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112話 第四部・完

 ディックが誘拐された翌日。私ことシラヌイは、大急ぎで魔王領へ帰ろうとしていた。

 魔女が荒らした戦場は、大混乱に見舞われた。

 勇者が誘拐されたことで人間軍は総崩れとなり、戦うどころではなくなっていた。ディアボロスが撤退を指示したことで、ドラゴン軍共々エルフ領から手を引いていった。

 結果的には、エルフ達の防衛線は、守る事は出来た。でも……私が払った代償は、あまりにも大きすぎた。

 ディックを奪われた。私には、何よりの心の傷だ。


『胸中穏やかではないな、シラヌイよ』

「……当たり前でしょう。ディックが、攫われたのよ? これが落ち着いていられるわけないじゃない……!」


 ディックがいなくなってから、私は何も考えられなくなっていた。

 これからどうすればいいのか分からなくて、頭の中がぐらぐらしてくる。めまいがして、吐き気がして、気分が悪くて仕方がない。

 どうして私は、ディックを助けられなかったんだろう。

 それ以前に、人形の魔女って何なの? どうして私からディックを奪ったの? ねぇどうして、どうして、どうして!?


「……アプサラスっ!」


 壁を殴り、唇をかみしめる。自分のふがいなさが許せなくて、血がしたたり落ちるほど、唇を噛んでしまう。

 何にも出来なかった……何にもできなかった……ディックに私、何にもできなかった……!!!


『憤るのはいいが、客が来たようだぞ。とりあえず出迎えるがいい』

「客……?」


 顔を上げると、ノックされる。恐る恐る入ってきたのは、世界樹の巫女姉妹と、ワイルだ。


「シラヌイさん、その……大丈夫ですか?」

「……大丈夫なわけないでしょう……ディックが、ディックが奪われたのに!」


 思わず、ラズリの胸倉をつかんでしまう。シルフィが止めてくれなければ、醜い八つ当たりをしていたでしょうね。


『手を出すのはなしだぞ、そうしたところで、ディックが返ってくるわけでもあるまい』

「……ごめんなさい、私、気が動転してしまったみたいです……」

「いえ、私も不用意な発言をしてしまいました……」


 ラズリと俯きあい、言葉が出なくなる。ワイルが髪を掻くと、間に入ってくる。


「とりあえず、魔王軍としての役目は果たしたんだろ、お前さん」

『うむ。勇者が消え、ディアボロスも深手を負った今、ドラゴンの脅威は当面去ったと言っていいだろう。暫く世界樹へ侵攻する事もあるまい。エルフとの同盟は外交官に任せておけばよい。護衛に兵を割いた事だし、シラヌイがここに居る理由はないな』


 シルフィが代わりに答えてくれる。正直、そこまで考えて動いていない。ぼーっとしていたら、いつの間にかそうした流れになっていただけ。どう事務処理したのか覚えていない。


「人形の魔女、世界樹に聞いてみたよ。でも、世界樹も分からないって……」

「世界樹も万能じゃねぇからな。表沙汰にならないよう裏で暗躍していたら、流石のこいつも知る余地がねぇさ」

「ワイル様は、ご存じないですか? 長い間、世界を旅してきたあなたなら……」

「残念ながら、俺もあいつの事は全く知らねぇ。つーか、聞いた事もねぇんだ。あんだけ強大な力を持ってる奴なら、噂くらい耳にしていいと思うんだがな」


 ワイルは腕を組み、眉間に皴を寄せた。

 突如現れた人形の魔女、アプサラス。謎の魔導具を所有した、人形の体を持つ敵……。

 龍王ディアボロス、世界樹の巫女ラズリ、勇者フェイス、そして幻魔シルフィに、四天王の私とディック……これだけの戦力を前に、たった一人で、易々と戦場を荒らした存在……。


