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おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
五章:おかしの国のハイ・ジャック(前編)
144/590

第10話 10月5日(1)


 どしーーーーん!


(……ん?)


 目を開けたら、じりりりりりり、と、目覚まし時計が鳴った。


(……うるさい……)


 かちり。ボタンを押すと目覚まし時計が止まる。起き上がり、欠伸をしながら眠たい目を擦った。目覚まし時計を見れば、針は8時。


(今日行けば明日お休み……)

(もうひと踏ん張り……)


 ぐっと重たい体を動かして居心地の良いベッドから抜けて、クローゼットを開けた。


(……今日は……うーん……)


 キッドのお下がりの服を着て、スノウ様に買っていただいたパンツを穿いて、靴下と動きやすい靴を履いて、鏡を見れば、今日は少し男の子みたいだと思って、邪魔な髪の毛を二つのおさげにして、髪の毛に跳ねてるところがないかチェックして、小指に指輪をはめて、リュックとジャケットを持って部屋から出る。


 リビングに下りるとじいじが電話をしていた。階段から下りてくるあたしを見上げ、にこりと微笑み、電話の相手に返事をする。


「分かりました。ではそのように。はい。それでは」


 受話器を置いてから、あたしに振り向く。


「おはよう。ニコラや」

「おはよう。じいじ。仕事?」

「いいや」


 じいじが鼻で笑い、冷たい目で受話器を見下ろした。


「陛下にな」

「え? ゴーテル様?」

「今朝早くから会議があるらしいのだが、起きないから起こしてくれと王妃から連絡があっての」

「……」

「電話で起こしたところじゃ。全く、幾つになっても世話がかかる二人じゃ」

「……つかぬことを訊くのだけど、あの、さっき、家が揺れてなかった?」

「はて? 地震か?」


 じいじが首を傾げて、すぐにはっとした。


「ああ、そういえばキッドが言っておったの。私が怒鳴ったら家が揺れると」

「……」

「顔を洗ってきなさい」

「はい」


(怒鳴ったのね……)


 静かに返事をして、洗面所に行く。狭い洗面所でゆっくりと顔を洗い、棚に置いてあるタオルで顔を拭く。


(今日行けば明日休みか……。休日か……。何しよう……)


 タオルを元の場所に戻し、リビングに戻る。じいじがテーブルに朝食を並べたところだった。今日は分厚いパイ。何が入っているのかはまだ分からない。


 あたしの座る方に牛乳の入ったグラスを置き、その向かいにじいじが座った。


「さあ、食事にしよう」

「我らが母の祈りに感謝して、いただきます」


 握った両手を離し、フォークとナイフでパイを切り分けて、口に運ぶ。


(ん……? アップルパイ?)


 いや違う。


(葡萄……?)


 違う。


(バナナ……?)


 んん?


「味が変わる。このパイ何?」

「場所によって果物を変えてある。色んな味が楽しめるだろ?」

「……朝からすごいの作るわね……」

「老いぼれは朝が早いのでな」


 にやりとじいじが微笑む。


「明日は休日か?」

「ええ。今日精いっぱい働いて、明日はぐっすり寝てやるわ。絶対ぐだぐだしてやる」

「皿洗いは忘れんようにな」

「分かってる」


 はあ。お腹いっぱい。


「ご馳走様でした」


 立ち上がり、皿をキッチンの洗い場に置いてから、洗面所に行って歯を磨く。


(あーあ……。早く休みたい……。遊びたい……)


 うがいをすれば口の中が綺麗か確認。それから洗面所を出て、時計を確認する。


(今日は余裕があるわね)


 ソファーに置いたリュックの中身を確認する。ポーチ良し。鍵も入ってる。…キッドのストラップもついてる。お財布も入ってる。メモ帳も忘れてない。


(よし、大丈夫)


 ジャケットを着こんで、リュックを背負い、じいじに振り向く。


「じいじ、行ってくる」

「弁当は?」

「あ」


 声をあげると、じいじが微笑みながら指を差す。


「キッチンにあるぞ」


 言われた通りキッチンに行くと、水筒と一緒に包みが置いてあった。

 水筒と包みをリュックに入れて、今度こそ背負って、じいじに声をかける。


「行ってきます」

「馬車に気を付けての」

「はい」


 頷いて家から出る。外に出ると、秋の風が顔に当たる。少し暖かい。


(今日は天気がいいわね)


