Ⅰ-1 オールドブルー
不時着の事故から7日が経った。
管制との通信は途絶。
鳴り止まないアラート。
乗客の悲鳴。
衝撃。
そして、青い海に浮かぶ機体。
救助を待っている間、やがて沈む『old blue - 0075』に別れを告げ、翼の上で潮風に吹かれていた。
今もあの、胸の底に響き続ける波の感傷が消えない。
・
柊は新たな封筒を開き、中の手紙を読んだ。
子どもの字で、乗客を救ってくれてありがとうと書かれている。
用意しておいた第4Apのポストカードに、こちらこそありがとうと綴ってサインを入れた。
お守りと思われる謎のメダイも送られてきて、結構な数が集まっている。そのうちメダイコレクターの異名を授かりそうだ。
次の手紙は、自分もパイロットになって緊急着水を成功させたいという少年からだった。
操縦していた当人なので気恥ずかしいが、これと似た内容がいくつか届いている。
不時着機に乗り合わせたことで、非日常のスリルに目覚めてしまったのだろう。彼らの未来が心配だ。
――言えない立場だけど、僕は少し怖かったよ。197人も殺しかけたから。
乗客乗員に死傷者は出ていない。
――なのに……。
眠りに就いた途端、機体が吹き飛ぶ夢ばかり見るのはなぜか。
状況も、惨さの度合いも様々だが、あちらが現実のようだ。
意識を取り戻した後も残像を振り払えない。
休みたくて目を閉じるたび、架空の事故記録が増えていく。
二度めのアクシデントに備えろという警告なのか。
何かあるなら先に教えてほしいと思った。
あの夜から、怖くてまともに寝ることができない。
場所を変えても、毛布を増やしてもだめだった。
けれど、このことは秘密にしなければ。
精神薄弱なパイロットから、ライセンスを取り上げるのは容易い。
弱味を握られるとまずいので、誰にも助けを請うことができない。孤立確定だ。
「失神したりしないように頑張ろう……」
頭がふたつある奇形の猫、カフスとラペルを膝に乗せ、ぬるい紅茶を口に運ぶ。
外へ目を遣ると、シティを覆うように、夜明け前の紺碧が広がっていた。
労りの休暇も今夜で終わりかと思うと、少し寂しくなる。
――しばらく外の空気吸ってないな。知らないうちに酸素薄くなってたりして。
食料調達は諦め、ストックしていたEゼリー5つで生命を維持した。
予定通り、引っ越しの準備は万全だ。
明日の朝、この第4Apに程近い部屋を離れて、セントラルApへ移る。
断る理由が特にないので、時期外れの転属を引き受けることにした。
不時着の事故も含め、こうなる運命と決まっていたような気もする。
――だけど、これでよかったのかな。
意思や希望を捨て去って、流されるような生き方をしてはいけない。
わかっているはずなのに、この瞬間も、誰かが明かりを灯した誘導路に引き寄せられている。
ふと窓辺に立つと、硝子に映った自分が想像以上に悩ましげで、何だか可笑しくなる。
きっと、密かに緊張しているのだろう。セントラルApの空気に溶け込めるか不安だ。
『ふわっとした、白い、……雲? みたいなものが覆い被さってて無理。透視できない』と占い師に突き放された傷が深く、半開きのまま癒えていない。
いろいろな人間を観察している者から、どう見えるのかが知りたかった。
摩擦や衝突を怖れて口を噤み、人の顔色を窺わずにはいられない、不染色な自分が。
――もし、馴染めなくてisolation化したら星になろう。
機体のトラブルより、人間関係のもつれの方が脅威だ。
しかし現時点では、苦手な自己紹介を回避したくて気分が落ち着かない。
――あの機のパイロットだってばれたら、挨拶代わりに着水のこと訊かれるよね……。登録名、棺に変えとけばよかった。
外見についてはおそらくまた、同じ部分でからかわれる予感がした。
曖昧なブラウンの髪は、『無駄にチョコっぽい』。右の虹彩にある黒い点は、瞳孔補佐のようで頼りにしているのだけれど、『行き場を失くしたホクロっぽい』。
この髪と瞳の色のせいで、金髪碧眼、黒髪黒眼の両親から取り違え疑惑をかけられ、酷く距離を置かれていた。やさしい言葉も、励まされた記憶もない。
けれど今は、仲間の乗員や、乗客との触れ合いから、愛情に似た何かを得られている実感があった。
もう、以前の孤独な世界には引き返せない。
だから、機体に仕組まれた悪意に気づいていたとしても、自分らしくリベラルなフライトを楽しむ。
『old blue - 0075』が狙われた理由は明らかになっていないが、離陸直前の奇妙な遣り取りが疑惑を深める糸口となった。
――確証がないから黙ってるけど。
機体とともに墜ちて死ぬはずだったパイロットが生存してしまったため、あちらは焦り、反社会的な動きが露見する前に身を隠したのだろう。
同僚の裏切りではなく、Ap内にまで危険因子が潜んでいたことに戦慄した。
――この先、誰を信じればいい……?
とにかく、シティの秩序を弄んで嗤う『venom』に屈するわけにはいかない。
戦う覚悟はできている。Apに所属しているスタッフは皆、保安員と兼業だ。
けれど敵も、そう簡単に同じ手口は使わないだろう。今回の機体トラブルで、監視システムが強化されたはずだ。
次にまた、セスナのApがターゲットにされる前に、たとえ少数でも仲間を得て、抗戦の策を見つけられたらと思った。
機体と滑走路を、奴らの手に渡したくない。
・
テーブルに戻り、最後の手紙に返事を書いた。
部屋に白く陽が射し、すでに朝から逃れられない時刻まで追い詰められている。もう、降参するしかなさそうだ。
文末の『大切にしているものは?』の問いには、『搭乗してくれた人たちの信頼』と答えた。ここで変に素の自分を押し出して、『ひとりで過ごせる静かな時間です』などと暴露してしまったら大変なことになる。ネット社会の情報拡散を甘く見てはいけない。
終わりに、乗ってくれてありがとうと感謝の言葉を添えてペンを置いた。シティ・セスナのパイロットは、いつも乗客を大切にしている。そのことが文面から伝われば、きっと喜んでくれるだろう。
数時間後にこれを投函し、カフスとラペルを連れてセントラルApへ向かう。
――本当は。
47,000フィートの世界に魅入られてしまった。
日々更新されていく空と雲のトーン。そのすべてを知るために飛び続ける。
そしていつか、陸ではなく、空で死ぬ。
――叶わないかもしれないけど。
それが、理想を片翼に秘めたパイロットのポリシーだ。
Ⅰ-1 end.