「シルフィ、あんたはあいつの事、知ってたの? 歴史の観測者なら、知っていたはずよね? 事前にディックを助けられたはずよね? どうして黙っていたの!」

『……ふがいない話だが、奴は完全にイレギュラーだ。そもそも私は歴史の観測者じゃ……っとと、これは企業秘密だった』


 シルフィは口をつぐんだ。なんか分からないけど、こいつも知りようのない敵じゃ、もうお手上げだ。


「ともかく、今は魔王領に戻るわ。ここに居ても、ディックの行方は分からないから」


 戦場は徹底的に調べた。でも魔女の痕跡はどこにも残っていない、ディックの手がかりをつかむ事は不可能だ。

 急いで戻って、魔王様に協力を扇がなきゃ。私がディックを助けなきゃ、助けなきゃ、助けなきゃ、助けなきゃ……助けなきゃ!


「シラヌイさん、これ、受け取って」

「私達では、このくらいしか力になれませんが……」


 姉妹が、私に木札を渡した。エルフの古代語が刻まれていて、神秘的な力を感じる。


「想い人の護符だよ。恋人が無事でありますようにって祈りを込めたお守りなの」

「私達が作った護符ですから、必ず効果があります。だからどうか、気をしっかり持ってください」

「……ありがとうございます……」

「俺も一旦あちこち回って、情報を集めてみるわ。これでもツテが色々あるもんでね、何かしら引っかかるもんがあるだろ」

「今はしっかり休んで。シラヌイさんがそんなんじゃ、ディックさんも悲しんじゃうよ」


 ラピスに頬を拭われ、ようやく私は自分が泣いている事に気付いた。


「彼はエルフの国を救ってくれた恩人です、私達も全力で協力します。世界樹の巫女の名に懸けて、必ず」

「……お願いします、ディックを見つけ出してください……!」


 藁にも縋る思いでラズリの手を握り、私は荷物をまとめる。


「ペガサス便が到着しました、シラヌイさん、お世話になりました」


 ワードも入ってきて、私は彼の案内の元、足早に馬車へ向かう。リージョンは戦後処理で忙しくて、迎えに来れないみたい。

 なんでこんな時に来てくれないんだろう。一人じゃ考えすぎてしまって、余計辛いのに。


「僕からも、女王様へディックさんの捜索を進言してみます。僕の身分でどこまで聞き入れてくれるかわからないですが……僕もできるだけの事はします」


 ワードも別れ際に慰めてくれたけど、私の気持ちは全く晴れない。ずぶずぶと底なし沼に引きずり込まれるような喪失感で満たされている。

 エルフの国の任務は、私に深い傷を刻んで、終わりを迎えたのだった。


  ◇◇◇


 魔王城に戻った私は、重い足どりで四天王専用のサロンへ向かった。

 先に戻っていた四天王達がいる。皆は私を見るなり歩み寄ってきて、重苦しい顔になった。


「ディックの事は聞いている。人形の魔女だったか」

「ええ……あいつがディックを攫って行って……どこに行ったのか分からないの」

「くそ、どこのどいつだ! ディックを誘拐した奴は!」


 リージョンが怒りに任せて壁を殴った。ソユーズが彼を止め、首を振る。


「……悔しい想いは我も同じだ。その場にいなかった己に怒りすら感じている……! ディックをどうするつもりだ、魔女とやらめ……!」

「というより人形の魔女なんて、私も聞いた事ないわよぉ。ディアボロスに世界樹の巫女、おまけに勇者と魔王四天王が居る戦場を、たった一人で蹂躙しちゃうほどの魔女なら、私達の耳に入っていてもおかしくないわぁ」


 メイライトは不可解だ、と言わんばかりの顔をしている。私も人形の魔女なんて聞いた事がない。

 唯一分かる情報は、なんらかの魔導具の所有者である事。全身が傀儡で出来ている事。これくらいだ。

 あいつはディックを何に利用しようとしているのかしら。確か、生身の体にやけに拘っていた気がする。

 まさか、ディックの体に自分の魂を移植するつもり? そうなったら、ディックがディックじゃなくなっちゃう……。


 ……だめ、こうしちゃいられない!


