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おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
一章:貴族令嬢は罪滅ぼし活動に忙しい
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第15話 予期せぬ出来事


 部屋に戻ると、メニーとサリアがなにか話していた。サリアが戻ってきたあたしに気付き、お辞儀をする。


「ご機嫌よう。テリーお嬢さま」


 そう言って頭を上げて、あたしに微笑む。


「事情はメニーお嬢さまから聞いております。さ、お座りください。腫れたところを見ますから」


 あたしはソファーに座る。サリアが隣に座り、あたしの頰に氷袋を押し当てる。


「これくらいなら、しばらく冷やせば大丈夫でしょう」

「大したことないわよ。こんなの」


 鞭打ちされたわけでもあるまいし。

 あたしは氷袋を自分で待ち、頰に押し付ける。メニーが向かいのソファーに座った。


「ねえ、お姉ちゃん」

「ん?」

「さっき、サリアと話してたんだけどね?」


 メニーが俯いた。


「あの、わたしにも、悪いところはあったと思うの。言い方とか、もっと別にあったと思うの」


 だからね、


「アメリお姉さまと、仲直りするためにね、あのね、なにか、アクセサリーを作ろうと思って」

「アクセサリー?」

「ブレスレットです」


 サリアが横から説明する。


「ビーズで作るのですが、簡単なので、メニーお嬢さまでも作れるかと」


 メニーが頷いた。


「うん。貴族だからって、安物をつけちゃだめってことはないでしょう? だから、安物に見せないくらい可愛いの作って、アメリお姉さまにプレゼントしようと思うの」


 許してくれるかわからないけど、


「なにもしないよりは、良いと思って……」


 どうせ部屋から出られないし。


「……。……お姉ちゃん」


 メニーがあたしを見つめる。


「手伝ってくれないかな……?」


(なるほど)


 手作りアクセサリーね。


(ま、アメリはまだ11歳だし、つけるでしょう。作ろうと思えばそれなりの物も作れるはず)


 そんなことでアメリとメニーが仲直りしてくれたら、それはそれで親睦を深める機会かもしれない。


(無駄な時間を過ごすよりはいいかもしれない……)


「あんたって本当に優しい子ね。メニー」


 あたしはにっこり笑う。


「あたし、メニーのそういうところ、大好きよ」


 メニーが微笑む。


「あの、じゃあ……」

「いいわ。あたしも手伝う」


 あたしは笑顔の仮面をつける。


「二人ですごいの、作りましょうよ」



 罪滅ぼし活動ミッションその九、プレゼントを使ってアメリと仲直りする。



 あたしは元々持っていたビーズの入った箱を机に置く。


「使えるものがあればいいけど」


 開けると、様々なビーズの欠片たち。メニーが目を輝かせる。


「うわぁ、綺麗!」

「貴族令嬢はビーズのセンスもいいのよ。あんたも見習いなさい」

「はい!」

「硬い糸はこれね」


 箱の奥に絡まって入ってる糸を取り出して、一定の長さで切る。


「多分、これくらいでいいでしょ」


 糸とビーズをテーブルに置く。あたしはサリアを見上げる。


「サリア、あとは何が必要?」

「針と、留め具はありますか?」

「裁縫セットがあるわ」


 あたしは立ち上がり、小走りでベッドに向かう。ベッドの下の棚から、全く使っていない裁縫セットの入った箱を取り出す。


(裁縫、好きだったのよね)


 今は触る必要はないけれど。


「……」


 あたしは裁縫セットの入った箱をテーブルに持っていく。


「留め具も入ってるはずよ」

「結構です」


 サリアが裁縫セットを開け、針を取り出す。針の穴に糸を通して端を結び、何センチか残して、四種類のビーズを針から糸に通す。最後のビーズに針を通して糸を引っ張ると、四種類のビーズが糸に一つの塊のように編み込まれる。そして今度は三種類のビーズに針を通して、糸に流していく。


「こうやって編んでいくと、まるで売り物みたいに可愛いのが出来ますよ」


 サリアがメニーに渡した。


「やってみてください」

「えっと……」


 メニーが挑戦してみる。震える手で針をビーズに刺していく。


「そう。お上手です」


 サリアが丁寧に教えていく。あたしも眺めていて、感心する。


(なるほど、トライアングルウィーブってやつか)