 ゆっくりと足を動かす。道を進み、一本道を進み、建物が見えてきて、入って、建物を進み、人が歩いていて、道を進み、人とすれ違い、広場に入って、噴水前に行く。街から見える時計台の時計は、9時30分。


 リトルルビィはまだ来ていない。しばらくぼうっと待っていると、リトルルビィが走ってきた。


「ニコラー!」


(五連勤でも元気いいわね。あたしはもう休みたい気分よ……)


「おはよう。リトルルビィ」

「おはよう!」


 にこにこと微笑み、リトルルビィがあたしと一緒に歩き出す。


「あのね、昨日、キッドのところに行ったんだけど……」

「やめろ! あいつの話はするな!!」


 睨むと、リトルルビィが笑顔のまま言った。


「大丈夫よ。ニコラのことは何も言ってないから安心して!」

「当たり前よ! 今のあたしをあいつに知られたら、末代までの恥!」

「そこまで?」

「あ、でも、一つ訊きたいことがあるの」

「うん?」


 きょとんとするリトルルビィに、にぃんまりと微笑んで、ひそりと訊いてみた。


「あいつ、隣国で結婚するの?」

「え? 何それ?」

「だって、こんなに帰ってくるのが遅かったのよ? 好きな人の一人や二人、向こうで出来たからじゃない?」

「違うよ」


 リトルルビィが微笑んで、首を振った。


「なんかね、隣国ですごい技術があったから、その開発と研究に時間がかかってたんだって」

「……開発と研究?」

「うん。私も詳しいことは分からないんだけど、とにかくね、それで時間かかったんだって」


 あたしの口角が下がる。


「……じゃあ、何? あいつ、これからずっとここにいるわけ?」

「まあ、自分の国だしね」

「……城下の家に、帰ってくる、とか、言ってた?」

「しばらくお城で仕事の後片付けするんだって。報告書とか、色々まとめないといけないみたい」

「……へーえ」


 あたしの口角が再び上がった。


(しめた!)


 あたしの目がきらんと光る。秋空の太陽もきらんと光る。


「だったらリトルルビィ、キッドに伝えてくれない? ゆっくりお仕事してね、って」

「え?」

「長い出張だったんだもの。気が緩んでるはずよ。せかせかやってミスがあってはいけないわ。一ヶ月でも時間をかけて、無理せず慎重に丁寧に最後の仕上げをしてねって言ってあげて。今月は10月なのよ。疲れやすくて体調も悪くなりやすい時期なんだから」

「あ、確かにそうよね」

「王子が倒れてはいけないわ。あんたもキッドをケアしてあげて。今があいつにとって大切な時期なんだから」

「テリー……」


 リトルルビィが赤い瞳をきらきら輝かせてあたしを見上げた。


「なんて優しいの。そういうところ大好き! 分かった。テリーがそう言ってたってキッドに伝えておくね!」

「馬鹿ね。あたしが言ってたって言っちゃ駄目。あんたが自分の言葉で言うの。直属の部下なんだから、説得力が違うでしょう?」

「ああ、そっか」

「リトルルビィ、分かってると思うけど、キッドって平気な顔して無理にスケジュールを付け込んだりしちゃう人でしょう? あんたや周りの人がキッドが無理しないようにサポートしてあげて」

「テリー……」

「キッドが無理に城下に下りてこないように」

「テリー……」

「11月になってからならいくらでも遊べるんだから」

「テリー……」

「いい? ルビィ」


 決め手のウインク。


「キッドが無理しないように、支えてあげるのよ。分かった?」

「はーい!」


 ――容易いわね! リトルルビィ!


 あたしの口角が、にやあ! と上に上がった。


(本当良い子ね! ルビィ! そうよ。見張りなさい! キッドがあの家に来ないようにお前が見張るのよ! 外に出させるな! 商店街を歩かせるな! いっそのこと、キッドが風邪になって一ヶ月寝込んでくれるくらいがちょうどいいわ! やれ! 誰かあいつに毒リンゴを仕込め! あたしはね、知られたくないのよ! 帰ってきてほしくないのよ! 会いたくないのよ! 事情がばれて、馬鹿にされるのは、あたしの小さなしょぼいプライドが許さないのよ!)


