第10話 第五のミッション、遂行
「……」
メニーが苦しそうな呼吸を繰り返す。サリアがメニーの吹き出して止まらない汗を拭いつづける。医者がメニーの様子を見て、ギルエドに伝えた。
「風邪ですな」
医者が微笑む。
「ご心配には及びません。薬を飲んで、安静にしていれば治るでしょう」
「そうですか。はあ、良かった」
医者が荷物をまとめる。
「ゆっくり休ませてあげてください」
「いつもありがとうございます。先生」
「とんでもありません。これが仕事ですから」
メニーの部屋から医者とギルエドが出ていく。メニーが枯れた咳をした。
「げほっ、げほっ」
だるそうに眉をひそませると、メニーの額に当たる氷袋にサリアが触れてみた。
「袋はまだ大丈夫そうですね」
またメニーの汗を拭う。
「もう少し時間が経ったら取り換えましょうか」
「……サリア」
「はい」
「わたし、死んじゃうの?」
「この程度では死にませんよ」
サリアがメニーに微笑み、頭を撫でた。
「寝ていれば良くなります。ゆっくりお休みください」
「……ん……」
メニーが瞼を下ろす。変わらず苦しそうに呼吸を繰り返す。サリアがそっとベッドから離れ――ソファーでくつろぐあたしの前で止まった。
「テリーお嬢さま」
ちらっとサリアを見上げる。サリアが微笑む。
「ここにいては、風邪が移ります」
「そんな簡単に移らないわよ」
メニーが風邪を引いた。泥だらけになったあたしではなく、メニーが風邪を引いた。久しぶりに外に出た疲れからだと診断された。だから、あたしは可哀想な妹の面倒を見てあげないと。
にこりと、サリアに笑顔を見せる。
「あたし、ここにいる」
「駄目です」
「メニーの看病するの」
「駄目です」
「メニーが寂しがっちゃうから」
「駄目です」
「メニーが可哀想だわ」
「駄目です」
「メニーが」
「駄目です」
「メ」
「駄目です」
サリアがあたしの体をひょいと抱いた。
「おっふ」
サリアがメニーの部屋の前にあたしを置いた。
「それでは、また後で」
サリアがあたしに微笑む。
「良い子にしているんですよ。テリー」
ぱたんと、ドアが閉められた。
(*'ω'*)
「今回はなにも出来ないわねぇー!」
パパの書斎で、あたしはくつろぐ。
「あーあ! 残念だわ! したくてもしちゃ駄目って大人に言われちゃったんだもの! あーあ! なーんにも出来ないわーーー!」
「テリー!! 諦めるな!! まだ希望は捨てちゃいけないよ!!」
ドロシーが青い顔で『風邪の時の100の対策(※魔法使い用)』という本をバラバラバラバラバラバラ! と勢いよくめくる。
「メニーが風邪! なんてことだ!! くそ! ボクの親友が風邪を引いて、寝込んでるなんて!!」
ボクはなにも出来ない!!
「ああ! 無力だ! 魔法使いって、なんて無力なんだろう!!」
「なによ。魔法でちょちょいのちょいだべさって、メニーの風邪を治しちゃえばいいじゃない」
「全く! 呑気だね、チミは!! 魔法使いにもルールがあるんだよ! そう簡単に人間に魔法をかけちゃいけないのさ!」
「あ、そう」
あたしはのんびり欠伸をする。
「寝てたら治るって、お医者さんも言ってたわ。放っておくのが一番よ」
「テリー! 良いのがあったよ!!」
ドロシーがページを開いて、あたしに見せる。
「これだ!」
「ん?」
ちらっと、本のページを見る。
「なにこれ」
「風邪が一瞬で治る薬さ!」
「なによ。やっぱり魔法使うんじゃない」
「魔法じゃないよ。魔法の薬を作るんだ。誰に飲まそうが、ボクの勝手さ!」
「それは魔法を使うに当たらないの?」
「この場合は大丈夫なのさ!」
「魔法使いのルールってよくわかんないわね……」
「テリー、メニーは今も苦しんでいる!」
ドロシーがどこからか巨大な鍋を用意する。
「ボクは調合の準備をするから、君は材料を集めてきてくれ!」
「え、あたしが行くの?」
「当たり前じゃないか!」
「嫌よ。雨も降りそうな天気だし」
それこそ、魔法でちゃちゃっと用意すればいいじゃない。
「馬鹿! 君は、馬鹿か!!」
ドロシーが目をくわっと見開く。
「努力して愛する者を助ける! その素晴らしさをテリーにわかってほしい! いいかい! ボクはね! テリーにチャンスを与えてあげてるんだ!!」
