第三話 秩序と力
余りにも残酷な絶望が
第三話 秩序と力
初めて地上に来てから約三か月が経った。梅雨の湿気の気持ち悪さもマシにはなったけど、それと引き換えに気温が高くなってくる。
高校では夏休みという長期休暇があるみたいで、学校ではどこに遊びに行くかで話題は持ち切りになっている。天界にも夏はあったけど、地上の夏は天界と比べものにならならいくらい暑い。湿度も高いからすぐに汗ばむし、日差しは肌を焼くように暑い。それに加えてセミの鳴き声がやけにうるさく感じて夏が嫌になってしまうほどだ。そんな状況なのに扇風機しかない地獄のような教室で強くんが話し始めた。
「俺たちは地獄に帰るんだけど、遊びに来ない?」
「良いの? そんな簡単に行けるの?」
「うん。大丈夫」
地獄って遊びに行くような場所なのかという疑問が頭の中を過ったけど、本の中でしか存在しないと思ってた未知の世界に行けるなら断る理由が無い。
「行く!」
「暑いから薄着できた方が良いよ」
「地獄ってどれくらい暑いの?」
「真夏の四万十市ぐらい」
「思ってたより涼しいんだね」
結構暑いとは思うけど、地獄って炎に囲まれてるイメージがあるからそれに比べたら涼しく感じる。
「逆に日本の方が暑く感じるよ。湿気も多いし」
日本に来た外国の人も同じようなことを言ってた気がする。やっぱり日本って暑いんだ。
「この日に駅前のロータリーに集合で」
絵本でしか見たことのない未知の世界に行けるって考えただけでワクワクしてくる。小さい頃に夢にまで見た童話の世界。実在するだけでもすごいのに、そこに行けるのは言葉にし難い感情が湧き出てくる。
「楽しみだね!」
「そうかな?」
学校の帰り道も気分がずっと浮ついていた。本当はスキップしながら帰る予定だったのに、コウちゃんから恥ずかしいって理由で止められた。
「メアちゃん」
「ん?」
「一回だけ天界に帰ってみない?」
家に帰って服を着替えてるとコウちゃんが思い付いたように言った。長い間帰って無いから一回だけでも帰っておきたい。
「そうだね、一回帰ってみようか」
お母さんに電話で天界へと帰ることを伝えた。すると、何かを言い辛そうに話し始めた。
「それが……もっと早く言うべきことだったのだけれど」
「どうしたの?」
「二か月ほど前にね、ゲートが閉じちゃって天界と地上が隔離されてるのよ」
「え? なんで!?」
「由悪ちゃんがメアちゃんを連れ戻そうと勝手に地上へと降りちゃったから、しばらくは開けられないの」
「お姉ちゃん地上に来てるの?」
電話をしていると部屋のインターホンが鳴り、コウちゃんが玄関へと向かった。
「家の場所は教えてないから大丈夫だと思うけど……」
「メアちゃんっ――」
「どうしたの!?」
コウちゃんの悲鳴が聞こえて、電話を投げ捨てて玄関へと急いで向かった。
「お姉ちゃん!?」
「メアちゃん! 久しぶり~! 探すの大変だったよ」
赤く長い髪をなびかせて、赤と黒を混ぜたような瞳を光らせニッコリと微笑んでいる。この人が私のお姉ちゃんだ。名前は望無 由悪。私より四歳上だ。表情だけ見れば優しそうなのに、天界ではトップを争うぐらいの力を持っている大悪魔だ。そのせいで、顔は優しそうなのに禍々しいオーラのせいで損をしている気がする。
「なんでここに居るの?」
「メアちゃんが心配になってね」
コウちゃんは恐怖で体が震えてしまっている。天使に敵対している関係にある悪魔だし、コウちゃんとの力の差も歴然だから余計に怖いんだろう。そんなコウちゃんの頭を撫でながらお姉ちゃんは話を続けた。
「メアちゃんと仲良くしてくれてる?」
「あ、はい……お世話になってます……」