「テリーって本当に優しい。陰の見えないところから気遣いしてくれるなんて。テリーも無理しないでね?」

「あたしにはあんたがいるから大丈夫よ」

「テ、テリー……!」


 リトルルビィがあたしに抱き着いた。


「大好き! 抱っこして!」

「よいしょ」

「きゃー!!」


 体重を感じないリトルルビィを抱えて、本日も無事にドリーム・キャンディにたどり着く。店に入ると、中にカリンがいた。


「おはようございます」

「おはようございまーす!」


 あたしとリトルルビィが声を出すと、カリンも微笑み、返事を返す。


「おはよう二人ともぉ。今日も頑張りましょうねぇ」


 にこにこと微笑むカリンがレジの機械を弄る。


「今日は奥さんが午後からだから、それまでは三人で品出しお願いねぇ?」

「はい」

「頑張ります!」


 あたしとリトルルビィが頷くと、店にアリスが入ってきた。


「おはようございますー!」

「おはようアリスちゃん。今日は三人で品出しよぉ」

「了解です! 頑張ろうね! 二人とも!」


 アリスが笑いながら振り向き、きょとんとした。


「……なんで抱っこしてるの?」

「してって言われたから」

「うふふ!」

「朝からラブラブね。よし、ニコラ、私も抱っこして!」

「よしの意味が分からない」


 アリスがにししっと笑ってから鞄を置きに行く。

 奥の厨房では、今日も社長が人を殺した後のような目で、クッキーの生地をこねていた。荷物置き場でじゃんけんをして、二階か一階かを決め、それぞれの持ち場に着く。リトルルビィとあたしが一階。アリスが二階。


「よぉーし! それじゃあ開店するわよぉー」


 10時になり、カリンが看板をめくり、店が開店する。

 あたしはこの数日で言われた通りの品出しをしていく。穴があったら埋める。穴がなければ次の棚。次の棚にもなければ、ひたすら探す。

 暇な店内を眺めながら、カリンがはっとして、あたし達に顔を向けた。


「あ、そうだぁ。ニコラちゃん、ルビィちゃん、どちらか床にモップかけてくれなぁい?」

「お掃除なら、私がやります!」

「待って。リトルルビィ」


 手を上げたリトルルビィを止める。


「あたしがやる」

「え、ニコラ分かってる……? 掃除だよ? モップだよ?」

「何よ……。あたしがモップ選んだら悪いわけ……?」


 じっと睨むと、リトルルビィが慌てて首を振った。


「そ、そういうわけじゃないけど……! ニコラ、汚れるの嫌いそうだし……」

「別に働いてたらどこかしら汚れるでしょ。……それに……」

「それに?」

「一人で持てないくらい重いものを、持たないといけないのが怖い……」

「ああ……」


 リトルルビィがその一言で納得して、頷く。


「じゃあ……ニコラ、モップ掛け、お願いしていい?」

「任せて。前にアリスからちらっと習ったわ」

「分からなかったら訊いてね」

「ええ。ありがとう」


 売り場の奥にあるロッカーからモップを取り出し、売り場を回っていく。リトルルビィは売り場の棚を直していく。


 しばらくすると、店の扉が開いた。顔に炭がついたホレおばさんが入ってくる。


「いらっしゃいませー」


 リトルルビィが声をかける。


「い、イラッシャイマセ」


 あたしも声をかける。

 ホレおばさんがいつものようにお菓子を選んでレジに持っていき、カリンがお会計をすれば、袋に入ったお菓子を持って、店から出た。またさっきと同じ、リトルルビィが売り場の棚直し、あたしはモップで売り場を回った。


 そしてしばらくすると、店の扉が開いた。強面顔の黒髪の男性が入ってくる。


「いらっしゃいませー」

「い、イラッシャイマセ!」


 今度は少し早く声を出す。

 すると男性がモップで掃除をするあたしを見つめてきた。顔を上げると、ばちりと目が合う。そして、――親指をぐっと上げ、あたしに頷いた。


(な、なんか分からないけど、……掃除頑張れって顔されてる……)