「そんなこと言ってどうせあれでしょ。魔法使いのルールで材料は魔法で集めちゃ駄目とか、そんなんでしょ。どうせ」
「図星をつくんじゃない!」
「当たってるんかい」
「いいか! テリー! 相手はメニーだぞ! 可愛い君の妹だぞ!!」
「誰が可愛い妹よ。あんな奴嫌いよ。そのまま死んでしまえばいいんだわ」
「もーーー! そんな気持ち、今だけポイ捨てしちゃってさ! メニーのために頑張ってよ! お使い行ってきてよ!」
「うるさいわね。寝てたら治るわよ」
「……。……。……。……テリー」
ドロシーが真面目な顔であたしを見る。
「この薬が完成したら、君がメニーに渡すといい」
「ん?」
「メニーはこの薬で体調は万全になるはずさ」
「ふーん」
「つまり、メニーは一瞬で体調が良くなり、気分も良くなる」
――こんな素敵な薬を持ってきてくれるなんて、お姉ちゃんってすごく頼りになるね! お姉ちゃん大好き! こんな素敵なお姉ちゃんを持って、わたし、とっても幸せ! そんなお姉ちゃんを、なにがあっても死刑にするわけにはいかないね!
「死刑回避の未来が近くなる!」
「その話、乗った!!」
あたしは立ち上がる。ドロシーが頷く。あたしも頷く。本を二人で覗き込む。
「なにを持ってきたらいいわけ?」
「この絵のものを頼むよ」
冷たい聖水、星の形の花の薬草、ニンジン。
「ニンジン……?」
あたしは眉をひそめた。
「ニンジンなんて使うの?」
「絵が描いてあるってことは、使うんだろうね」
「……ふーん」
まあ、魔法の薬だって言うし。
「いいわ。探してくる」
「薬草は多分花屋にあるはずだ。聖水は教会。頼んだよ!」
「行ってくる」
あたしはお買い物メモを書き綴る。
罪滅ぼし活動ミッションその五、メニーのために薬を完成させる。
(こんな薬草、あるかしら……)
雨が降らないうちに行こう。
あたしは開かずの間から出ていく。鍋の周りでいそいそと準備をするドロシーだけが残り、ドアが閉められた。
(*'ω'*)
マントを羽織り、バスケットを持ち、一人で太陽の隠れた天気の中、街に出かける。
(変な人に声をかけられても、ママがいるって言えばいいわ)
体は小さくても、中身は大人だ。自分の安全と危険もわかっている。出かけたことがバレないように、馬車も使わずとことこ一人で歩き、一番近い中央区域の広場に立ち寄る。
(先に教会ね)
あたしは教会に入る。
「聖水を頂きたいのです」
「おお、小さな少女よ。持って行きなさい」
「どうもありがとう」
水筒に聖水を入れる。
「さて」
教会から出て、商店街に向かう。
「いらっしゃいいらっしゃい! 野菜が安いよ!」
(ニンジン3本だっけ?)
メモを見る。
(うん。3本ね)
あたしは八百屋に寄る。
「すみません」
「へいきた! らっしゃいよ!」
「ニンジン3本」
「あいよ! お嬢ちゃんお使いかい!」
「はい!」
「偉いねぇ! 飴ちゃんあげるよ!」
お会計! ちゃりん!
「ありがとうよ!」
あたしはキャンディを舐めてニンジンを受け取る。
(花屋、花屋……)
あたしは歩く。花屋を見つける。
「ああ、あったあった」
あたしは花屋に声をかける。
「あの、お花探してるの!」
「うーん! なんのお花かなぁー!?」
「星の形の薬草なの!」
「スターなフラワーだね!」
従業員が眉をへこませた。
「スターなフラワーは、今、うちには無いんだよ。ごめんね!」
「……そうなんだ」
「隣の商店通りに行ってごらん!」
「わかった!」
あたしは頷いて、花屋から離れる。とことこ歩いて、舌打ちする。
(チッ。こうなるだろうと予想してたわ)
スターなフラワーね。
(いいわ。隣の商店通りで聞いてやる)
とことこ歩いて、隣の商店通りまで行く。
(花屋、花屋……)
「あ、あった」
「いらっしゃいいらっしゃい! お花だよ! フラワーはいかがかね!」
あたしは花屋に声をかける。
「あの、お花を探してるの!」
「うーん! なんのお花かなぁー!?」
「星の形の薬草なの!」
「なるほど! スターなフラワーだね!」
従業員が眉をへこませた。
「スターなフラワーは、今、うちには無いんだよ。ごめんね!」
「……むう」
「隣の商店通りに行ってごらん!」
「はーい」
あたしは頷いて、花屋から離れる。とことこ歩いて、舌打ちする。
(畜生! 次!)
