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96話 フェイス、愛の力に目覚める。

「ふむふむ、あんたの話を分かりやすく言えば、家出しちゃったわけか」


 イザヨイは、当時の俺の話を真剣に聞いてくれていた。

 本当に不思議な女だったよ。どこの貴族の子供とも知れない俺の話にしっかり耳を傾けて、しきりに相槌を打っている。

 ちなみにディックは皿洗いをしていた。当時から母親の家事を手伝っていたようだ。あいつらしいな。


「貴族ってのも大変だねぇ、毎日勉強に剣術稽古か。そんなの嫌になって当然だろうさ、家出の一つもしたくなるさね」

「あの……追い返したり、しないんですか? 僕がここに来ているって知られたら、実家から勘違いされて、酷い仕打ちを受けるかも……」

「心配してくれるのかい? ふふ、優しい子だね」


 イザヨイは柔らかく笑うと、俺を撫でてきた。

 暖かな手にびくりとした。こんな風に頭を撫でて貰うなんて、初めてで……その時は嬉しかったな。


「そうなったらそうなったで、どうにかするさ。今大切なのは、目の前で泣いている子供がいる。その子に優しくするのが大事なんだ」

「母さん、お皿洗い終わったよ!」

「おや、ありがとねディック。ほんとにあんたは良い子だよぉ」


 イザヨイは飛びついてきたディックをしっかり抱きしめ、膝にのせた。

 ディックを可愛がるイザヨイの顔は慈愛に満ちていて、これもまた鮮烈だった。俺がどれだけねだっても貰えなかった物を、ディックはねだらずとも貰えていたんだ。


「どうして、抱きしめて貰えるの?」

「? どうしてって、どうして?」

「えと……ただ皿洗っただけなのに、なんでお母さんから、抱きしめて貰えるの?」


 我ながら変な質問だよな、ディックの奴はきょとんとしていたよ。

 したら、イザヨイは察したように俺に手を差し伸べた。


「ほらおいで。口で言うより、された方が分かるよ」

「え? あっ……」


 イザヨイに腕を引かれ、俺は初めて人に抱きしめられた。

 とても優しくて、安心できた。イザヨイを見上げれば、あいつはディックに向けるのと同じ、柔らかい笑顔を向けていた。


「どうだい? 抱きしめられると、嬉しい気持ちになるだろ? ディックが手伝ってくれて私は嬉しかった、その気持ちをディックにも分けてあげたんだ」

「……お金とか、出てこないのに?」

「ははっ! 誰かに優しくするのに、見返りは必要ないのさ」


 イザヨイはそう言って、俺とディックを強く抱きしめてくれた。

 底抜けに明るくて、お人好しで、慈愛に満ちた女だったよ。俺なんかを抱きしめて、深い愛情を向けて……言うのは気分悪いが、当時の俺にしちゃ、女神みたいな奴だった。


「ところでクレス、手に肉刺を作っているけど、あんたも剣術をやっているのかい?」

「はい、少しだけ」

「ならさ、ディックと手合わせしてくれないかな? この子の相手になれる子が最近居なくてね、その肉刺の具合からして、結構な腕前なんじゃないか?」

「僕もやってみたいな。クレス君、一緒にやろ」


 ディックは木刀を持って、俺を誘ってきた。

 断るのもなんだし、遊び半分に付きあってみたよ。したら、意外とあいつは強かった。

 イザヨイの教え方もよかったんだろうな、あんなチビのくせに、抜刀術を使いこなしていやがった。

 勝負がつかない時間が、結構続いたな。ただ、悪くない時間だった。

 俺とやりあうディックは、ずっと笑っていたんだ。俺と剣を打ち合う時間が楽しくて仕方ねぇって感じで、まるで遊んでいるような感覚だった。


 それにつられて、俺もついつい、笑っていた。


 後にも先にも、同年代と遊んだ唯一の瞬間だ。時折イザヨイも出てきて、俺の剣術の悪い所を教えてくれて、それを直すと自分の事のように喜んで……また俺の頭を撫でてくれたんだ。

 誰かに自分の力が認められるのが、嬉しくてたまらなかった。自分と一緒に遊んでくれる……友達の存在が嬉しくて仕方なかった。


 イザヨイはおやつにパウンドケーキまで焼いてくれて、丁寧に紅茶まで淹れてくれた。イザヨイは俺を我が子のように接してくれたし、ディックも友達のように俺に接してくれた。


 それで俺は初めて感じたよ、「ああ、僕は今、愛されているんだな」とな。


 ……ディックは俺に、「誰からも愛されたことはない」と言っていた。ああ、そいつは間違ってはないさ。だがなディック……たった一度だけ、ごく短い時間だが、俺は愛された事があったんだよ。

