121話 変わるのは、難しい事じゃない
<フェイス視点>
「あたしを助けてか……けっ、こんな場所でそんな願い、叶うわけねぇだろうが」
あの文章を読んでから、俺は寝付けずにいた。弱い筆跡に反して、強い願いが込められている。心の底から助けを求めた落書きだったから。
……むかつくんだよ、ああいう誰かにすがるような、ちっぽけな文字が。
どれだけ助けを求めたって、誰も助けてくれるわけがねぇんだ。俺がそうだったように、誰も手を差し伸べてくれるはずがねぇよ。
所詮、誰もが他人に興味も関心もねぇんだ。唯一向けてくれた相手も、結局手ひどい裏切りをして、勝手に逃げちまったしな。
弱けりゃ、誰かに食い殺されるだけ。だから力が必要なんだ。誰にも食われねぇように、誰にも見下されねぇように、強くなくちゃこの世は生きていけねぇんだ。
だから、誰かに助けられるのを期待して、あんな文字残してんじゃねぇよ。
「くそが……腹立ってきた!」
ああくそイライラする! 昔の自分を見せられているようでイライラするぜ!
あんな、誰かに助けられるのを期待していた、馬鹿なクソガキだった自分が、俺ぁ大っ嫌いなんだよ!
「うるさいぞ、僕まで眠れないだろうが」
「へっ、なら俺のところにこいよ。この高ぶりを鎮められるのは、お前の肌だけなんだからよ」
「だから気持ち悪いんだよ、僕は異性愛者、それとすでに売約済みだ」
けっ、俺を裏切った奴が何を偉そうに抜かしてやがる。お前さえ、お前とイザヨイさえ消えなければ、こんな思いはしなかったってのによ。
俺より、弱いくせに……愛情にすがるだけの、クズが……そう言いたいのに、言えない。
俺と旅していたころのディックは、昔の俺と同じだった。イザヨイを失ってから腑抜けになって、その現実を誰かに壊してもらいたがっていた、助けを待つばかりのカスだった。
それが魔王軍に入って、急激に変わった。着実に俺との差を縮めて、今やこいつは俺に匹敵、いいや、俺だけに勝てる男へ進化した。
……どうしてこいつはこんな強くなれたんだかな。
愛情で強くなったのなら、俺だってこいつへの愛情で強くなっているはずだ。なのに、どうしてこうまで差が出ている。
俺とディック、同じ愛に生きる人間のはずなのに、何が違うっていうんだよ。
「てめぇ、シラヌイと恋仲になってから、随分変わったな。もうすっかり、別れた頃の腑抜け具合は抜けちまってらぁ」
「変わったというより、変えられたんだよ。シラヌイに」
「はぁ? 何がどう変えられたってんだ?」
「……質問に答える前に、質問だ。どうしてそんなにイラついている? あの文字を見てから随分荒れているじゃないか。そんな躍起になっていたら、話なんか入ってこないだろう」
「けっ、あの間抜けな文章見て腹が立っているだけだ。……あたしを助けてだぁ? てめぇの事をてめぇでどうにかできない奴が生ぬかしてんじゃねぇ。この世に生きる奴は誰も助けちゃくれねぇんだ、助けたら助けたで手ひどい裏切りを食らわせるような奴しか居ねぇんだよ。てめぇの身はてめぇで守らなきゃならねぇんだ。そんなことも出来ねぇ奴が、あんなへぼな落書き、残してんじゃねぇってんだよ」
思わず壁を殴り、胸につかえていたもんを吐き出してしまう。ずっとディックに言ってやりたかったことを、思い切りぶつけていた。
「……少しだけわかったよ、お前の事。フェイス、お前さ……」
「あん?」
「自分の事、大嫌いなんだろう?」
……は? いきなり何を言い出すんだこいつ。
「一緒に旅していた時は、僕はお前が憎いだけだった。自分より弱い人を徹底的になじって、痛めつけるお前が理解できなかった。けど、改めて一緒に行動して、お前は理由なく行動する奴じゃないって分かった。もし理由なく暴力を振るう奴なら、大人しく僕と行動するなんてありえないからな」
「はん、別にてめぇを痛めつけても、俺にメリットなんざねぇだろうが。それが理由だ」
「メリットなくても殴り続けていたのはどこのどいつだ? いつも僕の意見を遮り、暴力を振るっていたのはどこの誰だ? ……僕と何度も戦って、同格と認めたから、大人しく意見を聞いているんだろう?」
「…………」
「お前が弱い者いじめをしていたのは、昔の自分を重ね合わせていたからなんじゃないか? 愛されていなかった頃の自分と重なって、それが我慢できなくて攻撃してしまうんじゃないか? お前を見ていると、自分を否定するために他人を攻撃しているように見えて、仕方ないんだ」
「てめぇ、人の過去を詮索すんじゃねぇ」
「別に僕はお前の過去を知るつもりはない。けど、さっきぶつけた言葉で、お前の過去が少しだけ透けて見えた。誰からも愛されない寂しさに押しつぶされて、助けを求めていたんじゃないのか? でも誰も、お前を虚無の寂しさから救い出さなかったから、お前は周りの人達が皆嫌いになったんじゃないか? ……その末に誰かに裏切られたから、助けを求めていた弱い自分に絶望してしまったんじゃないか?」
「……うるせぇ、うるせぇうるせぇうるせぇ、うるせぇ……! てめぇが、知ったような口を、きくんじゃねぇ……!」
俺を裏切ったお前とイザヨイにだけは、絶対言われたくねぇよ、その一言……!
