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95話 フェイスの過去、ディックとの出会い

 左手に受けた教鞭の痛みが、俺ことフェイスの意識をはっきりされた。

 目を開ければ、見覚えのある部屋が映る。王都にある実家、リグレット家の屋敷だ。

 トカゲのクソジジィ、転移で俺を実家に飛ばしたのか? いや、なんか違うな……視線が低いし、体も縮んでいる。何より、エンディミオンがどこにもねぇ。

 ああ、そうか。こいつは幻術だ。五歳くらいの記憶を追体験してるな。


「手が止まっていますよ、おぼっちゃま」


 また俺の手に教鞭が飛んだ。見上げれば、上から目線で俺を見下ろす家庭教師のばばぁが居やがった。


「さぁ、課題をこなしてください。残り時間は一分、急いでください」

「……わかりました」


 十問の数学問題をあっさりと回答する。そいつを見せると、家庭教師は表情を変えずに次の課題を出した。

 王都の学者でも手こずるような難問ばかりだ。五歳児に出すような課題じゃねぇな。


「こちらは三分で終わらせてください。時間が押していますので、早急に」


 ちっ、やっぱこいつムカつくぜ。人形でも相手にしているような、無機質なババァだ。

 俺が課題を解いている間、ババァは採点を済ませる。全問正解したはずだが、ババァは何にも言わねぇ。労いの言葉もかけず、褒める事もせず、「こんなの出来て当然」みたいな顔で俺を見下ろした。


「できました」

「では答案用紙は受け取ります。これにて本日の勉学は終了、次は剣術です。中庭へお急ぎください」


 課題が終わっても、次の課題が出てくる。庭に出れば、家の衛兵が感情のない顔で、淡々と俺を迎え入れる。


「王城より近衛兵団長を迎えました。本日は団長の指示に従うようお願いします」


 俺に掛けられた言葉は、それだけだ。あとは何の言葉かけも無く、ただ面倒くさいだけの剣術指南が始まった。

 ……リグレット家は勇者の血筋として、公爵の地位を持つ貴族だ。

 その家に生まれた俺は、次期勇者として英才教育を受けていたんだ。


「ぐあっ!」


 でもって、当時から俺は天才だ。近衛兵団長は勿論、剣聖と呼ばれる剣豪ですら相手にならず、剣術指南は俺が一方的に指南役をボコって終わりだ。

 本当にそれだけだ。時間が来たら部屋に戻され、何もない。誰も俺に、温かい言葉なんかかけやしない。

 そして淡々と食事の時間が来る。だだっ広い食堂に、給仕役のメイド以外誰もいない、空っぽの部屋で一人で食事をとる。


「ねぇ、君も一緒に食べよ?」

「できません」


 何度かメイドに持ち掛けた事もあったが、にべもなく断られていたな。

 親の顔なんざ、物心ついた時から見た事もねぇ。二人とも王宮にこもりっきりで、ずっと仕事仕事、仕事さ。出てくる飯は豪華な物だが、ゴムでも噛んでいるような、虚しい味しかしなかったよ。

 屋敷から出る事も許されない。出られるのはせいぜい、式典とかの見学に行くくらい。それ以外は屋敷の自室に閉じ込められる生活だ。


 朝起きて、飯食って、午前は勉学、午後は剣術、飯食って寝る。その繰り返しの毎日。俺の周りにいる連中の目は全員人形みたいで、何の感情も覚えなかった。

 ……俺がどれだけ才能を示しても、誰も俺を見てくれない。次の勇者なんだから出来て当然だろ? そんな顔で、俺をずっと見下ろしている。


 俺は戦う道具、勇者として作られるために生かされていた。そう理解するのに、時間はかからなかったよ。

 そんな空虚な毎日の中で、一度だけ。目を引く光景を見つけたんだ。

 何ともなしに窓を見たら、妙な親子が目についたんだ。


 たまたま屋敷の前を通りかかった、冒険者の女とその子供。刀を持った黒髪の女は珍しかったから、変に目を引いたんだよな。

 そいつは子供の手を握って、楽しげに笑顔を子供に向けていた。


 俺はその笑顔が、衝撃的だった。


 あんな顔をする奴は初めて見たんだ。俺が見た事ない、暖かな感情のこもった笑顔だったから。

 でもって笑顔を向けられた子供も、はじけるように笑っている。俺が一度も出した事のない顔で、それもまた衝撃的だった。


「なんで、あんな顔が出来るんだろう」


 思わず呟いたっけな、はっきり覚えているよ。

 それから俺は、窓から親子を見るようになった。というのも屋敷は貴族街でも小高い位置に建っていて、平民の暮らす下町がよく見えてな。丁度真正面に、親子の家があったのさ。


 空いた時間に望遠の魔法で様子を伺っていた。子供はよく母親に剣術を教わっていたが、へたくそで見られたもんじゃねぇ。なのに母親は、子供に笑顔を絶やす事無く、優しく教えていた。