 それが、この記憶だ。皮肉だろ? 誰も愛された事がないと断言したお前とその母親が、俺を愛してくれたんだぞ。


「っと、そろそろ夕方だねぇ」


 イザヨイがつぶやいて、俺ははっとした。日が傾くほど、俺はこの家族に夢中になっていたんだ。

 俺が抜けだしてから随分経っている。これ以上ここに居たら、二人に迷惑がかかると思ってな。


「僕、もう帰ります。今日は、ありがとうございました」

「ん、家の人も心配してるだろうし、急いだ方がいいね。送っていこうか?」

「いえ、大丈夫です」


 イザヨイに迷惑かけたくなかったからな。んでもって帰り際、ディックは俺と握手して、こう残してくれたのさ。


「楽しかったよ、クレス君。また遊ぼうね! だって僕達、友達だもの!」

「……うん!」


 信じられるか? あいつはこの俺に友達なんて言ったんだぞ? 剣振り回して殺し合いしている相手を、友達だと言ってくれたんだぞ?


「家の人はちゃんとあんたを愛しているはずさ。だから胸張って、自信を持ちなさい。辛い事があったら、いつでも私達の所においで。また一緒に美味い物食べて、元気になろうじゃないか」

「は、はい! ……あの、その……」


 言い淀む俺にイザヨイは察したのか、抱きしめてくれた。多分、というか間違いないだろうな。この時の俺は子供ながら、イザヨイに惚れていたと思う。

 空虚な毎日に急に舞い降りた、希望に満ちた時間だったよ。今度はいつ二人に会おうか、俺は期待しながら帰っていた。


 そのせいで気づかなかったんだろう、王都が異常に静かだって事に。

 だってよ、次期勇者が失踪したら、当然捜索願とか出るはずだろ? なのに兵が一人も動いていなかった。俺も馬鹿だぜ、この時点で、歯車が壊れ始めてたのに気づかなかったとはな。

 俺は恐る恐る、屋敷に帰っていた。そしたら門番は俺を見るなり、


「ああ、帰られたのですね」


 その一言だけで、俺を屋敷に通した。怒りもせず、咎めもせず。

 変だと思いつつ自室に戻ると、家庭教師のババァが入ってきた。んでもって俺の前に、大量の課題を出した。


「午前中の課題をしていなかったので、その分を取り返しましょう。それが終わったら剣術指南がありますので」


 まるで変わりのない、淡々とした口調だった。あまりにも冷たい対応に俺はぞっとしたね。

 普通なら心配したり、怒ったりするだろ? なのに屋敷の連中は俺に、なんの感情も向けなかった。まるで道具か何かに接するように、無機質な態度を取り続けていたんだ。

 恐くて仕方なくて、俺は執事を呼びつけ、聞いてみた。俺が家出したのは知っていたのかと。そしたら執事は、


「ええ、存じ上げていました。ですが私達の関与すべき事ではありません」

「ど、どうして?」

「あなたが居なくなっても代わりは作れますので。また奥様が子供をお産みになればよい事。勇者になれない出来損ないなら必要はない。それが旦那様のお言葉です」

「…………!」


 執事の一言を受け、俺は心がひび割れた音を聞いた。

 あまりのショックで、倒れこみ、気を失った。俺はこの世で誰からも必要とされていない。この屋敷には、誰も味方はいない。子供の心を砕くには、充分な要素だ。

 翌日、目を覚ました俺はイザヨイとディックの所へ行こうとした。だけど、窓から奴らの家を見て、俺は目を疑った。


 二人の家に火が放たれていたんだ。急いで駆け付けたが、家はもぬけの殻。後から聞いた話じゃ、俺を誘拐した容疑で兵に追われ、二人とも王都から追い出されたって話だ。

 犯人は明らかに執事だ。すぐに問い詰めたら、奴はこう答えた。


「勇者に情など必要ありません、あの二人は貴方が強くなる妨げになる。ならば排除するのは当然です。貴方はただ聖剣を使える人間になればいいのです」

「そんな……!」

「それと、一言。あの二人が逃げ際に残した言葉です」

「……なんて?」

「お前となんか、出会わなければよかった。以上です」


 この瞬間、俺の心は完璧に砕けた。

 あんなに優しくしてくれたのに、俺に沢山の愛情を向けてくれたのに、全部嘘だったのか? 俺は二人を信じたのに、たった一晩で、裏切ったのか?

