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僕が綴る物語  作者: ハルハル
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序章 06 覚


 君は右の手刀を横に振り下ろす。バックステップで避けられたところに立て続けに右から体重の乗ったミドルキックを繰り出す。アイアスは跳躍で回避。そして回転を利用してそのまま左足で後ろ回し蹴りをミドルキックと同じ位置に叩き込む。はずが、すでにアイアスはそこに居ない。勢いが止まらずそのまま一回転。同時に君は未だ宙に、頭上にいるアイアスの存在に気付く。

離れていて、正確には測れないがおそらく十メートルは飛んでいる。君のジャンプも人並みはずれているが、やはり悪魔。身体能力は計り知れないはずだ。

そんな行動をしながらもアイアスは常に笑みを浮かべている。

落下途中で回避できないと思った君は回転をそのまま保ち、回転を保ったまま直上に拳を突き出す。


「しょ、昇竜拳じゃねーか。

 回転加わっている分、本家よりも威力が高いんじゃないか?アイアスは、なすすべなく直撃を…。当たらない!?」


 まるで柳のようだ。空中ではいかなる回避行動も取れないはずなのに、柳のように体を風に任せて紙一重で避けた。

 アイアスと君は同時に地面へと降り立った。まだアイアスは一度も手を出してはいないが、僕から見ればアイアスのほうが一枚上手に感じた。僕に感じていることだ。おそらく君も感じているだろう。それでも君はアイアスに向かって突撃した。

 目にも止まらない拳、蹴りを連続で繰り出す。そしてその攻撃を目にも映らない速さでかわし続けるアイアス。


「そういえば、アイアスと言う名前はどこかで聞いたことがあるな」

「ギリシャ神話には詳しいのかな?」

「ギリシャ神話…。ああ、トロイ遠征の闘将か」

「正解」

 攻撃の手を休めず、かわすための足を止めず、君達は言葉を交わす。

「じゃあ、アイアスが居るということは、オデュッセウスもどこかにいるのかな?」

「そんなことになったら大変だ。ギリシャ神話のアイアスはオデュッセウスが苦手だからね」

「ははは。じゃあ探してくるか…」

 君の拳がアイアスの体の中心に初めて当たった。ど真ん中。二人は動きを止める。

「私がオデュッセウスの代わりになるかだな」

「ふふふ。それは楽しみだね」

 アイアスの体がふっと消えた。突然。流石に君も動揺が出てきた。

「でもあなたにはそれは出来ない」

 再び現れたアイアスに肩を叩かれた途端。君の顔から血の気が消えた。そして初めて君は後退した。

 そんな状態でも君はしっかりと相手を見ている。すごい事だ。もう僕はアイアスを見ることが出来ない。化物だ。あいつは、化物だ。

「アイアス。一つ、質問がある」

 君は荒いでいる息の合間に喋った。

「君は何故何もしようとしない」


 アイアスは君の横を通り過ぎ、数歩歩いたところで君に向き直る。同じ様に君もアイアスを見る。


「残念だけど、その質問に答える僕の答えは持っていない。しいて言うなら僕は何もしていない事はない。あなたの質問は間違っている」


 君が本気で何かを間違える事があるのか。いや、そんな事よりも僕には気になって仕方がないことがあった。

「君は何故、読心術を使わない。使えば質問はおろか、攻撃を避けられることさえないはずなのに」

 僕の声を聞き、君は振り向く。明らかに疲れていた。精神も肉体も疲れ切っているはずだ。もう、顔に出ていた。


「私は今、使わないんじゃない。使えないんだ。今、こいつは


私の目には映っていない」




「見えていない?」

 どういうことだ。目に映らないなんてことがあるのか。僕には間違いなく見えているのに。

「はぁ、君は知らないかもしれないが、自分が見えているものが本当に存在していると証明するのは難しいことだ。それこそ君がフェルマーの定理を証明しようと言うものだ」

「それは…、難しいみたいだね」


 ちなみに僕は数学と言うものが大嫌いだ。ギリシャ数字だろうがローマ数字だろうが、漢数字でさえ憎まない数字はない。


「人の脳は便利に出来ている。見えていないものでも脳が見えていると思い込めばそれは見えていると錯覚する。要するに幻覚を見るということ。そんな便利でもあるが面倒くさくもある脳を持つ人間にとって、言葉だけで見えているものを実在すると証明するのは難しい。

