4話 滋味あふれるカキフライサンド
最近体が軽い。私ことシラヌイは肩を回しながらそう思った。
ここ数日、一時間しか睡眠時間を取れていないのに……頭がすっきりしていて、頭痛が無くなっている。目もしょぼしょぼしていない。
体の張りも取れていて、気分がいいな。メイライトに教えて貰ったタイムサワーのお茶が効いているのだろうか。
「あらシラヌイちゃん、ごきげんよう」
「メイライト。この間はありがとう、書類手伝ってくれて」
「いいのよぉ、私達の仲じゃない。それにしても、今日も仕事? たまには休みを取りなさいな。私は明日から有給なのよぉ」
「そんなの使ってる暇があるなら仕事がしたい」
「ダメダメ! 最近魔王軍も労働基準法がうるさくて、有給消化しないと魔王様から処罰されちゃうのよ。シラヌイちゃん、全然有給消化してないんでしょう? いい加減使わないと、四天王下ろされちゃうわよ?」
休みを取らないからって四天王降格するの? 意味が分からない。
でも確かに、私が有給取らないと部下も取るに取れないでしょうし、魔王様直属の部下が法を守らないと示しがつかないし……だけど片付けたい仕事も山ほどあるし……うーん。
「来月にでもとらせてもらうわ」
「絶対取らないでしょそれ。ともかく、半年以内に五日は使いなさい。お姉さんの忠告は受けといた方がいいわよ」
「わかったから。しつこいなもぉ」
ちょっと力を使えば成果を上げられる人は気楽でいいわね、もう……。
こっちは休みを使えばその分後れを取ってしまうの。私には休みを取る暇なんて一日たりともないんだから。
……悩んだらお腹空いたな、クッキーでも食べるか。
「って、またお昼それだけ?」
「食事をする時間も惜しいの。何をしようが私の勝手でしょう、いいからほっといてよ」
とは言え、この所お昼ご飯どころか三食クッキーで済ませている。まともなご飯なんて、最後に食べたのいつ以来だったかしら。
……ま、食べた所でどうせ味を感じなくなってるし、どうでもいいけどね。
◇◇◇
「……またあれだけしか食べてないか」
我ことソユーズは、物陰から同僚二人を見守っていた。
シラヌイはもう三ヶ月近く、貧しい食生活を送っている。睡眠不足に加え栄養失調なんて、魔王四天王として情けなさすぎる。
「ソユーズちゃん、覗き見なんて趣味が悪いわよぉ」
「……それは失礼した」
我は極度の人見知りであり、上がり症でもある。ペストマスクも素顔を見られるのが恥ずかしいから外せぬし、口下手だからなるべく会話も避けたい所である。
閑話休題。あれでは、いつシラヌイが倒れるか不安である。睡眠不足はメイライトが解決したようであるが……。
「肌の衰え、髪の艶の無さ……栄養失調の症状か……食生活を改善せねば、さもありなん」
「難しい言葉を使えば頭よく思われるわけじゃないからね。でもそうねぇ、いくら体を休めても、栄養をしっかり取らないと……そうだ。ソユーズちゃん」
メイライトに耳打ちされ、我は驚いた。
「……ディックとやらにか? それで寝不足を対策したというのか?」
「そうよぉ。もしかしたらまたアイディア貰えるかもしれないし、ソユーズちゃんもお顔出しに行ったらどぉ?」
「むぅ……人間とか……」
我は人間が苦手だ。羽も爪も牙もない、つるんとした外見の生物は生理的にうけつけん。出来れば近づくのは避けたい所なのだが……同僚のためだ。我慢してやろう。
◇◇◇
捕虜の食事というのは、意外とまともだ。
そう思いつつ、僕ことディックは出された食事を食べていた。コーンポタージュに黒パン、それとクロケットか。何と言うか、手が込んでいるな。
「じー……美味そうだなそれ」
「……食べるか?」
「くれるのか? お前良い奴だな!」
看守のゴブリンにクロケットを分けた。ここ数日で、何人かの看守と仲良くなってしまった。囚われている相手にフレンドリーに接触してくるし、こいつら警戒心とかないのか?