またまた隣の商店通りへ。
「あの、お花を探してるの!」
「うーん! なんのお花かなぁー!?」
「星の形の薬草なの!」
「へえ! そいつはスターなフラワーだね!」
従業員が眉をへこませた。
「スターなフラワーは、今、うちには無いんだよ。ごめんね!」
「……はい」
「隣の商店通りに行ってごらん!」
「……はい」
さらなる隣の商店通りへ。
「あの、お花を探してるの!」
「うーん! なんのお花かなぁー!?」
「星の形の薬草なの!」
「ほぉ! それはスターなフラワーだね!」
従業員のピエロが眉をへこませた。
「スターなフラワーは、今、うちには無いんだよ。ごめんね!」
「……。……。……」
「落ち込まないで! 君にはこのキャンディをあげるよ! 隣の商店通りにも行ってごらん!」
「はい」
またその隣の商店通りでも。
「うちにはないんだ!」
また違うところでも、
「普段はあるんだけどね! ほほほほ!」
またまた違うところでも、
「今日はないね! なんかないね! そういう日なのかな!? ぷぷっ!」
「おかしいだろ!!!」
あたしはだんだんだんだん! と地団駄を踏む。
「なんで無いのよ!」
噴水前でだんだんだんだん! と地団駄を踏む。
「こうなることは予想していたけど、予想以上だったわ!」
スターなフラワーとやらがどこにも無い。
(くそ、誰かが買い占めてるんじゃないでしょうね!)
こうなったら隅から隅まで商店街中回ってやる!
ぐっ! と拳を固めていると――後ろからあたしに影が被さった。
(ん?)
振り返ると、シルクハットを被り、杖を持った紳士があたしを見下ろしていた。紳士と目が合うと、紳士が帽子をあげて、ふわっと微笑む。
「やあ、お嬢さん。なにかお探しかな?」
「ん」
あれ?
(なんか、この人、どこかで見たことあるような)
あたしはきょとんと瞬きをする。紳士はにこりと微笑んでいる。
(いや、知らない人ね)
あたしはにぱっと笑う。
「お花を探してるの!」
「お花?」
「すたーな? ふらわーって、言うんだって!」
「ああ、スターなフラワーか」
紳士が首を傾げる。
「お使いかな?」
「そうよ! ママと一緒に来たの!」
「ママはどこにいるんだい?」
「すぐそこ!」
適当に指を差す。紳士がそうか、と頷く。
「スターなフラワーだが、わたしの家にあるんだ。良かったら分けてあげよう」
「え! 本当?」
(ラッキー!)
「すぐそこの家なんだ。好きなだけ取っていくといい。案内しよう」
「ありがとう、おじさま! 助かるわ!」
「なんの、なんの。困った時は、お互いさまさ」
紳士があたしに手を伸ばす。
「さぁ、行こう」
あたしはその手に手を伸ばした――瞬間、
「ちょっと、どこ行くの?」
あたしが振り返った後に、紳士もゆっくりと振り返る。
「捜したよ! もう! 離れちゃ駄目だろ?」
背の高い、青髪の少年があたしに駆けてきた。
(え、誰?)
少年の美しさに、周りがキラキラ輝き始める。
(超好みのイケメン!)
あたしの目がハートに変化する。
(え!? 誰かしら! こんなイケメン! 知り合いにいたかしら! なんてかっこいいの! 超タイプ!!)
ぽーっと少年に見惚れていると、少年が側に寄り、あたしの手を掴んだ。
(きゃっ! 超タイプのイケメンに、手を握られちゃった!)