「私の可愛い可愛い妹だからね。本当は一緒に居させるのも嫌なんだけど……コウちゃんも可愛いから良いや」
「ひっ……」
コウちゃんの頭を撫で続けるお姉ちゃんと顔を真っ青にして汗をかいているコウちゃんをリビングへと移動させた。
いつも通り私の隣に座ろうとしたコウちゃんをお姉ちゃんが手を引いて膝の上に座らせた。お姉ちゃんからは底知れぬ狂気が感じられる。
「コウちゃんもすごく可愛いからギュってしたくなるのよね。メアちゃんの方が可愛いけど」
逃げ場を失ったコウちゃんは涙ながらにテレパスで助けてと訴えかけてくる。尋常じゃないくらい怯えてるから何とかしてあげないと。
「お姉ちゃん」
「どうしたの?」
「羽出てるよ」
お姉ちゃんの背中には、私やコウちゃんとは比べ物にならないほど大きな羽が生えている。
「ごめんね、怖がらせた?」
コウちゃんに向かって話しかける姿は優しいお姉さんに見えるけど、コウちゃんに質問するときだけ目が赤黒く光を放っている。それを見たコウちゃんはさっきよりも怯えている。
「い、いえ……大丈夫です……」
全く大丈夫じゃない、助けて。と、頭の中に訴えかけてくるコウちゃんに大丈夫だから、何とかするからとテレパスで返す。
「私たちがここに居るってよく分かったね」
「お姉ちゃんの愛情だよっ」
「へ、へぇ……」
ひとまず、助けを求め続けるコウちゃんを私の横へと座らせた。腰が抜けて立てないほど怖がっていたのか。もう少し早く助けた方が良かったかな。
「うぅっ……」
計り知れない恐怖を感じ続けていたコウちゃんは私の腕にしがみ付いたまま動かなくなってしまった。そんな弱っているコウちゃんの姿を見たお姉ちゃんは何故かカメラを向けてくる。
「何してるの?」
「ほら、怖がってる女の子ってすごく可愛いでしょ?」
「いや、よく分かんないかな……」
やっぱり天界でトップを争うほどの大悪魔なんだなぁって実感する。
「あら?」
部屋のインターホンが鳴りお姉ちゃんが玄関へと向かった。お姉ちゃんの姿が見えなくなって安心したのか、全身の力が抜けたように床に倒れた。
「大丈夫?」
「うん……」
倒れるコウちゃんを慰めているとお姉ちゃんが部屋に戻って来た。それと同時にコウちゃんは腕にしがみ付いて固まってしまった。
「お邪魔しま~す。あっ! 久しぶり~! コウちゃんとメアちゃん!」
眩しいぐらいの長い金髪と銀色の瞳をした人が入って来た。コウちゃんをもう少し美人さんにしたその見た目は、後光が差してるんじゃないかと錯覚してしまうほどだ。名前は天日 光だった気がする。お姉ちゃんと同い年で、この人がお姉ちゃんとトップ争いをしている天使だ。
「え? なんで!?」
「由悪ちゃんが誘ってくれたから来ちゃった」
それから私たちが話す隙がなく、妹の可愛さを語り続けるお姉ちゃんたちと恥ずかしさに耐える私たちに分かれた。そもそも、口を挟むことなんて不可能だろう。今のコウちゃんの状況を考えたら。
「メアちゃんも可愛いね」
「そうでしょ! でも」
「「うちの妹が一番可愛いね!」」
「ん? メアちゃんでしょ?」
「え? コウちゃんでしょ?」
「メアちゃんが一番だから」
「コウちゃんがっ――」
平然を装ってても大きく広げている羽で心の内が手に取るように分かった。隠す気が無いのかってくらい分かりやすかった。
「待ってても時間がもったいないし、先にお風呂入ろっか」
「うん。え? 二人で?」
「片方ずつ入ってると何されるか分からないし」
「そうだね」
私たちはお姉ちゃんたちの意識が私たちに向かないように出来るだけ自然にお風呂場に向かった。お風呂場の入口とお風呂に結界を張ってお姉ちゃんたちが入れないようにした。