 ぺこりと頭を下げると、男性が頷き、お菓子を選び、レジに向かった。

 リトルルビィがその様子をそっと見ていて、あたしにそろそろと近づき、声をひそめて言う。


「ほら、新人さんを全力で応援する人だから……」

「リトルルビィの時も?」

「うん。小さいのによく頑張ってるな! って言われて、飴くれたよ」

「……良い人なんでしょうね。多分」

「うーん……」


 リトルルビィが、どこか腑に落ちない顔で、男の背中を見つめる。


「あのね……? ……あの人、どこかで見たことある気がするの……」

「どこかで? ここじゃない?」

「違うの。外で、……どこかで……見た気が……するのよね……。うーん……。人違いかなあ……?」


 リトルルビィが眉間に皺を寄せながら、持ち場に戻っていく。

 あたしも掃除に戻り、モップで売り場を回る。一階の隅から隅までモップでゴミを取り、一階が終われば二階。階段もモップでゴミを取り、二階に移動する。二階ではアリスが品出しをせず、窓辺でぼうっとしていた。


「こら」

「ふわっ!」


 声をかけると、アリスが小さく悲鳴をあげて、あたしに振り向いた。


「に、ニコラか! びっくりした……!」

「仕事」

「やることないんだもん」


 ふあああ。とアリスが欠伸を一回。


「今日は暇だなあ……」

「確かに。一階もお客さん全然来てないわ」

「ま、こんな日もあるってことかな。天気がいいとはいえ、混むとは限らない。……にしても品出しもやれる所ないし……。……やることないと暇で困るなあ。暇疲れちゃうのよね」


 アリスが呟き、あたしのモップを見て、あっ、と声をあげた。


「そうだ。ニコラも掃除してるし、一瞬換気しよう。我ながらナイスアイディア」

「そうね。空気の入れ替えって大事だもの」


 アリスが傍にある窓をがちゃりと開ける。すると、ざわつく外の声が店内に漏れた。アリスがちらっと下を覗き込む。


「ん? 何あれ?」

「どうかした?」


 訊くと、アリスが肘を窓辺に置き、頬杖ついてその光景を眺め始める。


「なんか、すごい可愛い女の子が、男の子に囲まれてるの」

「へーえ。囲まれてるなんてよっぽどの美人なんでしょうね。……アリス、そんなもの見ても何も楽しくないわよ」


 二階の売り場を隅からモップで進んでいく。いくら待っても客は二階には来ない。一階にも現れない。


(暇……)


 アリスに聞こえるほどの深いため息をついた。


「はーーあ。あたしも人生で一度でいいから、モテてみたい……」

「ニコラってモテないの? 彼氏は?」

「彼氏……」


 一瞬、キッドの顔が脳裏に浮かんだが、顔をしかめて、首を振る。


「……いない。出来たことない」


 あたしの人生において、一度目の世界でも、二度目の世界でも、恋人も彼氏もいない。出来たことすらない。出来る前に、牢屋に入ったのだから。キッドに関しては、口約束の『婚約者』なのだから。恋人でも彼氏でもない。


(うん。嘘はついてない)


 モップを掛けながら言うと、アリスが驚いた声をあげた。


「へえ、そうなんだ」

「何? このあたしにいるとでも?」

「だってニコラ、結構気品があるっていうか、綺麗じゃない。意外といるかと思った」

「『意外と』は余計よ」

「ふふっ。でも私も同じ。好きな人はいるけど、彼氏は出来たことない」

「好きな人いるの?」


 訊くと、アリスがにぃんまりと、いやらしい笑みを浮かべてあたしに振り向いた。


「いるよぉ? アリスちゃんは恋する乙女なのです」


 そして、また外の景色を眺める。


「に、してもすごいなあ。どんどん男の子が集まってくる」


(女優でも歩いてるのかしら。ああ、イライラする。他人がモテてるの知ると、どうして関係ないのにこんなにイライラするのかしら)


 ぐっと歯をくいしばりながら掃除を続ける。


(何よ。優雅に歩いてたら男の方から寄ってくるわけ? あり得ない。あたしは歩いても声すらかけられないのよ? こんな所でモップ掛け。ああ、馬鹿みたい。畜生。美人なんてくたばっちまえ…! 早死にしちまえ!)