「元殺し屋のテメェが、偉そうに説教垂れてんじゃねぇ。テメェだって、母親を免罪符に散々無価値な連中を虐げてきただろうが……!」
「ああ。僕も昔の僕の事は、大嫌いだ。どんなに理由をつけても、殺し屋なんてやってはいけなかった。もし過去の僕に会ったら、自分の命を絶っているだろう……でも僕は、僕を否定する事は絶対にしないと決めている」
「あ……?」
「今の僕には、肩を組んで笑ってくれる#友達__四天王__#がいる。#背中を預けて戦う戦友__ドレカーに世界樹の巫女、ワイル__#がいる。#僕に期待し、希望を向ける人達__魔王と魔王領の人々__#がいる。何よりも、#僕を心から愛してくれる人__母さんとシラヌイ__#がいる。僕自身を憎み、否定するのは、その人達が大事にしている人を痛めつけるのと、同じ事なんだ」
「……自分を否定する事が、誰かを傷つける、だぁ?」
「過去は変えられない、でも未来は変えられる。僕は奪ってきた命よりも、多くの命を救う事で贖罪すると決めている。僕が自分を傷つけて悲しむ人が居る以上、僕を否定するのは、その決意に背くことに他ならないんだ」
「そんなもん、自己満足だろうが」
「たとえ自己満足であったとしても、過去を悔い続けて立ち止まるよりよっぽどマシだ」
「はっ……またお決まりの「母さんが言っていたから」かぁ」
「いいや、こればかりは違う。これは、僕自身が考え、決めた事だ」
「!」
ディックが、母親の教えから外れた事をしているだと?
「母さんの教えは僕にとって絶対だ。でも、少しずつでいいから、離れなくちゃいけない。この決意は最初の一歩だ。シラヌイと添い遂げるために、決めた事なんだ」
「また、シラヌイかよ。あいつがお前を、どう変えたんだ?」
「……彼女に恋をして、僕は全力で守りたいと思った。シラヌイはとても弱くてね、ちょっとしたことで悲しむし、他の女性と話すだけで嫉妬するし、照れ隠しで、すぐに殴ってくるし。彼女に苦しい想いをさせないためには、僕自身が変わる必要があった。彼女の傍に居るには、僕は変わらなくちゃならなかったんだ。
そしたら、彼女は僕を沢山助けてくれた。刀が使えなくなった時も、ポルカを助ける時も、エルフの国を守る時も、いつも僕を支えてくれたんだ。おかげで僕は、恐れる事なく挑戦できるようになった。
勿論、彼女だけじゃない。四天王に魔王、ウィンディア人達とポルカにドレカー、世界樹の巫女に、稀代の大怪盗。多くの人達が僕に希望を向けて、力を貸してくれた。その期待に応えるためにも、強くならなきゃいけないんだ。
誰かに助けを求めるのは、決して弱い事だとは思わない。誰かに助けて貰わなくちゃ、頑張れない時は必ずあるから。そして助けて貰えれば、その人を助けようと思って、より自分が強くなれるはずだから」
「……そんなの、理想論じゃねぇか」
だがこいつは、その理想論を体現している。俺の方が、理想論語ってるようなもんだ。
もし……もし俺が、二人が追われた時に力になっていればどうなった? もし俺が動いていたら、イザヨイが結核にかかる事はなかったんじゃないか? ……もし俺があの時、勇気を出して二人を助けていたら……未来は、変わっていたのか?
だとしても、もう過去は変えられねぇか。
ディックは俺との事を覚えちゃいねぇ、未来を変えようにも、そのきっかけなんざ、とうに消えちまってんだよ。
「……なぁディック、てめぇ、クレスって貴族知ってるか?」
「クレス? 知り合いなのか?」
「! ……ディック……?」
「あ、いや……小さな頃、一度会っただけなんだけど、凄く気が合ってね。あの時の事は、よく覚えているよ。懐かしいな」
「……俺も、そいつとはせいぜい近所ってだけでな。ただ、ちょっと話を聞いただけだ。昔平民と遊んだことがあるってよ」
「そうか、クレスも覚えているのか……ほんの短い時間だったけど、彼と一緒に居た時間は、とても印象に残っているんだ。出来れば、もう一度会いたいな。僕にとって彼は、大切な友達だから」
「……そうか、よ……」
「フェイス、どうした。声を震わせて」
「……いいや、なんでもねぇよ。とっとと寝ろ、馬鹿野郎……」
……この野郎、どうして覚えてんのに、俺に気付かねぇんだよ。当たり前か、当時の俺と今の俺じゃ、全然違うしな。
こいつの中じゃ、未だにクレスは、友達って事になるのか。俺ぁまだ、こいつに愛されてるって事なのか。
未来は変えられるか……俺の未来は、変えられるのか? まだ、間に合うのか?
……はん、そんな単純な理由で人間、変われるわけねぇだろうが。