 やってみたことはあるけど、なかなか難しいのよね。これ。

 あたしが眺める中、メニーがサリアに確認しながらやっていく。


「こう?」

「そうです」


 深い緑のビーズを通していく。パールを通していく。ダイヤモンドみたいな形のビーズを通していく。メニーが手を動かす。サリアが横で教える。あたしはそれを眺めるだけ。時間がゆっくり進んでいく。メニーは時間をかけて、ひたすら一生懸命手を動かす。編み込んでいく。サリアも仕事があるはずなのに、あたしの部屋に残り、メニーを見守る。メニーが手を動かす。繰り返す。あたしは眺める。サリアは見守る。


 時間の針が進んでいくと、どんどん形が出来上がってきた。


「それくらいですね」


 サリアが指を差す。


「その小さいビーズを通してください」


 メニーが小さなビーズを三つ通す。


「リングを通してください」


 留め具のリングを通す。


「補強しますね」


 メニーがサリアに貸す。サリアがすいすい、と針を操って補強していく。ところどころ補強すると、再びメニーに渡す。


「反対側も同じように、小さなビーズを」


 糸を残していた方にも、同じように小さなビーズを三つ通す。


「次に、パールとビーズを」


 メニーがパールと小さなビーズを一種類ずつ通して編みこむ。


「留め具を」


 メニーが留め具を通して編み込む。


「補強しますね」


 メニーがサリアに渡す。サリアが再びすいすい、と針を操って補強していく。ところどころ補強すると、今度はあたしに顔を向けた。


「テリーお嬢様、手首をお貸しください」

「ん」


 手を差し出すと、サリアがブレスレットを当ててみる。あたしの手首には少し大きいが、問題はなさそうだ。


「では、最後は難しいので、わたしがやりますね」


 サリアがちょちょいと編み込んでいく。まるで魔法のように。

 メニーが眺める。あたしが眺める。サリアの手が動く。どんどん編み込まれていく。補強して、編み込んで、補強して、編み込んで、繰り返して、サリアの手が止まる。


「これで」


 玉結びして、


「これで」


 こうして、


「はい」


 サリアが糸を切る。


「完成です」

「「おおおお……」」


 思わず、二人で声が上がる。


(売り物みたい……)


 留め具をリングにつければ、簡単に手首につけられるブレスレットの完成。


(綺麗)


 深い緑のビーズがパールの間で光っている。まるでアメリの髪の色のように、深く、深く、エメラルドの宝石のように光っている。


(宝石みたい)


 これはビーズだ。


(すごい)


 サリアをちらっと見る。目が合う。サリアがふふっと笑う。


「おばあちゃんの知恵ってやつですね」

「サリア、おばあちゃんから習ったの?」


 メニーに訊かれ、サリアが頷く。


「ええ」


 サリアが微笑む。


「おばあちゃんのような方から、教わりました」

「おばあちゃんのような方?」

「ええ。おばあちゃんのような方、です」


 あたしとメニーがきょとんと瞬きする。サリアは微笑み、ブレスレットをメニーに差し出す。


「さ、どうですか? メニーお嬢さま」

「うん。これなら、きっとアメリお姉さまも喜んでくれると思う!」


 メニーがそう言ってからあたしを見て、不安げな顔になる。


「……だよね? お姉ちゃん」

「大丈夫よ。あいつ単純だから」


 こういうの、アメリが好きそう。


「喜ぶかはわからないけど、つけると思うわよ」

「だといいな……」


 メニーが出来たてほやほやのブレスレットを見つめる。


「これ、どうやってラッピングしよう?」

「封筒に入れたら?」


 あたしは立ち上がり、棚から便箋用に可愛くアレンジされた封筒を取り出し、メニーに差し出す。


「これなんかどう?」

「可愛い!」


 メニーが封筒にブレスレットを入れる。あたしはシールのファイルを取り出し、メニーに見せる。


「ほら、これから選んで貼りなさい」

「すごい! お姉ちゃん、なんでも持ってるんだね!」


 持ってるだけで、実用することはないけど。


(……いいじゃない。なんかレターセットって可愛いじゃない。ふとした時に、なんか欲しくなるのよ)


 使ったことないけど。


(いいもん。いつか誰かに使うから)


 メニーがシールを選んで、薔薇のシールを封筒に貼りつける。


「完成!」


 メニーが膨らむ封筒を見て、笑顔になる。


「サリア、ありがとう!」

「とんでもございません」


 サリアが微笑み、メニーがあたしに微笑む。


「お姉ちゃんも、ありがとう!」

「……いいのよ、メニー」


 初めて使う封筒が、アメリへのためだなんて、なんか複雑だわ。


(ま、でも、これで罪滅ぼし活動のミッションは、とりあえず成功かしらね)