 憎めば憎むほどモップを動かし、床が綺麗になっていく。外のざわつく声を聞いて、アリスが眉をひそめた。


「ふーん。そういうことね……」


 アリスが考える。


「でもここら辺で聞いたことないわね。そんな女の子……」

「何?」

「なんで騒いでるか分かったのよ」


 アリスがあたしに振り向く。


「ニコラ、まだ来たばかりだもんね」

「ん?」

「じゃあ分からないわよね」

「何が?」

「あのね?」


 アリスが言おうとした瞬間、リトルルビィが慌てて二階に駆けあがってきた。


「ニコラッ! あの!」

「ん?」

「あ、ナイスタイミング」


 リトルルビィの慌てぶりに反応して振り向くと、アリスが微笑んで、リトルルビィに顔を向けた。


「ねえ、リトルルビィ。ここら辺のお店で、『テリー』っていう女の子、働いてたっけ?」

「……え?」


 思わず眉をひそめて、アリスに訊き返す。そして、ゆっくりと、リトルルビィに振り向く。リトルルビィは顔を引き攣らせながら、あたしに分かるように、下に指を差した。


「あの……お店の前に……あの……」


 リトルルビィがものすごく言いづらそうに口を動かすのを見て、あたしの片目が痙攣した。


(……まさか……)


「なんか、男の子に囲まれてる女の子」


 アリスが微笑みながら言った。


「ここら辺で働いてる、テリーっていう自分のお姉さんを探してるって」

「うわあああああああああああああああああああああ!!!!!」

「うひゃあっ!? ニコラ!? どうしたの!?」


 ぎょっとするアリスに構うことなく、慌ててモップを抱きしめたまま窓に飛びつき、アリスの覗いていた窓から下を見下ろした。なんてことだろう。ドリーム・キャンディと三月の兎喫茶の建物の前で、金髪の美しい少女が、商店街の男の子達十数名に囲まれているではないの。


 男の子達は、皆、興奮したように、顔を赤くさせ、どこか気合を入れていれ、体を震わせて怯える少女に声をかけていた。


「あの! もしかしたら僕! そのテリーって人を見かけたかもしれません! 案内しますよ! さあ!」

「あ、いえ……場所を教えていただければ……自分で……」

「あの、君の名前は……!?」

「あ……ごめんなさい……あの……」

「やめないか君達! 大勢ではしたない! どうだいお嬢さん。この僕と休憩がてらお茶でも……」

「結構です……」

「こら! やめないか! 僕が先に声をかけたんだぞ!」

「うるさい! 引っ込んでいろ!」

「なんだ、やるってのか!?」

「俺が先にあの子に目をつけたんだぞ!」

「なんだよ!」

「あ……あうう……」


 少女が縮こまると、三月の兎喫茶の扉が勢いよく開き、中からイライラしたサガンが出てきた。


「なんだ、お前達。営業妨害だぞ。このクソガキ共。てめえらのせいでこっちは今日も赤字だ。何だってんだ。何の騒ぎだ。ハロウィンはまだだぞ」


 サガンが少女の前に来て、囲んでた少年達と少女の壁になる。少年達はサガンを見上げ、慌てて首を振る。


「あ、いえ、僕たちはただ……!」

「一旦下がれ。邪魔だ」

「あの、その子、誰かを探しているようでして……」

「ああん? お前らには関係ないんだろ? さっさと行け。どっか行け」

「で、でも……」

「聞こえなかったか?」


 サガンが容赦なく、少年達を睨んだ。


「邪魔だと言っているんだ」

「いえいえ、僕たちはただ親切心で……」


 サガンのこめかみに、青筋が立った。


「これ以上騒ぐなら本当に警察を呼ぶぞ。兵士でもいいぞ。呼ぶぞ。いいか。子供関係なく、まじで呼ぶぞ。親にも連絡して学校にも連絡してお前達の親戚一同全員に連絡してやる。あ? いいんだな?」


 サガンが少年達を睨み、脅し、見下ろす。少年達はキレるサガンに顔を青ざめて、逃げるようにその場から去っていく。


「それでいい」


 サガンが少女に振り向き、はあ、とため息をついた。ついでにうなじを掻く。


「おい、嬢ちゃん、友達でも探してるのか?」

「あの……」

「……ああ、ここじゃ、あれだ。店の中入れ」

「ああ、でも……ああ……すみません……!」


 サガンが乱暴に促し、少女を無理矢理店の中に入れた。見てた少年達は入りたくても入れず、もどかしそうに喫茶店を遠くから眺めている。遠くから眺めていた傍観者達もぽかんとしている。静かな三月の兎喫茶。一人の少年が去り、諦め、どんどん去っていく。いつもの商店街に戻っていく。こうして商店街でのちょっとした騒動が幕を閉じた。