 これでも君は見えているというのか?」

「…、うん。僕には、見えている」


 君は笑ってこちらに歩んでくる。気が付けば僕も自然に歩き出していて、二人との距離をかなり詰めていた。

「うん、此処まで理論的なことを言ってみたものの、結局は私にも見えている。ただ、見えているのは左目だけで、右目では見えていない」


 僕と君は向き合っていた。そして君は僕にその右目を見せてくれた。その瞳は淡い、緑色をしていた。

「君の、…その目は」

「あまり話したくは無い事だが、私は人間離れした力を持っている。それが、読心術だ。真っ当な人間にこんな人間がいると思ったかい?

 私のこの右目は人の内面を見るのだよ。見たらそのまま、考えている事が頭に入ってくる」

「だから右目では見えないと言ったのか。君の右目は心を見るものだから」

「そんなに簡単なものでもないよ。

君は(さとり)という妖怪の話を聞いたことがあるかい?」


 君の言葉には力強さが無く、表情もどこが暗くなっていた。


「かの妖怪は、出会った人の心を先読みして、その人が発する前にその言葉を言うなどして遊ぶそうだ。人を襲う事も無く、共存する事もあったと言われている。私の持つこの能力は、まさに覚そのものだ。

 私はこの力を手にして、初めて分かったことがある。私は以前、日本には古くからの伝承が数多くあるのに、何故、異質な力を持つものは全て、妖怪とされたのか分からなかった。だがその時知った。無理なんだ。異質な力というものは人には扱うことが出来ない。心が、体が耐えられない。だから、人を超越した妖怪しか伝承に残らない。人では、すぐに死んでしまうからだ。事実、私は目を見るだけで流れ込んでくる人々の心にもう耐えられない。死んで、しまいそうなんだ」


 君の目には涙が浮かんでいた。


 君の泣き顔は美しかった。不謹慎だけども、美しかった。


 不幸や悲しみは人を美しくすると聞いたことがあるが本当なんだろうな。そして今、君は美しくなっている。その原因は、僕だろう。僕があまりにも無知で、あまりにも人間過ぎるから、君を悲しませた。

 人とは果てしない欲求の上に成り立っている。たとえ、人の悲しみがあったとしても人は欲しがる事を止めない。僕の場合、君の物語を語りたいという欲求が、この展開を呼び込んだ。君の悲しみを、呼び込んだのだ。


「ごめんなさい」


 僕は謝った。僕は謝りたかった。


「僕は、君を傷つけた。どうしようもなく傷つけた。ごめんなさい」

 僕は絞りに絞って、ようやく出た言葉を君に伝えた。すると君は泣き顔を手で擦り、一呼吸置いて僕に笑顔を見せた。

「ありがとう」

 こんな話も聞いた事がある。人は悲しみや絶望から、救われたとき、幸せになったとき、最も美しくなる。

 君は、それこそ天使のように美しかった。

「君のおかげで私の悩みが解決されそうだ」

背筋を伸ばして初めに対峙したときと同じようにアイアスに向き合った。


「これで、もう一度アイアスと戦えそうだ」

「でも、勝算はあるのか?」

「今からさっきの手品の答えを見つける。なんとなく答えは出ているからね」


 手品…。突然現れたり、消えたりしている種か。

 君は淡い紺色のブレザーを脱いで、僕に渡す。君の今の姿はブラウスに黒いネクタイ。灰色のスカートにはブラウスの裾がかかっている。目を凝らせば、ブラウスの下のスリップが透けて見えそうで、なんだかとてもエロい。


「エロいのは君だこの変態。終わったら死にたくなる位に罵ってやるから覚悟しなさい」

 死にたくなる位なのは勘弁だが、君の言葉にはいつもの強みが戻ってきた。その言葉を聞いて、僕は君のブレザーを手に抱え、再び二人と距離を取った。リングに選手を送り出す、セコンドみたいな気分だ。

「待たせたな、アイアス。さぁ、再開と行こう」

 アイアスは何も答えない。その代わりに、初めて構えた。初めて本気になったのか。それが返事みたいだ。

「行くよ」


 此処まで、ただ避けるだけだったアイアスが初めて攻撃に出る。その姿が消える。

 次にアイアスを視認できたのは君の後ろだった。その時すでにアイアスの拳は空を切り始めていた。僕は驚いた。何にって、アイアスにではなく、読心術が使えないはずの君がアイアスの場所を正確に把握している事にだ。