 メニーが封筒を胸に抱えた。


「じゃあ、アメリお姉さまが帰ってきたら、これ渡す!」

「頑張ってくださいね」

「うん! サリア、本当にありがとう!」


 メニーがちらっとあたしを見る。


「……渡す時、お姉ちゃんも一緒に来てくれる?」


(面倒くさいわね)


 自分が言い出しっぺなんだから、はいこれお詫びの品ですーって可愛い顔して渡せばいいじゃない。


「もちろんいいわよ!」


 あたしはにっこり笑顔。


「これで絶対仲直り出来るわ! メニー! 一緒に渡しに行きましょう!」

「うん!」

「それでは、わたしはそろそろ掃除に戻りますね」


 サリアが立ち上がる。メニーが微笑んでサリアを見上げる。


「サリア、忙しいのにごめんなさい」

「いいんですよ、メニーお嬢さま。ギルエドさまになにか言われたら、お嬢さまたちのお部屋を掃除していたと言えばいいのですから」


 サリアがあたしとメニーにお辞儀する。


「それでは、これで失礼いたします」

「ありがとう、サリア」


 あたしが言うと、サリアはもう一度微笑み、ゆっくりとあたしの部屋から出て行った。メニーが胸に封筒を抱えて、時計を見上げる。


「お姉ちゃん、アメリお姉さま、いつ帰ってくるかな?」


 あたしも時計を見上げる。


(だいぶ時間経ってるわね)


 メニーの作業時間の多さを知る。サリアはよっぽど丁寧にあたしたちの掃除をしたのだと思われるに違いない。あたしは窓を見る。


(ちょっと暗くなってきてる)


「この調子なら、10分もしないうちに帰ってくるでしょ」

「うう……。緊張してきた」

「買い物したらあいつ機嫌直るのよ。上機嫌で戻ってくるに違いないわ」


 果たしてそのプレゼントを見た時に、アメリは受け取るだろうか。


(小馬鹿にしてくるかも……)

(……渡すの、明日の方がいいかもしれないわね……)


 そんなことを思って眉をひそめる。メニーがそわそわと待つ。じっとしていられないようだ。


(……はあ。仕方ない。気を紛らわせよう)


「メニー」

「ん?」

「開かずの間に、本を取りに行かない?」

「本?」

「待ってる間、絵本でも読みましょう」

「うん! 読む!」

「部屋から出てるのばれないように、静かに行くわよ」

「はい!」


 あたしとメニーが立ち上がる。メニーが封筒をテーブルに置く。二人で部屋から出る。そのまま静かに、忍び足で開かずの間に向かう。


「あたしは前を見るわ。メニーは後ろを見て」

「うん!」


 ひそひそと声を抑えて喋り、静かに階段を下りて開かずの間に通じる廊下に行こうとすると、屋敷のドアが大きく叩かれた。


「ひゃっ」


 メニーが小さな声をあげる。あたしは眉をひそめる。


「お客さまかしら」


 あたしは足をドアに向けた。メニーがあたしを引き止める。


「お姉ちゃん! 駄目だよ! 見つかっちゃう!」

「出ないとお客さまに失礼でしょ」


 あたしは小走りでドアに向かう。ノブを掴んで、捻って、両扉の片方を開ける。あたしの視界に男性のパンツが映る。


(うん?)


 見上げる。警察の制服を着た大人が、三人ほど、あたしを見て敬礼した。


「どうもこんばんは! ご令嬢さま! わたくしたちは! 城下町の見回り担当、警察部隊でございます!!」


 元気のいい黒髪の若い男が叫ぶように大声を出す。


「どなたか! 大人は! いらっしゃいますか!!」

「呼んできます」


 あたしはきょろりと使用人を探す。だが、使用人はみんな、掃除をしているようだ。あたしはメニーに振り返る。


「メニー、警察の人が来てるって、ギルエドに言ってきて」

「お姉ちゃん、でも、怒られちゃうよ」

「じゃあ、あたしが呼んでくるから、ここにいて」


 メニーをエントランスホールに置いて、あたしは一階の廊下を走る。少し走ると、ギルエドの書斎を見つける。ドアを叩く。奥からギルエドの声が聞こえてくる。


「どうぞ」

「ギルエド」


 ドアを開けると、ギルエドが書類にサインをしていた。あたしを見て、顔をしかめさせる。


「テリーお嬢さま、お部屋から出てはいけないのでは? お仕置き中だと聞いておりますよ」

「警察の人が来てるの」

「警察?」


 ギルエドが訊き返し、立ち上がる。大股で歩き、部屋から出る。あたしも小走りでついていく。メニーがいるエントランスホールにギルエドが歩いていく。ドアの前にいた警察たちがギルエドを見て、再び敬礼をした。


