Ⅵ-4 ローズグレイ
諦めて引き返すしかなさそうだ。
扉の隙間から煙が漏れている。
「だめみたいね」
花は、おおよその火災発生位置と延焼エリアを推測した。
「まずいね。この建物、オーブントースターに変身するかも」
ヤスパーも事態の深刻さは受け止めているはずだが、この意味不明なファニー感をどう評価すべきか。
「花。他を探そう」
彼はちらりと通路を振り返った。
不揃いな靴音がこちらに迫っている。
シークレットパッセージに入れない以上、一刻も早くここから離れるべきだ。
十字路を折れ、4Fの暗がりを駆ける。
「ねえ、花」
追い詰められて開き直ったのか、ヤスパーがまったく集中していない。
「ぼくたちって恋人同士に見えるかな」
「『venom』に直接訊いてみたら? じきに追いつかれるわよ」
非常階段に差しかかった刹那、不意に現れた敵とエンカウントした。
相手は3人だ。突然の遭遇に、一瞬動きが止まった。
「また『venom』か」
帽子の男たちが銃を構えるより早く、ヤスパーがナイフを手にする。
「花、下がって!」
彼は風のような速度で敵の胸を突いた。
ひとりめの死を見届けず、黒光りする刃を首元に滑らせて次のバンダナを仕留める。
吹き上がった鮮血が迫り、靴の先を赤が刷いていく。
部外者のように中途半端な位置で立ち尽くしている自分がもどかしい。やはり火災を怖れず、ウェポンロッカーを目指すべきだった。
血煙の向こうで炸裂する銃声。
ヤスパーは最後の敵と絡み合い、互いに武器を握る手を押さえつけている。
助けたいのに身体が動かない。
パニック寸前で周囲を見回すと、次の踊り場の隅に消火器が置かれているのに気づいた。
ナイスな配置だ。どこが顔かわからないけれど、使ってほしくてこちらを見ている。
残りの段を駆け上がり、イレギュラーな武器を手にした。躊躇わずにピンを抜く。
立ち向かうと決めたのだから、何も怖れてはいけない。
階段を駆け下りている最中、ヤスパーとの攻防でバンダナがずれ落ち、敵の口元が露わになった。
――チャンス!
ホースの先で『venom』の口内を塞ぎ、レバーを強く握る。
帽子の陰で敵の目が見開かれ、徐々に両腕を脱力させながら後ろによろめいた。
消火剤の威力は期待以上だ。唇の端から白い粉が溢れ出している。
前屈みになって息を継いでいたヤスパーが、もう充分だと言いたげに手首をそっと掴んできた。
「終わったみたいね」
仲間を救おうとしただけなのに、何なのだろう。この重苦しい罪の余韻は。
「花。助かったよ……」
不要になった消火器を放す。
「本番初めてだわ。訓練のとき手本に選ばれたのよ。すごいでしょ」
・
非常階段で、敗退した『venom』から銃を奪った。
――ピストルって物騒だわ。毒矢の方がよさそうね。
火災の影響を考慮し、目標地点を『room-5』に設定した。
突然、少し先を走っていたヤスパーが失速する。
その背中に衝突した。
「っ。どうしたのよ」
「誰かいる」
「えっ?」
不審に思いながら覗いてみると、通路の壁と一体化するように何者かが倒れていた。
戦闘式だが、『venom』の装備とは明らかに違う。帽子もバンダナも着けていない。
「ぼくが確かめて来るから、花はここにいて」
頷きながら背後を警戒した。
追跡者予備軍を討伐してきたので、追手の姿はない。逃げ切るためには戦うことを選ばなければならないのか。
ヤスパーは、レスQ隊員のような冷静さで通路の人物に声をかけている。
やがてこちらを見て手招いた。
側へ行くと、カーペットを踏む靴の裏から湿った血の感触が突き上げてくる。
倒れていたのは、これといって特徴のない、自分たちよりいくらか年上の男だった。
「こちらの方、大丈夫なの?」
どう控えめに見積もっても重傷だ。
近くで観察すると、背中に撃たれたらしい痕跡が6つあった。
「酷いわね」