「ちょっと、どこ行くのよシラヌイちゃん!」

「ディックを探しに行くの! すぐに捜索班を作って、人探しの魔法であいつを見つけなくちゃ……私が見つけなくちゃ、誰が見つけるのよ!」


『はいすとーっぷ。君の気持ちは分かるけど、今ここで勝手をされちゃあ困るにゃあ』


 突然、私の前に魔王様が立ちふさがった。

 驚いてしりもちをついてしまう。魔王様は私を助け起こし、腕を組んだ。


『結論から言おう。現在、ディッ君の捜索を行う事は不可能だよん』

「! なぜですか!?」

『おいおーい、現在の魔王軍と人間軍の動向、確認できてないのかなー? まず人間軍だけど、錦の旗であるフェイスが行方不明になった事で戦線が大きく後退。対魔王の切り札がなくなったから、陽動で戦い続ける意味がなくなっちゃったからねぇ』

「それじゃあ、余裕があるって事じゃないですか?」

『先の大戦の規模を考えてちょ。ほぼ全部の戦線が大きく動いたんだよ? しかも敵にはドラゴンが混じっていたんだよ? こっちの被害は甚大さ。だから今、各支部が事後処理でごたごたしていてね。動かせる兵が全くいない状態なんだ』


 ディックを失ったショックで、全然気づかなかった……確かにシラヌイ軍も酷い被害を受けたし、立て直すのには時間がかかるでしょうね。


『おまけに、あの人形の魔女はね、魔王領と人間領の両方に出現したんだよ』

「なんですって?」

『あちこちに現れては、住民を誘拐してしまったんだ。そっちの捜索もしなくちゃならなくてね。それに人間軍も退いたとはいえ、いつまた攻めてくるか分からない。対応できるよう、各地の立て直しも必要なのさね。って事で君達四天王には、暫く出張してフォローをお願いしたいんだよ。ディッ君は大事な社員だけど、各地の兵も大事な社員だ。彼一人のために、多くの部下を天秤にかける事は出来ないのさ』

「…………」


 正論だ、魔王様に反論する事が出来ない。でも、でも……!


『焦る気持ちは分かるさ。でも安心しなさい、ワシもなんも考えていないわけじゃあないのさ。ディッ君は我が魔王軍の英雄だ、このまま行方不明のままにしたら全体の士気に関わるし、何より魔王領全域の民達が悲しむ。それだけ彼は、ワシらにとって大きな存在になっちゃったわけなんだわな。全く、魔王たらしの人間だよ彼は』

「魔王様……?」

『彼の捜索隊は目下結成中さね。ミハエル女王とも連絡を取り合ってあるし、ドレカー君達にも話をつけてある。君が思うよりも早く広く、ワシは手を回しているのさ』

「…………!」

『だから今は、足場を固める事に集中しなさいな。彼なら大丈夫、そう簡単にやられるようなタマじゃあないさ。今日明日は休暇をあげるから、しっかり休息を取りなさい。疲れていたら、君の愛しい人は探せないよ』