 いや、まだ続いている。


 あたしは、頭を抱えて黙り込んだ。


「……。……。……。……」

「……ニコラ?」


 アリスがつんつんと、あたしの肩を指でつついてくる。


「急にどうしたの? 頭痛くなったの?」

「……。……ええ。すごく痛い……」

「ええええええ!? 痛いのーー!? すごく痛いのーー!? 急にどうしたの!? 大丈夫!? ニコラ! 病院行く!? 早退する!? ああ! 可哀想に!! 一体どうしたのーー!?」


 アリスが全力で心配し始め、俯くあたしの背中を撫でる。あたしはうんざりしてため息をついた。


(なんでいるのよ……)


 あたしの目が血走った。


 ――メェェェェェエエエニィィィィィイイイイイイイ……!!!


「ニコラ、あの、頭が痛いなら……先に、あの、……休憩、行く……?」


 リトルルビィが気を遣ってあたしに言った。あたしは眉間に皺を寄せながら顔を上げ、わなわなと体を震わせ、鬼の仮面をつけて、リトルルビィに振り向く。


「……なんで、あたしが、先に、休憩に行かないといけないの……?」


 いよー。怒りがポンポンポンポン。


「ニコラ、どうどう」


 リトルルビィが両手を揺らして、怒ってメラメラ燃えてるあたしをなだめた。


「頭、痛いんでしょ?」


 リトルルビィが微笑んだ。


「休憩しておいで」

「そうよ! ニコラ!」


 あたしを全力で心配するアリスが頷いた。


「ニコラに何かあったら! 私とっても心配よ! 先に休憩入って! そうね! サガンさんの所にでも行って、休んでおいで! お金ないなら私が珈琲代くらい出してあげる!」

「喫茶店……」


 あたしのこめかみに、ぴきりと青筋が立った。アリスに無理矢理微笑む。


「今行けないんじゃない……? ほら……、立て込み中でしょう……?」

「大丈夫よ! 女の子が一人いるだけでしょ? 売上に貢献してあげたら、サガンさんも喜ぶって!」


 アリスはあたしの鬼の形相に気づかず、にこにこしながら煽ってくる。


「ね! ニコラ! 行っておいで! 一時間したら戻ってくればいいし、頭痛が酷いようならもう少し休んでてもいいから!」

「……。……。……。……」

「ニ、ニコラ……」


 リトルルビィが遠慮がちに頷く。


「行ってあげて……? ……ほら、アリスもここまで言ってるし」

「そうよ! 行っておいでよ! このフィールドは、ニコラの分も! 私が守っててあげるから!」

「……なんであたしが……」


(悪いのはあいつじゃない……)


 怒りの炎がめらめら燃える。


(メニー……!)


 ぎっ! と窓を睨む。


(メニー!!)


 その顔を思い浮かべて、


(メニー!!!)


 イライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライラ!!


 ――ブチッ。


「じゃあ、ごめんね? 行ってきてもいい?」


 にっこりーん! と笑みを浮かべると、アリスが笑顔であたしの肩に手をぽんと置いた。


「そうしなさい! 頭痛ってしんどいって聞いたことがあるもの。治まるまで休むといいわ。私がカリンさんに言っておいてあげるから!」

「ありがとう!」


 そう言って、


「リトルルビィ」


 手招きする。


「ちょっと来て」

「えっ」


 リトルルビィが頬を赤く染めて、あたしに近づく。


「え? なあに? ニコラ、なあに?」

「二人で話したいの。ちょっと来て」

「うん!」


 どこかわくわくしているリトルルビィを連れて、一階に下りる。カリンが外を眺めて、ぼうっとしていた。


「今の人だかり何だったのかしらねぇ? サガンさんが怒ってたわぁ」

「何だったんでしょうね。おほほほ」


 あたしが笑いながらリトルルビィを引っ張る。厨房を避け、荷物置き場に行き、扉を閉めた。リトルルビィが目を輝かせてあたしを見上げる。あたしは――メモを切り、字を書いて、小さな手紙を作り、リトルルビィに差し出した。


