた。ママが振り返る。割れた皿を見る。ゆっくりと首を前に戻してあたしを見る。眉をひそめる。
「……テリー?」
「ママのせいよ」
ママを睨む。
「アメリのせいよ」
アメリを睨む。
「みんな、あんたたちのせいよ!!」
あたしがギロチン刑になんてなったのは、
「みんな、みんな、メニーを酷く虐げるからこうなったのよ!!」
返して!!
「あたしの人生を返して!!」
ママとアメリのせいよ!!
「返せ!! 返せ!! 返せ!!!」
皿を投げる。まだ投げる。ママが硬直する。アメリが泣きわめく。メイドたちが困惑する。
「あたしの人生、返して!!!!!」
あたしが手を振り上げ――後ろから、その手を掴まれた。
「っ!!」
あたしは振り向いた。
(あたしに触るな!!)
あたしは睨んだ。あたしの人生を奪ったやつらを睨んだ。しかし、そこにいたのは、ママでもアメリでもない。
メニーが静かに、あたしの手を掴んで、あたしを見つめていた。
あたしは黙る。メニーは黙る。ママが黙る。アメリがすすり泣く。メイドたちが黙る。急に静かになる。メニーがあたしの手を下ろした。あたしの手が下りた。メニーがあたしの手から皿を取った。
「危ない」
メニーが皿をそっと地面に置いた。
「怪我しちゃう」
あたしの手を握って、あたしを見つめる。
「落ち着いてください。テリーお姉さま」
メニーがじっとあたしを見上げる。
「お願いします」
部屋中が割れた皿だらけの中、メニーがいたところだけ、地面が綺麗に保たれていた。
「……みんな、困ってます」
「……」
あたしはちらっと、部屋を見る。
ママが固まって、アメリがうずくまってすすり泣き、メイドたちが困惑した目であたしとメニーを見ている。部屋の地面には、倒れたテーブル。割れた食器の破片まみれ。
「……」
あたしは黙り、息を吸って、吐く。メニーがあたしの手を離さない。あたしはメニーを見下ろす。
「メニー」
メニーがあたしを見つめる。
「ごめんなさい」
メニーがきょとんとした。
「ママたちが、酷いことを言ったわ」
あたしはもう一度言う。
「ごめんなさい」
「そんな……」
メニーが首を振る。
「いいんです」
「なにがいいの?」
「……えっと……」
メニーが目を泳がせる。
「あの」
「メニー」
あたしはメニーの手を握る。
「メニーは、あたしたちの大切な家族よ」
大切にその手を握る。
「あなたは、あたしの大切な妹よ」
あたしはにこりと微笑む。
「屋敷のことなんてしなくていいのよ。するなら、ママがしてくれるから」
「え?」
ママが声を出した。あたしは微笑みながら、ママに振り向く。
「だって、ママ、そうでしょう?」
メニーを使用人にするつもりはないと言ってたでしょ?
「メニーはベックス家の三女であり、ママの大切な娘であり、アメリとあたしの大切な妹だわ」
ママが片目を引きつらせる。
「屋敷のことをするのが大事なことなら、ママだってするべきだわ」
だってママは大人だもの。大事なことなら率先してやらなきゃだめよね。
「お皿洗いとか洗濯とか掃除とか料理とか
「テリー」
ママが冷静さを取り戻し、いつもの涼しい顔であたしに首を振った。
「メニーの父親は亡くなったの。この時点で、本来、メニーと私たちに関係はなくなってしまった。それを、お母さまは、可哀想なメニーに同情して、引き取って、屋敷に住んでもいいと言ってるのよ。家族になっていいと言ってるの。でも、だからこそ今まで通りというわけには……」
「結婚した時点で関係はできているわ。たとえお父さまが亡くなったって、ママの言うとおり、メニーにはベックス家の養女としての縁組関係が残ってる」
あたしは怪訝な顔でママを見た。
「ママ、そんなにメニーが嫌いなの?」
「嫌い? なにを言ってるの?」
「じゃあ好きなのね」
「もちろん」
「愛してる?」
「愛してるわよ」
「だったら、別に家のことなんてさせなくていいじゃない」
あたしは微笑む。あたしの笑みを見たママが、ひゅっと息を呑んで黙った。
「家のことをして生きる力を身につけるよりも、メニーにはこれからベックス家の三女として、立派な貴族令嬢になってもらうことのほうが大事だわ」
あたしはメニーに微笑んだ。
「ね? メニー。そう思わない?」
「え……」