小さい頃はずっと一緒に入ってたけど、最近は一緒に入ったことなんて無い。サラサラの長い金髪と透き通るほどの綺麗な白い肌は目を奪われて見惚れそうになるぐらい綺麗だ。久しぶりに一緒に入るのは良いけど一つだけものすごく気になることがある。
「コウちゃん」
「なに?」
「そんなに見られると恥ずかしいんだけど……」
コウちゃんの視線がいつも以上に気になって仕方が無かった。
「ご、ごめんっ!」
お風呂に入ってからは微妙な空気に包まれて何を話せば良いか分からなくなった。
「今日は大変だったね。疲れたよ」
「そうだね」
コウちゃんが湯船に浸かりながら力なく呟いた。確かに、今日だけに限った話じゃなくて最近は色んなことに巻き込まれて大変な目に遭ってる気がする。たまには二人でゆっくりしたいし、何も考えることなく遊びに行きたい。
「もっとゆっくりしたいよね」
「うん」
体を洗っている間も、体に穴が開くんじゃないかってほど視線を感じて落ち着かなかった。
「メアちゃん」
「なに?」
「そんなに見られると恥ずかしいよ」
「ご、ごめんっ……」
綺麗な素肌に目を奪われて無意識に視線が一点集中していた。私も人のこと言えないかも知れない。
恥ずかしいから背中合わせで湯船に浸かった。肌が触れる度にコウちゃんが変な声を出すから恥ずかしさで死にそうだった。
「だ、大丈夫?」
「……うん」
何かを話してもすぐに途切れる会話に気まずさを感じながらも何か話題がないか考え続けた。
「…………」
「…………」
必死に考え続けたけど、何を話しても同じ返事しか返って来なかった。そんな状況で会話が続くはずもなく、何も話すことが無くなってしまった。湯船に浸かってから十五分ほど、無言の気まずい空間を耐え続けた。
「え~っと……もう上がろっか。お姉ちゃんたちが私たちに気付いたら何されるか分からないし」
「そうだね」
いつもなら一人で入るからゆったりとお湯に浸かれてたけど今日は二人だし状況が状況なだけにゆっくり浸かることも出来ずに急いで上がった。
お姉ちゃんたちが言い争って私たちのことに気付いてないのが唯一の救いだった。私たちは寝室に移動して部屋の結界を固めることに専念した。
「もう寝よう」
「え? でも……」
「明日も学校だよ?」
「……そうだね」
並みの天使や悪魔なら消し炭になるぐらい強力な結界を張り終えた私たちは眠りにつくことにした。
朝になれば流石のお姉ちゃんたちでも帰っているだろう。そう考えた私は明日のために眠りにつくことにした。そして迎えた次の朝。
「なっ……」
荒らされた部屋と床に寝ているお姉ちゃんたち。床に散乱したお酒の空き缶やタンスから投げ出された
服や下着を見て大体想像がついた。
「コウちゃん! 部屋が――」
全裸だ。昨日確かに部屋着を着て寝ていたはずなのに。
「うわっ!?」
私の着ていた部屋着もいつの間にか身ぐるみ剥がされていた。お姉ちゃんたちを部屋に入れるのは危険
だ。もう二度と入れてあげないつもりだ。
「よいしょっと」
寝ているお姉ちゃんたちを担いで家の外に投げ捨てた。家の鍵とチェーンを掛けて再び寝室へと戻った。部屋に掛けていた結界は作動した形跡があるのにお姉ちゃん達が無傷だってことは失敗に終わったんだろう。
「コウちゃん! 起きて!」
「んぅ……」
軽く伸びをした後、私を見て絶句するコウちゃん。当たり前だ、目が覚めたら幼馴染の同居人が全裸で立ってるんだもん。
「服着てよ!」
「下見て」
「下? あっ」
自分も身ぐるみ剥がされていたことに気付いたみたいだ。普通起きた時に気付くと思うけど。
「え? ひゃっ!? 見ないで!」
「遅いよ。ほら、服」