「どうもこんばんは! わたくしたちは! 城下町の見回り担当、警察部隊でございます!!」

「執事のギルエドと申します」


 ギルエドがドアの前で止まる。


「何事ですか?」

「実は、こちらの奥さまとご令嬢さまが事件に巻き込まれたので、その調査と報告に参りました!」

「事件?」


 あたしとメニーがきょとんとして、聞き耳を立てる。


「はい!」


 黒髪の警察官が言った。



「アメリアヌ・ベックスお嬢さまが、誘拐事件に遭いました!」



 メニーが目を見開いた。ギルエドが驚いて、ぽかんと、口を開けた。


「な」


 ギルエドの血の気が下がり、顔が青くなる。


「なるべく外出は控えるよう、お願い致します!」

「ア、アメリアヌお嬢さまが、ゆ、誘拐、ですと……!?」

「大丈夫です! 我々も精一杯調査に臨む所存でございます!!」


 警察官が敬礼しながら大声で話す。ギルエドが愕然とする。


「ちょ、調査……?」

「近頃、城下町では子供の誘拐事件が広がっていたのです! 犯人は同じ人物と思われます! 我々も調査中で、犯人を追っている最中です!」

「お、奥さまは……」

「警察署で、お話をさせていただいております!」

「い、いつお戻りに……?」

「お話が終わり次第、送り返させていただきます!!」

「あ、ああ、なんということだ……!」


 ギルエドが胸を押さえた。


「ゆ、誘拐……」


 ギルエドが後ずさる。


「アメリアヌお嬢さまが、誘拐事件……」


 ギルエドが呆然とする。警察官が目をぎっと鋭くさせる。


「大丈夫です!! 必ず!! 我々が!! なんとか!! 犯人を!! 捕まえてみせます!!!!!」


 ギルエドが呆然と立ち尽くす。メニーが青い目をぱちぱちと瞬きさせる。何が起きたかわからないという顔で、そっと、不安そうに、あたしの腕をぎゅっと掴んだ。


 掴んだのだ。メニーが、あたしの腕を。



 誘拐。



 それを聞いた途端、メニーから掴まれた手の感触に、あたしは、一気に、一部分の、今まで忘れていた、とても小さな記憶を、ぽつんと思い出す。



「それは、おかしいわ」



 あたしは掠れた声を出す。ギルエドがあたしに振り返る。メニーの青い目があたしを見る。警察官がきょとんとあたしを見た。あたしは呟く。


「だって、あたし、ここにいるじゃない」


 ギルエドが我に返り、あたしたちに微笑んだ。


「テリーお嬢さま、メニーお嬢さま」


 ギルエドが早口であたしたちに声をかけた。


「お部屋にお戻りください」

「ギルエド」


 あたしは首を振る。


「違う。アメリは誘拐なんてされない。されたこともない」

「ええ、そうですね。大丈夫です。テリーお嬢さま。大丈夫ですよ」


 ギルエドがあたしたちの肩を掴み、後ろへ追いやる。


「大丈夫ですから、さあ、お戻りください」

「ギルエド、違うわ」


 あたしは首を振る。


「ねえ、違うのよ」

「大丈夫です。アメリアヌお嬢さまはすぐに見つかります。犯人もすぐに見つかることでしょう。なにも心配なことはございません。さあ、そろそろお夜食が出来ますので、お部屋へお戻りください」

「違う、ギルエド、あたし」

「お戻りください」

「ギルエド!」

「お姉ちゃん!」


 メニーがあたしの腕を引っ張った。


「……今は……」

「……」


 あたしはギルエドを見る。ギルエドが優しく微笑み続ける。


「大丈夫ですから。お戻りください」

「……行こう。テリー……お姉ちゃん……」


 メニーがあたしの腕を優しく引っ張った。あたしの足が動き出す。あたしは呆然とする。あたしを引っ張って歩く。あたしは眉をひそめる。


(おかしい)


