Ⅵ-1 ビスタ
「ラギ、待って!」
乗客を見送ってすぐに、第1Apのターミナルから、外へ続くドアを探す。
駆け出した瞬間、呼び止められた。
カレンもCAの制服のままだ。少し距離を空け、険しい面持ちでこちらを見ている。
着陸後、こちらのスタッフから手紙を渡された。
宛名は柊となっており、封筒にはカードが1枚入っていた。
『あなたのフライトに憧れています。今夜お暇ですか?』。
赤いインクでタイプされた、女子っぽく丸い文字。
見かけはただのレターだ。
右下に、Vの切り込みがなければ。
――もちろん暇ですよ。
スケジュールはフリーだ。誘いを断る理由はない。
「カレン。僕はひとりで行く。何かあったら連絡するから」
手紙のことは明かさず、前へ向き直る。
日常からの切り替えは済んだ。
一刻も早くセントラルApへ戻りたい。
現在までにかき集めた情報によると、人質として拘束されているのは、搭乗間際の乗客とCA、パイロット。
場所は出発ゲート04のウェイティングルーム。
ターミナルの一角で、1機分の人間がジャックされたことになる。
昼間ロビーで顔を合わせた際、ディオンは夕方着の便が最終だと言っていた。
なので、おそらくゲート04の人質にはされていない。彼が無事なら、セーラを助けに行っただろう。
心配なのはヤスパーと花だ。フライトの出発予定時刻が、セントラルAp占拠の報せと奇妙に一致する。
――わざと僕の仲間を狙ったのか……。
挑発されている。曖昧ではなく、確かにそう感じた。
嵐の空と同じ色が込み上げてきて、焦りと不安に引き裂かれそうだ。
敵はゲート04で、燃料を積んだ機をキープしている。離陸させ、気まぐれに墜とすつもりなのか。
皆を助けに行かなければ。『venom』からの指名があってもなくても、死地への操縦は引き受けようと思った。
奴らはきっと、それを望んでいる。
「わたしも連れて行って」
「……カレン」
すんなりと聞いてくれそうにないムードだ。
彼女は眉を寄せ、うっすらと涙を浮かべている。
「君はここで待っ」
「酷い、どうしてわたしを置いて行こうって思えるの?」
「それは」
だめだ。衝突してはいけない。
「わたしたち、仲間じゃないの?」
場を収められない苦しさで、脆い箇所が内側から切り崩されていく。
強い口調でカレンの望みを遮ることができない。
目の前で泣かれたり、他人みたいに冷たく避けられたりするのを怖れているせいだ。
臆病な自分が嫌になる。最初から大嫌いだった。
「……ラギ?」
押し黙っているのを不自然に感じたのか、カレンが遠慮がちに近づいてくる。
「わたしが言うことを聞かないから困ってるのね」
何もかも見透かされている。嘘の理由を探す必要はなくなった。
「大丈夫?」
労わるように腕に触れてきた彼女の手があまりに人間らしくて、やり場のない葛藤が痛い。
最初から、触れ合ってはいけない存在だった。悲しみと寂しさが浮き彫りになって辛くなるだけだ。
「ごめん、上手く言えなくて」
ここで別れたら、彼女とは最後だ。けれど、見えない何かに引き留められて、さよならを言う覚悟が揺らいでいる。
「とりあえず、ラギの思ってることを話して。少しだけでも」
行き詰まるとすぐに彼女のターンだ。もう、従うしかない。初めからそうなる運命だ。
退路を断たれた潔さで、今なら素直になれる気がした。
「……僕は」
スカーフの冴えた青が、カレンの胸元で微かに揺れている。
「君に死んでほしくないんだ。それだけだよ」
・
ライトを点けずに進んで正解だった。
「通行止めだ」
地上路からの侵入を計画したが、予測は的中。セントラルApへ続くトンネルが封鎖されている。
だが、このタイミングで車を受け取れたのは幸いだった。
先日の浸水で修理に出していたものを、急いで第1Apに乗りつけて貰った。
「何か方法はないかしら」
交通量が疎らなせいか、見張りの警備員はひとりだ。
おそらくまだ、こちらの存在は気づかれていない。
慌てないよう自己牽制し、藍色に染まりつつある周囲を見回した。
右は素朴な崖。
左は路に添う形で、ガードレールの向こうに細く川が流れている。
とにかく警備員の注意を逸らさなければ。
不意に閃きが起こった。
「自信はないんだけど……」思いついた策をカレンに伝える。
「承知いたしました」
彼女はきらりと瞳に月明かりを映し、脱いだトレンチコートを手渡してくる。先刻、車の到着を待つ僅かな隙に、ターミナルの店で調達したものだ。
「寒いのにごめん」
「いいのよ。どうぞ」
体温で少しあたたかくなったそれを、川べりに向けてふわりと落とす。
奇跡的に望ましいシルエットで着地した。
夜の力添えで、人が倒れているように見える。自殺未遂感も申し分ない。