「ありがと……」
布団で体を隠しながら渡した服を着替えている。そこまで恥ずかしがらなくても良い気がするけど。
それよりも、この荒れに荒れた部屋の掃除をどうするかが問題だ。
「面倒くさい……」
クローゼットから出された服は無残にも床に散乱していて、窓に掛かっていたカーテンがほとんど外れてるような状態でしわが出来ている。これを片付けてからでは学校には間に合わない。あの二人は出禁にしよう。
「どうしよっか?」
「う~ん……」
学校から帰ってきて片付けるのは疲れて出来ないと思うし。このまま学校に行っても部屋のことが気になって集中出来ないし。そもそも、片付けること自体やりたくないし……
「もういいや」
部屋を見ていると片付ける気力が無くなってしまった。部屋のことは後にして学校へ行く準備をしなければ。朝から余計なことに体力を奪われたから学校に行くのも辛く感じてしまう。
「行こっか」
「うん」
部屋のことは後回しにして考えたら良いだろう。そのうち何とかしよう。
「あ」
扉を開けると外で駄弁ってる二人の姿を見て家の外に投げ捨てたことを思い出した。二人には責任を取って部屋を片付けてもらうことにする。
「あ! メアちゃん!」
ものすごい速さで抱き着いてくるアホな姉を回避して家の外へ出た。
「今から学校行ってくるから部屋片づけてね」
「私たちも行く!」
「私たちが帰って来るまでには片付けておいてね。出来なかったら家に入れてあげないから」
「え? メアちゃんが心配だから私も――」
「怒るよ? いや、本気で」
私だってその気になればお姉ちゃんたちが本気を出そうとも抑えるぐらいの力を持っている。背中に生えた二人よりも大きい翼を見て諦めたのか、ため息を吐きながら見送ってくれた。コウちゃんが目を丸くして驚いていることに違和感を覚えたけど。
「どうしたの?」
「いや、そんな力あったんだ……」
「言ってなかったっけ? 本気出しちゃうと私が悪魔としての力を使えなくなるから出さないけどね」
そんな事よりもお姉ちゃんに任せるのはかなり心配だ。だけど、それ以外に頼める人が居なかったから仕方がない。条件としては最低だし、もしかしたら家が無くなってるかも知れないし。
「任せて大丈夫なの?」
「心配だけど大丈夫だと思うよ」
「メアちゃんがそう言うなら……」
登校中も後ろを振り向いて心配そうに歩いているコウちゃんの手を引っ張って学校へと急いだ。
「おはよ~」
夏休みの件を伝えるために三人で仲良く話している所へと向かった。
「夏休みの話だけどね、私たちも――」
夏休みの話を切り出した瞬間、窓の外から爆発音が聞こえて来た。音のした方向には私たちの家がある。そんなはずが無いとは言い切れないから余計に心配だ。しかも、お姉ちゃんたちが原因だとすると私が悪魔をやめる覚悟で止めないといけない。だけど、私にはそんな覚悟は微塵もないし、今の私とコウちゃんだけでは止めることなんて出来ない。
「煉くん! 強くん! ちょっと来て!」
「え? うん。強も来るよな?」
「当たり前だろ!」
「青原すまん! 急用だっ!」
強くんが手短に謝ると青原くんは親指を立てて行ってこいって笑顔で送り出してくれた。
慌てて教室を飛び出して屋上へと向かった。屋上は人が居ないから急いで向かうには丁度良い。
「私とコウちゃんだけじゃどうにもならないから協力して欲しいの!」
「分かった。どうすれば良い?」
「今から飛ぶから捕まって」
「いや、俺らを運ぶと遅くなるだろ?」
「でも、それ以外に手段がないよ?」
「家はどっちにある? 俺たちは脚力には自信があるから大丈夫だ」
「あっち」
「煉、行くぞ!」
「おうっ!」