 メニーと廊下を歩く。


(おかしい)


 あたしは廊下を歩いている。


(おかしい)


 あたしは足を止める。


「メニー」


 青い目があたしに振り向く。


「ちょっと、トイレに行ってくるわ」

「……そう」

「うん」


 あたしは微笑む。


「先に、戻ってて」

「……ん」


 メニーが頷く。


「わかった」

「うん」


 あたしは歩き出す。


「すぐ行くわ」

「うん」

「あたしの部屋で待ってて」

「うん」

「すぐ行くから」

「わかった」


 メニーが立ち止まって、青い目であたしの背中を見る。あたしは歩く。トイレに向かって歩く。あたしは廊下を曲がる。曲がって、曲がった瞬間、メニーの視界から消えた瞬間、あたしは走り出す。

 廊下を走る。

 部屋を抜ける。

 扉の前を通る。

 廊下を進む。

 走る。


「はあ、忙しい! 忙しい! 今晩も美味しい食事を作らねば!」


 コックが料理をしているキッチンを抜ける。

 ドアを開ける。

 ニワトリがニワトリ小屋でコッコ、コッコと鳴いている。

 馬小屋で馬が静かにしている。

 牛小屋で牛が食事をしている。


 あたしは裏庭のドアを開けた。






 夜空には、月が出始めていた。しかし、月の色はほんの少し、赤く染まっている。不気味な月だった。


「ドロシー」


 あたしは一歩足を出す。


「ねえ、話があるの」


 あたしは一歩前に出る。


「ドロシー」


 あたしは一歩先へ進む。


「どこにいるの?」

「ここにいるよ」


 声の方向に顔を向ければ、箒に乗って空を飛ぶドロシーの姿。赤い月をドロシーが隠す。月の光に当たりながら、ドロシーが目を閉じている。


「なんだか、今宵は街が騒いでるようだ」


 風が吹く。草がなびく。気が揺れる。ドロシーが耳を澄ます。


「変な風だ」


 ドロシーが眉をひそめる。


「変な気配がする」


 ドロシーが顔をしかめる。


「これは……」

「ドロシー」


 あたしはドロシーを見上げる。


「おかしなことが起きたわ」

「おかしなこと?」


 ドロシーが瞼を上げる。あたしを見下ろす。


「どうかしたの?」

「アメリが誘拐されたの」

「誘拐?」


 ドロシーがゆっくりと下りてくる。地面に銀のパンプスをつける。箒から下りて、地面に立つ。あたしと向かい合う。


「君の姉君が誘拐されたのかい?」

「ええ」

「メニーは?」

「あたしとメニーは屋敷にいたもの。無事よ」

「……そうか」

「問題はアメリ」

「誘拐事件……。そんなこと、一度目の世界でもあったのかい?」

「ええ。この時期だったわ」


 あたしは眉をひそめて、慎重に思い出す。


「誘拐事件、確かにあったわ。城下町で、子どもがいなくなるの。みんな、子どもよ。10歳とか、それくらいの」

「なるほど。それでアメリアヌが誘拐されたのか」

「それがおかしいのよ」

「ん?」


 ドロシーが首を傾げる。あたしは親指の爪を噛む。


「アメリは誘拐なんかされない」


 誘拐されるのは、


「ドロシー」


 誘拐されたのは、


「アメリじゃない」


 あたしは親指の爪を口から離した。


「アメリじゃなくて」


 あたしは思い出す。



「誘拐されたのは、あたしよ」



 アメリじゃない。



「……」


 ドロシーが黙る。ぱちぱちと瞬きする。


「おかしいでしょう?」


 あたしは眉をひそめながらドロシーを見る。


「一度目では、あたしが誘拐されたのに、この世界ではアメリが誘拐された」