あたしのハートが恋の銃でばきゅーんと撃ち抜かれる。
「すみません!」
少年が紳士に微笑んだ。
「この子が、なんかご迷惑かけたみたいで!」
「いやいや、迷惑だなんて。家にある花を探しているようだったのでね、分けてあげようと思っていたんだ」
「ああ、そのことなら見つかったので大丈夫です! わざわざありがとうございます!」
「そうか。それならいいんだ」
紳士があたしに微笑む。
「見つかって良かったね。それでは」
紳士があたしに手を振る。あたしは手を振らない。イケメンに見惚れている。
(かっこいいぃいい! このイケメン、超かっこいいい! 誰? 誰? あたし、こんな人知り合いにいたかしら? どこの家の人? どこのお金持ちの坊ちゃん? なんか王子さまみたい! かっこいい! 超イケメン! なまらイケメン! 最高レベルで超イケメン!!)
紳士が去っていく。少年が紳士の背中を見つめる。あたしは少年に見惚れている。紳士がいなくなる。少年があたしを見下ろした。青い瞳と目が合う。あたしのハートの形の目がぎゅんっ!! と大きくなった。
(ひゃっ!!!!)
「やあ」
にこりと、少年が微笑む。
「また会ったね」
「え?」
にやけてしまう。
(えーー? どこで会ったのかしらーー? こんなイケメンーー!?)
「昨日はちゃんと帰れた?」
「ん?」
(昨日?)
昨日の記憶を思い出す。
メニーと公園に行き、イベント会場に行き、メニーのためにネコのぬいぐるみを貰おうとして参加したゲームに――、
――帽子を被ったはずの、青髪の、イケメンが。
「……。……。……。……。……」
あたしの笑顔が引き攣る。
帽子を被っていない少年はにこにこ微笑んでいる。
あたしもにこり! と笑った。
「えーーー? だぁーーれ? あたし、お兄ちゃんみたいな人、知らなーい!」
「俺にくたばれって言っただろ」
「あたし、しーらない!」
手を離そうと腕を引っ張ると、離れない。少年があたしの手を掴んだまま、にこにこ笑っている。
(……ん?)
もう一度引っ張る。離れない。少年の手があたしの手をガッチリ掴んでいる。
(……。……。……)
あたしはもう一度引っ張る。離れない。引っ張る。離れない。思い切り引っ張る。離れない。ぐーーーー! と引っ張る。離れない。
(なんなのよ! こいつーーーー!!)
「ふぇえええん!」
あたしは泣き声をあげた。
「このお兄ちゃんが、手、離してくれないぃい! ぅええええん!」
「ねえ、さっきの人の家にある花ってなに? なにを探してるの?」
「やぁだぁ! 人を詮索してくるなんて本当に気持ち悪い! 離れないよぉ! 気持ち悪いよぉ! ぴたってしてきて気色悪いよぉ! きっとこのお兄ちゃん、接着剤なんだわ! こいつ、ぴたってくっつくんだわ! いやぁ! あたし、ぴたってくっつく接着剤も磁石もシールも嫌いなの! 好きなのは水溜まり模様ボンドだけなの! わかったら早くどっか行ってよ! クソボケ野郎!!」
「くくくく! 可愛い照れ隠しの悪口をありがとう。そうだよ。俺は気になったらぴたってくっつくんだ。君が気になって仕方ないから、こうやってくっついて、君のことを知ろうとしているわけさ」
(ぐぐぐぐぐ……! この馬鹿力はなんなのよ……!)
ぐーーーーーっと引っ張ってみるが、びくともしない。少年はにこにこ笑っているだけ。
(なんなのよーーーー!!)
「ねえ、なにを探してるの?」
少年が青い目をあたしに向けてくる。あたしは腕を引っ張るのをやめて、むすっと頬を膨らませ、少年を睨む。
「……お花」
「お花?」
「お花」
「なんの花?」
「……お花」
「花屋なら沢山あるだろ? ね、なんでさっきの人についていこうとしたの? 知らない人にはついていっちゃいけないんだよ?」
(知らない子供に話しかけてるテメエが言うか)
少年が跪き、あたしの手を掴んだまま、まるで王子さまのようにあたしを見上げる。
「ほら、手伝ってあげるから言ってみて。なにを探してるの?」
「知らない人とは話しちゃいけないのよ」
「ん?」
「だから知らない」
あたしはぷいっ! とそっぽを向く。
「知らないお兄ちゃんには教えない」
「さっきの人は知り合いなの?」
「知らない!」
むうっ! とむくれて見せると、少年がくすりと笑う。
「知らないのに喋ったの?」
「知らない!」
「俺とも話そうよ」
「知らない!」
少年が困ったように、それでいて、まだ余裕がある笑みを浮かべている。
「くくっ。手厳しいな」
(さあ、諦めなさい。見るからに怪しいクソガキ。とっととどっか行け!)