私が指を差した方向へを確認した二人に姿が一瞬で見えなくなった。
「っ!?」
家の方向へと飛んで行ったのだ。どんな脚力があればあんなに飛べるのか分からないけどかなり早く家に着ける。
「そこだよ」
予想していた通り家はほぼ全壊していてお姉ちゃんとコウちゃんのお姉さんが言い争いながら喧嘩している。
「メアちゃんが一番!」
「コウちゃんが!」
放たれたパンチは対象に当たらなくても衝撃波で家が潰されていく。止まらずに隣の家に飛んで行った衝撃波を間一髪で止めることが出来た。もし当たってたら隣の家だけじゃなくて人も死んでいただろう。
「止めるの手伝って!」
「分かった! 煉!」
「行くぞ!」
勢いよく飛び込んで行った二人。あの二人ならなんとか止めてくれるだろう。なんて言ったって怪力自慢の鬼が居るんだから。
「っ!?」
私の横を何かが凄い速さで飛んで行った。何かがぶつかったような音ではなく、撃ち抜かれたような音が聞こえた。
「えっ……?」
後ろを振り返ると勢いよく入って行った二人が地面に倒れている。
「大丈夫!?」
大声で名前を呼んでも大きく揺さぶっても反応が無い。
「メアちゃん! おかえり!」
「何してんの!?」
「いやぁ、どっちの妹が可愛いか話してたら喧嘩になっちゃって。そしたら知らない男の子二人が止めに入って来たから反射的に殴ってしまったのよ」
「バカ! 二人とも意識無いじゃん!」
「強すぎたかしら?」
この馬鹿姉たちは許してはおけない。今ここで片付けておいた方が絶対に良い。
「もういいよ……分かった」
「メアちゃん?」
大きく息を吸って全身に力を込めた。背中に広がる翼は二十メートルを超えるぐらい大きくて、それを見たお姉ちゃんもコウちゃんも止めようと必死に説得してくる。
「メアちゃん! それやったら天界に戻れなくなるよ!」
悪魔としての力を失ったら天界に戻ることが出来なくなって、地上の人として一生を終えなくなる。今の私は怒りで冷静に判断出来なかった。
「もう……なんでも良いよ」
ここに居る馬鹿姉二人を消し飛ばせば私の怒りも少しは収まるだろう。
「あ~あ、怒らせすぎちゃった。光ちゃん止めれる?」
「私たち二人でも無理だね」
「よしっ! じゃあ奥の手だ」
大きく息を吸ってゆっくりと力を手に込める。黒色や紫色の光が拳から漏れてくる。あとはこれをあいつらに放つだけだ。放ったらあの二人だけじゃなくて地球は粉々になって無くなってしまうだろう。
「どうすれば良いんですか? メアちゃんを止めないと!」
「昔から王子様のキスで目を覚ますって相場が決まってるのよ」
そう言うと、お姉ちゃんたちはコウちゃんを担いでこっちに飛ばして来た。反射的に抱きしめた私は込めてた力を漏らしてしまった。
「っ……」
再び力を込めようとするとコウちゃんが私の手を握って微笑んだ。
「止めて。ボクが何とかするから」
「コウ……ちゃん?」
自然と力が抜けて、さっきまでの怒りも引いてきた。そうだ、私が冷静にならないとコウちゃんが一人ぼっちになってしまう。危うく幼馴染と友だちを殺すところだった。
「行け! チューしろっ!」
「無理です!」
「私の可愛い可愛いメアちゃんとチューが出来るんだぞっ!? それに、元に戻すには王子様のチューが特効薬ってどの物語でも相場が決まってるんだよ!」
私にはあの馬鹿姉が何を言ってるのか理解出来なかった。コウちゃんもあの馬鹿姉の言うことを本気にしているのか真剣に悩んでいる。
「ごめん! メアちゃん」
「っ!?」
不意打ちのように一瞬感じた柔らかくてふわふわした感覚のせいで翼を維持することが出来なくなった。翼は光の粒となって消滅していき、元の大きさに戻ってゆっくりと地面に落ちた。