あまりに容赦がなくて怖ろしくなる。
とどめを刺さず、限界まで痛めつけて放置。弄んだにしても惨すぎる。
先刻、非常階段で交戦した『venom』がやったのかもしれない。
「まだ生きてる。このまま置いては行けない」
彼は視線を巡らせ、最寄りの警備室を示した。
「あたしがドアを開けるわ。待ってて」
IDで解錠し、奥のカーテンを開けて月明かりを入れる。
引き返してヤスパーを呼んだ。
「どうぞ。お部屋の準備が整ったわよ。……手伝いましょうか?」
「いや、頑張ってみる」
ヤスパーはほとんど身丈の変わらない長身の男を抱え上げた。
彼らが入室したのとすれ違いに、ドアから顔を出して追尾を確認する。
通路は無人。今はまだ気づかれていないようだ。
ヤスパーが壁際のソファに怪我人を横たえる。
持っていたハンカチを濡らし、男の額に載せてみた。
彼はほんの僅かに目蓋を上下させ、譫言のように呟いている。
「わたくしで宜しければ伺います」
途切れがちな声に耳を傾けた。
「……ろし、……れ……」
殺してくれ、と聞こえた。
ヤスパーに伝えるべきか迷う。
何も教えてくれないけれど、彼は事態の厳しさに抗って、この重傷者を救おうとしているのか。
改めて観察すると、男の胸ポケットから身分証らしきものが覗いていた。
臨時ドクターをコールし、失礼にならないよう、本人に断ってから開いてみる。
機動隊のライセンスだ。
「警察の方なの……?」
「そうみたいだね」
おそらく、最初の騒動が起こった直後、Ap内に送り込まれた部隊だ。
他の者たちはどうなったのだろう。
こうしている間にも、男が虚ろな声で死を求める。
ヤスパーも険しい表情をしていた。
助けの来ない状況下で、彼は何かを決断しようと努力している。
間もなくヤスパーは、室内に置かれた救急セットを開き、中のアイテムを調べ始めた。
手際はよいが、イメージしてみると、古い金貨っぽい彼の髪と白衣のホワイトが致命的に合わない。
「薬が必要?」
ヤスパーは頷く。何を決めたのか、聞かなくてもわかる。
「あたしが取って来るからこれに書いて」
ペンを添え、手帳の白いページを差し出す。
「だめだ、花。ぼくが」
「ここ、Apクリニックの真上よ。少し進んで階段下りるだけじゃない」
「東ルートで向かうなら歯科の方が近い。君は看護を頼むよ。薬はぼくに任せて」
「困るわ。あたし何もできないもの」
機動隊員の生死より、今の精神状態でヤスパーの帰りを待つことが最高に無理だ。
「花」
「時間がないわ。わかるように書いて。無事に戻ると約束するから」
シックなデンタルクリニックに侵入し、薬と注射器を持ち帰った。
薬品棚のガラスを割った際、破片で指を切ったけれど、休まらずに胸を打ち続ける鼓動の方が痛い。
約束通り警備室に帰還した。
ヤスパーはパイロット姿のまま怪我人の傍らに屈み、元医学生の役目を果たそうとしている。
「取って来たわよ。合ってるか確認して」
戦利品をテーブルに並べる。
「ありがとう。……大丈夫だった?」
「平気よ。多少のスリルは感じたけど」
薬瓶のラベルを確かめ、彼は機動隊員の元へ歩いていく。
その後ろ姿に悲しい覚悟を見た。
ヤスパーは慣れた手つきで薬液を吸い上げ、注射針を男の腕に刺す。
やがてすぐに、苦痛に呻く息遣いが静かになり、何も聴こえなくなった。
身体に浸みる静寂。
深く頭を下げ、ヤスパーが彼の手を胸の上で組み揃えた。
「セントラルApのために力を尽くしてくださって、ありがとうございます……」
空になった薬瓶が透き通っていて美しい。
供えるものが何もないので、髪につけていたフラワーモチーフの飾りピンを男の隣に置く。
ヤスパーは涙を出さずに泣いているようだった。
――これが辛くて医学の道に進めなかったのね……。
救命不可能と知っていたのに、瀕死の怪我人を見捨てることができなかった彼の弱さとやさしさを、夜の闇の中で抱き締めたいと思った。
