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セスナ・エア・シーク  作者: satoh ame
Ⅲ Flight - フライト
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Ⅲ-1 フォッグ


 ひいらぎは、動揺を抑え込んで冷静を保った。

 ――夢じゃない。

 現実だ。

 昼のフライトを終えて降り立つと、セントラルエリアの様相が一変していた。

 こちらが上空を飛んでいる間に、街のショッピングセンターが爆破されたらしい。

 ボルテージを上げて攻め込む好戦的な破壊行為。被害は一カ所にとどまっているが、まるで戦争のプロローグだ。

 不穏にざわめくターミナル。

 モニタに映る現場のシリアス。

 乗客たちも皆、画面越しに事態の成り行きを見守っている。

 鼓動の激しさで過剰な血が押し出され、操縦桿から離れたばかりの手が脈打つように痛んだ。

 巨大なショッピングセンターの3分の1以上が、崩れて瓦礫と化している。

 犠牲の規模は明確になっていないが、死傷者が出ているのはほぼ間違いない。

 ――『Venomベノム』なのか。

 続く報道で、現場に駆けつけたポリスにも被害が及んでいるとの情報が入った。

 ――まさかED……。

 セルラで連絡したが応答がない。

「ラギ、大丈夫?」

 カレンもショックが大きかったようだ。きっと、このApが狙われた場合の被害を想像している。

「事件があったから怖がってるの?」

「そうなんだ。……巻き込まれた人たちには申し訳ないけど、無事に着陸できてよかったなと思って」

 こちらとしては何があっても、自分の操縦機で乗客乗員を死なせるわけにはいかない。

 午後からの便は予定通り飛ぶのだろうか。難しい状況だ。

「わたし、かわいいシロップのお薬持ってるから、ラギに分けてあげる。部屋に戻ったら……」

「戻らないよ」

「え?」

 エドガーを探しに行かなければ。生存を確認するまでは落ち着けそうにない。

「カレン、ごめん」

「どうして謝るの?」

 彼女は遠慮がちに、両手でこちらの手首を掴んでくる。

 切りたての、元気に出血しているリストでなくて助かった。さすがに彼女も引くだろう。

「危ない場所に近づいてはだめよ?」

 カレンはCAの制服を着ているけれど、普段ほど注目を集めていなかった。

 ニュースのせいだ。

 シティ・セスナの各地を侵している罪人たちの正体。それを今、誰もが知りたがっている。



 アンダーを通って事故現場へ向かったが、酷い混乱でショッピングセンターへは近づけず、灰塵の吹きすさぶ中、半壊した建物を遠巻きに眺めていた。

 諦めてApへの帰路に着いた直後。エドガーのセルラから文字が届き、軽症と重症の間、つまり中症で、セントラルのメディカルセンターに収容されたことがわかった。

 ――ベッド、僕の分は空いてないよね……。

 身体が休みたがっている。

 心も癒されたがっている。

 いろいろと面倒だ。


 明かりの落ちた病室に、意外な先客がいた。

「議長……」

「久しぶりね、柊君」

 彼女は花柄の黒いレインコート姿で、素っ気なく壁に凭れていた。

 ワイン色の髪が右に寄せられ、首の線が片側だけ露わになっている。

 高等部時代の同級生。卒業以来か。特に会う機会がなく、エドガーも彼女の話をあまりしないので、学生服のイメージから更新していなかった。

 不覚にも緊張してしまい、気の利いた挨拶が出てこない。

「柊君? 私に何か問題があるのかしら。どうしてそんなに戸惑ってるの?」

「ごめん。いると思わなかったから驚いて……」

 審議中なのか、議長は険しい上目遣いでこちらを見ている。

 やがて脱力するように睫毛を伏せた。

「柊君って大人しくて、でも変に目立ってたわね。髪がチョコっぽいせいかしら。……私の宿敵が、あなたのことしもべにしたいって言ってた」

 たぶん何かの間違いだろう。

「それにちょっと傷つきやすい人だったわね。思い出したわ。……エディのお見舞いに来てくれたんでしょ? 邪魔だったら言って。私が出て行くから」

 エドガーと議長。ベクトルの違うふたりが続いていたことを知って嬉しくなり、致死レベルの疲労から立ち直れそうな気がした。

「そういえば……。グループのメンバーでコーヒー飲んでるとき、あなただけいつもミルクティだったわね。そういう生き方を今もしているの?」


 先ほどまで意識があったはずのエドガーは、エネルギーを使い果たしたのか、白いベッドで就寝中だ。よく見ると、無駄に開いたピアスの穴に灰が詰まっている。生贄の瓦礫と同じ色だった。