「煉くん! 強くん!」
倒れている二人を揺さぶって起こそうとして何度揺さぶっても呼び掛けても起きない。どうしよう、私が二人に声を掛けたから……
「大丈夫よ。私に任せて」
コウちゃんのお姉さんが二人の額に手を置いて何かを呟いた。お姉さんの手から温かい光が発せられた。次第にその光は二人の体を包み込み始めた。すると、二人は何事も無かったかのように目を覚まして、光は空へ向かって飛んで行った。
「うぅ……これほど強いとは思ってなかった」
「全くだ」
意識が戻ったのを確認すると今までの緊張が抜けて力が入らなくなった。駆け寄ってきたお姉ちゃんが何とか支えてくれたけど、家の惨状を見ると再び腹が立ってきた。
「これ……どうすんの?」
「光ちゃん、これもお願い」
「はいはい」
家が眩い光に包まれて崩壊する前の家へと一瞬で戻った。一瞬で終わることなのに、何があったらさっきみたいに酷い状況になるんだろ? 本当に何でもありかよ。
「部屋も片付けておいたよ」
「お姉ちゃんたち、出禁ね」
「え?」
戸惑うお姉ちゃんたちを置いて学校へと急いだ。こんなことで遅刻するのは嫌だ。
「飛ぶよ!」
「うん!」
人目の付かない場所を選びながら学校へと向かった。学校の屋上に着いた時には既に一時間目が始まっていて、結果から言うと今まで一度もしたことのない遅刻をしてしまった。全く関係のないお姉ちゃん達が原因で。
「ごめんね。二人に迷惑かけちゃった」
「いや、仕方ないよ」
「うん。大丈夫だよ」
二人はそう言ってくれてるけど迷惑を掛けたことに変わりはない。何かお詫びを考えておかないと。
「メアちゃん。ちょっと……」
午前中の授業が終わったお昼休み。コウちゃんは何かを考えこむように真剣な顔で私に話しかけて来た。
「ん? どうしたの?」
コウちゃんに手を引っ張られて校舎裏へと移動した。ここはあまり人目が付かないし、何か目的がある訳でもないから来るのは初めてだ。
「お姉ちゃんたちには天界へ帰ってもらおう」
「へ?」
辺りを見渡して誰も居ないことを確認するとコウちゃんが小さな声で言った。流石に学校までは来ないだろう。
「それは私も考えたけど、何か考えはあるの?」
「ううん。分からない……けど、どうにかしないと」
「うん……」
今日みたいに、私以外の人が危険な目に合うかも知れない。それは絶対に避けなければならない。
「どうすれば良いんだろ?」
天界へのゲートが閉じてしまったから、私たちが天界へと連れて帰るのは無理だ。どうすることも出来ない。早く解決しなければいけないのは分かってるんだけど、それが焦りになって冷静な考えが出来なくなるのは避けたい。あの二人に直接伝えてどうにかなる問題ならどれだけ楽だろう。コウちゃんがそれを伝えたらお姉ちゃんに殺されるに違いない。
「お母さんが何とかしてくれるまで何も出来ないのかな?」
「その間、私たちが無事で居られる保証なんてないし……」
あの二人を止められるのはお母さんぐらいしか居ない。お父さんはお姉ちゃんや私に甘々だから頼りに出来ない。
「お母さんに電話してみる」
「うん」
携帯を取り出してお母さんに電話を掛けた。いつもならすぐに出るのに、今日に限って電話を呼ぶベルの音しかならない。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「繋がらない」
何回掛けても電話に出てくれない。電波の届かない所に居るのかな……
「あっ!」
「うわっ!? 何!?」
「ゲートが繋がらないからお母さんに電話出来ない!」
「えっ!?」
