Ⅰ-3 ミントグリーン
柊は、ネームプレートの上にパイロットの徽章を留める。
朝、所用を終えて部屋へ戻ると、家出少女の雰囲気でカレンが待っていた。
現在、支度を整えながらターミナルへ向かっている。
「ラギが泣いてるんじゃないかと思って、心配で早めに来てみたの」
「少し泣いてたよ」心の中で。
疲れが順調に持ち越されているが、眠れない自分を裁くのはやめようと思った。
夢の中で墜ちた機が、誰にも見せられないくらい悲惨だ。何度確かめても、乗客と死者の数が合わない。死体袋の継ぎ目から黒い血が滲み出し、ひとりも生存していないはずの機内から、うっすらと助けを呼ぶ声が聞こえる。
「あれ、面白かったでしょ? ちょっと鈍くて、ラギ、動物の赤ちゃんみたい」
カレンがこちらに手を伸ばし、襟足の髪を触って遊んでいる。
「つき合ってくれてありがとう。また行きましょう!」
特殊なレーザーガンで敵を仕留める『City War』。
深夜の街中を貸し切り、市民と警察予科生が対立する形で行われている。
カレンは手際もよく、最高に楽しそうだったが、戸惑っている最中に13回も撃たれた身としては、笑顔になれないスリルがあった。
ビルの裏に隠れているとき、彼女が、「誰かのために死ぬのって素敵だと思う?」と訊ねてきたので、今も頭の片隅で答えを探している。
カレンは今日も元気だ。昨日は下ろしていた髪を、頭の後ろで品よく纏めている。
濃紺のタイトなワンピース。衿のついたジャケット。第4Apとスカーフの色柄が違うだけで、制服の型は同じだ。
「特に込み入った挨拶はしなくていいわよ。あなたについてのレポート回しておいたから」
現物らしき用紙を渡されたけれど、迷走神経のブラックアウトが怖くて開けなかった。
連れて行かれたミーティング室は『room 5』。カレンの先導で、審議の扉が解き放たれようとしている。
「ラギ、どうかした? 緊張しすぎて動けないの?」
「そうかも。……でも、紅茶の飲みすぎかも」
寄りかかった壁は厳しく真っ直ぐで、斜めになっているのは自分の方だった。
何だかもう眩暈がして吐きそうだ。
不意に背後から声が掛かった。
「カレン? ……どうしたの、そんなところで」
「あ、ヤスパー!」
振り返ると、貴公子然とした青年が微笑んでいた。上着を着ていないが、パイロットの制服だ。男性にしては少し長めの髪に、やわらかく窓の陽が当たっている。古びた金貨の色に似ていた。
「新しい人だね。ごきげんよう、ラギ」
彼はふと思い出したようにネームプレートをつけた。確かに『Jasper』と書かれている。
あの血痕Tシャツと、穴だらけのデニムを貸してくれた本人だとは信じがたい違和感だ。
「ぼくのことは好きに呼んで」
年上か、それとも年下なのか。目線の高さが同じで気まずい。
「柊です。よろしくお願いします……」
「だめじゃん。堅苦しいよ」彼は口元を綻ばせた。憧れを抱くほどの友好的な笑顔だ。
単位が貰えないと困るので、「よろしく」と言い直してみた。
「ぼくの方こそ。……そうだ。あの服、気に入ってくれたなら君にあげるよ。意外と飽きっぽくて」ヤスパーはアイドルのように片目を瞑った。「だから遠慮しないで」
ミーティングの巣窟には円い会議用テーブルが置かれ、奥にも謎のスペースがある。
人数分のブースに、デスクとベッドらしきものが見えた。
フライトが延期になった場合、出発時刻まで寝ていても構わないという愛情だろう。
第4Apにはなかった設備だ。
あそこでは皆、通路のソファで同じ味のコーヒーを飲みながら、再航のアナウンスを待っていた。
いつかは必ず飛ぶとわかっているのに、指先が熱を失い、自分の存在が薄らいでいくように感じたのはなぜなのか。
あのとき覗いてしまった内側の色が、残像として今も胸に焼きついている。
「ラギ。好きなところに座って。迷ってるならわたしの隣に」
席次は、カレンの右のローラーチェアに決まった。
ヤスパーは円卓の向かいで大きな本を開き、薬指で線を引くように紙をなぞっている。
伏せた睫毛を眺めていると、気配を察したのか、彼が目を開けた。
「これ、点字の本なんだ。……小さい頃にいろいろあってね。普通の文字よりこっちの方が読みやすくて」
自分らしいスタイル、という言葉が映像と重なった。
「計器は一応見てるから心配しないで。たまに空想ワールドでぼんやりしてるけど」
機体と一緒に意識も飛ばしているらしい。
それより彼は幼少期、真っ暗な塔にでも閉じ込められていたのだろうか。多少の興味を刺激されるが、推理は後だ。