 魔王様は私の肩に手を置いた。


『これは命令、休暇が明けるまで有効な命令だよ。わかったかな?』

「はい……魔王様、ありがとうございます」


 魔王様の命令で、私は一度家に戻る事にした。

 がらんと広い屋敷に、一人帰る。ずっとディックと一緒に居たからか、とても静かに感じた。


「……ディックが居ない」


 改めて突きつけられる現実に心が折れそうになる。そしたらふと、胸元に目が向いた。

 ディックに貰ったロケットだ。開くと中には、バルドフ一の画家に描いてもらったディックの肖像画が入っている。


『いくら嘆こうが、奴が攫われた事実は変わらないぞ。ならば、肚をくくるしかあるまい。私も力を貸してやる、あの男をなんとしても探し出そう』

「シルフィ……ええ、絶対、絶対見つけなくちゃ。あいつが居ない毎日なんて、耐えられない……!」


 ディックが傍に居ないと、胸が苦しくなる。たった一日離れただけなのに、気が狂いそうな苦痛で夜も眠れなかった。

 あいつの温かい手で触れられる心地よさを覚えたら、もう抜け出せない。ディックがくれた、希望に満ちた日々を、取り戻すんだ。


「待っててディック……必ず助け出すから!」


  ◇◇◇


 水滴の音に目を覚まし、僕ことディックは体を起こした。

 頭の中がぼやけて、記憶があいまいだ。確か僕はエルフの国でフェイスと戦っていて、そしたら人形の魔女とやらが襲ってきて……。


「そうだ、僕はフェイスと一緒に捕まったんだ……」


 飛び起きて、辺りを見渡す。僕がいるのは、檻の中だ。

 岩窟に造られた独房だろうか、四畳程度の牢屋に閉じ込められている。石のベッドに仕切りのないトイレがあるだけの粗末な部屋だ。

 ……! 刀がない、オベリスクも! くそ、武器を押収されたのか……そう思った時だった。


『目覚めたか、主よ』

「ハヌマーン? お前は無事なのか?」


 ベルトのバックルに目をやると、ハヌマーンの球体が嵌っている。これだけは取られなかったみたいだ。


『連れていかれる瞬間に隠れたのだ。我が奪われてはまずいのでな』

「ああ……ハヌマーンだけでも無事でよかったよ」



「よぉ、随分と遅起きじゃねぇか、くっくっく」


 隣の部屋からフェイスの声が聞こえた。僕は驚き、壁に手を触れた。


「フェイス……やっぱりお前も……!」

「ああ、このざまだ。てめぇと同様、エンディミオンもディアボロスも奪われちまってよ、こっちはすっかり丸腰だ。くくくっ」

「何がおかしい」

「別に。まさかお前と隣同士の檻に入れられるとは思わなくてよぉ、相部屋じゃないのが悔やまれるぜ。一緒の部屋だったら、お前を思い切り襲ってやれたってのに」

「……お前の新しい性癖に付きあうつもりは微塵もない」

「なら目覚めさせてやろうか? お前のケツをほじくりかえして、バラ色の深い場所まで墜としてやるよ! はははは!」


 こいつ……ディアボロスに頭をいじくられたのか? こんな気色悪い奴だったかな。


「というより、どうしてそんなに落ち着いていられる。お前らしくない」

「はっ、俺が状況を読めないバカだと思っているのならショックだな。小窓から外見てみな、俺が落ち着いている理由がわかるぜ」


 怪訝に思いつつ、言われた通りにして、僕は絶句した。

 ……僕が囚われているのは、絶海の孤島に造られた監獄だ。

 気配察知で探知しても、周囲には何もなく、大海原が広がるのみ。眼下には断崖絶壁があるだけで、陸地と呼べるものが見当たらない。


「な? 武器のありかもわからねぇ、ここがどこかもわからねぇ、おまけに監獄の中には……魔女が居る。こんだけ手詰まりの状況じゃ、暴れたくても暴れられねぇだろ?」

「……確かに、これじゃ動けないな」


 気配察知を使うと、監獄の中央に気配を感じる。僕達を圧倒した、人形の魔女の気配が。

 フェイスですら沈黙せざるを得ない状況か……これは、参ったな……!


「……シラヌイ」


 真っ先に彼女の顔が思い浮かぶ。シラヌイはとても寂しがりだ、僕と離れて、パニックを起こしているかもしれない。

 何としても、彼女の下へ帰らなければ。でもその為には、魔女が巣食う絶海の監獄から脱獄しなくてはならない……!


「難しくても、やり切らなくちゃ……シラヌイともう一度、会うために!」


 戦いの舞台は、絶望に満ちた魔女の牢獄か……。

 僕の心が折れるのが先か、それとも魔女から死刑判決を受けるのが先か。最悪の冒険が、幕を開けていた。

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