そう思っていると、笑みを浮かべたままの少年が、あたしの手を優しく握り締めた。
「俺はキッド」
「ん?」
少年を見る。少年が微笑む。
「俺の名前、キッドっていうの」
「……ふーん」
「さ、これで知り合いだ。君の名前は?」
「あ、チョウチョだ!」
あたしは話を逸らす。キッドだかキッズだか知らないけど、誰がどこの馬の骨とも知らないガキに美しいテリー・ベックスの名前を教えるものか。ぱっと顔を上げて、手を伸ばす。
「チョウチョだ! うふふ! チョウチョだ!」
「ねえ」
「ちょっと、やめて! チョウチョ捕まえられないじゃない!」
逃げるように手をぐっと、チョウチョに伸ばす。
「やめて! 手離してよ!」
「駄目。君の名前教えて」
「知らないもん!」
「知らないもん、それが君の名前?」
「違うもん!」
「違うもん、それが君の名前?」
「知らないお兄ちゃんに名前なんて教えないもん!」
「だから、俺はキッド」
「知らない!」
「わかった。じゃあ、君の探してる花を見つけてあげる。そしたら名前を教えてよ」
あたしはにやける。
「えー? 見つけてくれるの?」
ふふ。
「それは残念ね。お兄ちゃん」
「ん?」
「どこもかしこも売り切れてるの。どこ探したって見つかりっこないわ。あたし、この辺の花屋さんはみーーんな行ったの。でも売り切れてたの。だから残念。一生、あたしの名前なんてわからないわ!」
「言ってみてよ」
少年がにこりと微笑む。
「なんていう花?」
「スターなフラワー」
「ああ、あの星の形のやつ?」
「うん」
「無いの?」
「うん!」
「本当に?」
「うん!!」
「へえ?」
少年がにい、と笑う。
「見つけたら、君の名前を教えてくれる?」
「うーん」
(ま、売り切れてるし、見つからないか)
あたしはにっこり笑って、頷く。
「うん! いいよ! 教えてあげる!」
「よし、きた」
少年がにやけながら立ち上がり、あたしの手を引っ張った。
「おいで。こっち」
「ん?」
少年が歩いていく。あたしがついていく。
「こっち」
「ん?」
路地裏を歩く。抜ける。さっきの商店通りに戻っていく。
「こっち」
「ん?」
薄暗い路地に出る。
「こっち」
「ん?」
人気のないところに、花が多く積まれた荷車が置いてある。
「どうも」
「おお、キッドじゃねえか!」
少年が声をかけると、荷車の横でぼうっとしていた男が少年に顔を向けた。
「こんなところでどうしたんだ?」
「この子がスターなフラワーを探してるって言うもんでね」
「ああ、スターなフラワーか。なんでも結婚式があるとかで、そこら辺の店で売り切れちまってるらしいな」
男が荷車から花瓶を取り出す。星の形の花が入っていた。
「お嬢ちゃん、お目当てのものはこいつかい?」
「……。……。……」
あたしはこくりと頷く。男が歯を見せて笑った。
「お金はあるかい!?」
「……ん」
鞄からお財布を取り出す。
「一本500ワドルだよ!」
「……はい」
「まいど!」
ちゃりん!
「今、袋に入れてやるからな。ちょいと待ってな!」
男がスターなフラワーを持って荷車の後ろへ歩いていく。あたしは黙る。少年は横でにこにこしている。あたしは黙る。少年は満面の笑みでにこにこしている。あたしは俯く。少年はにこにこにこにこ笑っている。
(……しまった……)
こいつ、街の子だわ。街に顔見知りが多いタイプの厄介なクソガキだわ……!
(くそ、なにか、逃げる方法を、話を逸らす手段だけでも……!)