 希望を知った分、裏切りの衝撃は相当な物だった。そして痛感した。愛情なんて物は、薄っぺらで、この世で一番弱い物だと。


 どれだけ人に優しくして、愛情を注いだところで……力のある奴に、簡単に壊されてしまうのだから。

 信じられる物がなくなり、俺は茫然と自室に戻った。胸にぽっかりと、埋めようのないでかい穴、虚無感を抱きながら。

 でもって、いつものように、家庭教師のババァが来て、課題を出して、いつも通りの言葉を言って……。


「……うるさい」


 俺はその口を、殴って黙らせた。


「……もうそんな物はやりたくない、やる必要はない。そんな物をしなくても……俺は、誰よりも強い力を持っているんだ」


 その日から俺は、屋敷を力で支配した。

 俺に剣術指南や課題を強制してくる連中を叩きのめし、食事の同伴を拒否したメイドを暴行し、自分の思うようにさせた。

 そしたらどうだ? 力を見せた途端、全部が思い通りになり始めた。誰もがひれ伏し、俺の我儘に従い、やっと俺は望んでいた物を手にしたんだ。


 愛情なんて物を信じたって、結局壊されるだけだ。この世は全部、力が正義だ。力がある奴こそが、望む物を手にできるんだ。


『そう、力こそが全てだ。力が無ければ、望む物は収まらない』


 このころから俺の頭に、こんな声が聞こえ始めた。

 その声の主は、エンディミオンだ。あいつを引き抜いてから気づいた事だがな。


『さぁ、望むままに力を振るえ。貴様が抱いた虚無のまま、動くがいい』

「……ああ、いいぜ」


 俺は胸に開いた穴を埋めるために、力を振りまいた。金、女、名声……ほしい物は何でも手に入ったが、どれだけ手に入れても、まるで虚無は晴れなかったよ。

 そのうちに俺は、ある話を聞いた。イザヨイとディックが近郊都市で生活しているとな。


 正直、顔を見たくもなかった。俺を裏切った連中に、会いたくなかったからな。

 それでも、少しだけきになって、何ともなしに足を運んでみたらだ。イザヨイは結核にかかって、死にかけていた。

 ディックは必死こいて働いて、薬代を稼いでいたようだが……冒険者稼業で結核の薬が買えるわけねぇだろうが。

 俺を裏切った、無様な二人の姿を見て、途方もなく苛立った。特にディックだ、てめぇは力があるんだ。その力がありゃ、望む物が手に入るだろうが。


 そう思い、俺は家の者を利用して、奴に殺し屋をさせるよう仕向けた。あいつに力が全てだと教えるために、暴力こそがこの世を支配する物だと教えるために。

 俺にとって不都合な貴族や商人を狙わせ、イザヨイの薬を買わせた。多分俺は心のどこかで、イザヨイが治るのを期待していたのかもしれない。……初恋の女だったからな。


 だが、結局イザヨイは死んだ。ディックが弱いせいで。


 イザヨイの死を受け、俺はディックに憤った。どうしてイザヨイを守れなかった、お前なら守れただろうに! お前にはそれだけの力があるってのによ!

 ……へっ、今思えば俺は、あいつに歪んだ信頼を向けていたのかもな。

 イザヨイの死後、腑抜けになっちまったあいつがムカついて、俺はあいつを叩きのめした。そして服従させたんだ。


 もう一度、戻ってほしかった。ディックが、イザヨイが死ぬ前の、ギラギラした状態に。だから力づくで元に戻してやろうとした。けど結局できなくて、あいつを捨てる事にした。壊れた元友人なんか、必要ないからな。

 だがあいつは魔王軍に入って、元に戻った。俺と最初に出会った、愛情に満ちていた頃のディックに……。


 ……なんだ? そう思うと、少しだけ喜ぶ俺がいた。


「……ああ、わかった。理解できたよ。どうして俺が、ディックに拘るのか」


 俺にとってあいつは、最初の友達だ。イザヨイも俺を初めて愛してくれた女だ。

 その女に愛されたディックは、俺にとって愛情の象徴と呼べる男……俺の、最も欲しい物だ。

 俺はずっと、誰かに愛されたかった。愛情を独り占めにして、誰にも渡したくなかった。

 だから俺は力ずくで手にしたかったんだ。だってほしい物は、力で手に入れるべきだものな。


 俺にとって唯一愛を感じた、たった数時間のひと時。あれを永遠の物にするには、ディックが誰かの手に渡ってはダメなんだ。だってあいつが誰かの手に渡ったら、俺のあの輝かしい時間まで、奪われてしまうのだから。

 だから俺は、あいつを殺さなくちゃならないんだ。


 ディックを殺して、イザヨイの愛情を俺だけの物にすれば、俺が受けた愛情は永遠に俺の物になる。

 はは、ははは……ははははは! そうか、そう言う事か! 俺がディックに向けていたのは憎悪なんかじゃなかったんだ!


「俺はお前を、愛していたようだぜ……ディック!」


 お前は俺だけの男だ、誰にも渡さない、唯一の友達だ!

 俺が最も欲してやまない友達なら、力ずくで奪わないとなぁ! 俺の愛した女がお前の中で生きているなら、力で手に入れないとなぁ!


 ようやく見つけたよ、俺が戦う理由をよぉ!


 はははははは! 嬉しいぜ、俺もお前と同じように、愛を知っていたようだ……それが正解か間違いか、そんなのはどうでもいい……。

 俺が愛と言ったらそれが愛なのさ!

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