天界に帰るって電話した時は繋がったのに、時間が経つ毎に離れて行ってるんだ。ダメだ。あの二人を止められる人は地上には居ない。あの二人が本気で喧嘩するようなことがあれば世界の崩壊を呆然と眺めるか悪魔をやめることになる。普通ならそんなことあるはずが無いけど、あの二人の性格ならやらないとは言い切れないから怖いんだ。
「早く何とかしないと……」
何も解決策が無いから焦りと不安だけが溜まっていく。こんな状況じゃ授業に集中なんて出来ないし、最悪の場合となると学校自体行けなくなるかも知れない。それだけは絶対に避けたいけど、避ける為の方法が見つからない。
「う~ん……」
あの二人は私の言うことなど多分聞かないだろう。それでも、土下座をしてでも天界に帰ってもらうしか思いつかない。一番簡単で一番効果が無さそうな作戦だ。それを私に出来るかが問題なんだけど。
「コウちゃん」
「ん?」
「お姉ちゃん達には帰ってもらおう」
「え? それが出来ないから困ってるんでしょ?」
「ひたすらお願いするしか思いつかないけど……」
キョトンとした目で驚いたような表情を浮かべたまま、しばらく動かなくなったけどすぐに表情が緩んで笑い始めた。
「メアちゃんらしいね」
「それ以外思い付くの?」
「ううん。それ、やってみよう」
こんなに単純な考えで解決するはずが無い。それでも少しの可能性があるならそれに賭けるしかない。
授業が終わって、いつもと同じ帰り道なのに緊張で全く違う風景に見えた。傍から見た私たちはお通夜に向かうかのように見えているだろう。家に着くと大きく深呼吸して扉を開けた。家の中は壁や家具が全て新品に交換されたように綺麗になっていた。
「おかえり~!」
「ひゃあっ!?」
扉を開けた瞬間にお姉ちゃんが羽を広げてロケットの様に飛んで来た。すかさずコウちゃんを盾にして防いだ。コウちゃんを満足そうに後ろから抱きしめながら部屋へと戻って行くお姉ちゃんの後ろを歩いてリビングへと向かう。コウちゃんを膝に座らせたままニコニコしているお姉ちゃんの前に座った。何故か私の隣にはコウちゃんのお姉ちゃんが居て、何か良いことでもあったのかと思うぐらいニコニコしていた。
二人があまりにもニコニコしているから逆に気味が悪いし怖い。計り知れない狂気と殺気を感じる。
「何かお話でもあるの?」
お姉ちゃんが一番に口を開いた。話そうとするけど緊張と目の当たりにしたときの恐怖で上手く声が出せない。下手に刺激してしまうかも知れないということを考えてなかった。今になって、こんなことが頭によぎり始めたから緊張で手の震えが止まらなかった。
コウちゃんに助けを求めようと目を合わせると逆に助けを訴えているし、涙目でこっちを見られても助けられる状況じゃない。
「どどどどうしよう……」
「今考えてるから待って!」
頭の中だけで会話できるテレパシー能力には感謝しないといけない。とりあえず、今にも泣きだしそうなコウちゃんを助けてあげないと。なんか毎回捕まってるような気もするけど。
「あら、どうしたの?」
立ち上がろうとした私の腕を掴んできたコウちゃんのお姉さん。口調が柔らかいのにプレッシャーが半端ない。腕を掴む力もすごく強いし。何より目が笑ってない。
「いや、何でもないです……」
無理だ。少し立ち上がろうとしただけでもこれなのにコウちゃんを助けるのも話を切り出すのも私には出来ない。
「助けて……」
「無理無理無理っ! 私には荷が重すぎるよ!」
「メアちゃん……」
「泣かないで! 別の方法を考えるから!」
今にも泣きだしてしまいそうなコウちゃんを何としても助けないと。今の状況よりひどくなっては対処が出来ない。早く本題に入ろう。
「あのね、お姉ちゃん」