あたしの視線がちらりと上を見上げた。
(あ)
思わず、荷車に飾られていたものに目が留まる。
(フラワーリース)
話をそらすネタを探していたのに、頭の中の焦りがそのリースを見たことにより、一瞬消滅した。あたしの目がリースにくぎ付けになる。
(……あら、素敵……)
あたしの名前の花のリース。
――テリーの花。
(……綺麗なリースだこと……)
「ん?」
少年が鼻から声を漏らす。あたしの視線を辿る。テリーの花のリースを見る。少年があたしを見た。
「あれ、欲しいの?」
「え」
思わぬ声に驚いて少年を見上げると、少年が美しく微笑んだ。
「いいよ。プレゼントしてあげる」
フラワーリースか。
「だったら、テリーの花なんかよりも、もっと良い花のリースをあげるよ」
あたしの口角が下がった。
「薔薇のリースなんてどう?」
微笑む少年を睨んだ。
「薔薇のリース?」
自分で言ってみて、くすっと笑う。
「薔薇のリースが、そんなに良いわけ?」
「うん?」
「そうよね。テリーの花なんて、どこにでもある花だものね」
あたしは思いきり腕を振った。
「ん!!」
「あ」
今度は簡単に少年の手が離れた。あたしは少年を睨みつける。
「そんなに薔薇がいいなら、ローズちゃんのところにでも行けば? テリーの花なんかに構ってないで!!」
少年がぽかんとして、瞬きする。店の主人が荷車の後ろから出てきた。
「おーし、どうだぁ。綺麗に包装したぞ!」
「どうもありがとう!」
あたしは小走りで花を一輪受け取る。
「さようなら!」
「おうよ!」
花を胸に抱えて、小走りで荷車から離れる。少年がきょとんと固まった。あたしの背中に痛いほどの視線を感じる。しかし、あたしは振り返らず、大股で歩き、そのまま薄暗い路地から抜ける。
あたしは歩くスピードを変えず、帰り道を歩き出す。人が前から歩いてくる。通り過ぎる。また人が前から歩いてくる。通り過ぎる。馬車が道路を通る。あたしは歩道を歩く。
後ろから足音が聞こえた。
「ねえ、ちょっと待った!」
あたしは大股で歩く。後ろから長い足が追いついた。
「ねえ、さっきのどういうこと?」
少年が訊いてくる。あたしは黙って歩く。
「確かにローズは友達に何人かいるけど、テリーの花に構ってないでローズちゃんのところに行けっていうのは……」
そこで、少年がはっとした。
「あ、なるほど」
少年が口角を上げた。
「テリー」
あたしを見た。
「それが君の名前?」
あたしは黙って歩く。少年は横に並んで歩く。
「へえ、良い名前。花の名前なんて、綺麗」
あたしは無視して歩く。
「そっか。それは無神経だった。悪かったよ。許してくれない?」
あたしは黙って前を見て歩く。きゅっと花を抱いて大股で歩く。
「やれやれ。こいつは困ったな」
少年が呟き、あたしの前に足を伸ばした。
「っ」
あたしの前に足を踏み込ませ、体をあたしに向け、通せんぼする。あたしは足を止め、少年をぎろりと睨む。少年がにこりと微笑む。
「はい」
少年があたしに差し出す。ピンクのテリーの花のリース。
「いらない」
あたしは少年の横に避けて歩き出す。少年が肩をすくめた。
「あはは。俺としたことが」
楽しげに呟き、またあたしに振り向いてついてくる。
「ねえ、テリー。悪かったよ。ごめんね。君の名前の花に、心にもないことを言って」
あたしは黙って歩き出す。
「言い訳になるけど、君には薔薇が似合うと思ったんだ。もちろん、テリーの花も綺麗だよ。とても綺麗だと思う。でも、君には薔薇をプレゼントしたかった」
あたしは余計に口をつぐんだ。
「悪かったよ。確かに俺の価値観を押し付けすぎた。お詫びをさせていただきたい。ねえ、この後二人でお茶でも行かない? 喫茶店で、優雅に、のんびり、ケーキでも食べてさ」
あたしは手を挙げる。道路を走ってたバギー型の小さな馬車が止まった。そして、少年に振り返る。
「子守りのお駄賃よ」
金貨を地面に投げつけた。少年が金貨を見下ろす。
「もう関わらないで」
一言吐いて、あたしは馬車に乗り込んだ。御者があたしに振り向く。
「街外れまでお願い」
「はいよ!」
馬車が動き出す。少年はあたしを見つめる。あたしは少年を見ず、馬車に乗ったまま、前を向く。御者が黙って馬を走らせる。馬車が進んでいく。街の出口まで駆けていく。
あたしの乗った馬車は、どんどん少年から離れていった。
空は相変わらず薄暗い。雨は降りそうで、まだ降らないようだった。
少年が金貨を拾う。じっと見つめる。裏表を見る。本物であることを確認する。
「へえ」
馬車の行った方向を見る。
「お金持ちかな?」
もしくは、
「貴族、かな?」
少年が金貨を持ったまま、にんまりとにやけた。
(*'ω'*)
テーブルに置いた材料を見て、ドロシーが目を輝かせた。
「でかした! テリー!!」
鍋に聖水を入れ、ニンジンを三本入れ、生姜と出汁とみりん、砂糖を少々加える。さらにあたしの買ってきたスターなフラワーを入れる。
「いくぞ!」
ドロシーがぐつぐつ煮込まれる鍋に、手をかざす。
「娘は辿る。匂いを辿る。男は向かう。パンを持って。二人が出会い、瞳を重ね、恋が生まれて愛となる」
ドロシーが言葉を奏でると、鍋からぼん! と音を出して、煙が出来上がった。
(うっ!!)