「はい」

「えっ?」


 リトルルビィが手紙を見て、両頬を押さえた。


「わ、私に、ラブレター!?」

「メニーによ」

「え、メニーへのお手紙?」

「リトルルビィ」


 手紙を握らせる。


「渡してきて」


 リトルルビィが顔をしかめた。チラッと手紙を開いて読む。



 メニーへ


 あたしは一生許さない。家に帰りなさい。迷惑よ。くたばれ。


 テリー



「テリー! こんなの駄目よ!」


 リトルルビィが手紙を破いた。


「あ! 何するのよ! せっかく急遽用意したあたしのお手紙が!」

「テリー! ちゃんとメニーと話し合って!」

「嫌よ!!!!」


 腕を組み、そっぽを向く。


「どーーして、あたしが先に休憩に行かなきゃ行かないの!? 悪いのはメニーじゃない!」

「テリー、どうどう!」

「あたし、絶対行かない! あいつなんか、一人で商店街の中を彷徨って困ってしまえばいいのよ!!」

「テリー、落ち着いて!」

「悪いのはあいつよ!」

「テリーってば!」

「ルビィもメニーをかばうの!?」

「テリー」

「悪いのはメニ……」


 義手があたしの横を通過した。


(っ)


 壁に義手がめりこんだ。リトルルビィの赤い瞳がぎらりと光る。


「 お ち つ い て 」

「……はい」


 圧のある声に、小さく返事をする。リトルルビィが義手を引っ込めた。壁に小さな拳の跡が出来上がる。


「一度二人で話し合った方がいいよ。屋敷を出てから会ってないんでしょ?」

「……会うわけない」

「じゃあ、なおさら」

「ねえ、あたしがこの時間にいること言った?」

「テリー」


 リトルルビィがむすっとした。


「私もしばらくメニーに会ってないの。テリーと一緒に一生懸命働いてるから。ね、いつメニーとお喋りする暇があるの?」

「……」

「どちらにしろ、喧嘩も終わらせないと。このままが一番良くないよ。テリー」

「……」


 深い深い息を吸って、ため息を吐く。がっくりとうなだれる。


「……面倒くさ……」

「そう言わずに」


 リトルルビィが微笑む。


「話しておいで。姉妹なんだから」


 ぽんぽんと背中を撫でられる。


「ね?」


(ぐっ!!)


 素敵な笑顔がにぱーーーー!


(眩しい!)


 眩しくて目を細める。


(くそっ! 笑顔のリトルルビィには反論出来ない!)


「何かあったら、私も後でフォローしておくから」

「……本当?」

「うん! 私とメニーの友達だもん!」


 リトルルビィがあたしの背中を優しく叩いた。


「ほら、行っておいで。テリー」

「あんた、本当にいい子ね……」


 ため息混じりに呟く。


「分かった。行ってくる」

「はい。リュック」


 リトルルビィにリュックを渡され、背中に背負う。


「気張らずにね。行ってらっしゃい!」

「……」


 あたしは黙って荷物置き場から抜けて、売り場に戻る。カウンターにいるカリンの前に立つ。


「すみません。カリンさん……。お先に休憩いただきます……」

「アリスちゃんから聞いてるわよぉ。大丈夫ぅ?」

「大丈夫じゃありません……」

「奥さんもこの後来るから、伝えておくわねぇ。無理しないでねぇ

「……すみません」


 とぼとぼと店を出る。秋の風があたしにぶつかる。前髪が上がる。揺れる。いい天気。青空。空を舞う紅葉。隣の三月の兎喫茶の前で立ち止まって、うんざりした顔で見上げる。


(……本当に行くの…?)


 お気に入りのルビィには、優しく行ってらっしゃいと言われてしまった。


「……はあ」


 深呼吸。


(……落ち着くのよ)


 あたしは、気高き貴族のテリー・ベックス。義妹の誤ちくらい、許せる広大な心の持ち主よ。


(……行くわよ)


 あたしは、扉を開けた。









 一方、その頃。


 リトルルビィが顔を真っ赤に染めていた。


「い、今のやりとり、なんだか、新婚さんみたい!!」


 て、テリーに、行ってらっしゃいって、言っちゃった。


「きゃーー!!」


 リトルルビィが興奮のあまり、もう一つ壁に拳型の穴を作ったのだった。



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