車内に戻ると、彼女はスカーフを外し、髪を下ろしていた。CAとは悟られにくい雰囲気だ。
ライトを点けて走り、警備員の近くでブレーキを踏む。
打ち合わせ通りにカレンが降りた。
「すみませんっ。ガードレールを乗り越えて人が飛び降りました。何度呼びかけても返事がなくて……。お願いします、助けてあげてください!」
迫真の演技だ。
刹那、計ったようなタイミングでセルラが震えた。表示を見て、反射的に受話ボタンを押す。
「ED?」
『ラギ、無事か。今どこにいる』
「セントラルに戻る途中。僕にも参加してほしいみたいだから」
『やめろ。突入した少数部隊と通信が途絶えた。後のことは警察に任せてくれ。人質の救出に全力を尽くす』
「でも、」
『おまえが行く必要はない。絶対に戻るな。……おい、返事をしろ! ラギ!』
招待状を受け取ってしまったので、今回ばかりは従えない。
声を出そうとすると、大切なものを失う前触れのような軋みを感じた。
「ED、ごめん。ありがとう……」
セルラを閉じて顔を上げると、狼狽えた様子の警備員が、無線でレスQを手配している最中だった。
「あそこです!」と曲がり角の辺りを指差すカレン。「わたしたちは、救助に役立てられそうなものがないか車内を探してみます!」
頷き、駆け出した警備員の後ろ姿を見送って、そっと胸を撫で下ろす。
彼女は通行を塞いでいたコーンを脇によけ、助手席へ戻って来た。
「急ぎましょう」
この直線道路を走りきれば、セントラルApのホームに入れる。
・
侵入は成功した。
状況は最悪だが、拠点に帰り着いたことで少し安堵してもいる。
初めて見る、業者用搬入フロアからの入館。
「最初の頃、花とよく探検してたの」
カレンはセントラルApの構造に驚くほど詳しかった。
本来、まだ明るく賑わっているはずの館内は薄暗く、不吉な帳に覆われている。
頼りなく足元を照らす、『exit』の案内プレート。儚げな夜間照明。
通って来た経路に、交戦の痕跡はなかった。奇妙な静けさだ。
人質を殺すと警告され、ポリスも特殊部隊も突入を躊躇っているのだろう。
エドガーの言っていた、行方の知れない警察チームはどこへ消えたのか。
「ラギ。何があっても、パイロットの役目を捨てたりしないと約束して」
ウェポンロッカーへ向かう途中、カレンが不安げな視線でこちらを一瞥する。
返事を期待していない気配を感じ取って、そのまま黙っていた。
硬質なシークレットパッセージに響く靴音。
ここへ避難した者はいないのか、自分たちの仲間だけでなく、他の職員の姿もなかった。
壁に溶け込んだ武器庫を前にして、初めて会った日の遣り取りを思い出す。
――カレンを連れて来てよかったのかな。
彼女が死ななければ、の話だけれど。
今になって、第1Apでの言動を省みている。逆の立場だったら彼女は、自分を連れてこの場所へ戻ったはずだ。
――僕が間違ってた。
償いとして、仲間を失わないよう、できるだけのことをしたいと思う。
ウェポンロッカーを開けてみたが、中身を持ち出した形跡はなかった。
ハンドガンと弾薬の箱、戦闘用ナイフは人数分。それに加えて、救急セットと通信用の小型トランシーヴが3つ入っている。
隣でカレンが手帳を開く。
ペンを走らせ、破り取った紙を、箱の隙間に挿し込んだ。
『ラギ カレン 18:03』と書かれている。
誰かが扉を開けたら、このメモに気がつくだろう。
無音の圧力に急かされて銃を手に取った。狙いをつけ、トリガーを引くだけで、人の命を簡単に奪うことができる冷酷なブラック。
見ると、すぐに敵を撃てるよう、正しく弾が装填されていた。
「これ、ラギが持っていて」
手渡されたトランシーヴは、墜落予定機に搭乗するかもしれない自分ではなく、カレンが持つべきだと思ったが、受け取ってポケットに入れた。
「あと、これも」
いつの間に書いたのか、小さな紙片を握らされる。
『自分を撃ってはいけません。自己犠牲もやめましょう。みんなの心に悲しい傷を残します』。
抑止効果の高い文だ。
性格的な傾向も見抜かれている。
――だけど。
真っ直ぐな言葉で繋ぎ止められても、進まなければならないときがある。そのことを、これから先、思い知るのだろう。
反応を期待しているのか、カレンが透視っぽい視線を向けてくる。
胸中を奥深くまで覗かれているらしい。何を読み取られているのか心配になる。
「僕は生贄になるために生まれてきたのかな」
憂鬱な台詞をサービスしてみた。
「だからお手紙書いたのよ」カレンは表情レパートリー上位の含みありげな笑顔だ。
礼を言い、愛のある警告文をIDに重ねた。
そして、今はまだ潔白な手元を見つめる。
「現実で人を殺したことがないんだ」
夢の中では1000人以上死なせてしまったけれど。