・
複雑な想いを呑み込みながら、警備室を後にする。
「花。ごめん」
ヤスパーは呼吸を整えるように何度か咳き込んだ。
「いいのよ。……あの人もきっと、痛みから解放されて楽になれたと思うの。だから、あたしは」
結末が報われなかったとしても、正しい判断に手を貸したと、自分の歴史に刻みつける。
「あなたは間違ってない」
「ぼくは間違ってるよ」
移動中、指の切り傷を眺めて、感情を立て直す方法を模索した。
「手、どうしたの」とヤスパー。
止まるよう促され、通路の端で向かい合う。
「薬品棚のガラスを割ったとき少し切ったの。大したことないわ」
彼の長い指に捕まり、深くも浅くもない傷口を見つめられた。
身動きがとれないので、退屈なネクタイや退屈なネームプレートを間近から眺める。
刹那、不意に過ぎる曖昧な違和感。
もう一度同じように視線をずらしていく。
すぐに不自然の正体を突き止めた。
制服の左胸に留めたパイロット用の徽章。
象られた翼の片方が消えている。
「大変。バッジ、壊れてるわよ」
ヤスパーは微弱なショックを受けたらしく、焦った顔をしている。
「どうしよう。再交付して貰えるかな」
彼は空いた手で上着の襟を摘まみ、軽く持ち上げた。
「きゃッ、ヤスパー……!」
隙間から見えたシャツの胸元が血の色に染まっている。
黒い穴のせいだ。
そこから止め処なく鮮血が吐き出されている。
「非常階段で撃たれたのね……」
予期せぬ銃創にすべての希望を断たれた。
「あたしの小指で塞げそうだわ」
「いいよ。挿れてみて。……ぼくの胸の裡に触れてほしいんだ。言葉よりもっと伝わると思う」
彼は若干辛そうに眉の辺りを強張らせ、ウェルカムな微笑みを浮かべている。
当人は平気だと主張しているが、胸を撃たれて無事なはずがない。
ジャケットの背部に通り抜けた跡がないということは、銃弾は今もヤスパーの中だ。
「ここから上へ向かって『room-5』に行きましょう。……あたし、メディカルセンターにあなたを引き渡すまでスナイパーになるわ。お客さまも見当たらないし、CAはしばらく休職よ」
彼が遠慮がちに口を開いた。
「セントラル記念メディカルセンターだけは遠慮したい……。父に会いたくないんだ」
最後のウインクで本気度を察した。
不安に塗り潰されないよう、こちらも唇の端を上げて応じる。
「『venom』じゃないなら安心してお任せできるわ。あなたのこと、人気のパイロットだって伝えてあげる」
・
辿り着いた『room-5』。
ヤスパーは花の背に片腕を回し、慰めるように髪を撫でた。
窓に映ったふたりはまるで、聖地への移住を諦めて脇道に逸れた恋人たちみたいだ。
「目を、閉じるべきだったわ……」
顔を上げないので定かではないが、彼女は肩を震わせ、静かに泣いているようだった。
先刻、曲がり角で遭遇した『venom』を、至近距離から花が撃った。
「……何も考えていなかったの。あんなことになるなんて」
敵の頭が半分だけ吹き飛び、眉と額が白い壁に貼りついて血を流していた。
「ぼくが撃つべきだった」
「そういう意味じゃないの。驚いただけよ」
こちらの右胸に額を押し当て、花はぼんやりと円い銃創を眺めている。
「ヤスパー。急に黙ったりしないで」
「大丈夫。生きてるよ」
動いたことで流血が増したのか、眩暈のような揺れに支配されつつある。
――『venom』に撃たれてたなんて。笑えるね。
感情の赴くまま、花の白い身体を引き寄せた。
「穴のところ、ばい菌が入るとよくないわ。……あたしがガーゼを貼ってあげる。今夜は特別に形が選べるけど、ハートと星、どっちがいい?」
彼女が身体を離したので、指でハートを作った。
「OK。準備するから死なないで待ってて」
ファストエイドの後、花が室内でトランシーヴを見つけた。
この最悪を基準にした周到さは、絶対にセーラだ。