 君はネクタイを跳ねさせ、右向きに半回転、そして少し遅れて右手の裏拳がアイアスのこめかみにヒット。僕も驚いたが何よりも驚いたのはアイアスだろう。頭が消し飛んでいる(・・・・・・・・・)。それにつられて、残った体も消え始めた。消えきる前に君は行動を起こす。手に隠し持っていたマッチを取り出し、火をつける。そのときにはアイアスは姿を現していた。灯ったマッチの火に照らされて、アイアスの顔が明るくなる。汗が出ていて、その表情は明らかに困惑していた。


「やっぱりだ。やはり火の前では消える事は出来ないか。いや、変身は出来ないって言った方がいいかな?」

 君は持っているマッチをアイアスの顔の前にもってきて言った。

「突然消えたり現れたりする手品の種。それは気体へと変身することだ」

 君の言葉を聞いて、アイアスは両手を上げる仕草をした。

「降参だ。君の言うとおり、それで大正解」

 それを聞いた君は僕に自分のところに来るように催促し、僕が着いてから説明を始めた。

「アイアスの正体は気体。主に水蒸気に思う」

「そう、水蒸気だ。つまり霧。でもあくまで僕の正体はこの人の姿だからね。霧は変身した姿」

 アイアスは地面にへたり込んで片手を上げながら言った。もう、争う意志はないみたいだ。

 僕の手から上着を取ってはおり、君は話を続けた。

「水蒸気の成分は主に水素と酸素がほとんどを占めている。彼のことだ。分子レベルできれいに分かれているだろうね。そんなところに火を持っていけば爆発するだろう。つまり水素爆発だ」

「なるほど、だからアイアスは火を出された途端、元の姿に戻っていたのか。自分が爆発するわけにはいかないから」

「そう、流石に僕も火を出されたらお手上げ」


 僕の言葉にアイアスが相槌を打つ。


「でも僕の位置が正確に先読みされた事は驚いた。僕の体は常に霧で一定じゃなかったから読心術は使えないはずだ。どうやって場所が分かったんだ?」

「湿度、といった感じかな」

「湿度?」

 僕は聞き返す。アイアスは座ったまま君を見上げる。

「そう、湿度。湿度計は持っていなかったから正確にはわからないが、所々で湿度が違ったんだ。おそらくアイアスの通ったところに少しずつ水分が残ったんだ。それが種を見極めるきっかけにもなったし、最後の一撃を決める場所を教えてくれた」


 女子は湿度を肌で感じられるほど敏感な肌を持っているのか!?それとも君が特別にすごいのか?まぁ、単純に後者が正しいんだろうけど、だってその頭脳もすごいが、あれだけ動ける格闘のセンスや身体能力が信じられない。


「あなたはすごいな。まさか僕が負けるなんて思っても見なかった」

「私一人だけじゃないさ。一人だけじゃ負けてた。彼が私に力を貸してくれたんだ。私の心を救ってくれた」

 君は目を閉じ、胸に手を当て、思いにふけっている。

「二人だから、勝てたと」

「ああ、でもアイアス。君が手を抜いていなかったら序盤で私は殺されていただろう。


 あの時君は何をしていた。私の何をそんなに気にしていた?」

 君はまた真剣な顔をしていた。それを見て僕は体が強張る。


「そんな緊張しなくてもいいよ。別に僕はもう、手を出す気がないからね。

 僕は君を観察していたんだよ。有木翠さん。君がどんな人間なのかを知る為にね」

「詳しく聞かせてくれないか。その話」

「そうだね。僕も君とは話がしたかったんだ。そうなると、場所を代えたほうがいいね。話は長くなりそうだ」

 アイアスは立ち上がり、背伸びをする。腕時計を確認すると、九時をまわりかけていた。

「ファミレスがいいかな」


 すでに先を歩く二人の背中に向かって、聞こえるか聞こえないかの瀬戸際の小さな声でつぶやいた。

 ちなみに、道中の約二十分間は僕が死にたくなる位の悪口だった。有言実行だった。



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