「……歴史が変わってるってこと?」

「……そういうことに、なるのよね……」

「……。……。……」


 ドロシーが目玉を動かす。


「今日、歴史通りならば、君は誘拐されるはずだった。一度目ではなにをしていたの?」

「お買い物」


 ママとアメリと、城下町でお買い物をしていた。


「アメリは欲しいものが見つかって、なにかを買うの。なにかは忘れたけど」


 で、


「ママはお財布を持ってるから、お会計をしに行くの」


 あたしはその間、店の前で待つことになった。でも、ほんの一瞬。いつものこと。その待ってる間、あたしはとある店を見つけた。


「ジュエリーショップだった」


 ショーウインドウに、宝石の入ったアクセサリーが飾られていた。


「すごく綺麗で、あたし、それを眺めてたのよ」


 大人になったら、こういうのをつけてみたいなあって、可愛い顔して思っていたら、


「声をかけられたの」


 家にあるよ。良かったら、いくつか貰って行かないかい? って言われた。


「すぐそこに家があるから、すぐに戻ればいい。おいでって」


 あたし、その人の手を握って、ついていったの。


「閉じ込められた」


 白い扉。階段。地下。暗い部屋。集められた子どもたち。食事は一日三回。パンとスープ。時々、犯人があたしたちを扉から眺めていた。


「笑ってた」

「幸せそうに笑ってた」


 不気味なほど、目を細めて、幸せそうに笑ってた。


「でも、あたし、助かったのよ」


 何日だろうか。何週間だろうか。ある日、突然、監禁生活に終止符が打たれた。誰かが助けに来た。ドアを乱暴に蹴って開けてきた。


「君たちを助けに来た! 上には応援がいる! 早くここから出るんだ!」


 そんな言葉を高らかに声をあげて言って、閉じ込められていた子どもたちは我先にと逃げ出した。


「でも、あたし、足がすくんじゃって、動けなくて」


 その人が、あたしの手を掴んだの。引っ張ったの。


「もう大丈夫って言って」


 一緒に逃げて、


「あたし、逃げ遅れた」


 足が滑って、転んだ。あたしを引っ張ってた人と、手が離れた。


「そしたら、犯人の追いかけてくる叫び声が聞こえたの」


 あたしは完全に動けなくなった。怖くて、怖くて、怯んで、怖くて、その場から動けなくなった。


 すごい足音で、犯人は追いかけてきた。走ってきた。あたしはどうしてか、その走ってきた犯人の姿が思い出せない。だけど、すごく恐ろしかった気がする。思い出せないけど、その時の恐怖は覚えてる。


「包丁を持ってたわ」


 犯人があたしを狙った。


「あたしは包丁に刺されそうになった」


 犯人があたしにめがけて包丁を振り下ろした時、それを見た、あたしを引っ張ってた人が、その間に入って、


「あたしの代わりに刺されたのよ」


 あたしは見ていた。

 その人が包丁を体から離さないよう掴んだまま、やがて動かなくなったのを見ていた。


 あれは、確か、子供だった。


 青い目だった。

 あたしを見ていた。

 あたしはその目を見ていた。

 子供ながら、思った。

 この人、死んでるって。

 あたしの目を見ながら、死んでいったって。

 充血した青い瞳。

 綺麗な顔立ち。

 その顔は覚えてない。

 ただ、すごく綺麗な顔の死体だったことは、なんとなく覚えてる。


 あたしは、しばらく立ち直れなかった。


 でも、時間が進むと、あたしには日常が戻ってきた。その人は死んで、あたしは生きていた。だから、あたしは選ばれた人間なのだと鼻を高くして、あたしは日常に戻っていった。