連絡が取れず、彼女もディオンも行方がわからない。あのふたりはどこにいるのだろう。
やがて、発信した無線に応答があった。
『こちらカレン。……花?』
「無事だったのね! よかった!」
喜びを交わし、性急に互いの現在地を教え合っている。
よく燃える何かを撒かれたのか、西側の4Fまでが白煙に覆われているらしい。行動範囲が急速に狭まっていく。経路を誤らないよう、注意を払って進まなければ。
『そちらは?』
花が何か言う前に告白する。「ごめん。撃たれた」
短い沈黙で、カレンが口元を覆い、動揺している様子が浮かんだ。
『ヤスパー、お願い。しっかりして……。きっと大丈夫よ。わたし、ラギに代わるわ』
すぐに柊が応答する。
彼は無駄な話をせず、素早く本題に切り込んだ。
『ゲート04から「venom」を排除して飛ぼうと思う』
決意の滲む声だ。
危険レベルが計測不能だが、賛同するしかない。柊もリスクを天秤に掛けたはずだ。
「避難アナウンスの直後に整備エリアのシャッターが下りた。しばらく内部にいたけど異変はなかった。機体はおそらく何もされてない。……Apジャックのフィナーレに飛ばすつもりなのかな。見過ごせないね」
ふと袖を引かれる。伝えたいことがあるようなので花にチェンジした。
「ラギ。ヘルプのCAと副操縦士はたぶん、占拠の前に避難したわ。ゲート04の人質の中にはいなかった」
『そのときの様子は』
「人質にされた乗客は3カ所に分かれて座ってただけよ。あたしが知ってる限り、誰も危害は加えられてなかった。……見張りの『venom』は4人。何度か応援を求める通信が聞こえてきたから、おそらく敵の数はそう多くないわ」
『貴重な情報をありがとう』
「乗客は君に任せるよ」
柊という仲間が、あの緊急着水をやり遂げたパイロットであることを思い出した。
彼になら希望を持って託せる。
咳き込むと酸素が足りなくなって、視界が黒いノイズで埋め尽くされた。
機へ戻ってもフライトは無理だ。
花が貼ってくれたガーゼにも、生々しい命の液が浸みているだろう。
『ヤスパー。花。僕の友人に、ふたりの救助を頼んでみる。生きてまた会いたい。……折り返すから通信を切らないで』
・
『room-5』を出て階下へ向かう。
ヤスパーは銃を握り直し、首の汗を拭った。
今後はゲート04に駆けつける『venom』をひとりでも減らすべきだ。
柊のプランにすべてを懸ける。人質さえ空に逃がせば、待機している全部隊が突入できるだろう。この夜を敵の勝利で終わらせるわけにはいかない。
「本当にいいのかしら」
礼を言って辞退したが、柊の旧友が脱出に手を貸してくれるという。
カレンが花にルートを説明し、その先で落ち合うよう指示があった。
存在すら知らなかった裏手の扉だが、花は位置を正確に記憶しているらしい。
柊の乗って来た車が、ポリスか『venom』にレッカーされていた場合、歩いて市街地へ戻るのは距離的に無理だ。追われれば確実に殺される。
――だけど……。
助けに来てくれるのは有り難いが、その人物を危険に晒すことになる。
花を救い出してほしくて頷いてしまったけれど、彼女を柊たちと合流させ、救助は断るべきだったか。
考えているうちに1Fへ到着した。
「っ! ヤスパー!」
花が悲鳴のような声を上げる。
しっかりと前を向いて走っていたはずが、気がつくと床に膝を着き、側面の壁に凭れかかっていた。
血を流し過ぎたようだ。
「そこに長椅子があるから少し休みましょう」
通路脇のスペースにジュースマシンが置かれ、ささやかな休憩場所になっていた。
今日の花は最高にやさしい。
――ぼくが死にかけてるから可哀想って思ってくれたのかな。
促されるまま彼女の脚に頭を載せ、長椅子に横たわった。
天井が低く迫り、滲みながら遠のいていく。
額の斜め上で、銃を整える物騒な音が聴こえた。