「どうしたの?」
「あっ、え~っと……」
言いたい言葉が口から出てこない。たった一言伝えるだけなのに、それすらも出来ないほどの重い空気が漂っている。下手なことを言ったら横でニコニコしている大天使に浄化と言う名の一方的虐殺をされてしまうし、お姉ちゃんと横の大天使が大ゲンカしてしまう。そうなったら、もう地球に明るい未来はない。
「いや……」
「ん?」
心が折れそうな状況なのにコウちゃんが目で訴えてくるし、後にも引けないから絶体絶命の状況に陥ってしまった。
「言い難いことなの?」
内容的には言い難いことではない、問題はお姉ちゃんたちなのだ。こんな状況で素直に天界へ帰ってください。なんて言える訳がない。
「いや、そう言う訳じゃ……」
「言ってくれないとお姉ちゃん分からないよ?」
お姉ちゃんから放たれる言葉が謎の圧力となって胸を押し潰そうとしてくる。流れていく時間が長くなる分、この場の空気が重くなってプレッシャーとなりコウちゃんの限界へと繋がってしまう。
「あのね、天界に……」
「帰りたいの?」
「そうじゃなくて……」
その光景を延々と見ていたコウちゃんが痺れを切らして話し始めた。思わず心の中でガッツポーズを取った。
「お姉ちゃんたちはそろそろ天界へ帰った方が――」
「メアちゃんと話してるんだけど」
「ひぃっ……ごめんなさい……」
一筋の希望は無残にも一言で打ち消され、更なる恐怖を植え付けられたコウちゃんは涙目になりながら俯いていた。
「で、私たちに帰って欲しいと?」
「うん……」
「お姉ちゃんのこと嫌いなの?」
急に泣き出すお姉ちゃんに話を狂わされそうになるけど、ここで話さないと後で言うとか絶対に無理だ。
「違うよ! お姉ちゃんのことは好きだけど……」
言葉に詰まって何をどう説明すればお姉ちゃんたちを傷付けずに済むのか、考えれば考えるほど頭が真っ白になって上手く口が動かなくなる。
「分かった。本当は今日帰るつもりだったから別に心配しなくても大丈夫よ」
「へ?」
「お姉ちゃんたちはメアちゃんたちの様子を見に来ただけだもん」
その言葉を聞いて、押しつぶされそうなほどのプレッシャーと緊張が解けた。と同時に号泣するコウちゃん。
「ごめんね。怖かったよね」
お姉ちゃんはコウちゃんが怖がってるのを分かってやってたんだ。天界を代表する悪魔はすることが違う。
「たまには天界にも帰って来てね」
「うん」
荷物をまとめたお姉ちゃんたちは家を出たと同時に姿が消えた。力が抜けて今までの緊張と疲れが一気に押し寄せた。
「なんか、あっさり解決したね」
「そうだね、ちょっと休む……」
「ん」
寝室にあるベッドに飛び込んだ。予想外過ぎる展開に疲労ゲージはマックスだ。本音を言うとオチがあっさり過ぎて少しモヤモヤするって言うのもあるんだけどね。
「メアちゃん」
「コウちゃん?」
「私もっ!」
飛び込んでくるコウちゃんを間一髪のところで避けた。
「危ないよ!」
「ごめんごめん」
さっきの出来事でコウちゃんも疲れたんだろう。抱き着いて離そうとしない。可愛い。
「甘えん坊さんだね」
「今だけね」
コウちゃんの頭を撫で続けていると安心したのかコウちゃんが寝息を立てて眠ってしまった。
「私もちょっと寝よう……」
目を閉じるとすぐに眠りに落ちた。色んなことに気力を使い続けたから体も心も疲労困憊だ。明日からは平和に何事もなく暮らせる気がする。いや、これ以上問題が立て続けに起こることなんて無いだろう。
「忘れ物~」
「由悪ちゃんまだ~?」
「光ちゃん! 見て見て」
「ん? あっ」
「やっぱり私の妹が一番可愛いね」
「コウちゃんの方が可愛いよね」
「ん?」
「あ?」