「それはそうとクロケットか、母さんが得意だったな」
ホワイトソースにひき肉を混ぜた物を揚げたのが、母さんのクロケットだ。偶然にも、出されたクロケットは母さんの物と同じだ。
けど、やっぱり母さんが作ったクロケットの方が美味しい。
母さんはホワイトソースから拘っていたからな。朝早くからしぼりたての牛乳を貰いに行って、バターも自分で手作りして……香りづけにハーブを数種類混ぜて、風味も際立たせていたっけ。
揚げる時も、最初は低温で中を温めてから、最後に火力を上げてからっと仕上げる。細かい手間暇をかけてたな。
『ディックに少しでも美味しい物、食べさせたいからね。これくらい手間でもなんでもないよ』
母さんはいつもそう言っていた。冒険者として毎日忙しく走り回っていたけど、食事は必ず僕と一緒に食べるようにしてくれた。たとえどんな危険な仕事を請け負っても、僕との食事だけは、一度たりとも欠かした事はない。
目を閉じれば浮かんでくる、母さんとの思い出。もし時間を戻せるなら、子供の頃に戻りたい。母さんと一緒に暮らしていた、あの幸せな日々をもう一度。
「また、母さんのクロケットが食べたいな」
「……何を食したいのだ?」
突然横から声をかけられ、驚いた。いつの間にか牢の前に誰かが立っている。
ペストマスクにぼろきれを纏った奇妙な姿、魔王四天王のソユーズか。先日のメイライトといい、四天王ってのは暇人ばかりなのか?
「……お前は何が食したいのだ?」
「なんでもない。それより何の用だ? こっちはお前を楽しませる話は出来ないぞ」
「……会話を楽しみにきたわけではない。出来れば、我から離れてくれるか?」
「こっちは壁際だぞ、離れるならお前が離れろ」
「……確かに、そうだな」
ソユーズがじりじりと離れていく。何しに来たんだこいつは。
……体が小刻みに震えているような気がするけど、こいつ人間苦手なのかな。
「単刀直入に聞こう。食事を取らぬ友人に食事を取らせるにはどうしたらいい」
「え?」
「……我はろくに飯を食わぬ友に飯を食わせたい。その手段を教えろ」
「……どういう質問だ?」
主語が無いから意味が分からないな。メイライトといいソユーズといい、こいつらまともにコミュニケーションを取れないのか。
「……先日、メイライトが貴様から案を貰ったと言っていたが?」
「! シラヌイか、食事をとらないのって」
看守伝手に、メイライトの事は聞いている。どうやら四天王同士、仲間意識が高いようだ。爪の垢を煎じてフェイスに飲ませてやりたいよ。
シラヌイの食生活を聞き、僕も顔をしかめる。毎日クッキーしか食べないなんて、体に悪すぎるだろう。
「成程、忙しさのあまり食事を殆ど取らないのか」
「そうだ。どうやれば食わせられる」
「言われてもな……彼女の好きな物は?」
「……牡蛎が好きだと聞いた事はある。今がシーズンだから容易に手にできる」
「牡蛎か。美味いだけじゃなくて、栄養もあるよな。だったら……」
クロケットがふと思い浮かぶ。そう言えば昔、母さんがお弁当によく作っていたサンドイッチがあったな。
「カキフライサンドだな。牡蛎で作ったクロケットに、キャベツとタルタルソースを一緒に挟んだサンドイッチだ」
「……牡蛎のクロケットか? 聞いた事はないが……それにタルタルソースとはなんだ?」
「母さんが作ってくれた料理なんだ。食べ応えがあって、少しの量でもお腹いっぱいになるんだよ。サンドイッチなら仕事をしながら摘まめるし……ちょっと筆記具を貸してくれ」
看守から貰った羊皮紙とペンで、母さんから教わったレシピを書く。それをソユーズに渡すと、奴は随分感心した様子で頷いた。
「……成程、サンドイッチか。それはいい案だ……成程、成程……」
ソユーズは何度もつぶやきながら、足早に去ってしまう。折角アドバイスを送ったのだから、せめて礼くらい言えよ。突然出てきて勝手に帰って、失礼な奴だな。