 なんであいつは、笑顔を向けられるんだろう。俺と違って才能もない、取り柄もないくせに、どうして暖かな笑顔を向けられる? でもって子供も弱いくせに、どうして笑っていられるんだよ。


 どうしてか、俺は親子から目が離せなくなっていた。子供は親のために行動して、よく失敗していた。なのに母親は、咎める事がない。

 それに、よく広場で弁当を一緒に食べていた。家で食えばいいのに、わざわざ俺に見せつけるように、二人で楽しげに……。


「なんで? なんであいつは、見て貰えているんだろう?」


 親子が抱き合ったり、笑いあったりする度、俺の中でどす黒い炎が燃えるのを感じていた。

 俺と違って何もない奴が、どうして俺にはない物を沢山もらえている。

 その答えが知りたくて、俺は一度だけ屋敷を抜け出した。

 王都を駆け回り、下町へ向かう。親子の居る家に到着すると、掃き掃除をしていた子供が俺に気付いた。


「君、だぁれ?」

「え、えと……クレス」


 本名を言ったら面倒くさい事になると思って、咄嗟に偽名を使ったんだ。その子供はにぱっと笑って、俺に手を差し伸べた。


「そっか、僕ディック! よろしく!」

「あ、うん……」


 そう、これが俺とディックの出会いだ。あいつは忘れているようだが、俺ははっきり覚えているんだよ。


 この時の俺は、屈託のない笑顔に毒気を抜かれてしまった。さっきまで胸糞悪い思いをしていたはずなのに、こいつの無警戒な笑顔がそれを忘れさせていた。


「一人でどうしたの? 迷子?」

「ち、違う。その、えっと……」


 どう説明したもんか悩んだよ。何しろ俺が来たのは、こいつが母親に笑顔を向けられる理由を知るためだ。んなもん、どう説明しろってんだ。


「んー? どうしたのディック、誰か来たのかい?」


 そしたら窓からひょっこりと、女冒険者が顔を出した。

 そいつには、子供心に見惚れたもんさ。綺麗な黒髪に、東洋系の美女の顔立ちをしていたからな。こんな綺麗な人が居るんだと驚いたもんだよ。


「母さん! あのね、この子迷子みたいなの」

「おやそうなのかい? 身なりからして貴族の子みたいだけど、両親か付き人は居るの?」

「いや、居ない……(ぐぅぅぅ)」


 んでもって情けねぇ事に、腹の虫が鳴っちまったよ。そういやこの時、昼飯食う前に出てきちまったんだよな。


「あっはっは! 貴族の子でもお腹は空くみたいだね。話は後だ、ディック! うちに入れておやり。丁度昼ご飯だ、私の料理で良ければご馳走するよ」

「うん! クレス君、一緒に行こ!」

「ちょ、待って……わ、悪いよ……」

「悪いもんか。子供がお腹を空かせてるのに、追い返したら女が廃れちまうよ。いいから来なさいって」

「母さんがそう言ってるから大丈夫だよ、さ、おいでよ」


 戸惑う俺をよそに、ディックは腕を引いて家に招いてくる。んでもって食事の席には、グラタンにパン、サラダにスープと、質素な料理が並べられた。


「あれ? 母さんのグラタンがないよ?」

「今新しく作っている所さ。私の分はクレス、あんたがおあがりなさい。まずは腹を満たす事、話はそれからだ」

「はい……その」

「おっと、名前を言ってなかったね。イザヨイだよ。よろしくクレス」


 イザヨイはウインクし、悪戯っぽく笑っていた。

 変な奴らだよな。見ず知らずの赤の他人の俺に、昼飯を奢ろうとするんだぞ?

 俺に飯を奢っても何の得もありゃしないってのに、おかしな連中だ。


「ほら、グラタン冷めるから、あんた達で先に食べてなさいな」

「はーい。じゃあクレス君、いただきますしよ、いただきます!」

「い、いただき……ます……!」


 どうせ平民の食い物だ、まずいに決まってる。そう思ってグラタンに口付けたら、驚いたよ。これまで食った物の中で、一番美味かったんだよ。

 つぅか、初めてだった。ゴム以外の味がした料理は。


「美味しいでしょ、母さんの料理! 母さんって凄く料理上手なんだよ!」

「ありがとディック。つっても、貴族様の口に合うか不安だけどさ」

「いえ、美味しいです……凄く、美味しいです……!」

「本当かい? ならよかったよ。っと、私のも出来上がってきたね。んじゃ一緒に食べようか」


 イザヨイも食卓に混ざって、三人での飯だ。生まれて初めてだったよ、誰かと一緒に飯を食うなんて経験は。暖かくて、優しくて……頑なな心がほぐれていたな。

 そのせいか、あの時のグラタンの味は今でも覚えている。二人に気付かれないよう、泣いてしまうくらい……あのグラタンは美味かったよ。

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