144話 婚約指輪
一時間は頑張ってみたけど、結局泳げるようにはならなかった。根本から泳ぎに向いてないようね、私は……。
「けど伏し浮きは出来るようになったじゃないか、それだけでも進歩だよ」
「やめて、何の慰めにもなってない……」
どーせ私ゃあ運動音痴ですよーだ。って事で浮き輪を借りてきましょう。
ぷかぷか浮いているだけでも気分いいし、ディックが浮き輪引いてくれるしで、こっちの方が心地いいわね。
ディックは時々潜っては、魚やナマコ、ウミウシを取ってきた。見た感じ結構深いのに、よく息が続くもんだわ。
「くらえっ」
「わぷっ!」
泳げないけど水鉄砲くらいならできるし、顔に当ててやる。そしたらディックはもぐりこんで、足を掴んで引きずり込んできた。
「がぼぼぼ!?」
何すんのよもう、って思ったら、抱きしめてきた。胸に耳を当てると、心音が聞こえる。凄く安心する音だ。
落ち着いてくると、水への恐怖も薄れていく。ディックが傍に居るから、溺れても助けてくれるしね。
目をゆっくり開くと、見た事ない景色が広がっていた。
水面から光が揺れながら差し込んで、青い世界を照らしている。優雅に漂うクラゲに、群れを成して泳ぐ銀の魚、海底に森のように広がる海草……全部、初めて見る物ばかり。
息が苦しくなったから顔を出すと、浮き輪なしでも浮かべるようになっている。いつの間にか立ち泳ぎが出来るようになっていた。
「シラヌイは水を恐がりすぎていたからね、だから水へを恐怖をなくせば、この通りさ」
「だからってスパルタなやり方しなくていいじゃない」
「リージョンから甘やかすなと言われたし」
「それをここで守る奴があるかっ、今は私をあやまかしなさいよ!」
ってかんじゃった。照れ隠しにディックに水をぶっかけたら、彼も仕返しに水を被せてきた。
暫く二人で水の掛け合いを楽しんでから、ようやく上がる。はぁもう、足がつってひりひりするわ。
なので、ディックの腕を掴んでよりかかる。こうしないともう歩けない。
「責任もって私を支えなさいよ?」
「おおせのままに」
ディックは快くエスコートしてるけど、これは周囲のけん制も兼ねている。周りでディックを見ている女どもが随分多いのだ。
こいつは私の男よ、誰にも渡すもんですか!
「って、ちょっと待ってシラヌイ」
「どうしたの? あ……」
ディックの視線の先には、何やら男の子が座り込んでいる。親が傍にいるけど、なんか困った様子ね。
「どうかしたの?」
「え、シラヌイ様!? それにディック様まで!」
私を見るなり驚かれた。そりゃまぁ、いきなり四天王と魔王軍の英雄が出てくれば怯むわよね。
見た所、男の子の顔色が優れないわね。と言うか、足が腫れてる……。
「クラゲにやられたの?」
「は、はい、泳いでいるときに、やられたようでして……」
「むぅ、見た感じ刺されてまだ時間経ってないわね……ちょっと待ってなさい」
私はキュアとかの解毒魔法は使えないけど、対処療法なら知ってるわ。魔王軍で叩き込まれたしね。
海水で足を洗ってあげてから、弱い炎でクラゲの触手を蒸発させて、氷嚢で冷やす。あとはディックが呼んできた医師に任せておけば平気なはずよ。
「大丈夫、クラゲなんかに負けないわ。絶対元気になるから」
「う、うん……」
男の子と額を合わせて励ましてあげる。その様子をディックは微笑ましそうに眺めていた。
「手慣れたものだね」
「ま、四天王だから当然よ」
「違う違う、子供の相手だよ。ポルカと一緒に居る時も思ったけど、君って子供好きなんだね」
「ううん、あまり好きじゃなかったわ。ポルカと、何よりディックと居たから、好きになれたの。あーもう、そんな事言うからポルカにも会いたくなっちゃったじゃないの」
もう一回過ごしたいなぁ、ディックがいて、ポルカがいて、凄く幸せな時間だったもの。
……出来れば、ディックとの子もいたら最高なんだけど……。
そんなもやもやを抱えながら、時間が過ぎていく。二人で浜辺を歩いてゆったりした時間を堪能した後、夕方ごろにレストランで少し早い食事を取る。二人でじっくりと夜を過ごすために……♡
にしても、素敵なシチュエーションじゃない。夕日が落ちていく様子を見ながら、優雅に食事を取る。好きな男とこうして過ごす時間がこんなにも心を満たすなんて、少し前の私だったら思ってもなかったでしょうね。
「ディック、改めてお礼を言わせて。私と出会ってくれて、ありがとう」
「どうしたの、急に」
「貴方と会う前の私は、ずっと暗がりに居たの。自分の生きる意味も見いだせず、ただ傷つけることでしか自分を見いだせなかった。そんな私に貴方は、希望を与えてくれた。貴方が来てくれたから私は、新しい生きがいを見つける事が出来たの。ディックと生きるって生きがいが。だから、ありがとう。私の所に来てくれて、本当に……ありがとう」
これは私の、心から思っている事だ。
ディックが来てくれなければ、私は深く暗い霧の中を彷徨っていたでしょうね。私を苦しみから救ってくれたのは、まぎれもなく彼だ。
「……僕こそ、君と出会わなければ、きっとこうして生きていなかったと思う」
「ディック?」
「母さんを亡くして、フェイスに無理やり使役されて、僕はずっと失意の底に居たんだ。君と出会わなければ、僕は己の命を絶っていたはずだ。僕にとってシラヌイは希望その物、だからずっと傍に居たいし、大切にしたいと思っているんだ」
ディックはおもむろに、小さな箱を出した。
「勇気を出せ……大丈夫だぞディック……!」
自分を言い聞かせるようにつぶやいて、箱を開く。中には、ピンクダイヤをあしらった指輪が収まっていた。
「魔女の監獄に囚われている間、ずっと君がこいしかった。君が居ない間、胸がはりさけそうで、たまらなかったんだ。だから、君と繋がりたい。体だけでなく、心も一緒に」
「まさか……」
「結婚しよう、シラヌイ。僕は君が欲しい」
一瞬、ディックが何を言ったのか分からなかった。
でも理解できてくると、自然と涙が出てきて、息が荒くなって、心臓が激しく暴れてくる。
「本当、に?」
「本当だ」
「嘘じゃ、ない?」
「勿論」
ようやく、私は彼の言葉を実感できた。
嬉しすぎて涙が止まらなくて、ディックを困らせてしまった。きちんと答えなくちゃ、ディックが勇気を出して伝えてくれたんだもの。私も勇気を出して、答えなきゃ。
「……喜んで!」
多分、涙でぐしゃぐしゃで、物凄く酷い笑顔だったと思う。でも、あとでディックに聞いたら、今までで一番の笑顔だったって答えてくれた。