 その人を忘れることにした。あたしには、必要ないから。


「その人は、今回、現れるかしら」


 歴史は変わった。あたしはドロシーを見ると、ドロシーも眉間に皺を寄せる。


「現れないかもしれない」


 ドロシーが可能性を言う。


「歴史が変わった以上、助けは来ないかもしれないし、同じように来るかもしれない」


 そして、


「テリーの立場がアメリアヌに代わったことによって、アメリアヌが助かる可能性も存在しているし、存在していないのかもしれない」


 助かるかもしれないけど、


「どうなるかはわからない」

「死なれたら困るわ」


 あたしの目が据わっていく。


「メニーがアメリを待ってる。ブレスレットを作って、仲直りしたいって待ってるのよ」


 罪滅ぼし活動のミッションは、まだ終わっていない。


「アメリがいないと、本当の意味で、あたしの未来は変わったことにはならない」


 死刑の回避。


「アメリの死の回避」


 ママが死んで、アメリが死んで、あたしが死んだ。


「死なれたら困るのよ」


 メニーが待ってる。


「あたしを含め、家族が不幸にならない未来、それがあたしの求める未来よ」


 死刑の回避。死の回避。不幸の回避。絶望の回避。


「ドロシー、誘拐されなかったあたしに、出来ることはないの?」

「テリー」


 ドロシーが首を振る。


「残念だけど、無理だ」


 君にはなにも出来ない。


「これは、君一人で解決出来る問題じゃない。だって、誘拐事件だろ? 君は殺されそうになった。つまり、犯人は凶器を持ってる。とても危険だ。今の君には無理だ」

「罪滅ぼし活動よ。どういうミッションなら出来る?」

「何も出来ないよ」

「出来るわよ」

「出来ないよ」

「出来るわよ」

「テリー」

「するのよ!」


 アメリはわがままだけどね、とんでもない悪女だけどね、


「あたしの姉さんなのよ!」


 血の繋がった家族なのよ。


「ドロシー、なんでもいい。なんでもいいから、なにか出来ることはないの?」


 ドロシーが黙る。あたしはしつこく訊く。


「ねえ、ドロシー、こんなの、意味がないわ」


 ドロシーは黙る。あたしはドロシーに近づく。


「どんなにメニーの機嫌を取ったって、これじゃ、なにも意味ないじゃない!」


 ママがいて、アメリがいて、あたしがいて、メニーがいて、一つの家族が出来上がる。そこで、ようやく死刑回避の未来への道が開かれる。


「ドロシー」


 お願い。


「……なんでもいいから……」


 あたしが動ける、最大限のことを、導きを。


「小さなことでもいいから……」

「……。……小さなことね」


 ドロシーが呟き、静かに、両足を前に向ける。そして、三回、こん、こん、こん、と銀のパンプスの両方のかかとを、音を出して合わせた。すると、あたしの履いてた靴が赤く染まっていく。


(え?)


 ルビーのように真っ赤に染まっていく。ドロシーが肩をすくめた。


「これが役に立つかは、わからないけど……」


 ドロシーがあたしの靴を眺める。


「その靴を履いていれば、必要な場所に連れて行ってくれる」

「必要な場所?」

「そうさ。君にとって、必要な場所」


 だから、必要じゃないなら、その靴は動かない。普通の靴へと成り代わり、やがて、色が抜け落ち、元の靴に戻っていく。


「でも、もしも、君が行く必要な場所がある場合」


 その靴は動いてくれる。君を導くはずだ。


「導きが無い場合、君は諦めるんだ」


 諦めて、部屋で大人しく、メニーと待つんだ。


「いいね? テリー」

「……わかった」

「大丈夫」


 ドロシーが微笑む。


「だって、君は助かったんだろ? テリーの代わりの立場なら、アメリアヌだって助かるさ」

「でも、死人が出るわ」

「うーん……。その助けに来た子ども、一体誰だろうね?」


 ドロシーが首を傾げた。


「テリー、覚えてないの?」

「覚えてないわ。そんな昔のこと」


 覚えているのは、血の瞳、充血に包まれた青い瞳だけ。


(導く靴ね)


 今のところ、なにも反応はない。


「……メニーが待ってるんだろう? 行ってあげれば?」

「……そうね」


 あたしの靴は動かない。行く必要はないらしい。だけど、


「行ってあげた方が、いいのよね」


 あたしは呟き、ドロシーに視線を向けた。


「行ってくる」

「せいぜい、メニーを殺さないようにね」

「善処する」


 頷いて、あたしはドロシーに背を向ける。赤い靴は動かない。あたしは、自らの足で、メニーの元へと、戻っていく。


 あたしの足が、動く。



(*'ω'*)



 メニーが部屋で、あたしを待っていた。


 あたしはにこりと微笑む。

 メニーがあたしを見て、微笑み、口角を下げ、きゅっと唇を結ぶ。

 あたしはドアを閉める。

 メニーが封筒を見下ろす。


 膨らんだ封筒は、テーブルに置かれたまま。


「ご飯、まだかしらね」


 メニーが封筒を見下ろす。


「お腹空いてきた」


 あたしはソファーに座る。メニーと向かい合う。


「遅いわね」


 時計の針が動いても、ママは帰ってこない。アメリは、もちろん、帰ってこない。食事は、運ばれてこない。


「まだかしらね」


 メニーは黙る。黙って封筒を見つめる。あたしも封筒を見つめる。テーブルには、アメリへのプレゼントが残されたまま。


(必ず見つけ出す)


 アメリを死なせない。


(不幸になってたまるものか)


 あたしは封筒を睨んだ。


(導いて)


 赤い靴を揺らす。


(導きなさい)


 赤い靴は動かない。



 時計の針だけが、ゆっくりと進んだ。



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