スナイパーではなく、花にはいつまでもCAでいてほしかった。
うっかり忘れかけていたけれど、彼女に頼まなければならないことがある。
無気力な腕を遣り、ポケットからくたびれた封筒を取り出した。
「花。これを、宛名の人物に……」
彼女は血のついた手紙を不審物扱いしているようだ。
表には小さな点の突起だけで、文字を書いていない。
「ノエル、で合ってるわよね? 誰かしら」
「学生時代のルームメイト」
「男子? 女子?」
「男だよ。異性と同室だったらいろいろ問題あるよね」
身体が辛くて上手く笑えない。銃弾にスマイルを奪われた。
初等部から高等部まで、彼と同室だったことを花に教える。
ノエルの話をするのは、きっとこれが最初で最後だ。
「点字は彼から習った。……長期休暇はよく一緒に帰省してたんだ。ノエルの家はご両親が音楽家で不在がちだったから……。父は、聡明で聞き上手なノエルを気に入ってた。ぼくのことは嫌いみたいだけど」
花の指が前髪の隙間に触れた。
「でも、小さい頃、あなたも可愛かったんでしょうね。写真が見たいわ」
「いつか、……今度ね」
何かが込み上げてきて、穴の開いた胸が、泣くのを我慢しているようにひっそりと震える。
「別の大学に進んだ後も、ノエルはぼくが医者になるのを心から応援してくれた。でも……」
航空科と併学し、いつも空を眺めていた。
秘密を抱え始めたのはその頃からか。
「一応受かったのに、ドクターのライセンスを受け取りに行かなかったんだ」
ノエルは本人の細胞から創った新しい目を試すために入院していた。
彼には会いに行っていない。
自分の進もうとしている道が後ろめたくて、見舞いに行くことができなかった。
それと同時に、ノエルに心情を打ち明ければ、彼の口から父に伝わるだろうと不安を抱いていたのを憶えている。
発行期限の当日、セルラに来た連絡を無視して、延々と街の中を歩き続けた。
ノエルがオペの予定を振り切り、深夜まで自分を探してくれていたこと、そして、バイクに接触して酷い怪我を負ったことを、明け方になってから人伝に知った。
「ぼくのせいなんだ。謝っても許しては貰えないと思う。彼が時間をかけて、ぼくと父の仲を取り持とうと努力してくれてたのも気づいてた。……だけど、身勝手な自分を突き放されるのが怖くて手紙を送れなかった。初等部に入学してからずっと、家族より長く一緒にいたのに……」
訪ねて行く約束を反故にしなければ、ノエルは今も無二の友人でいてくれただろう。
後悔しかない。結局、誰の期待にも応えられず、最低な裏切り方をして大切なものを失った。
恨まれていても構わない。叶うならいつか、自分のフライト機に彼を招待したかった。
きっと、永遠に夢のまま終わるだろう。
「何も話してくれないあなたに対して最初は怒ってたかもしれないけど、ノエルさんはたぶん、ヤスパーを心の底から嫌いにはなれない。思い出を簡単には捨てられないでしょ」
記憶に触れると懐かしくて、息が詰まるほど切なくなる。その苦しさこそが罰だ。
ノエルに、自分の言葉で真実を告げるべきだった。彼は何も見えていない穏やかな瞳で、心の奥深くに隠していた灰色の痛みを受け止めてくれたはずだ。
――そんなこと、最初からわかってたのに、どうしてぼくは……。
花は静かな手で、角の傷んだ封筒をこちらのポケットに挿し戻した。
「あたしは、過去を同じ濃度で悔やみ続けてるあなたを、悪だとは思わない」
声と重なり、通路の奥からうっすらと聴こえる靴音は幻だろうか。
少しずつ、けれど確実に意識がゼロに向かう。
「ぼくが間違ってたよ」
あたたかい指が頬に触れ、深く刺さり込んでいた杭が砂のように崩れていくのを感じた。
やはり、今日の花はやさしすぎる。
何かよくないことが起こりそうだ。
「ヤスパー。あなたの生き方は間違ってない。……傷つくのが怖いのはあたしも同じよ」
Ⅵ-4 end.




