160話 プロフェッサー・コープ
シラヌイが消えたのは、ほんの十分前だった。
四方八方から来る敵の波を押し返し、一瞬だけ攻撃が収まった瞬間、シラヌイの足元に魔法陣が展開されて、転移の魔法を使われてしまったんだ。
空間を操るリージョンの虚をつくほどの早業だった。思えばここはコープの根城、奴の腹の中だ。
それを忘れていた僕の、ミスだ。
「くそっ!」
でも、まだ救いはある。
気配察知で探ってみると、シラヌイの気配を感じ取れた。この場所から移動したわけじゃない、まだ彼女は、この中にいる。
……それに、もう一つ、見知った気配もする。
シラヌイと一緒に捕まっているのか? というより、お前もここに来ていた、のか……。
「それだけじゃない、もう二人、居るな」
「もう二人? 俺達以外の敵か」
「違う、味方だ」
ワイルと、アプサラスだ。あの二人も多くの敵に追われて、逃げ回っている。
ただ、逃げている方向を考えると……多分、合流できる。
これ、もしかして誘導されている? 恐らく生み出された人間はコープの魂を植え込まれている、コープがワイル達を誘導しているとしか思えない。
けど、今はそんな事考えている場合じゃない。
「シルフィ、使い魔の君ならシラヌイの場所が分かるだろう? 暫く誘導を頼めるかい?」
『うむ……何をする気だ?』
「最短距離を突っ切る」
居合切りで壁をぶった切り、強引に道を切り開く。アプサラスを人形の魔女に変えるような気狂いだ、放っておいたら、シラヌイが酷い目にあってしまう!
「今行くよ、シラヌイ! 必ず……必ず君を助けに行く!」
「……ディック、我なら壁を動かす事くらいできるが……聞いていないな」
「完全に逆上しちゃってるわねぇ。いやん、ラブの力最高♡」
後ろで何か聞こえたけど、どうでもいい。
何があろうとシラヌイを、救わなくては!
『……互いに拗らせすぎた、馬鹿者どもめ』
◇◇◇
〈シラヌイ視点〉
「……どこよ、ここ」
気が付いたら私は、見知らぬ部屋に連れてこられていた。
見た感じ、独房かしらね。四方を鉄板の壁で囲われて、分厚い扉に閉ざされている。炎をぶつけてみるけど、対炎仕様になっていてびくともしない。
ディック達が居たのに、魔王四天王である私を連れ去るなんて……プロフェッサー・コープ、大した奴だわ。
「私を連れてきて、何をするつもりよ」
丁度扉には、格子のついた円形の窓がついている。それで顔を出すと、予想外の人間を見つけた。
「フェイス? フェイス!? どうしてあんたが!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
扉の先には、見た事ない道具や機材が沢山並んだ部屋があり、中央には拘束具のついた台座が設置されている。その台座に、気を失ったフェイスが繋ぎ止められていた。
呼吸が荒くて、胸元には血の痕がついている。でも外傷がないから、もしかして。
「あんたも、病気になってるの?」
「げほっ……誰だ……?」
私の声に気が付いたのか、フェイスが薄く目を開けた。
ぼんやりと天井を見て、私に視線が向いた。そしたら、なぜかあいつは泣き出した。
「……イザヨイ? どうして、ここに……」
「ん? いや、私は義母さんじゃ……」
「……ごめん」
意識が朦朧としているのか、フェイスは私を義母さんと間違えている。んでもって、急に謝り始めた。
「酷い事を言ってしまって、ごめん……ずっと、謝りたかった……俺、お前に病気を広げるくらいなら死ねって……どうして、あんな事を言ってしまったのか……」
「…………」
私の知るフェイスと、大きく違う発言だった。
傲慢で、残酷で、命をなんとも思っていない人間。それが私の知る勇者フェイスだ。でも、どうしてだろう。今のフェイスは、そのイメージと違う。声に優しさがにじんでいて、どこか寂しそうな、子供のような印象を受けた。
というより、義母さんを知っている感じだけど、あんた会った事あるの?