メニーがぽかんとする。
「あの……」
「だって、あなたはあたしの妹なのよ?」
あたしは微笑みつづける。
「大切な妹に、使用人の真似なんてしてほしくないわ。……ね?」
あたしはアメリに振り返る。
「アメリもそう思うでしょ?」
「ううううう……!」
アメリがぐずり、ふらふらと立ち上がる。メニーとあたしを睨み、叫んだ。
「くたばれ!!」
アメリが走り出す。
「退いてよ!」
メイドたちが退けると、走って部屋から出ていく。
「ああああああん!!」
廊下からアメリの泣き声が響き、どんどん遠くなっていく。あたしはにこっと微笑んで、ママに振り向く。
「ねえ、ママ、いいでしょ? メニーのためと言うのなら、こっちの方がずっとメニーのためだわ」
ママが目を丸くさせ、ぎゅっと唇を噛んだ。そうね。あたしになにか言いたいことがあるとしたら……テリー、なにを考えているの? こんなところかしら。あたしは返事の代わりに微笑みつづける。あたしの笑みを見て、ママが困惑して黙りこくる。
「……」
こめかみを押さえ、一言もなにも言わない。
「……」
「あ、そうだわ。お葬式の準備をしないと」
メニーがはっと息を呑んで、微笑むあたしを見た。
「メニー」
大切にメニーの手を握りつづける。
「あたしの大切な妹」
大事にメニーの手を慈しむ。
「ちゃんとお父さまを見送りましょう。見送ったら、あたしたちは本当の家族になるのよ。いいこと? 困ったことがあったらいつでも相談して。あなたが困ってるなら、絶対に助けてあげるから」
「……お姉さま……」
メニーが微笑む。
「ありがとうございます……」
メニーの目から涙が溢れる。
「ありがとう……ございます……」
メニーの瞳から、ぼろぼろと涙が溢れる。
「わたし……わたし……これからどうしようって……」
「大丈夫よ」
あたしは微笑む。
「あたしがいるわ」
泣き出したメニーを、優しく抱きしめる。
「メニー、大切なあたしの妹」
あたしの可愛い妹。
「大切に、してあげるからね」
あたしは微笑む。メニーの頭を撫でる。メニーがあたしの肩で泣く。ぽろぽろと真珠のような涙を落として泣いていく。ママが黙る。メイドたちはあたしとメニーの姉妹愛に感動し、涙を浮かべる。
我ながら思う。実に感動的な時間となった。
これで、メニーが使用人同然となる未来を回避した。
(大切にするですって?)
あたしは微笑む。
(メニーを?)
あたしは微笑む。
(大切なあたしの妹?)
なにをばかなことを言ってるの?
(お前を妹だなんて思うわけないじゃない)
あたしを死刑にしたお前を、
(あたしが許すと思った?)
絶対に許すものか。
(お前に微笑んでいるのは、死にたくないからよ)
お前に正直な気持ちを言ったら、また死刑にしてくるんでしょ?
(あたしはね、死にたくないのよ)
今度こそ、人生を謳歌してやるのよ。
(メニー)
憎い。
(メニー)
恨めしい。
(メニー)
ベックス家に来た、美しい庶民。
(憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い)
お父さまが死んだ?
(ざまあみろ!!)
不安で仕方ない?
(じゃあ、もっと酷い目に遭わせてあげましょうか?)
お前のその美しい美貌も、美しい瞳も、気にくわないのよ。全部全部全部気にいらないのよ。嫌いなのよ。大嫌いなのよ。
お前なんて、どこかでくたばってしまえばいいのよ!
「この先、なにがあっても絶対に守ってあげるからね。メニー」
あたしは微笑み、メニーに囁く。
「よしよし。いくらでも泣いて良いのよ」
あたしはにやける。
「好きなだけ泣いてちょうだい」
あたしはね、死にたくないのよ。
素晴らしい人生を送りたいのよ。
そのためには、メニーに憎まれてはいけない。
記憶を思い出したあたしは、良い姉を演じ切る。
(そして、今度こそ)
あたしは、死刑にならない未来へ行く。
(あたしは死にたくない)
(絶対にギロチン刑なんかで、死ぬものか)
だから、メニーに優しくしよう。
「メニー、悲しいわね」
でも、大丈夫よ。
「メニーにはあたしがいるわ」
あたしは、必ず死刑を回避してみせる。
あたしこそ、テリー・ベックス。
自分の未来を思い出した、貴族の美しいお嬢さまよ。