「この人ってまだ少年なのかしらね。寝顔がそんな感じだから」

 議長はエドガーを一瞥し、ビターな笑みを浮かべた。

 女子はなぜ、意識不明の男子を面白く観察するのだろう。新機軸のラビリンスだ。

 彼女はひとり言のように囁いた。

「帰りたいのに。どうしてここにいるのか、自分でもわからないの」

「E、……そこに寝てる彼が心配だからだと思うよ」

 あり得ない、と不愉快そうに目を細めながらも、彼女の口元は滑らかな線を描いていた。

「たぶん私、疲れて動けないだけ。……疲れて動けない警備員なのよ。だからここにいるんだわ」

 議長が高等部の頃と変わっていなくて安心した。

 自分もエドガーも、入学後、最速で職業ライセンスを取ってしまったが、彼女は平和な進度で大学生活を楽しんでいるという。

「タイミングが悪かったら私、死んでたかもしれないのね。占い見ておけばよかった」

 件のショッピングセンターでエドガーと待ち合わせていたけれど、ふたりとも爆発現場からは離れていたので無事だったらしい。

 ――ED、議長を置いて捜査に加わったのか……。

 一瞬の判断で、仕事と恋人を天秤に掛けたのは間違いない。

 屋内でも脱がない理由は不明だが、議長は灰塵から肌を守るためにレインコートを着たのだろう。しっかりしすぎだ。

 その後、被爆エリアに突入したエドガーだけが、煙を吸って搬送されたという顛末。こちらはうっかりしすぎだ。

 おそらく、『venom』の手掛かりを得ようと、危険を顧みずに動いてくれたのだろう。

 ふと、バッドエンドの翳が脳裏を過ぎる。

 今日の事件でエドガーを失っていたら、不時着に纏わる疑惑を打ち明けたことを、死ぬまで後悔した。そして思い出とともに、懐かしい旋律がいつまでも傷口で暴れ続ける。

「柊君は私のこと、今でも気に入らないんでしょ? 親友がこんな女子とつき合ってるなんて」

 いや、と首を振ったが、彼女は再び口を開く。

「中等部までの私は、利用されても、裏切られても冷静でいようって広く構えてたけど……、物みたいに扱われていくうちに、身近な人も、新しく出会った人もみんな敵に見えて逃げ出したくなった」