あたしは慌てて窓を開ける。窓から煙が逃げていく。
「ぶはっ!!」
あたしはドロシーに振り向く。
「ちょっと! 部屋が煙臭いじゃないのよ! 見つかったらどうするのよ!」
「くっくっくっくっくっ……!」
ドロシーが肩を揺らして笑い出す。
「出来た! 完成だ! 完成したんだ!!」
ドロシーが鍋に混ざった液体をフラスコに入れ、キャップを閉める。色はニンジンのオレンジ色。
「さあ、テリー! これをメニーの元へ持っていくんだ!」
「……」
(これ、飲めるの?)
泡がごぽごぽ言ってるけど。
じろりとドロシーに目を向けると、ドロシーがフラスコをあたしに押し付ける。
「大丈夫! 成功品だから! 絶対大丈夫なやつだから!」
「本当でしょうね……? これでメニーに嫌われたらあんたのせいだからね?」
「大丈夫だって! 行っておいでよ! さ、早く!!」
ドロシーが叫んだ。
「早くメニーを治してあげるんだ!!」
罪滅ぼし活動ミッションその五、メニーのために薬を完成させる。
「君はやり遂げたんだ! ミッションは成功だ! さあ! 早くこれを渡してくるんだ!!」
背中を押され、開かずの間から追い出される。ドアが乱暴にばたん! と閉められた。
(ああ……)
あたしはがっくりと肩を落とし、ため息を出す。
(街を歩いて疲れたし)
(薬草はなかなか見つからないし)
(あの顔だけイケメンには心にもないこと言われるし)
「テリーの花なんかよりも、もっと良い花のリースをあげるよ」
ぶちっ。
(悪かったわね……! テリーの花『なんか』で……!)
拳をぎゅっと握る。
(いいじゃない。テリーの花。可愛いじゃない。綺麗じゃない)
神話に出てくる花よ。
(いい名前じゃない。美しいあたしにお似合いの綺麗な花だわ)
――テリーの花なんかよりも、
(ああ、むかつく! 畜生!)
どしん! どしん! どしん! と階段を上る。
(あのクソガキと関わったら、ろくな目にあわないわ!)
(プレゼントは幼稚だとか言われるし!)
(だるまさんが転んだでは優勝逃して泥だらけになるし!)
(今日なんか、名前をコケにされた!!)
テリーの花。
(いいじゃない! 綺麗じゃない! ローズなんかよりも、ずっと綺麗じゃない!)
むかつく。
「ぐぐぐぐ……!!」
あたしは親指の爪に噛みつく。
(畜生がぁ……!!)
もうあんなクソガキ、二度と関わってたまるか。
(今日で最後よ。もう二度と会わないんだから、むかつく思い出としてしまっておくのよ。あたし)
親指を口から離し、メニーの部屋のドアをそっと開ける。顔を覗かせると、サリアはいなかった。メニーの寝息が聞こえてくる。
「……」
そっと、メニーの部屋に侵入する。ドアを静かに閉め、こそこそと中に入り、メニーのベッドへ向かう。巨大なベッドに小さなメニーが眠っていた。
(よし、邪魔はいない)
あたしはメニーの体を、とんとん、と叩いた。
「メニー」
「ん……」
「メニー」
メニーが眉をひそめる。ゆっくりと瞼が上げられる。
「……」
「メニー、いいもの持ってきたわ」
あたしはフラスコのキャップを開けた。
「これ飲んで」
「ん……」
「飲んで」
「食欲無い……」
「気分が良くなるんですって」
あたしはにこりと微笑む。
「ほら、飲んで」
「ん……」
メニーがぼんやりとしながら起き上がり、フラスコを口につける。そのまま、口に傾ける。ごくりと飲み込む。
「ごふっ!!」
メニーが咳込んだ。あたしはメニーの背中を撫でる。
「メニー、ゆっくりでいいから。飲んで」
「……。……なに……これ……」
「お薬」
「……」
メニーが青い顔でフラスコを見た。そして、顔を思いきりしかめ、苦い声で呟く。
「……ニンジンの味がする……」
「ああ、なんか、そう。ニンジンの味がする薬なのよ!」
「……いらない」
メニーがフラスコをあたしに返す。あたしはメニーに押し返した。
「わがまま言わず、飲みなさい」
「……ニンジン、嫌い……」
(えっ)
あたしはぱちぱちと瞬きした。
「あんた、ニンジン嫌いなの?」
「……ん」
メニーがこくりと頷いた。
「この……苦い感じ……やだ……」
「……シチューにも入ってるじゃない。どうしてるの?」
「……残してる……」
(ほう?)