「ねえ、花は?」とカレン。
「クッキー焼いてくれるって」ヤスパーはちらりと時計を見た。「もう来ると思うけど」
彼が言い終えるのと同時に扉が開いた。
現れたのは、CA姿の女子がひとり。
カテゴライズはおそらく、ふんわり系で間違いない。
ウェーブで膨らませた淡い色の髪。左耳の上辺りに、スカーフと同じ柄のヘアアクセサリをつけている。
よく見ると花のモチーフだ。名前と合わせたのだろう。
彼女は何かを探すように、立ち止まって室内を見回している。
「あ、新しい人……! ラギ?」
目が合った瞬間、花と思われる人物が笑った。ハチミツ配合の甘い声だ。
立ち上がり、軽く頭を下げた。「ラギです。よろしく」
「こちらこそ。あたしのことは花でいいわよ。ヤスパーのアシストなの。よろしく」
彼女は、バニラの香りがするバスケットをテーブルに置いた。
カレンはスカーフを緩いネクタイ風にアレンジしていたが、花は何も巻かずにポケットチーフを挿している。頭の飾りが目立つので、胸回りがすっきりとしていて軽やかだ。
「おもてなしの心でクッキー焼いてみたんだけど……。よければどうぞ」
花がこちらを見て、小さく首を傾げた。女子濃度が高めな印象とは裏腹に、頭がよく、ガードも固そうだ。
「カレンのレポートに、クッキーだったらたぶん食べるって書いてあったから」
保護された異星人並の扱いだ。
本当はEゼリー以外何も口にしたくなかったけれど、焼きたてのクッキーをいただくことにした。
異星人が嫌がって戻したりしないよう配慮された、ソフトなバニラ風味だ。
「癒される味だね。ありがとう」
早速声が掠れてきている。
クッキーを半分しか飲み下さずに、サイレントへ切り替わることになった。
その不自然さから、舌を噛み切るノスタルジックな自殺に挑んでいると思われたかもしれない。
成功すれば、新メンバーが加入直後に絶命するという虚脱展開だ。物語は盛り上がらないが、ネット界で第二の生を得られるだろう。
――諦めて黙るしかない。紹介するような自己もないし……。
照会されるような事故はあったのに、本当に残念だ。
『old blue-0075』を海に沈めた犯人ですと名乗り出るべきか。
中途半端な懺悔など、誰も聞きたくないだろう。
自分の中に残っているのは、暴かれたくない心理と、不良個所がいくつか。
だから、脆さと弱さを握り隠した手を開けない。
・
まだふたり来ておらず、午後のフライトまで余裕がある。
昼食前に、カレンの誘いで通路に出た。このタイミングでApを案内してくれるという。
「ディオン!」
こちらへ歩いて来る男を見て、彼女が声を上げる。
どうやら残りの片方らしい。彼もパイロットの制服だ。
厚みのある長躯に、近寄りがたいオーラ。
少し年上だろうか。
短い髪を軽く立たせていて、硬派なビジュアルだ。機内戦に持ち込まれたときには、彼のようなパイロットがいてくれると心強い。武器なしでもかなりの数を殺れるだろう。
ディオンと呼ばれた男は、距離が近づくと唇の端を上げ、挨拶なのかよくわからない仕草をした。
「あんたがラギか」
『柊レポート』は既読らしい。
こちらの髪を一瞥して、若干笑ったように見えたのは気のせいか。色がチョコっぽいと書かれていたに違いない。
「よろしくお願いします」
「ディオンだ。余計な気を遣わないでくれ」
畏まらず接してほしいという意味か。ハードルが高すぎる。
間近で見ると体格差が際立ち、一層逞しく感じられた。
自分とヤスパーの長さはほぼ同じで1.81m前後なので、彼はおそらく1.87mくらいだ。
因みにカレンと花は16m程度。本人たちに訊いたわけではないけれど、たぶん合っている。
――あ、1.6か。16って……。
話が済むと、ディオンは『room 5』へ入って行った。
スケジュールを確認したが、セントラルの初フライトは、彼が補佐についてくれることになっている。機内のムードが不安の種だ。失敗したら殴られるかもしれない。
「もうひとりってどんな人?」
事前に心の準備をしておきたくて、カレンに詳細を求めた。
彼女は案内役をやりたかったようで、CAの制服のままツアーガイドになりきっている。
「セーラのこと? 客室乗務じゃなくて通訳よ」
「通訳?」
「5カ国語話せるの。セーラがいてくれると、お客様とのコミュニケートが円滑で助かるわ」
「すごいね」
「あなたのことは伝えたから大丈夫よ。……今日は仕事で呼ばれたみたい。運がよければどこかで会えるかも!」