 彼女は虚ろな余韻を残して顔を俯ける。

「誰かの悪意に切りつけられたり、弄ばれたりすることに飽きたのかしら。……ときどき相手の真意が知りたくて堪らなくなる。でも覗けないでしょ?」

「そうだね」

「だから、好きでもない相手に笑いかけたり、誘われてすぐに頷いたりはしない。隙を作らないように生きて、自分の世界を守るって決めたの。感じ悪いって思われてもいい」

 議長はいくらか心が軽くなったのか、「閉会するわ。つまらない話だったでしょ?」と言ったきり黙ってしまった。

「君の恋人は、君の世界を守ってくれると思うよ」

「……本当かしら」

 彼女は壁から身を離し、ベッドの側に立つ。そして、ボールペンのノック部分でエドガーの頬を軽く叩いた。微笑んでいるように見えるのは気のせいか。

「柊君、お願い」

「何?」

「始めたい会議があるの。今すぐこのポカホンタスを目覚めさせて」



 帰路に着いた車内で、一秒でも早くカレンに会いたいと思った。

 彼女をどうかしたいというわけではなく、ただ、元気な姿を見て心を落ち着かせたかった。

 エドガーが自然解凍のように復活したので、彼と議長は大丈夫だろう。

 ――ED今頃、議長に尋問されてるね。

 病室に置いてきた彼女の問いかけを思い出す。

 ひとりだけ違うものを選ぶということは、つまり異端だ。そういう生き方を、気づかないうちにしてしまっていた。

 取り返しのつかない何かが起こる前に、もっと注意深く、より危機感を持って、周囲と自分の位置を見直さなければ。

 普段、上空域を飛んでいる反動なのか、アンダー路の秘めやかな迷路に囚われそうで怖くなった。

『かわいいシロップのお薬』が、誘うような糖度で頭の中を行き交っている。

 何の薬なのか楽しみだ。


 居住館の私室へ戻った頃にはもう、足の感覚が薄らいで、自分の意思で歩いているのか、見えない誰かに操られているのか判別できなくなっていた。

 カレンとの再会は明日にするしかない。

 この倦怠感を修復しなければフライトに差し支える。

 暗いベッドに倒れ込むつもりだったが、ドアに手書きのメモが貼ってある。

 呼び出しだ。

 暗殺の依頼かもしれない。

 屋上へ行けばよいのだろうか。



 夜の始まりが、空の色でわかる。

 目を閉じると、風のニュアンスで、黄昏が遠ざかっていくのを感じる。

 屋上のフェンス越しに、カレンがシティ・セスナの淡い夜景を眺めていた。

「遅くなってごめん」

「いいのよ。ここで街の視察してたから」

 今のところ異常はないらしい。

 彼女は白っぽいカーディガンを羽織っていたけれど、中は制服のままだった。

「あそこよ」

 爆破されたショッピングセンターの方角を指している。朧げにしか見えないが、今も途切れることなく煙が上がっていた。今日、あの場所で、何人の命が散ったのだろう。

 現場に行って来たとは言い出せず、冷えたフェンスに額を押し当てた。

「ラギ」

 視線を遣ると、座り込んだカレンが小さく手を動かしている。

「眠いんでしょ? セーラの課題、手伝ってくれてありがとう」

 首が寒かったのか、綺麗に結われていた髪が下りている。真っ直ぐに河口へ向かう、黒い清流のようだ。

 腕を引いてくるので身を委ねると、いつの間にか、彼女の膝に頭を預けて横たわっていた。すでに夢の中を漂っているのかもしれない。あるいは仮死か。

 ほっそりとした輪郭の割に、やさしい感触の脚。マシュマロを食べているせいで、内側がやわらかくなってしまったのだろう。

 目の遣り場に困って、未来永劫履く予定のない華奢な靴を見つめてみた。

「あ、どうしよう。お薬……。どこに行ったのかしら」

 主賓が行方不明という非常事態だ。

 カレンはいろいろなポケットを探していたが、ようやく目的のものを手にしたらしい。

 耳のすぐ側でキャップを外す音がする。

「はい、どうぞ」

 いきなり口の中にスポイトを入れられ、先端から甘い液体が流れ出した。

「これ、元気がない人に飲ませるハーブのシロップなのよ。頂いたんだけど、わたしには必要ないからラギにあげようと思って」

 被験体の特別枠に選ばれたようだ。

「このApに何かあったら、そのときはわたしもラギも……」

 不活性ではいられない。

 手渡された小瓶には、草花の模様を背景に、『healing and refresh』と書かれていた。

 油断しているところに、再びスポイトの侵攻。ソフトな嗜虐に目覚めたカレンは、これを心から楽しみにしていたのだろう。

 どちらかというと指の方が好みだったけれど、それは秘密にしたい。

 不規則に視界の端を横切っていく、静かな青のスカーフ。

「鳥のヒナにあげてるみたい」我慢できなかったのか、カレンが子どものように笑い出した。その振動が脚を通して伝わってくる。けれど仕草はナース風で、とてもやさしかった。「元気に空を飛べるように、かわいいお薬を飲んで、よく眠りましょうね」