メニーは、ニンジンが嫌いなのね。
(ほぉぉぉおおおおう?)
あたしの目がきらーんと輝き、口角が上に上がった。
「メニー! 好き嫌いは駄目よ!! ほら! 飲んで!!」
「ごふ!」
あたしは無理矢理メニーの口にフラスコを傾けた。
「ほら、メニー! お薬だから!」
「ごぼぼっ! ごぼ! ごぼぼ!」
「おっほほほほ! メニー! ほら! 飲め! 飲みやがれ! 飲んで飲んで飲みまくりなさい!!」
お前の嫌いなニンジンのお薬!!
「飲みやがれ!! 心行くまで飲みやがれぇーーーーーえ!!」
今日のイライラを、恨みを、憎しみを、全部が全部を、病弱で弱ってるメニーにぶつける。
外では曇り空が唸り声をあげ、しとしとと、雨が降ってきた。
「おっほっほっほっほっほっ!」
窓が濡れる頃、メニーが薬を飲み切った。
「おっほっほっほっほっほっ!」
雫が落ちる頃、メニーがばたりとベッドに倒れこんだ。
「おっほっほっほっほっほっ!」
大雨となる頃、メニーの手からフラスコが抜け落ちた。
「おっほっほっほっほっほっ!」
土砂降りの音が響く頃、フラスコが地面を転がり、あたしの足にこつんとついた。
「おっほっほっほっほっほっ!!!!」
あたしは高笑いする。
「これで、お前もおしまいよーーーーーー!!!」
おーーーほっほっほっほっほっほっほーーーーー!!
あたしが笑い出したと同時に、ぴかっ! と外が光り、雷が怒鳴った。あたしは笑う。雷が光る。
おーーーほっほっほっほっほっほっほーーーーー!!
あたしの高笑いが、雷の高笑いが、メニーの部屋に響き渡った。
(*'ω'*)
サリアが体温計を見た。
「38度5分」
氷袋を吊るして、あたしの額に押し当てた。
「テリー、今日は大人しく寝ていてくださいね」
「……」
「だから言ったじゃないですか。移りますって」
サリアがにこりとあたしに微笑む。熱で侵されるあたしはうなだれる。コンコンとドアがノックされた。サリアが振り向く。
「はい、どうぞ」
サリアの返事を聞いた相手はドアを開けた。そこには、元気になったメニーがいて、そそくさと部屋に入ってきた。
「サリア、お姉ちゃんの体調どう?」
「大人しく寝てれば大丈夫ですよ」
「そっか」
メニーがあたしに微笑む。
「お姉ちゃん、ゆっくり休んでね」
「……。……。……」
あたしは顔をしかめて黙り込む。サリアが元気になったメニーを見て、優しく微笑んだ。
「メニーお嬢さまはあっという間に治られましたね」
「うん! 一日寝たら、なんかすごく体調が良くなったの!」
メニーがくるんくるんと回り出す。
「なんだか、体に羽が生えたみたいに、すっごく調子がいいんだ!」
「そうですか。それは良かった」
「お姉ちゃんも早く元気になってね!」
満面の笑みを向けられ、あたしは唇を噛み締める。
(ぢぐじょう……!! メニーの奴……! よぐもあだじに、風邪を移じやがっで……!!)
絶対許さないからな……!!
あたしはぎりっと歯を食いしばり、メニーを睨むと、だらんと鼻水が垂れてきて、下品な音を立てながら、それをすすった。