にしても、そうか。シラヌイも牡蛎が好きか。
「母さんと同じだな」
母さんも牡蛎が大好きだった。特に岩牡蛎が好きだったから、僕はよく海に行って取りに行ったものだよ。
シラヌイと母さん……姿だけじゃなく、内面もそっくりだ。まるで母さんが生き返ったみたいな、不思議な安心感がある。
「もう一度会って、じっくり話してみたいな。それが叶わない事であっても……」
◇◇◇
人間にしては、重畳の案を出す物だ。
サンドイッチならば確かに、忙しくとも片手間に食せる。揚げ物にすればボリュームもある分、食べでがあるだろう。
という事で夕飯時、厨房へ向かい作ってもらう。丁度良く良い牡蛎が手に入っていたらしく、すぐに作ってもらえた。
厚切りのパンに、牡蛎クロケットが二つ挟まった豪快なサンドイッチだ。キャベツが一緒に挟まっていて、タルタルソースとやらがたっぷり付けられている。
「これは……美味そうだ」
食べてはならぬ、これはシラヌイの物。我慢しなくては。
……奴の母親は、随分と愛情深い女だったのだろうな。たかがサンドイッチに途方もない手間暇をかけている。
その愛情が少しでも、シラヌイにも響いてくれればいいがな。
「……シラヌイ、邪魔をする」
「ん? ソユーズ……珍しいわね。何の用?」
「……食事の差し入れだ。口に合うと嬉しい」
「サンドイッチか。どんな風の吹き回し? 部下に持ってこさせればいいじゃないの」
「……ただの気まぐれだ」
むぅ、我は話を膨らませるのが苦手だ。説明を求めないでもらいたい。
ただ、我の気持ちは伝えておきたい。口下手なりの感情表現である。
「では失礼する」
「ちょっと待って、この中身何よ!」
「牡蛎である。すまぬ、これ以上は場が持たん」
急いで退室、そしてへたりこむ。やはりだめだ、我は上手く話しをする事が出来ぬぞ……。
さて、シラヌイの反応はどうだ?
こっそり扉を開き、小さい鉄板を入れる。我は光と金属を操る力を持つ。鉄板を操作し、さらに光を調整すれば、鏡の要領でシラヌイの様子をうかがえるのだ。
あとはワイヤーを入れて、振動で音も聞き取れるようにする。隠密性も我が力の自慢である。
『牡蛎、ねぇ……そう言えば牡蛎なんて最後に食べたの、いつだっけ』
好物を前にシラヌイはほんのり微笑んでいる。彼女の微笑みなど、我も最後に見たのはいつだったか。
カキサンドイッチをがぶりと一口かじりつく。するとシラヌイの目が輝いた。
『美味しい……! なにこれ、すっごく美味しい! 牡蛎が甘くて、とろっとしてて……それにこのちょっと酸っぱいソースがアクセントになってて……それにとっても、あったかい……!』
仕事もそっちのけで、一心不乱にサンドイッチを食べている。余程美味かったのか、あっという間に完食してしまう。
……我も食べたいな。
『あ、もう食べ終わっちゃった……ずっと味のないクッキーばっかりだったからかな、すっごく美味しく感じたわ……』
暫く何も食べていないのも同然だったのだ、美味いのは当たり前である。
と、シラヌイは急に涙を零しだした。これには我も、彼女自身も驚いていた。
『……あったかいご飯食べただけなのに、なんで……辛くて、苦しくて……涙が出てきちゃうんだろう……』
「……余程、張り詰めていたのだな」
彼女は強い劣等感を抱いている。弱い心を振り払うためにずっと気を張り詰めて、自分の感情を押し込み、向き合おうとしなかった。
そんな弱った心を、あのカキフライサンドが溶かしたのだろう。ディックの母の愛情が、シラヌイに響いたのだ。
『うっ……うっ……もう頑張りたくない……休みたい……楽に、なりたいよ……!』
……今は、そっとしておこう。
プライドの高いシラヌイだ、泣き顔を見られたとなれば傷つくのは目に見えている。今は存分に、心に詰まったしこりを取り除くといい。
ディックの奴には、後で礼を言っておこう。困った時はまた、頼るとするか。