彼女は感情を抑え込むように、苦しげな余韻を残して目を伏せた。
「わたしも……。今夜が初めてだわ」
・
ヤスパーと花の無事を確かめるには、出発ロビーのゲート04に接近するしかない。しかしそちらは現在、敵の占有コートだ。
セルラへの応答を待ち続けているが、ディオンとセーラも依然、音信が途絶えている。
ふたりとも連絡が取れないのは不自然だ。無事なら返事が来るだろう。
どこかで合流できればと思うが、フライト仲間だという理由で、ゲート04の支配エリアに引きずり込まれたケースも考えられる。
――そうだとしたら僕のせいだ……。
敵の目的は当然、シティの壊滅だろう。
だが、ただ何となくという気まぐれで、セントラルApを破壊されるわけにはいかない。
自分ひとりの駆け引きで上手くいくとは思えないけれど、試す価値はある。
パイロットとしての知識と経験だけが頼りだ。
何度脅され、何を命じられても、墜落は許さない。
・
シークレットパッセージを離れて、ターミナル最端の非常階段を下りていく。
3Fへ差しかかったと同時に、異変を感じて足を止めた。
通路の低い位置に、各階同じく点いているはずの夜間照明が、このエリアのみ消えている。
カレンを待たせ、階段とフロアの接続部から覗いてみた。
不能になった照明は、カバーが割れている。酷くダメージを受けたらしい。
携帯していたペンライトを灯し、明かりの輪を通路の奥へ滑らせていく。
「……っ!?」
鋭く息を呑んだ。
寄り添うようにして、壁際に人が倒れている。
――4人。……いや。
5人。すべて大人の男だ。
あまりに惨い殺しの手口。
『venom』だけが愉しんでいる、虐殺という遊びの跡。
近づかなくてもわかる。皆、完璧に死んでいる。
追い詰められて、真正面から撃たれたのか。
鎌のような凶器で斬りつけられている者もいる。
服装と装備から考えて、突入した少数部隊と見て間違いないだろう。
彼らは館内に潜伏し、人質を助け出す目的でここへ来たはずだが、警察だとばれて殺されたようだ。
――酷すぎる……。
咲き乱れるように散った血痕が夥しく、次第に意識が遠のいていく。
「ラギ、どうかしたの?」背後から、カレンが小さな声で訊ねてきた。
彼女に見せてはいけない。
それとも、この有様を伝えて、引き返すよう促すべきか。
反応が遅れたせいで、どちらの選択肢も失った。
傍らから顔を覗かせたカレンが、通路の奥を見つめ、声にならない悲鳴を上げる。
縋るように寄りかかってくる身体を抱き留めた。
「なぜ、こんなことに……」
彼女はこちらの肩に額を預け、微かに震えながら俯いている。
「早く、助けに行かないと、あんなふうにみんな、殺されるわ……」
「僕が行ってくるよ。任せて」
「やさしいのね。……怖がりなのに、いつもわたしに」
「出口まで送るから、僕の車に乗ってここから離れるんだ」
腕の中で、カレンが強くなろうと努力しているのがわかった。
「だめよ。一緒に行くって決めたもの。わたしも戦うわ」
味方の救出に目標を定めた場合、『City War』の活躍を加味すれば、彼女は戦力として不可欠な存在だ。
しかし、すぐ側でカレンが撃たれる未来を想像し、最も遠ざけたい恐怖が差し迫って来る。
・
目的地であるゲート04へ近づくにつれ、不穏な気配を肌で感じるようになった。
現在、対岸にあたるエリアの3F西側から、吹き抜けを挟んであちらの動向を窺っている。
かなり距離があるので、みだりに発砲したりしなければ、敵に見つかる危険性は低いだろう。
ゲート前の通路を横切る、武装したシルエット。
皆、『V』と白くペイントされた帽子とバンダナで顔を隠している。
あれは見張りなのか。ゆっくりと通路を歩き、それらしい動きをしているけれど。
ターミナル2Fにある出発ゲートの奥は、広い待合室のような造りになっている。搭乗前の乗客が利用するための空間だ。そこから直接、機内へ移動できる。
事前に乗り込んで出発前の点検をしていたはずのヤスパーも、コクピットから出されただろう。
今のところ、乗客や乗員が犠牲になったという報せはない。
まだ猶予はあると、何度も失神寸前の自分に言い聞かせた。
――だけど、どうしよう……。
ゲートを通らなければ、中の様子がわからない。
勝算は低いが、もっと接近してチャンスを待つべきか。
逡巡の中、「あ」と思わず声が漏れる。
ひとつだけあった。敵に気づかれることなく、人質の無事を確認する方法が。
どうしたの、と少し冷静さを取り戻したカレンが無言で問いかけてくる。
「セキュリティカメラ、まだ動いてるかな」
彼女も伝えたいことを察してくれたようだ。
「ラギ、ナイスだわ。映像記録室へ行ってみましょう!」
Ⅵ-1 end.