……ごめん、義母さん。ちょっとだけ、名前借りるね。
「別にいいよ、あんたが本心で言ったわけじゃないんだろう? なら、怒る必要はないさ」
「……ごめん……」
口調を真似しただけだけど、弱ったフェイスは騙せたみたい。なんか、罪悪感あるわね。
「ねぇ、あんたさ。私と前に会った事あるのかい? なんだか私を、知ってるような感じだけど」
「そうか……あの時、俺は嘘ついていたもんな……クレスって、覚えているか?」
「クレス?」
そう言えば、ディックが話してたっけ。一日だけど、凄く仲良くなった友達が居たって。
「それ、俺なんだ……会った時、下手に名乗れば、迷惑がかかると思って……」
「えっ」
「……あの時、嬉しかったんだ……見ず知らずの俺を抱きしめて、優しくしてくれて……なのに、俺、イザヨイを踏みにじるような事を言ってしまって、後悔していた……許してくれとは言わない、だけど、謝らせてくれ……じゃないと、俺……!」
ぽろぽろ泣きながら、フェイスは私に必死に謝ってくる。そんなの言われても、困るんだけどな……。
にしても、そうか……ディックが言ってた友達って、こいつの事か……。
正直、こいつがしてきた事を許すわけにはいかない。同情はするけど、だからと言って受け入れる事もできやしない。
けどもし、義母さんだったらどうしていただろうか。
きっと、許しはしないと思う。だけど、フェイスの気持ちだけは、きっと……。
「あんたが私に言った事は、ちょっとむかついたよ。それは、いただけない」
「…………」
「でも、あんたが私に謝ろうと思ってくれた、その気持ちは嬉しい。だから、それだけは、受け取っておく」
「……ありが、とう……」
ちょっと、涙目でそんな事言わないでよ。私、義母さんじゃないのよ。
銚子狂って仕方ないわ、急にどうしたのよこいつ……エンディミオンが居なくなってから、別人みたいじゃない。
「いやぁごめんごめん、僕とした事が待たせてしまったよぉ」
突然ねっとりとした男の声が聞こえた。
スキップしながら、小柄な男が入ってくる。
髭を全剃りし、桃色に染めた髪をうなじでまとめている。鉤鼻にぎょろりとした目をした、年老いたドワーフだった。
「ついつい、鏡に映った僕に見とれてしまってね。ずぅっと僕と会話してたら時間が過ぎちゃった。って、どうしたんだい僕?」
ドワーフは急に耳に手を当て、何度か相槌を打つ。誰と会話してんの、あいつ。
「そうかそうか! やっぱり僕もそう思うのか! おや、そこの僕もかい? あっちの僕もか! やっぱり僕は最高だ! 僕の意見に皆同調してくれる! もうそれだけで僕……僕ぅ! 僕を愛しすぎて勃ってしまうよぉぉぉぉぉぉっ!」
そしたら絶叫してブリッジだ。あまりにも行動が奇怪すぎて、私もフェイスも唖然としてしまう。
なんだろう、こいつを見ているだけで心を削られるような、途方もない嫌悪感が湧いてくる。この感覚、ディックが攫われた時に見た、あの日記と同じだ……。
「あはははぁ……ごめんごめん、僕が僕に囲まれる幸せに浸りすぎて君達の事を忘れかけていたよ。いやはや、僕は僕を愛しすぎるあまりにトリップしてしまう癖があるんだ」
「……あんた、何者?」
そう聞いたけど、答えは分かり切っている。
こいつの言動は、あの日記を書いた奴そのものだ。間違いない、奴こそがパンデミックを引き起こした元凶……。
「はははぁ! 聞いてくれたまえ僕の名を! 僕こそが、世界一の天才ドワーフ! プロフェッサー・コープだよ!」