カレンについて、ひと通りターミナルを巡った。構造自体は第4とさほど変わりない。
平日の午前にしては、なかなかの賑わいだ。
「ラギ。こっちに来て」
『No Admittance(立入禁止)』のドアを僅かに開け、カレンは左右を見回した。
誰もいないことを確認し、静かに扉の向こうへ進む。
「これから上手くやれそう? わたしはみんなのこと大好きだから、あなたも仲間に加わってくれると嬉しい」
彼女の言葉で、打ち寄せていた疑惑が遠のいていくのを感じた。フライトメンバーに敵はいない。そう信じたかったので、フリースに包まれているみたいに安心した。
「静かでいい場所だね」
「そうかしら。ひとりでは来たくないわ。地図を失くして帰れなくなりそう……」
内部は素っ気なく硬質で、壁も床も曇り空の色だ。隅々まで、冷えたコンクリートの匂いが立ち込めている。
セントラルApのシークレット・パッセージ。
緊急時にしか使わない秘密の通路。
ここを通れば、Ap内のほぼすべての場所に辿り着ける。
「たまにゾンビがいるから気をつけて」
カレンは笑いながら、階段をリズミカルに下りていく。
「銃声が響くね」と世界観を合わせてみた。
「武器は……」カレンが壁の前で立ち止まり、他と同じ灰色のタイルを指差した。「ここ、触ってみて」
ウェポンロッカーか。
言われた通りにすると、表面に波型の凹凸があるのがわかった。近くで直に触らなければ判別できない。
「右上にIDをかざすと開くから」
「覚えておくよ」
人を撃つという行為は、正気を棄てる覚悟とイコールだ。たとえ相手が浄化不能の悪だとしても。
よくない兆しを切断するように、アナウンスが流れた。
落ち着いた少女の声。馴染みのない西洋の言葉だ。
カレンはスピーカーを見上げる。
「これ、セーラよ! 会いたい?」
「いや、僕は……」
一緒に来て、と腕を引かれ、ゾンビの群れから逃げるような躍動感で通路を駆け抜けた。
カレンはときおりこちらを振り返り、映画風のシチュエーションを面白がっている。
爽快なセントラルApに『venom』の魔手が及ばないことを願った。
「わたしたち探偵みたいじゃない?」
ガラス張りの放送室を、少し離れた場所から覗いている。
「あの子よ」
鮮やかなブロンドが目を惹く美少女だ。あどけなさが伝わってきて、初等部か中等部の生徒に見えた。何か事情があって、通訳のライセンスを取得したのだろうか。
スピーカーから聞こえた生真面目な声と、本人の姿から、優れた家柄の子女を連想した。
セーラは、白衿のついたワンピースに、同色のボレロ。CAとは異なる制服だ。
彼女は別のスタッフからメモを渡され、再びマイクに向かっている。
「わたしに言いにくいことがあったら、セーラに相談してみて。……あまり距離を縮めて来ないタイプだから、あなたとは合うと思う」
微笑むカレンの瞳から、昨日より親密な仲間意識を感じ取った。
いろいろと考えて、気を遣ってくれたのかもしれない。
「ありがとう。でも、君に話すよ」
・
フライトまでに時間が余りすぎたので、一旦ひとりで自室へ戻った。
初対面のメンバーが快く迎えてくれたことは嬉しかったけれど、心の開き方に自信が持てなかったせいで消耗している。
ランドリーで洗われたようなくったり感だ。
――冷やすやつ貼っちゃおうかな。
額に、熱が出たときのあいつを使ってみた。
カフスとラペルを呼び寄せ、ベッドに横たわる。
セントラルの新しい機体。滑走路。
久しぶりのフライトが楽しみで、いつの間にか、そのことばかりを考えていた。
47,000フィートの青に浸して疲れを癒す。
空を飛ぶために生きていると、自分らしい言葉で綴りたかった。
「そういえば……」と起き上がり、紙袋の中身を確認する。
第4Apから転送されてきた手紙だ。
先刻、悪い夢と決別することを決めた。
今後はもう、血腥い機内で死体を寄せ集める苦しさを味わいたくない。
なので今夜もまた、眠らずに返事を書こうと思う。
メッセージを送ってくれたすべての乗客にありがとうを伝えたい。
何気なく、いくつか手に取って眺めているうちに、不自然なカードを拾い上げた。
宛名は柊。差出人は無記名。不穏な黒封筒に、炎のような色の文字。手書きではなく印刷だ。黒と赤で、炎上した墜落機を表しているのか。
――どうしてこんなものが……。
理由は察しがつく。若輩のくせに、犠牲者なしで不時着をやり遂げたからだ。
中のカードを取り出した瞬間、呼吸が停まり、血の気が引いた。
『 5 + 1 = 0 』
Ⅰ-3 end.