 束の間の安息は続かなかった。

 慌ただしく屋上のドアが開け放たれ、駆け込んでくるはな

 ただならぬ様子に緊張が走る。

 反射的に身を起こした。カレンの脚で微睡んでいる場合ではない。

「セーラが……っ」花は相当走ったらしく、肩で息をしていた。彼女もCAの制服から着替えていない。

「どうしたの!?」とカレン。「何かあったの?」

「轢かれたって。ポスト局に行った帰りに」

「えっ。……セーラは? まさか」カレンが震える指で口元を覆う。

 こちらもパニックになりかけていて感情が纏まらない。

「大丈夫。少しケガしてるみたいだけど。……でも、セーラを庇ってくれた人が犠牲になって、そのことで問題が」

 花の話によると、セーラは誰かが呼んだレスQ車に乗せられ、一旦メディカルセンターまで運ばれた。だが、その直後に失踪。セルラも電源が切れていて繋がらないという。衝撃で壊れたのか、本人の意思で遮断したのか。

 事故当時、通訳の制服を着ていたので、ネームプレートを見たレスQ隊員から、セントラルApへ連絡が入ったらしい。

 セーラの行き先が心配だ。胸を痛めて命を絶ったりしていないとよいけれど。

 不意にコール音が鳴り響いた。

 花のセルラだ。

 彼女はすぐさま応答し、切迫した表情で何度か瞬きをした後、「わかったわ」と言って通話を終えた。そしてこちらへ向き直る。

「セーラは見つかった。乗客の方が顔を覚えていて、血だらけでサブウェーの駅にいたところを保護してくださったって……」



 送り届けられたセーラは予想以上に怪我の度合いが酷く、メディカルセンターへ連れて行く案が適切と思われたが、本人が頑なに拒否したため退けられた。

 ターミナル内の簡易クリニックには休診のプレートが掛かっている。頼りにしていたのに残念だ。

 管理部に事情を伝え、スペアキーを預かった。

 現在、フライトメンバー6人で、小さな医療エリアを貸し切っている。

 不安げに眉を寄せ、セーラが痛々しい手の平にハンカチを押しつけた。

「……信号が変わって、向かいに渡ろうとした瞬間、いきなり突き飛ばされたの。……すぐには、何が起きたのか、わからなくて……。顔を上げたら目の前で、知らない男の人が、車輪に巻き込まれたまま引きずられてた。……内側から濃い色の血が溢れ出して、捻れた赤い人形みたいに……」

 セーラは、誰かの命と引き換えに自分が救われたことを受け止めきれないようだ。

「私があんなところに立っていなければ……」

 居住館に到着した頃にはすでに泣いていて、その場に頽れそうなくらい弱り果てていた。

「今さら言っても仕方ないだろ」

 ディオンは床に視線を落として呟いた。

「あなたが言葉で傷つけてどうするのよ。少し考えて」

 花が叱責に近い口調で窘めると、彼は曖昧な返事をして喋らなくなった。

 おそらくディオンは、もう泣くなと励ますつもりだったが、ワードのチョイスを失敗したのだろう。

 セーラを助けて死んだ人は、悲しい事情があって、命を棄てたかったのかもしれない。

 真実を知りたいと思った。

「治療はぼくに任せて」

 ヤスパーは上着を脱いで袖を捲り、備えつけのソープで手を洗い始めた。

 皆に浮かんだ疑問符を感じ取ったのか、彼は水気を拭いながら首を傾げる。

「あれ、ぼくまだ身バレしてなかった?」

「あたし言ってないわよ」花がスマートに応じる。

「なんか照れるね」

 彼は航空科と、医学関係の科を併学していたらしい。けれど、出自と点字の件は、未だベールに包まれている。

「セーラ。変なこと訊くけどさ」とヤスパー。「轢いたのって、黒い車じゃなかった……?」

 彼女は銃口を突きつけられたように目を見開いた。

「何で、知ってるの? 私、誰にも」

 ヤスパーは、先日花と外出した際、不審な事故を目撃したと語った。

「一瞬見えた逃走車に、アルファベットのVみたいなペイントが」

 指先から血の気が引いていく。

 ――V……。

『venom』。


 セーラの事故は偶然なのか。それとも、Apの制服を着ていたという理由で狙われたのか。

 もう黙ってはいられない。

『venom』について打ち明けるときが来た。

 フライトメンバーに敵はいない。直感ではなく確信だ。

 エドガーも賛成してくれるだろう。



                                  Ⅲ-1 end.


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